8、不法侵入者の正体(夏)
「はぁ……はぁ……」
荒い息遣いと共にディアマリッジ101号室の木目の扉はゆっくりと開いた。
扉から顔を出したのは、血まみれの毛布に包まれた白髪の女の子。
〈過去〉二階堂家の一室 なっちゃん視点
「はぁ……寒いぃ」
震える手で、体温計を持つ。39.1℃と鳴った。
「うう、なんか寒くて変だと思ったら」
昨日からこんなに寒いなんておかしいと思ったんだ。
部屋から出歩いていないのに、いつウイルスに寄生されたのだろう。
お母さんが外出しているのは知っていたので、冷蔵庫からスポーツドリンク、救急箱から薬を盗む。
「お、生理痛にも効く頭痛薬じゃん。助かる」
玄関の向こうからビニール袋の音がし、ビクッとする。
やば!お母さんが帰って来た。急いで部屋に引き返す。
「ただいま!なっちゃん、ちょっといいかしら?」
お母さんからのノック。こんな時に鬱陶しいな。
「こんなこと言いたくないんだけどね、3階の春名さんから異臭がするって苦情を言われたのよ。お母さん、いつも管理人として注意してきたでしょ?これじゃあ立場がないわ」
まずいな。
私はぱっと見ても10以上あるゴミ袋の山を眺めた。これ、外にまで異臭を放ってるんだ。
「ゴミをまとめて捨てたいの。廊下でいいから出してくれないかしら?」
誰かが回収に入ってきたら、一番最悪だ。
私はフラフラする足でゴミ袋の山に手をかけた。
そんな中、スマホの通知が鳴る。
また四季先生からメッセージだった。こんな時にうるさいな。
“ちゃんと卒業してほしいんだ”
「……ぅう!!」
スマホを投げてしまう。
うるさいな!私だって……!本当は……
「なっちゃん、どうかしたの?」
お母さんの声が近づいてくる。
「手伝おうかしら?開けてもいい?」
イライラする。壁をドンドンとたたき撃退した。
その後、悪臭のするものや虫の飛ぶ袋を優先的にまとめた。半分くらいになった。これなら大丈夫だろうか。鼻が馬鹿になっているので自信がない。
私は、ドアの隙間からお母さんがいないか確認したのち、ゴミ袋を廊下に投げ出す。
「あら、なっちゃん。ゴミを出してくれてありがとう。
お礼のご飯、ここに置いとくから食べてね。あと、何か困っていたらいつでもお母さんに言うのよ」
ご飯か。しまった……
昨日ハンバーグを頼んでしまったのに食欲がない。
お母さんがゴミ袋を引きずっていった後を見計らい、扉をあける。
「あれ?」
そこにはハンバーグではなく、卵が入ったおかゆが湯気を上げていた。
「……何で」
そうか。スポーツドリンクや頭痛薬を持っていったことがバレたんだ。
だからさっき“何か困っていたらいつでもお母さんに言うのよ”なんて言葉をかけてくれたのか。
私は暖かいお粥を部屋に招き入れ、ゆっくり口に含む。
「……あっつ」
熱い。舌が火傷しそうなほどに。
「あちち……もう!あついなくそ」
暴言とは裏腹に涙が止まらなくなる。異臭を放つ私の心には沁みる温度だった。
私は泣きながら、お母さんのおかゆを口にかきこんだ。
「あらなっちゃん、もう食べたの?」
お母さんが部屋の前に置いた食器を回収しに来た。
そのタイミングで、スマホからメッセージを送る。扉の外で通知が鳴る。
「次の注文?次こそハンバーグがいいの?それともまだ消化に優しいものの方が……あら?」
お母さんに向けた、長文メッセージに既読がついた。
「え?……“お母さんへいつもありがとう”」
お母さんが廊下で読み始める。
「“いつも感謝の気持ちを直接言えなくてごめんね”」
鼻が馬鹿になってくるように、心の感度も悪くなる。
自分が日に日に腐っていることは自覚している。私はもうすぐきっと、嫌なことに噛み付くだけの二ートの化け物になるだろう。
「“毎日作ってくれるご飯全部おいしかった。ありがとう”」
そうなる前に……まだ私に良心という自我が残っている時に、一度でいいからお母さんにお礼を言っておかないと。そう思っただけなんだ。
「いいのよ、なっちゃん。お母さんね、なっちゃんにもう嫌われたくないだけなの。
もう進路や将来についてとやかく言わないから。扉もあけないから。何もしなくていいから、ただここにいるだけでいいのよ」
一歩一歩噛みしめるような足取りでお母さんが食器を片付けてくれる。
「そうだ。デザートにリンゴを剥いてあげるわね」
お母さん、本当にごめん。ボロボロと地面に涙を落とす。
本当にいいお母さんだとわかっている。そんなお母さんに寄生するウイルスでごめんなさい。
いつかちゃんと謝ろう。たくさん怒られるかもしれない。怖いけど、この気持ちをいつまでも忘れたくない。
「……でも今は」
ひとまず寝よう。頭が痛くなり、立ってられなくなってきた。
布団に入った矢先だった。
お母さんの足音がドスドスと聞いたこともない勢いで近づいてきた。
「え?」
そしてノックもなく勢いよく扉が開けられた!
お母さんの血走った瞳!
お母さんの手には、白髪の束が握られていた。
排水口から取り除いた塊を、ゴミ袋から見つけたのだろう。
「い!いやああああああ!!」
お母さんが建物全体に聞こえるような声量で叫んだ。
「あ、あなた誰!?なっちゃんは!?
うちの夏久を!息子をどこにやったのよ!!」
もう片方の手には果物包丁がぶるぶると握られ、血まみれの毛布に包まれた私に向けられていた。
〈現在〉余興当選者の発表 花嫁視点
「それではこれより、先ほどの余興の勝者を発表したいと思います。
勝ったのは新婦でした!新婦が勝つと予想した方の中から、豪華引き出物を手にするのは果たして誰でしょうか!」
司会が盛り上げる。披露宴も後半、みんなアルコールもまわり最初の緊張から楽しげな宴会に変わってきた。
「それでは新婦より豪華引き出物の当選者を発表してもらいます」
「はい!」
私は、BETボックスから1枚のカードをとる。
くじ引きのようにドキドキした。
そしてカードに書いてあった名前を確認した。
「豪華引き出物が当たったのは……」
少しためたのち、その人へ視線を向けた。
「八角亜希ちゃんです!」
「え?私?」
ずっと進行してくれた司会の女性が、きょとんと自らの顔を指さした。
「ああ、最初に私が実演した際に入れたカードですかね?さすがに式場側の人間が貰うのは申し訳ないので……」
「ううん、亜希でいい。みなさん!亜希は私が尊敬している親友です!彼女がここで働いていたから、式場をここに決めたんです!亜希、素敵な結婚式をありがとう!」
みんなが亜希に向かい拍手してくれる。司会者自らに向けられた拍手に困惑していた。
「い、いやでも……本当にいいの?」
「打ち合わせ通り、当選者からの一言はもらうからね」
私が亜希に歯を見せた。亜希はマイクを握り直し、参列者へと向く。
「ありがとうございます。ただ親友と紹介してくれましたが、新婦との付き合いはそこまで長くなくて。ずっとメッセージのやりとりが続いてて、最近になってたまに一緒にご飯に行くような仲でした」
亜希は司会という役割をやめて……
「その際によく結婚についての相談も聞いていましたが、2人とも本当にお似合いで、特につらいことを隠しちゃう性格がよく似てると感じてました。私はそんな2人が羨ましく、少し心配でした」
1人の友人として話してくれていた。
「今日は司会として“あの事件”があったことに触れないように努めていました。けど親友としてなら、あえて言わせてもらおうかな」
亜希は会場を見渡した。
「ここからは参列者のみなさんの表情がよく見えるの。だからすぐわかった。ここにいるみなさんはあの事件を知った上で2人を祝いに来た人達だって」
何人かの参列者が、うんうんと頷いている。
「もちろん私も。過去なんか気にしないで!これからの未来を見てほしい!あんたたちは幸せになる権利がある!」
やばい。泣きそうになる。泣くならせめて次だ。
「今日だけじゃないよ。2人が幸せになれるようサポートし続けることを、私もみなさんに誓います。結婚おめでとう。末永く幸せになってほしいけど、たまにはご飯に誘ってくれると嬉しいな。あなたの親友より」
会場は今日一番の拍手に包まれた。
ありがとう、亜希。次の最後の演目、がんばれそう。
私はポケットに潜ませた“手紙”を握り直し、ずっと1人で泣いている両親へ目を向けた。
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