希望に満ちて
ep.3ー1 希望に満ちて
「––––っ!フェルネット!ま、だ……くっ!まだ、無事っ?やられて、ないっ?」
「やられてっ!ない、けどっ、……あうっ!無事じゃ、ないっ、よぉ!」
––––ETD、第一階層。その、中間地点。
私は、人の三倍はあろうかという大きさのスライムに襲い掛かられ、懸命に斬り払い続ける。中心にある核を破壊できれば良いのだけれど、その巨体に阻まれてしまう。
手にした剣に浄化の力があるとはいえ、斬っても斬っても、一向に目減りする気配が見えない。もしかすると、後ろから来るスライムが、次々に合体しているのかもしれない。
フェルネットはと言えば、縦三段、横三列に組み合わさった、小鬼壁に襲われ、圧倒的な手数の前に、打ち負けそうになっている。
「シャトー!もう、少し、だけっ!頑張って!すぐ、にっ!助ける、からぁっ!」
「んーっ!んんーっ!んんんんーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
壁から生えた、無数の触手に搦めとられ、宙に持ちあげられているシャトーは、自分の手
と手、足と足を組んで身体を開かせないように渾身の力を籠めて、必死の形相で口を閉じ、触手の侵入を拒んでいる。
エリュシアに至っては、トラップで浴びせられた媚薬で放心している始末だ。
––––なんで。なんでこうなったの?何が悪かった?
このままじゃ、みんな、ヤられちゃうっ!……イヤだっ!そんなの、絶対にイヤ!
「……負け、る、もんかぁっ!……うぅぅあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
残った力を振り絞る。せめて、せめて一瞬でもいいから、脱出の時間を––––っ!!
「っ!うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!このっ!このっ!いい、加減にっ!離れなさいよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
仲間を守りたい。絶望的な戦力差の中、その思いだけを頼りに、私は剣を振るった。
……冒険者の末路。ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
––––ここで、この日の朝まで時を遡ることといたしましょう。
彼女たちが何故、この様な事態に陥ってしまったのか。
彼女たちの冒険は、ここで潰えてしまうのか。
彼女たちの、ここに至るまでの道程に、しばしお付き合いのほど。
「おっはよー!みんな、集まってる?」
「ふぁぁ……おぁよ~ございますぅ」
––––朝。宿屋の一階、大食堂の一角にて。昨晩と同じ卓には、シャトー、フェルネット、テオドアの三名が席についており、眠たげな目を擦り、未だ半分夢うつつ、といったエリュシアを引き摺って、ルビィもまた、彼女らと合流したのでございます。
「遅~い!もうお腹ペッコペコだよぉ~!ね、ね、もう、注文していい?注文しちゃうね?……おね~さぁ~ん!こっちこっちぃ!」
待ちきれなかったのか、フェルネットが店員を呼ばわります。
「あぁ、もう。ちょっとは落ち着きなさいよ、フェルネット。それで、今日の予定なんだけど……本当にいいのね?テッド」
「あぁ、昨夜言った通り、実際に自分の目で確かめてみたいんだ。もちろん、無理も無茶もしやしないさ」
「……分かった。ただ、くれぐれも気をつけてね」
もはや是非もなし、とばかりのテオドアの意思を受け、ルビィにはこれ以上の引き止めは叶わぬことを悟ったのでございます。
「それでは、ルビィ。私は朝食を頂いたら、昨晩注文したものを受け取りに、パンジョ村へ行ってまいりますわ。お昼過ぎには戻れると思うけれど」
テオドアとのやり取りの様子を窺っていたシャトーが、頃合いを見て口を開きます。
「ん、分かった。テッドの用が済んだら、ダンジョン前で合流する?それとも、一旦ギルドにでも戻ってようか?」
「そうですわね……ダンジョン前にしましょう。昨日の遅れも取り戻したいですもの」
薄紅差す頬に指を宛がったシャトーは、しばしの思索の後に提案をし、
「そうねぇ……今日は失敗のないようにしないとね」
ため息交じりに、ルビィが首肯いたします。
そして、昨日の失敗––––見え透いた罠に掛かってしまった事––––に言及すると、お料理が到着するのを待っていたフェルネットが、「ぷぅ……」と不満気に頬を膨らませてそっぽを向いてしまうのでございました。
「あのぅ、ルビィお姉さま。昨日って何かあったんですかぁ?」
記憶をトバされていたエリュシアが、昨日の失敗について触れると、フクれ顔だったフェルネットは、「ぶうぅ……」と殊更に不満げな様子。
「あぁ、うん。まぁ、その、ね。……ダンジョンの中では、うかつにあれこれ触っちゃダメ、っていう話でね……」
「へぇ~、そうなんですかぁ。……分かりましたぁ!勝手にあれこれ触ったりしません!」
「––––ははは……こういうところは素直ねぇ、あんた」
苦笑交じりのルビィに対して、元気に!快活に!愛らしく♡応えるエリュシアなのでございました。
––––西の国境、パンジョ村へと向かったシャトーと別れ、ルビィ達一行はETDの入り口前へと場を移し、突入への準備を整えておりました。
「ちゃんと盾、持った?鎧は緩んでない?あぁ、あと、ほら。【乙女像】、しっかり発動状態にしといて。いざっていうときに脱出できないと––––」
「分かった!分かったって。心配してくれてんのは分かるけどさ。ここまで細々と言われると、なんていうか……お袋みてぇだな」
テッドは、心配を寄せるルビィに対し、照れくさそうに笑みを浮かべます。
エロトラップダンジョンのもう一つの側面、デストラップダンジョンの内部を覗きに行く、という、言わば無用な危険を冒すこととなったテッド。
このような事態に、少なからず責任を感じていたルビィは、何故か過剰なまでにテッドの世話を焼いているのでございました。
「だ!……誰があんたのお母さんよ!まったく!こ、こんなことであんたが死んじゃったら寝覚めが悪いから、それで気を遣ってやってるだけなんだからね!」
「ぷぷ~~~っ!ルビィ、ツンデレ?ねぇ、ツンデレなの?www」
「あぁぁ、お姉さまが遠くに行ってしまいましたぁ……」
「ああぁもうっ!あんたらもうっさいってぇ~の!……し、仕方ないでしょ!こんなことで死なれちゃったら、なんていうか、その……あれよ!後味悪いでしょ!」
ここぞとばかりに揶揄ってくるフェルネットに、今にも頽れてしまいそうなエリュシア。二人の態度にも、真っ赤に染め上げられた顔で抗議をするルビィなのでございました。
「––––っ!と、とにかく!【乙女像】を使うときには、足元にも注意して。デストラップダンジョンだと、瞬爆粘体も出るって話だから」
ニトロスライム、とは。気付かぬうちに足元に這い寄り、僅かな衝撃を与えるだけで大爆発を起こすという、誠に厄介な性質を持った粘体でございます。
「うっわ。そんなヤツまで居るのかよ。……オッケ、分かった。こりゃ、充分に気を引き締めて行かねえとな」
そのような言葉と共に、再度己の装備を点検して、「それじゃ、ちょっと行ってくるよ」という一言を残して、テッドは危険極まるダンジョンへと足を踏み入れるのでございました。
そして––––
「ねぇ、ルビィ。そんなに心配なら、一緒に入ってあげればよかったんじゃないの?」
「––––シッ!ちょっと黙ってて!」
呆れ気味に言うフェルネットの言葉を遮って、私はダンジョンの扉に耳を当てる。
少しでも中の様子を窺って、もしも異常があったら、すぐに跳び込めるように。
––––やがて。
『……なん……これ!…………う、動け……ねぇ!……う、うわあぁぁぁぁぁっ!』
「––––っ!!」
次の瞬間、私は躊躇うことなくダンジョンへと飛び込んでいった。
デストラップダンジョン 一層 入り口付近。
「……さて。鬼が出るか蛇が出るか……」
ダンジョンに踏み込んだ俺は、辺りを見渡す。
幸いにも、トラップや魔物の姿は見当たらないみたいだ。
「ルビィ達に大見得切っちまったからなぁ。無様なとこは見せらんねぇな……」
ともかく、観察目的で来たからには、どんな場所なのかしっかり見ておかないと。デストラップダンジョン……彼女たちが、一歩も動くなというほどの危険な場所。今更ながら、首筋にジリジリと嫌な気配が纏わりつく。
「––––っ!なっ!」
––––一歩も動いてなんかいなかった。ただ、中の様子を見ようと顔を巡らせただけ。だと言うのに、次の瞬間には、両手足が、何か細っこい鋼線のようなもので拘束され、身動きひとつ取れなくなっていた。
「なっ!何だよこれ!……動けや、しねえじゃねぇか!……は?待てよ、冗談だろ?シャレになってねぇぞ!……う、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
扉越しに聞こえたテッドの微かな叫びを受けて。
矢も楯もたまらず、ダンジョン内へと飛び込んだルビィが目にしたものは、四方より張り巡らされた鋼線に搦めとられ、身じろぎ一つ叶わぬテッドの姿でございました。
「––––っ!テッド!」
即座に駆けつけようとしたルビィでございましたが、それを押しとどめるような、テッドの鋭い声が迸ります。
「ルビィか!なんで来た!……こいつぁ、お前らが言ってたより遥かにヤベェ!俺のことはいいから、早く脱出しろ!」
「嫌よ!せっかくあんたを助けに来たってのに、このまま黙って––––っ!」
駆け寄ろうとしたルビィの目に映るは、身の丈を上回る巨大な金属の円盤。鋸刃の付いたその円盤が、テッドの身体を縦断せんと高速回転をして、迫りくる様だったのでございました。
「もう、間に合わねえ。……せめて、見ねぇでくれ……頼む!見るなあぁぁぁぁぁぁぁ!」
最期とばかり、諦めたように懇願するテッド。しかし、時を忘れたかの如く瞠目していたルビィは、決して諦めてなどおりませんでした。
(ヤバイ、ヤバイ!ヤバイ!!このままじゃ間に合わない!どうすれば––––っ!トラップ、悪意の?……イチかバチか、やってみるしか、ないっ!)
眦を決し、己の内に精神を集中したルビィは、天をも穿つかのような祈りを込めて、ただ一つの可能性を叫ぶのでございました。
「お願いっ!届いて!––––【浄化】!!!」
寸毫の刻を経て。
ルビィの周囲に立ち昇った白金の炎が、瞬く間に四周へと迸り、辺り一面のトラップを喰らいつくしてゆきます。
テッドを捕えていた鋼線も、時を喰むかのように朽ち果て、彼のもとに迫っていた円盤もまた、赤錆に沈む機構のごとく、ギシギシと軋みを上げて、その活動を停止させてゆくのでございました。
(––––っ!今っ!)
トラップの無力化を認めたルビィは、次の瞬間には矢の如く駆け出し、絡まる鋼線より引き剝がすようにしてテッドを抱き寄せ、その手に握られたままであった【乙女像】を、はっしと掴み取ると、間を置かずして叩きつけるのでございました。
Ahhheeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!
「っ!だから!い~い加減にしなさいよ!このアへ声ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
………………
…………
……
そして、ダンジョン入り口前。
「お帰り~、ルビィ。あ、あと、テッドも」
薄暗いダンジョンから一転。抜けるような青空を見上げる私を迎えたのは、吞気と言って差支えのない、そんなフェルネットの言葉だった。
「っあ゛~~~、なんかどっと疲れた。……テッド、大丈夫?ケガとか、してない?」
多分、大丈夫だろうとは思いつつ、お互いに背中合わせになって座るテッドに、確認をとってみる。
「お~う。おかげさんで、なんとかな。……っつーか、マジで死んだかと思った……」
背中越しに、気の抜けたような声が返ってくる。
……だよねー。危うく真っ二つにされるところだったもんねー。
「だから、危ないって言ったんじゃん。……でもまあ、無事で何よりだけどさ」
「あぁ、返す言葉もねぇ。マジで助かったわ。ありがとな」
「どーいたしまして。……ふふふっ」
「……なんだよ、そこで笑うか?はははっ」
背中越しに感じる温もりに、生きてるって実感が湧いてきて、自然と笑みがこぼれる。
––––と。
「あぁ~~~っ!お姉さま!なんでいい雰囲気作ってるんですかぁ!私というものがありながらぁっ!」
私がダンジョンに飛び込んでから、心配していた(らしい)エリュシアが、ぶんぶんと腕を振りながら、ぷんすかぷん!となんか訴えかけてきた。
「ちょっと。誤解を招くようなこと言わないでよね、エリュシア。第一、私にはそっちの趣味はないっつーの」
詰め寄ってきたエリュシアのおデコを、ペチン!と指で弾いて訂正を入れる。
「イタイッ!痛いですお姉さまぁ!……ううぅぅぅ」
涙目になりながら、尚も不満気に唸るエリュシア。その頭に、ポンと手を置く。
「でも、心配してくれたんだね。ありがとう、エリュシア」
「…………おねぇさまぁ♡」
頭ナデナデにテンションの上がったエリュシアが、ガバッ!と抱きついてくる。
……けれど、私はこの子の頭にやっていた手をグイッと伸ばしてこれを阻止する。
「お姉さまぁぁぁ!……冷たいですぅ……ハグハグしてクンカクンカしてペロペロしてギュウゥゥゥゥゥゥってするくらい、いいじゃないですかぁぁぁぁぁぁっ!」
「ああぁぁぁ、うっさい!大体、なんでそんなに盛りだくさん予定してんのよっ!」
「––––はははっ!モテモテだなあ、ルビィ。羨ましいぜ」
「あんたも!笑ってないで止めなさいよぉ!テッド!」
ギャアギャアと、うるさいくらいに賑やかなやり取り。うん。やっぱり私達は、これくらいで丁度いいのかもね。
「ところでさ、ルビィ。面装、どうしたの?」
ひと通り落ち着いたところで、フェルネットが聞いてきた。
「え?……って、あれ?無い。……え?え?どこいったんだろ」
言われて、ペタペタと顔に触れてみる。
確かに、さっきまであった面装の感触がない。代りに、もぞもぞと背中に違和感が……もしかして。
「これって……翼に戻って、る?」
そうだ。今の私の装備は、私に宿った権能で具現化したものだから、落としたり無くしたりするはずがないんだった。でも、なんで元に戻ったんだろう。
「––––あ」
その時、昨晩の夢の中に出てきたルシフェル様の言葉が脳裏を過った。
––––良いか。汝の浄化の力は日に三度まで。力を使うたびに……
あれって、もしかしてこういうこと?浄化するたびに、装備が翼に戻って、丸一日使えなくなるってこと?
「なになに、どうしたの?」
「うん。実は昨日の夜ね––––」
私は、フェルネット達に昨晩の出来事をかいつまんで説明した。
「––––え?悪魔王?それってどんなヒトだったの?やっぱり怖かった?」
「別に。なんか、優しい感じのオジサマだったよ?」
「で、でもっ!いくら優しそうでも、悪魔なんですよね!……ダメダメ、ゼッタイにダメですぅ!お姉さま。気を許したら騙されてしまいますよっ!」
ルシフェル様のことを聞いてくるフェルネットに答えていると、元・女神の本能だからかなんなのか、ものすごい勢いで喰ってかかるエリュシア。
「そんなこと言われたって、ねぇ。私のこの権能はルシフェル様に由来するものらしいし。そもそも大天使長だった頃の権能だって話だし。問題ないんじゃない?」
「問題大アリですぅぅぅっ!私のルビィお姉さまが、そんなどこの馬の骨とも知れないオジサンに取られるなんて……っ!ゼッタイ絶対許せませぇぇぇぇぇぇぇん‼」
おいおい、私の……って、本音はそれか!
「あのね、エリュシア。よく聞いて。そして、ちゃんと理解しろ?重ねて言うけど……私に!そんな趣味は!無いっつってんでしょうがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
スッッパーーーーーン!と、右手に顕現させたHARISENでエリュシアの頭を叩く。
「はうっ!……い~た~い~で~すぅ~~~!お姉さまあぁぁぁぁぁ」
「ッキャハハハ!がんばれ~エリュシア。アタシは応援してるよ~!www」
「––––ったく。ほんっと仲いいよな、お前ら」
「うっさい!あんたらも笑ってないで何とかしなさいよぉぉぉっ‼」
涙目になりながらも、尚も抱きついてこようとするエリュシア。
ケラケラと笑いながら、エリュシアを焚きつけるフェルネット。
苦笑交じりに、微笑ましそうにその様子を見守るテッド。
そして、抜けるような青空のもとに、私の絶叫が響いていった。