6
月日は流れ、闘技大会当日。
黒い屋根の小屋の前から、ルルシャンは姿を現した。
「それじゃあ、行ってくるわ。お婆ちゃんを、よろしく」
「……あァ」
「何しみったれた顔してんのよ。これから私は守護神になって、お婆ちゃんの病気を治して、今よりももっと良い所で、悠々自適に過ごす。オジサンも、召使卒業! 守護神になったら、旅路の資金くらい出して上げられるわよ。ほら、皆んなハッピー」
あっけらかんと気楽に語るルルシャン。
その未来はあくまで、闘技大会で勝ち残ったらの話。
闘技大会がどういった内容かは知らないが、金かはたまた名誉か、そういったものに群がる者は多い。
一筋縄ではいかないだろう。
「大丈夫だって、オジサンの剣技は最強なんでしょ? それを使える私も最強ってね」
「そう……だな」
「んじゃ、そういうことで」
ルルシャンは小走りに闘技大会がある王都へと向かった。
俺様は一緒には行かなかった。
勝てる見込みがあるなら、守護神復活ってのも良いのだが、そんな自信は無い。
それに下手に戻って、知り合いに正体を見破られれば厄介なこと、この上ない。
「……クソ」
蹴り飛ばした石に、ポツリと空から落ちた雫が掛かった。
◇◇
闘技大会の受付を済ませた私は、大勢の挑戦者と共に闘技場の一室に移動した。
そこにいたのは、ピエロのように派手な格好の男だった。
「よくぞお集まりいただきました!」
「たくさんの勇士諸君。貴方方に挑んで頂くのは」
「かの守護神が討伐し損ねた、大猪、暴力の化身カリュドォーン!!」
騒めく挑戦者達。
聞こえてくるのは、この国の守護神リャクシェロンがその大猪に負けたという噂。
「守護神が負けた相手と……」
知っているのと名前と伝説くらい。
世界最強とも言える人物が負けた相手と戦うことに息を呑む。
「お静かに、お静かに! 気持ちは分かりますとも、しかし、これはこの国の守護神を選ぶもの。そして新たな守護神に必要なのは絶対の力。それを見せつけなければならないのに、臆してどうします」
「倒した者が新たな守護神! 早い者勝ちになるので、決心した方は早々に闘技場へと向かうことをお勧めします」
そう言うと派手な男はどこかへと去って行った。
「それでは、ご案内致します」
また別に係の人が現れ、半分に減らした挑戦者を闘技場の入場門へと導く。
闘技場への入場門。
頑丈な鋼鉄の扉。その一部に人が出入り出来る扉が備え付けられていた。
「それでは、お好きなタイミングで入ってください」
最初に扉を潜ったのは、先頭で待機していた厳しい大柄の男。
入ったと同時に、大歓声が聞こえ始める。
意気揚々と闘技場の舞台に入った男の背は、すぐに扉が閉ざされ見えなくなった。
「挑戦者の敗北が確認出来次第、次の挑戦者を通します」
大きな振動が響いたと思うと、観客の悲鳴が上がった。
「それでは、次の方どうぞ」
闘技場の中の様子が見えずとも簡単に想像出来た私たちは、その淡々とした言葉に背筋を凍らせるのだった。
私の番が来たのは50人程が挑んだ後だった。
殆ど残っていない待機者から一歩ずつ、闘技場への扉へと近づく。
「それでも私は」
予想よりもずっと恐ろしい事態に陥っていることに気付きつつも、私は決心して、闘技場への扉を開けた。
目に入ってきたのは、夥しい血を吸った地面と、辺りに散らばる死体の山、そして悩みや不安を発散するように、闘技場を見つめていた多くの観衆。
怒号混じりの歓声が耳に入り、
ぶぉぉぉぉぉ!!
大量の返り血を浴びた大猪の瞳が新たな獲物を捉えた。
◇
「フェネトさん、フェネトさん。悪いんですが、水を貰えませんか?」
「だから俺様はフェネトさんとやらじゃ……いい、ちょっと待ってろ」
こんなこともあろうかと、予め準備していた桶から、水をコップに注ぐ。
「フェネトさん、クラリアと一緒にどこに行っていたの? ダメじゃない。ルルシャンを独りにしちゃあ」
「ほら、水だ。たくさん飲んどけ。一々、入れるのが面倒臭ぇ」
「ありがとう。クラリアも良いお婿さんを貰ったものね。こんなに優しくて、気遣いの出来て、ルルシャンという良い子まで育ててくれた」
ルルシャンの修行を付けていく中で、疲れ果てたルルシャンの代わりに老婆メヌスの看病をすることが増えた。
こうして彼女の幻想の中の会話を聞くことがあるのだが、俺をルルシャンの父らしいフェネトという人物に見立てているようだった。
だが、ルルシャンの側には、もう両親はいない。
聞いた話だがルルシャンが幼い頃に父親は蒸発。母親はルルシャンと共に、バードラエト病から逃れられたものの、別の病気で死亡した。
だから、メヌスが見ている幻想は、昔の記憶などではなく、あったかもしれない今。
自身は病気に罹らず、娘夫婦が一緒に住んでいて、孫が楽しそうに近所の子と遊んでいる、そんな景色を彼女は見ていたのだった。
「ルルシャンは本当に優しいの。私が風邪を引いた時も、自分も転んで怪我をしていたのに、隣町までお医者さんを呼んでくれたの」
「帰って来たルルシャンは、出て行った時よりも擦りむいていて、痛く無いのと聞いたけれど、お婆ちゃんより元気だよって。ふふふ、子どもは本当に元気なのよね」
「ごほっ、ごほっ」
懐かしみ楽しむように話すメヌス。
しかし、その咳には大量の血が混じっていた。
「大丈……おい、その体、痛く、ないのか?」
体の中が破けたような血の量に驚く俺様に対し、メヌスは平然と柔和な笑みを浮かべる。
「ええ。全く。少し前までは辛かったけれど、最近は全然痛くないの。神様が痛みを取ってくれたみたい。ごほっ、ごほっ」
「血が出てくっから、喋るんじゃねぇ。黙ってろ!」
机の上に置いていたタオルでメヌスの口元を拭う。
「もっと……私が元気なら、ルルシャンを……守って上げたいのだけど、もう、動けない」
メヌスは、血を拭き取る俺様の腕を掴んだ。
「フェネトさん。どうか、どうか。あの優しい子を、ルルシャンを守って下さい。私の命なら、いくらでも差し上げますから、どうか。どうか。私の大事な孫を」
真っ直ぐ俺様を見つめる瞳。
幻想か現実か、その区別はきっとついていない。
だが、その言葉だけは彼女の心からの願いを表しているように感じた。
「俺様はフェネトじゃねぇ。俺様は、彼処には行けねぇ。俺様には、守る異能もねぇ。それに、あのクソガキは、オマエを救う為に命を賭けて行った、それを邪魔する事も出来ねぇ……」
俺様の腕を掴んでいた手は徐々に力を失い、弱々しくベッドの上へと、
「だが、責任は果たす。良かったな、婆さん。目の前にいる男はウードラエッタの守護神と呼ばれた男だぜ。あのクソガキを守るなんざ訳もなぇ」
その腕がベッドに落ちる直前、俺様は掴み直し、両手で握って、そう答えた。
その冷たい腕を彼女の胸元に置き直し、俺様は外へと駆け出した。