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夢幻の月日⑫  作者: 吉田逍児
1/1

アパレル店の夢

 平成22年(2010年)正月元旦。私、周愛玲は朝6時に同じ部屋で暮らす陳桃園に起こされた。昨夜、紅白歌合戦が終わってから、芳美姉の家から、自分たちの住むマンションの部屋に戻って来て眠ったので、睡眠不足だったが、無理を押して起床した。

「新年好」

「新年好」

 私は寝ぼけ眼で桃園に返事した。桃園は早くもシャワーを終えて、化粧を始めていた。私は今日が何の日か気づき、慌ててシャワーを浴び、桃園と同じように化粧をして、新しい洋服に着替えた。そして午前8時、桃園と一緒に芳美姉のマンションに行った。桃園と私が顔を出すと、『快風』の皆が顔をそろえ、お節料理が並べられているテーブル席についた。和服に羽織姿の大山社長は、一同が揃ったのを確認すると、一同に起立するよう命令して、神棚に向かって二礼二拍手一礼し、新年のスタートを祈願した。次に大山社長は皆を席に座らせ、挨拶した。

「新年、おめでとうございます。本年も健康で楽しく仕事に頑張りましょう」

 その一言が終わると、芳美姉が大山社長の手にした小さな御猪口に温めた日本酒を注いだ。私たちも、それを真似て御猪口に日本酒を注いで乾杯した。それから芳美姉が真心を込めて作った御節料理をいただいた。美味しい料理とお酒に、女性たちの会話は弾んだ。午前10時になると恒例の事であるが、集まっている1人1人に、大山社長が、お年玉をくれた。ボーナス代わりのお年玉をいただき、『快風』の人たちは皆、嬉しそうだった。何の役にも立てなかった私は、お年玉を貰えないものと思っていたが、琳美と一緒にお年玉を貰えたので大喜びした。テレビでは『ニューイヤー駅伝』を放送しているが、中国人である私たちには、興味のある競技では無かった。そこで皆で去年同様、明治神宮に初詣に行こうということになった。晴天でポカポカ陽気だったので、皆で、西新宿から歩いて出かけた。今年の明治神宮は不景気を追い払おうと、前年より混雑しているとの情報だった。私たちは、沢山の人たちと一緒にゾロゾロと神前まで進んだ。私は神前に立つと、家族の仕合せと自分の希望が叶うようにと祈願した。その明治神宮の参拝を終えてから、私たちは芳美姉夫婦と別れて、それぞれ別行動となった。私は去年と同じ、桃園、長虹、月麗、香薇と琳美の6人で、新宿まで移動し、カラオケ店に入り、カラオケを唄った。そして私はトイレに行ったついでに男たちにメールを送った。まずは斉田医師に新年のメールを送った。『ハニールーム』で合流する日の確認が目的だった。

 *謹賀新年。

 初出勤日は4日となります。

 本年もよろしくね*

 すると、こちらこそよろしくとの返信が送られて来た。続いて倉田社長にメールを入れようとして、ふと雪ちゃんのことが脳裏を横切った。今年もまた彼女の存在に悩まされることになるのかと思うと、ちょっと悔しい気持ちになった。それを倉田社長に、何となくほのめかしてメールした。

 *明けましておめでとうございます。

 本年もよろしく。

 去年のように悪い女に惑わされないでね。

 私とケンカをしないで

 仲良く頑張りましょうね*

 その返信は、カラオケを終えてから送られて来た。

 *新年快楽。

 2010年が良い年となるよう

 頑張りましょう。

 本年もよろしく*

 年賀状のような返信だった。私と桃園はカラオケを終えると、長虹や月麗、琳美、香薇たちと別れ、自分たちの部屋に戻った。工藤正雄からのメールは夕方、部屋で洗濯をして、それをベランダに干している時に届いた。

 *おめでとう。

 誰よりも君を愛している。

 明日、よろしく*

 私は、そのメールを読み、工藤正雄が、柴田美雪では無く、私に心を奪われて続けているのだと感じた。見上げる夜空には星がいっぱい輝き、何故か素晴らしい1年になるような気がした。私は星に向かって、仕事が上手く行くようお願いした。


         〇

 2日、待ちに待った工藤正雄とのデートの日がやって来た。同部屋の桃園も午後から経堂に住む関根徹とデートだということで、私と一緒にマンションを出た。これから好きな人に会いに行くのだと、私たち2人ともオシャレして、笑顔いっぱいだった。私は小田急線の電車に乗って、恋人の所へ行くと言う桃園と別れて、新宿駅東口へ行った。私が待合せ場所に行くと、まだ3時前だというのに工藤正雄は赤いネクタイで、気持ちをピシッと引き締めたブレザースタイルの上に、ちょっとラフなトレンチコートをひっかけ、私が現れるのを待っていた。私は、その彼を見つけ小さく手を振って彼に近づき声をかけた。

「おめでとう。早かったのね」

「うん。おめでとう。早く会いたくて、時間前に来ちゃった」

 私たちは2,3言葉を交わしてから、駅前の交差点を渡り、靖国通りに出て、花園神社へ向かった。朱色鮮やかな花園神社は、初詣の人たちで、ごったがえしていた。私たちは沢山の人たちの行列に並び、神前に行って、鈴を鳴らし、御賽銭を投げ、それぞれの目標を達成出来るよう祈願した。おみくじを引きたかったが、彼がおみくじを嫌うので止めた。何故かというと、おみくじを引いて、1年の運勢が分かってしまっては未来への希望や意欲を失って、面白くないからという正雄の考え方だった。私たちは、その代わりに参拝したという証しに、小さな神社のストラップを買った。それから私たちは当然の如く、以前に入ったことのあるラブホテル『ファンタジー』に行った。耳が削げてしまいそうな冷たい屋外から、ホテルの部屋に入ると、身体が燃え上がるみたいに、ポーッとして、まるでワインを飲んだみたいな気分になった。正雄の筋骨隆々の青年らしい肉体を前にして、私は熱くなった。なのに彼は私との行為を何度か経験した所為か、慌てる様子は無かった。

「私、先にバスルームに入るわね」

 私は、そう言ってセーターを脱ぎ、下着を外し、ショーツをソフアの上に放って、先にバスルームに入りシャワーを浴びた。これから使う愛器を手で洗った。そして、全裸のままバスルームから出ると、バスタオルで胸を隠しベットに入った。私と入れ替わりに正雄がバスルームに入った。彼は外で身体が氷の様になったのか、バスタブの湯に浸かったらしく、出て来るのが遅かった。私は布団の中にくるまって彼が出て来るのを待った。彼は身体を真っ赤にしてバスルームから出て来ると、ベットの上に上がり、私を上から見詰めて言った。

「会いたかったよ」

「私もよ」

 私は仰向けのまま両手を彼に差し伸べ、布団を退けて、彼を迎え入れた。彼は四っん這いになって、私が広げた両脚の間に、性器を突き出した腰をぶつけて来た。すらりと伸びた彼の脚は、こういった時、ちょっと邪魔な感じだった。ギンギンになった彼の性器は私の愛器の中に激しく突入を繰り返した。正雄は興奮し、腰を前後させ、私を喜ばせようと、甘い言葉を囁いた。

「君は素晴らしい。とても綺麗だ。愛してる」

 私はその言葉の魔法にかかったかのように吐息交じりに答えた。

「私もよ。愛してる」

「好きだ。好きだよ。愛ちゃん、俺と結婚しよう」

 正雄は、そう叫ぶと、一気に溜まっていたものを私の中に放った。何という快感。私は目を瞑って、正雄の腰を力いっぱい強く引き寄せた。正雄の性器は完全に私と繋がり合い、私の愛器の奥深くにまで突き刺さっているのが分かった。心地良かった。正雄は放出が終わったのを確かめると、ゆっくりと刺し込んでいた物を抜き取り起き上がった。そして、矛先の物をテッシュで始末し、バスルームに駆け込んだ。私は正雄が姿を消すと、布団にくるまり考えた。正雄との結婚は正解か。不正解か。もし斉田先生が、離婚してくれたなら、その方が楽な生活が出来るのではないか。右か左か。これから進む道は自分で決める権利があるにしろ、迷うことだった。このようなことを考える自分は何と打算的な悪女なのか。こんなことを私が考えているとも知らず、バスルームで身体を綺麗にした正雄はバスタオルで前を隠し、バスルームから出て来ると私に希望を語った。

「俺は仕事から帰ったら、君と子供が待っている温かい家庭が欲しいんだ」

「まあ、そんな恰好で」

 私は返事をはぐらかした。それから自分もバスルームに入り、身体を綺麗にして、衣服を身につけた。そして2人で、歌舞伎町から新宿駅に向かい、駅ビルにある牡蠣料理のレストランに入った。注文した赤ワインが運ばれて来ると、それを2つのグラスに注いで乾杯した。

「結婚相手、本当に私で良いの」

 私が確認すると、正雄は照れた表情をして、恥ずかしそうに笑い頷いた。


         〇

 久しぶりに訪れたのに、シクラメンの花が『ハニールーム』の窓辺で芳香を放っていた。水を欲しそうにしていたので、直ぐに水を上げた。それから私は独り言を言いながら部屋の中の掃除をした。

「今年も、お世話になります」

 私は一生懸命、掃除機を動かした。こんなに広い部屋があるのだから、桃園と一緒に暮らす狭い部屋から、ここに移って来て生活したかった。だが私の母親代わりになって私の面倒を見ている芳美姉が、私たちの不倫の生活を許す筈が無かった。もし芳美姉が、私と斉田医師の関係を知り、許すとしたなら、斉田医師に私との結婚を強要し、多額の嫁入り資金を要求するに違いなかった。斉田医師が、もし、それを拒否したなら芳美姉は大山社長に依頼し、暴力団を使い、斉田医師に私への慰謝料を払わせるに違いなかった。それは、私に惚れている斉田医師を苦しめることになるので、当分、二重生活を続けるより仕方なかった。部屋掃除を終えてから、私は昼食の準備を始めた。得意なマーボ豆腐と肉野菜イタメを作った。約束の午後2時になると、斉田医師が『ハニールーム』にやって来た。私はエプロン姿で、部屋のドアを開け、彼を招き入れた。

「おめでとうございます」

「おめでとう」

 彼は面倒臭そうにスリッパを履くと、テレビの前のテーブル席に、ドカッと座った。

「ビールにしますか」

「うん」

 彼は偉そうに、隣りの椅子の縁に手を掛けて、ふんぞり返った。私は出来立ての料理をテーブルの上に並べ、ビールと赤ワインを出した。まずはビールで乾杯した。

「本年もよろしくお願いします」

「うん。よろしく」

 そう答えた斉田医師は、何時もと違う気配だった。私は恐る恐る3日間、何をしていたか質問した。すると彼は、こう説明した。

「元日は家族で水稲荷神社にお参りし、その後、ホテル『椿山荘』に行って、ケーキを食べて、それから池袋に行き、石狩鍋の夕食をして、家族サービスをしたよ。2日、3日は、箱根マラソンのテレビ中継を観て過ごしたよ。のんびりした3日間だったよ」

 その説明を聞いて、次に私が3日間の説明をしようとすると、斉田医師が私より先に説明した。

「知ってるよ。元旦は明治神宮、2日目は花園神社、3日目は熊野神社と忙しいよな」

 私は唖然とした。斉田医師は私の3日間の行動を把握していた。返す言葉が無かった。何故、彼は私の行動を知っているのか。それが不思議でならなかった。私は正月早々、斉田医師に会って、気分を害され、怒りに震えた。

「正月から嫌な言い方をしないで。私を傷つけて、何が面白いの。探偵でも雇っているの」

「いや。探偵など雇っていないよ。総て玉山社長の告げ口だから、怒らないでくれよ」

「また、あの人。噓八百を並べて、私を貴男から奪おうとしているのよ」

「そうかもな。愛ちゃんのことを、嫌に話題にするからな。玉山社長のことは信じないようにするよ」

 斉田医師は、そう言って私に詫びた。それからビールを飲み干し、料理を口にした。私は、そんな斉田医師を睨みつけ、自分が作った料理をやけ食いした。満腹になると彼はベットに移動し、私を誘った。

「早く来いよ」

 彼は何時もより命令的だった。私は彼に命じられるままベットに近づいた。仰向けになっている彼は私の腕を強引に引っ張った。その為、私は酒に酔った斉田医師の上に、跳び込むようにして乗りかかった。私の着ている物はたちまち剥ぎ取られた。彼は乱暴だった。何時もの診察から始まるお医者さんごっこでは無かった。彼は私を腹の上に乗せ、棍棒のように硬くなったペニスを下から前戯も無く、刺し込んで来た。下から真直ぐに突き上がって来る膨張したペニスの衝撃と毛ずれの音に、私は耐えられず、目を閉じた。彼の全身の血の総てが私の股間の穴に向かって突き進んで来るのが伝わり、そのしびれるような快感に、私は卒倒しそうになった。そんな私のしびれている腰に斉田医師は両手を回し、更に強く下からグングン突き上げた。その振動に私の乳房は恥ずかしい程に揺れた。

「ああ、たまらない。ずっとこうしていたい」

 私は恥ずかし気も無く、自分の欲望を口走つていた。『ハニールーム』の白昼夢は快感の連続だった。


         〇

 1月5日、初出勤。私が駅に降りると、雨上がりの快晴の空に建設中の東京スカイツリーが聳え立ち、年末に見た時よりも高くなっていた。このタワーが完成するまで、『スマイル・ジャパン』の事務所は、この町に居続けるのか、私には分からなかった。事務所に行くまでの下町の家々には、紅梅がちらほら咲き始め、水仙が甘い香りを放っていた。事務所のあるマンションに着くと、1階の会社のポストに封書やチラシや年賀はがきなどが沢山、入っていた。それを取り出し、5階の事務所に入ると、部屋の中は冷蔵庫の中にいるみたいで、震える程、寒かった。私は慌てて部屋の暖房を入れた。お湯を沸かし、部屋の掃除をした。年末に掃除したので、掃除する箇所は少なかった。部屋が温まった頃、倉田社長が現れた。ハンガーにオーバーコートを掛ける倉田社長に向かって私は新年の挨拶をした。

「明けましておめでとうございます。旧年中は大変、お世話になりました。今年もご指導の程、よろしくお願いします」

「おめでとう。今年は仲良くしようぜ」

 倉田社長は私が元日に送ったケンカしないようにしましょうねという、メールを忘れていないらしかった。私は微笑とも困惑ともとれぬ複雑な顔で、はいと答えた。

「これ、浩子さんからのお年玉」

 倉田社長が、私に浩子夫人からの封書を差し出した。私はその封書を受け取り、直ぐに封書を開けて中味を確認した。何と中に浩子夫人からの手紙と2万円の商品券が入っていた。手紙には、主人をよろしくと書いてあった。私は予期せぬお年玉に、大喜びして浩子夫人にお礼を言ってと倉田社長にお願いした。それから身体が温まる様に、倉田社長にコーンスープを入れて上げた。倉田社長は、そのコーンスープを飲みながら、年賀状の束のゴムを外し、1枚1枚、差出人をチェックした。私は浩子夫人にお年玉の御礼のメールを送った。何だかんだしているうちに、午前中が終わった。昼食は『シャトル』に行き、西崎マスターたちに新年の挨拶をして、穴子丼を食べた。その後、コーヒーを飲みながら石川婦人たちと雑談した。昼食後は近くの『三囲神社』に倉田社長と一緒に行って、『スマイル・ジャパン』の繁栄を祈願した。私たちの他に何台もの黒塗りの高級車に乗ってやって来た偉そうな人たちが、祈祷料を奉納し、祈祷をしてもらっていた。精神をこめて神前で1年を祈念する彼らの行為は、実に荘厳な雰囲気だった。『三囲神社』での祈りを終えた倉田社長は、これで自信を持って1年を突き進むことが出来ると胸を張って事務所に戻った。倉田社長は午後から海外や国内の客先からのメールをチェックしたり、客先と電話したりした。私は中国店に送るアパレル商品のタグ作りをした。そんなところに『古賀商会』の古賀社長から倉田社長に電話が入り、倉田社長は上野へと出かけて行った。私は事務所に残り、好調な中国店へ送るアパレル商品の準備をした。倉田社長は上野へ行ったきり戻って来なかった。私は夕方、帰る時になって、久しぶりに会った倉田社長にサービスしたくなりメールを送った。

 *打合せは、まだ終わりませんか。

 『シャルム』で待っています*

 すると倉田社長から、直ぐに了解の返事が入った。上野と鶯谷は近い。私は事務所前からタクシーに乗って鶯谷まで行き、『シャルム』に入った。そして部屋の中から倉田社長に部屋番号をメールで知らせた。私が部屋の中で30分程、友達にメールしたりしながら、彼を待っていると、突然、彼が部屋のドアをノックした。私は慌てて携帯電話を仕舞い、部屋のドアを開け、彼を迎え入れ、オーバーコートを脱がし、マフラーを外し、彼にキッスした。今年もまた倉田社長とのいけない関係が始った。まずは彼が来る前に予めバスタブにお湯をいっぱいにしておいたので、2人でお湯に浸かり、温泉気分を楽しんだ。私はふざけてバスタブの中で両脚を高く上げて浮いて見せた。泡立つお湯の向こうに、倉田社長の顔があった。彼が大きな目を開き興奮しているのが分かった。私は慌てて両脚をバスタブに沈めた。バスタブから両脚を投げ出し、秘部まで曝け出してしまったことは、失敗だった。彼は興奮を抑えられず、バスタブの中で私に挑んで来た。私は彼の為す愛戯に任せた。バスタブの中での彼との戯れは空中ブランコをしているみたいで、とらえどころが無かった。そのうち倉田社長の股間でブラブラしていた物が猛然と硬さを増した。彼は耐えられなくなりバスタブから急いで外に出て、バスタオルで身体を拭き、ベットへと移動した。彼の愛撫によって快美感に酔っていた私は、快感を中断され、彼を追ってベットに入った。感じやすい私の身体は激しく愛を求めた。その後のベットでの2人の行為は、充分すぎる程、実感たっぷりだった。


         〇

 次の日、『スマイル・ワークス』の仲間たちとの初顔合わせということで、倉田社長は昼近くに出社して来た。午前中、『スマイル・ワークス』の金久保社長をはじめとする仲間たちと浅草寺、浅草神社を参拝し、浅草から言問橋を渡り事務所にやって来たという。『スマイル・ワークス』の人たちは途中にある『シャトル』に行き、私たちが行くのを待っているという話だった。私は、私を迎えに来てくれた倉田社長と一緒に『シャトル』に行き、『スマイル・ワークス』の人たちと、初顔合わせをした。皆でビールで軽く新年の乾杯をしてから、サンマの塩焼き定食をいただいた。『スマイル・ワークス』の人たちが、正月休み何をしていたか、私に質問して来たが、私は明治神宮に初詣した他のことについては、あやふやに答えた。『シャトル』での昼食を終え、事務所に入ると、北島が忘年会の時の写真を皆に配った。その写真を皆で見て、忘年会の時のことを思い出し、あれやこれや盛り上がった。彼らは私が淹れて上げたコーヒーを飲みながら、とても楽しそうだった。私は北島のカメラを借りて、その中にある忘年会の時の写真をダウンロードした。チャイナドレスの私と林優香の映像を比較しながら、その忘年会の様子をアルバム風にパソコンで編集した。そんな遊びのようなパソコン操作に夢中になっていて、本来の仕事をしていない私を見て、倉田社長はストレスが溜まり、怒鳴りたいみたいな感じだった。ところが仲間がいるので、我慢しているのが、時々、私を見る顔で分かった。私だって、事務所を遊び場にしている倉田社長や、その仲間たちに文句が言いたかった。今年から事務所での飲食はしないと決めた筈なのに、もう飲み会を始める雰囲気だった。午後4時になると、倉田社長は私に言った。

「もう、帰って良いよ」

 私は倉田社長の精神状態を判断して、皆に帰る挨拶をした。

「お先に失礼します」

「カラオケに一緒に行くのじゃあなかったの?」

 そう北島が言ったが、私は相手をせず、事務所を出た。夕暮れを迎えようとする街は、まだ明るく、東京スカイツリーが、また少し、天空に向かって高く伸びた感じだった。私は地下鉄に乗り、新宿に行き、デパ地下で食料品を買ってからマンションに帰り、桃園との夕食の準備を始めた。そこへ琳美からメールが入り、今夜、夕食を一緒にしたいと言って来た。そこで私は、今、夕食の準備をしているので、私の所に来て、桃園と3人で夕食をしようと提案した。すると琳美は桃園に知られたくない相談があるので、7時半に別の所で会いたいと返事して来た。私は桃園と食事してから指定場所に行くとメールした。そして、美容学校から桃園が帰って来ると、桃園と早めの夕食を済ませて、琳美が待っている『スバルビル』の地下の喫茶店に行った。何とそこには琳美と一緒に早川新治が緊張して私を待っていた。私はアメリカンコーヒーを註文してから、2人に尋ねた。

「こんな所に私を呼び出して何かあったの?」

「実は、お金を貸して欲しいの」

「どうしたの。何に使うの?」

「申し訳ありません」

 私の質問に対し、早川新治が頭を下げた。その後、琳美が私の耳に口を当てて、小さな声で理由を話した。

「妊娠しちゃったの」

 私は、それを聞いて、吃驚した。信じられなかった。私が心配していた通り、琳美は色気づき、帽子を使って、防止することをしなかったのだ。

「あんなに気を付けるように言っていたのに」

「ごめんなさい」

 琳美は涙顔で私に謝った。私は驚きが去った後、冷静になり、客観的な目で、琳美の身体を眺めた。そういえば長身でスリムであった琳美の下腹部が少し太くなったように見えた。私は2人の切羽詰まった状況を理解した。

「分かったわ。20万円は何とかするから、足りない分は2人で考えて」

「愛ちゃん、ありがとう。ありがとう。本当にありがとう」

「泣かないで。他の人たちに見られるから」

 私は明日の朝、一番で銀行に行って、貯金を引き出し、琳美に20万円を貸すことを約束した。妹の様に可愛い琳美を不幸にすることは出来ない。私は感謝する2人と、これからどうするかを相談した。そして翌日、私は琳美に20万円を渡した。


         〇

 倉田社長は、どう見ても、2重人格者だった。昨日は明るかったのに、今日は暗い不愉快そうな顔をして出勤して来ることがしばしばだった。今朝も、その不愉快そうな顔をして出勤して来た。『スマイル・ワークス』の人たちとの間で、何かあったのかと心配になった。

「昨日、『スマイル・ワークス』の人たちと何かあったの?」

「いや。彼らとは何も無かったよ。去年、約束した通りで、彼らの事務所出勤は月に2,3日程度になるよ」

「じゃあ、何に悩んでいるの。私の中国のお店のこと?」

 倉田社長は口に出して言わないが、中国にいる私の姉、春麗の経営する『微笑服飾』の経営の事を心配しているのかも知れなかった。中国店の売上げは昨年末から好調なのに、『スマイル・ジャパン』の回収金額が低調だからか。中国店のことは、中国の春麗姉たちに一任しているのだから、私が心配しても、出資者でも無い倉田社長が心配することでは無かった。それでも気になるのでしょうか。でも、倉田社長の心配は、私の想像と違っていた。

「いや。中国店の事じゃあ無いよ。好調になって来た中国店のことで悩む理由は無いよ。別のことだよ」

 彼は、そう答えると、会議用テーブルの上に、カバンを投げ出し、茫然と天井を見上げたまま、悩みの理由を明かさなかった。社員に言えないこととは何か。『スマイル・ワークス』のことでも無く、中国店のことでも無く、一体、何か。浩子夫人とか息子のことか。あるいは会社の資金繰りのことか。それとも雪ちゃんと上手く行っていないのか。私はいろんなことを想像した。もしかして私の事では?想像すればする程、私も不安で暗い気持ちになった。去年の4月から倉田社長と一緒に仕事をして来て、普段はとても明るくて、とても優しい人なのに、時々、女性の生理のような不安定な精神状態になる人なので、付き合い憎かった。2人きりの事務所の中で倉田社長の沈んだ姿を見ると、私は、居ても立っても居られなくなった。だからといって事務所から逃げ出す訳にも行かず、パソコンに向かい友人にメールしたりした。そんなところへ埼玉の『Tプラスチック』や機械搬出工事を行った業者などから、電話が入った。倉田社長は受話器を受け取ると、辛そうな顔をして相手に詫びた。

「あと数日、待つて下さい。船積みを終えましたので、書類が相手に届き次第、外国の相手からこちらに送金があります。15日までに入金が無かった場合は、私の個人預金から支払いますので、心配しないで下さい」

 私は、その電話内容を耳にして、倉田社長の悩みを知った。輸出した機械の残金の支払いに関する資金繰りに四苦八苦しているのだと、倉田社長が悩んでいる理由が分かった。『スマイル・ワークス』から借金すれば良いのに、『スマイル・ジャパン』の窮状を知られるのが嫌で、彼は金久保社長に借金の相談を持ち掛けていなかった。倉田社長はプライドの高い人だった。電話を終えた倉田社長は私に実状を知られて気まずいのか、苦笑した。

「大変そうね」

 私が声をかけると、彼は毛の薄くなった頭を掻きながら言い訳をした。

「うん。ちょっとした資金繰りの問題だから、心配無いよ」

 倉田社長にとって、私は1社員かも知れないが、ある意味で一つ船に乗った共同経営者だと私は思っていた。だから実状を私にも説明して欲しかった。資金的な援助は出来ないかも知れないが、何か役に立つかも知れなかった。そうこうしていると『森木商会』の森木社長から電話が入った。タイに早めに技術者を派遣して欲しいとの要請だった。それに対し、倉田社長は、ちょっと難しいような言い方をした。

「まだ機械代金が入金されていない上に、現地に技術者が行って、船の到着が遅れ、待たせられるのでは困ります。貨物の代金が入ったのを確認してから、技術者派遣の手配をします」

 倉田社長の発言に対し、森木社長が何か言い訳して、謝っている風だった。電話を終えると倉田社長はストレスを森木社長にぶつけて、すっきりしたのか、私の顔を見て、ニッと笑った。


         〇

 成人の日の翌日、12日、倉田社長は10時半に出社した。明るい顔だった。オーバーコートとマフラーをハンガーに掛けてやると、彼は嬉しそうに言った。

「銀行に立ち寄り、入金を確認したら、3千万円、入金されていたよ」

「まあっ。そんなにスゴイ大金が」

 私は、その金額の多さにびっくりして、目をパチクリさせた。私の扱っているアパレルの売上金額は、毎月20万円から30万円程度だ。1年間にすれば3百万円程度という金額だ。ところが今回入金した金額は3千万円。アパレルの1年分の仕事の10倍程なので、私には信じられないような金額だった。倉田社長は、私の淹れたコーヒーを飲んでから、まず浩子夫人に入金の報告をした。浩子夫人は『スマイル・ジャパン』の経理を担当していたので、社長夫人として、入金が無いのを悩んでいたに相違ない。浩子夫人は電話の向こうで喜んでいるみたいだった。倉田社長は、それから『森木商会』の森木社長に入金の御礼と技術者派遣予定の連絡をした。また『Tプラスチック』の早坂工場長に、購入機械代金の残額を今週中に銀行に振込むと、電話で伝えた。更に滝沢先輩らに連絡を取り、技術者派遣の手配に入った。仕事に立ち向かう倉田社長の目は輝き、まるで若者の目にように生き生きとしていた。数日前と打って変わって、きびきびしているのを見て、その変わり様に驚いた。まさに2重人格者だ。『シャトル』での昼食時も、何時も口数が少ないのに、多弁になった。食事を終え事務所に戻ると、倉田社長は私に言った。

「これで去年の赤字は全部取り戻したよ。そろそろ事務所の移転をしようかと思っている。会社を大きくするには、じっとしていたんじゃあ駄目だからね。積極的に挑戦しないと」

 私には、倉田社長の気持ちの変わりように付いて行けなかった。しかし、事務所移転には興味があった。倉田社長は勿論のこと、私も通勤時間が長いのには嫌気がさしていた。それに事務所が変われば『スマイル・ワークス』の人たちに、事務所のことで気兼ねする必要も無くなる。私も倉田社長も共に創る未来を実現する為の新しい事務所移転に夢を描いた。特に小説などの創作を趣味とする倉田社長は、夢想家で妄想と現実のあわいに生きる人で、時折、とんでもない発想をすることがあった。妄想と現実を繋ぎ合わせ、それを実行に移そうと考えた。彼は店舗を借り、その片隅に事務所を置き、そこでプラスチック製品の販売をしようかと構想を廻らせていた。

「新し事務所に移るにあたって、今の仕事だけでは日銭が稼げないので、店舗を借り、日銭の稼げる仕事を増やそうかと考えている。我社の客先で製造しているプラスチック製品とか日用雑貨製品とかを、店舗を借りて、そこで売るつもりだ」

 倉田社長は得意になって私に説明した。私はプラスチック製品の事について知識が無いので、それには反対だった。そこで思い切って自分の考えを言ってみた。

「私はプラスチックのこと分からないから、プラスチック製品の販売は無理よ。社長が毎日、店頭に立って、お客を待つなんて、考えられないわ。また誰かを雇わないと」

「また誰かを雇うか?それだと人件費がかかってしまう」

「なら、アパレルの店を始めたらどうなの。私が販売が出来るし、仕入れ先もちゃんと出来ているのだから」

「うん。それは良い考えだ。面白いかも。検討してみよう」

 倉田社長は私の提案に目を輝かせた。自分の提案を検討すると言われ私は嬉しくなった。私の中でアパレルの夢が広がった。仕事が終わってから、私は倉田社長を誘った。

「今日、行きますか?」

「良いよ」

 彼は直ぐに同意した。事務所のドアの鍵を掛けながら私は言い訳をした。

「1日中、パソコンに向かっていると肩こりがして仕方ないの。体操しないと」

「そうだね」

 私たちは事務所のあるマンション前で、タクシーを拾い、鶯谷の『シャルム』に体操をしに行った。部屋に入るや裸になってシャワーを浴び、体操の準備をした。鏡のある部屋でテレビをつけ、倉田社長は私の横にゆっくり寝ころぶとテレビの映像を観ながら、ラジオ体操第一を開始した。大きく息を吸うってから、倉田社長は私の下腹部の陰毛の下の割れている部分を丹念に愛撫した。私も倉田社長の下腹部の陰毛の下の棒状の物をしごいた。テレビの裸の体操を観ながら自分たちも体操をしていると、彼の物が熱く膨張し、私の割れ目が濡れ始め、私は愛欲に悶えた。倉田社長は、その私が充分に濡れ、悶え、欲しているのを確認してから、私の上になり、私の両脚を割って、ゆっくりと、その中心に向かって侵入してきた。

「ああっ、硬い」

 私は、そう言って下から腰を突き上げた。彼は上から私の奥に深く挿入して、私に甘く囁いた。

「愛している」

「私も愛している」

 何と単純な台詞か。なのに繋がり合った私たちは、燃えに燃えた。今日、語り合ったアパレル店のオープンを夢見ながら、私は倉田社長との体操を繰り返し、第二体操にまで挑戦した。


         〇

 今年に入って、『スマイル・ジャパン』の仕事は、あれやこれや、急激に忙しくなった。その上、倉田社長は中学時代の同窓会の京浜地区の役員などしていて、私用でも多忙だった。タイへの中古機輸出も大変だったが、新しく依頼の申し込みが入った案件の対応にも追われた。その申し込みのあった中の一つに、上海の知人からの日本での展示会出展の協力依頼があった。その4月の日本での展示会での中国企業の出展依頼に関しては、倉田社長が中国語が分からないことから、私がその企画を全面的に任されることとなった。私はアパレルの仕事の他、その展示会の仕事が加わり、大変だったが、去年、韓国の『南星商事』の展示会の出展の手助けをした経験があるので、ある程度、日本の展示会に関する要領が分かっていた。倉田社長に展示会の主催者の住所、電話番号、FAXなどを教えてもらい、展示会の申込み手続きを私が行った。中国の会社の名は『金龍塑料機械』で、日本市場に機械の拡販をしたいとの考えだった。展示会の結果が功を奏し、商談が成立すれば、『スマイル・ジャパン』は『金龍塑料機械』の販売代理店として何らかの収益を得られることになり、私の給料も上げて貰えることになるに違いなかった。私は『スマイル・ジャパン』の発展に期待した。一方で安定した家庭を日本で築きたいとも願っていた。その対象となる男は、斉田医師か工藤正雄のいずれかだった。倉田社長とは年齢が余りにも離れすぎている上に、浩子夫人という賢母のような人がいて、勝てる筈など無かった。私の大学時代の仲間は、工藤正雄との結婚を勧めるが、倉田社長や斉田医師と比較すると、まだ貫禄が無く、親とのもめごとが予想された。それらを考えると、斉田医師の妻、京子が、斉田医師と別れてくれるのが一番だった。そんなことを考え、私は週末、何時ものように『ハニールーム』に行った。シクラメンの花の隣りにポリアンサの鉢花を飾り、ベットの枕元に、ステンドグラスのランプを置いた。それから今夜の料理に取り掛かった。サーモンサラダ、ロールキャベツ、ブロッコリーのスパゲッティなどを作った。料理を作り始め30分程すると、部屋の温度も丁度、良くなった。それを見計らったかのように斉田医師が現れた。

「おお、美味しそうな匂いだな」

「ロールキャベツよ。ブロッコリー入りのスパゲッティも美味しそうでしょう」

「うん。そうだな。良い奥様になれるよ」

「有難う。早く、そうして頂戴」

 私の言っている意味を理解しているのに、斉田医師は曖昧な笑い顔をした。それを見て、私は可笑しくなり、ケラケラと笑ってしまった。私がテーブルの上に、料理を並べ始めると、斉田医師はビールとワインを準備した。夕食の準備が完了し、私が席に着くと、斉田医師が乾杯した。

「乾杯」

「乾杯」

「はて、何の乾杯かな」

「決まっているじゃない。2人が仕合せな乾杯よ」

 私はちょっと皮肉っぽく言った。すると彼はビールを飲み干し、ホークとナイフで、私の作ったロールキャベツを切断し、口に入れた。

「おお、美味しいよ。ジュウシィで、愛ちゃんみたいだ」

「いやねえ」

 私は料理を褒められ、喜びに浸りながら、自分の作った料理を口にした。上出来だった。そんな気分で食事をしている私のスカートの中を、斉田医師の足が、テーブルの下から、まさぐり始めた。彼の物がはちきれんばかりに勃起しているのが分かった。

「何するのよ。まだ食べているのだから、ちょっと、ちょっと待ってよ」

 私は、そう言って急いで食事を済ませた。それから先にベットに入り、テレビを観ている彼の横に行って裸になった。そして彼の隣りで横になり、彼の愛撫を待った。すると彼は起き上がり、何時もの診察の手順で優しく上から下へともみほぐし、股間に至ると、割れ目の周囲を丹念に愛撫して、そこが濡れ始めると、半ば強引に私の中に彼の物を侵入させて来た。その欲望の炎は、それを受け止める私を燃え上がらせた。身体の芯から火を焚きつけられ、自分も腰を動かし、眉間に皺を寄せて,快感にしびれた。私は悶え、爪先から頭のてっぺんまで情欲で燃え盛った。


         〇

 倉田社長がタイに機械の据付指導に出張する滝沢先輩と一緒に出張することになった。沢山の案件を抱えている倉田社長がタイに出張して、私1人が事務所で仕事をするのは心細かった。それにタイには倉田社長たちの知り合いのタイ女性がいるという話だった。彼女には通訳として働いてもらうことになっているという説明があったが、疑わしかった。寒い日本から灼熱のタイに行って、身体でもおかしくならなければと心配だった。私は倉田社長に言った。

「社長のいない間、私1人で心配だわ」

「なあに心配することは無いよ。浩子さんが、時々、来てくれることになっている」

「こちらのこともだけれど、タイで無理するのじゃあないかと」

「私は機械据付前の挨拶と技術者の滞在費用負担を客先に依頼して戻るだけなので、短期間だから、悩むことはないよ。何かあったら携帯電話に電話をしてくれれば済むことだから」

 そんな話をしている所へ『日輪商事』の大塚顧問が事務所にやって来た。私は思わぬ来客に、ちょっと焦った。コーヒーを出しながら、2人の会話を耳にした。韓国の機械設備を紹介して欲しいとの相談だった。それに対し、倉田社長は、去年、展示会の協力をした『南星機械』を紹介し、そのカタログ等を渡した。その後、大塚顧問は倉田社長と飲みに行きたいらしかったが、倉田社長は、明日からタイ出張があるのでと、彼の誘いを断った。大塚顧問が事務所から立去って行くと、倉田社長は帰り支度を始めた。タイに出張する前に、雪ちゃんにでも会う積りなのかと私は疑った。ちょっと不安になった。

「もう帰るのですか」

「明日、早いから」

「1人で私、寂しいわ」

「なら一緒に帰ろうか」

「良いのですか。しばらく会えないので、休憩しましょうか」

「良いよ」

 倉田社長は、私の誘いに同意した。大塚顧問の誘いを断ったのは、私と付合いたかったからか。私たちは、事務所を出て、すぐ前の道路でタクシーを拾い、鶯谷の『シャルム』へ向かった。『シャルム』の部屋に入ると、シャワーを浴び、バスタオルで身を包み、ベットに入った。私たちはテレビのビデオを観ながら、同じような行為を開始した。しばらく会えないという気持ちが私たちを燃え上がらせた。普段、正常位の倉田社長にしては珍しく、私を四つん這いにさせ、バックから犬のように攻撃して来た。いくらビデオの映像が、そうだからといって、何も同じ格好をしなくてもと思った。私たちは互いの顔を眺め、相手の快感による歓喜の様子を計りながらする性交が好きだった。鏡に映る私の顔が、余り気持ち良さそうで無く、中々、良がり声を上げなかったので、彼はバックからの行為を止めた。そして私をひっくり返し、私の好きな海老型にして、私の両足を自分の肩に置くと、真正面の真上から私を攻撃した。深く浅く、深く浅く、深く浅く。同じことの繰り返しを何度も何度もしてくれた。その繰り返しの気持ち良さに私は冷静さを失った。繰り返される快感に、思考力が停止してしまい、悦んでいるのが自分の身体なのか他人の身体なのか分からなくなり、もっともっとと要求した。それに対し、彼の大きくなった竿筒は,何時も以上に血管を浮きあがらせてみなぎり、私を嫌というほど攻め続けた。その執拗さに、私は喜悦の声を上げ、彼より先に絶頂に達した。たとしえ難い快感に襲われ、私は荒れ狂って叫んだ。

「ああ、良いわ。良いわ。幸せよ。ああ、倉田さん。私、もう駄目」

「そんなことは無いだろう。もっとやりたいんだろう。もっと」

 倉田社長は、そう言って、うねり狂う私の荒波に溺れないよう、更に私を攻撃した。私はもう、どうにもならなかった。太モモの内側を痙攣させ、彼の太く燃え続けているものを締め付けて、尚も叫んだ。

「ああ、良いわ。倉田さん。私、行くわ。行っちゃうわ。だから貴男も行って。お願いだから私と一緒に行って」

 その私の叫びに触発されて、彼は竿筒から愛液を発射した。私は彼の発射した愛欲の総てを吸い取って満足した。彼は私の上で、ぐんなりして果てた。これだけ、吸い取っておけば、タイに行っても、浮気は出来ないでしょう。目的を果たすと私たちは『シャルム』を出て、JR山手線の電車に乗って新宿まで一緒に帰り、小田急線改札口前で別れた。


         〇

 倉田社長のタイ出張は木曜日から日曜日までの4日間だった。その間、浩子夫人が事務所にやって来た。彼女は11時頃に出勤して来ると、私の帳簿記載に誤りが無いかをチェックし、私の分からない伝票上のことをいろいろ教えてくれた。そして昼には私と一緒に『シャトル』に行き、焼き魚定食を食べ、西崎マスターやママや石川婦人たちと世間話をした。浩子夫人は西崎マスターや石川婦人に、『スマイル・ワークス』の人たちも紳士だが、特に倉田社長は紳士だと言われ嬉しそうだった。また西崎マスターたちは浩子夫人と私のことを親子みたいだと言った。それは私にとって思いもよらぬ言葉だったが、倉田社長の家族の一員のように思われて、とても嬉しかった。『シャトル』での食事を終えて事務所に戻ると、浩子夫人にはすることが無かった。そこで彼女は仕事中の私に声をかけて来た。

「何か私の手伝えることってないかしら」

 私は入荷した中国へ送るアパレル商品にタグ付けする仕事があったので、それを浩子夫人に手伝ってもらうことにした。2人でタグ付けをしている最中に浩子夫人が言った。

「アパレル店と兼用の事務所を探しているのですってね」

「は、はい。そうみたいです」

「そうみたいって。愛ちゃん、一緒に物件、見に行っていないのですか。一緒に見に行かなければ駄目よ。自分が店長になるのだから」

 私は唖然とした。私の提案したことが、倉田社長の夫婦間で既に話題になっているとは知らなかった。重要だと思ったことは、先手を打って相手に知らせておくのが倉田社長のやり方であり、相手を納得させる方法だった。

「分かりました。今度、一緒に見に行って確認します」

「そうして頂戴。あの人はアパレルについては、ド素人ですから」

 私は浩子夫人に、そう言われて、俄然やる気になった。私を店長にと夫婦で話し合っていることが分かった。そうなると私の責任は重大だった。ちょっとビビった。

「でも私が店長だなんて、荷が重すぎます。浩子さんに店長になっていただかないと」

「大丈夫よ。愛ちゃんなら出来るわ。一緒に頑張りましょう」

 浩子夫人に、そう言われて、私はもう店長気分になっていた。この人は不思議な人だ。私と倉田社長の関係を全く疑わず、私の事を信頼していてくれているのか。それとも分かっていて、素知らぬ振りをしているのか。高潔なのか鈍感なのか狡猾なのか分からない人だった。まるで温厚で優しい母のように、私を見守っていてくれた。2日目も浩子夫人は11時頃に出勤し、私と一緒に事務所で留守番をした。『シャトル』で昼食を済ませて、事務所に戻ってから、私は、ついうっかり倉田社長のことを口走ってしまった。

「社長、今頃、何をしているのかしら?」

「多分、適当に打合せして、観光にでも出かけているのじゃあないの」

「余り心配しないのですね」

「慣れているの。彼は適当に羽根を伸ばし、また戻って来るの。彼の母港は私のいる家だから」

 彼女は達観していた。倉田社長が、何処の港に立ち寄ろうとも、母港は自分の所だという自信に溢れていた。まさに賢母のような人だった。彼女からすれば倉田社長は、目の前で遊んでいる子供と同様だった。私は、そんな彼女に嫉妬した。社会的に成功し、年金をもらいながら、会社経営を楽しんでいる男を夫にし、両親の介護など無く、ダンスやコーラスをして、悠々自適の生活をしている彼女には、何の悩みも無いみたいだった。それに較べ私は、どの道に進めば良いのか、五里霧中。迷いに迷っているのが現状だった。生き残る為に、この激しい荒涼とした異国の大都会にやって来て、貧困にもがき苦しみ、どんなに辛くとも、日本国の生活にしがみついて生きなければならなかった。浩子夫人も、中国からの引揚者の子供で苦労したというが、私ほどではないと思う。倉田社長という素晴らしい伴侶を得て羨ましい限りだった。1日の仕事が終わると浩子夫人が私を食事に誘った。

「新宿で食事をしましょうか」

「はい」

 私は同意した。私は彼女と食事をして私の隠された部分を、ほじくり出されるのではないかと用心したが、そんなことにはならなかった。楽しい女同士の食事となった。



         〇

 金曜日の夜、私は『ハニールーム』に行ったが、泊まらずに帰った。土曜日の午前中から琳美に付き合うことになっていたので、斉田医師に泊りを断った。斉田医師は私を疑った。

「また玉山社長の見たという若い男と付き合いに行くのか?」

「馬鹿なことを言わないで。明日は友達と朝早くからの約束があるの」

「それなら良いんだが」

 斉田医師は、シブシブ納得した。私は私との行為が終わって、布団にくるまっている斉田医師を残して、マンションに帰った。桃園が『快風』から帰って来るまで、1人ぼんやり、物思いに耽った。明日はどうなるのでしょう。でも明日の事は誰にも喋ってはならないことだった。桃園が帰って来ると、私は『ハニールーム』から帰って来る途中、コンビニに寄って買って来た肉まんを温め、桃園と食べた。桃園は何時もと違う私に気づいたようだ。

「どうしたの。今日は何か変だね」

「そう。何も無いわよ」

「そうかなあ。金曜日は何時も泊りなのに。何か私に告白したいみたいに見えるけど」

 私は桃園に、そう言われ、今、考えていることを、一瞬、口にしようと思ったが、慌てて、それを制した。

「何も無いわよ。ただ時に流されて行く自分の事が何をしているのか分からなくて」

「そういうことって、あるわよね。そういう時はテレビドラマでも観て、気分転換すれば良いのよ。笑ったり、泣いたりして」

「そうよね」

 私は、それから桃園と一緒にテレビドラマの深夜放送を観て眠った。そして翌日、土曜日の朝を迎えた。私は8時に桃園と朝食を済ませ、9時にマンションを出た。新宿駅南口で琳美と待合せして、地下鉄の電車に乗って四ツ谷に行った。琳美が先週、診察を受けたというレディスクリニックに行き、彼女の手術の付き添いとして伺った。するとクリニックの受付の女性が私に言った。

「先週、同意書にサインをしてもらっておりますので、後は病院にお任せ下さい。手術に3,4時間かかりますので、午後に来ていただければよろしいかと」

 私は不安に怯える琳美に頑張るのよと言って別れ、四ッ谷の街をふらついた。歩きながら手術台に乗った琳美の事を思った。彼女が、どんな感情を持って、中絶を覚悟したのか、その胸中を察すると、涙が出そうになった。それをきっかけとして私の脳裏に多くの男たちと関係して来た記憶が蘇り、よくもまあ今まで、自分は妊娠せずに来られたものだと思った。大通りから細道に入ると、小さな公園があった。そこでは紅梅が咲き、沈丁花が香り、ブランコの所で、若い母親が、男の子と女の子を遊ばせていた。もし琳美が中絶しなかったなら、あのように可愛い子供が誕生して来たのではないかと考えると、悲しい気持ちになった。公園のベンチで時間をつぶして、正午になったので、私は大通りに戻り、ラーメン店に入り、味噌ラーメンを食べた。その後、『ドトール』でコーヒーを飲みながら時間を調整し、午後1時半にレディスクリニックに行った。受付に行くと、午前中に受付をしていた女性が現れ、微笑みながら説明してくれた。

「手術は無事に終わりました。只今、ベットでお休みしていただいております。お会いになりますか?」

「はい」

 そう答えると私は琳美の休んでいる部屋に案内された。私が部屋に入ると琳美は私の顔を見て、一瞬、泣き出しそうな顔になったが、直ぐに明るい笑顔になった。

「愛ちゃん。もう終わったよ。待たせちゃってごめんね」

「無事に終わって良かったわね」

「ありがとう」

 琳美は、そう答えると我慢していた感情を制御できなくなり、不意に目の奥が熱くなってか、目に涙を、いっぱい滲ませた。午後2時半過ぎ、琳美は休憩室を出て、ドクターと面談となった。私は、それに立会わせてもらった。ドクターの説明では10日後と20日後に検査に来て異常が無ければ、後は問題無いとのことだった。ドクターとの面談が終わってから、私は琳美と一緒に会計窓口に行って精算を済ませた。それから私たちは四ツ谷から新宿に移動した。3丁目のレストランに行き、思い切り鶏料理や、エビのチリソースや、ビーフンを食べ、元気を取り戻した。


         〇

 倉田社長は日曜日にタイから帰国したばかりなのに、月曜日、何時もより早く出勤して来た。彼のお早うの後の一声は、こうだった。

「自宅の庭の紅梅を早く見たくて、つい早起きしてしまったよ」

「休み無しの出張だったから、今日は休むのかと思っていたわ」

「そんな余裕があれば良いのだけれど、やることがいっぱいあるから」

 倉田社長は私が淹れて上げたコーヒーを美味しそうに飲んでから、私にチョコレートやネックレスなどのお土産をプレゼントしてくれた。その後、私が中国からの展示会に関するメールや国内の展示会業者からの書類等を広げ、説明すると倉田社長は生半可な返事をした。

「ふん、ふん。分かった、分かった。君に任せるよ」

 そして『森木商会』の森木社長に電話したり、関係客先にタイの帰国報告などのメールをしたりして、私の相手をしてくれなかった。私はちょっと不満を感じたが、仕方なかった。そこへ『スマイル・ワークス』の金久保社長が久しぶりに顔を見せた。月末が近いので、1月中旬までの伝票整理に来たのだという。昼食は3人で『シャトル』に行き、倉田社長が西崎マスターにチョコレートの土産を渡したので、倉田社長がタイに出張したことが、金久保社長に知られてしまった。『スマイル・ワークス』の仲間には秘密にしておきたかったらしいが、仕方がない。金久保社長には、私がいただいたチョコレートを分けてあげることにした。午後3時になると、金久保社長は、一仕事を終えて、また月末に会いましょうと言って帰って行った。その後になると倉田社長がタイ出張の旅費精算書の作成や出張報告書やコスト計算を済ませて、やっと私と落ち着いて向き合ってくれた。

「午前中の話。申し訳ないが、もう一度、詳しく説明してくれないか」

 私は国内の客先からの書類については、倉田社長が目を通せば分かることなので、こう答えた。

「はい。国内のお客様からの、連絡メモと書類は午前中、渡した通りです。自分で読んで下さい」

「うん。分かった。それで中国の方は?」」

「中国店は去年末から好調が続いているとの姉の報告です。問題は『金龍塑料機械』の出展のことです」

「彼らから出展について、何か面倒なことでも?」

 倉田社長に、そう確認され、私は倉田社長が出張中に『金龍塑料機械』から連絡があり、4月の日本での展示会の出展について、『スマイル・ジャパン』に要望があることを話した。彼らの希望は『スマイル・ジャパン』を日本の代理店にするので、出展ブース費用以外の費用は、総てサービスにして欲しいという要望だった。倉田社長は私から説明を聞いて、中国人らしい図々しさにも程があると立腹した。私が悪いのではないのに、私を睨みつけて言った。

「けしからん。自分勝手すぎる。如何に上海の沈君からの紹介とはいえ、ブースの装飾やパンフレット作り、展示会中の人件費、交通費等、我社でサービス出来る費用じゃあない。君は一体、どういう交渉をしているのかね」

「私は交渉などしておりません。相手が社長の知り合いだというから」

「君は自分が『スマイル・ジャパン』の社員であるということの意識が足りないよ。ただ相手の要望を聞いているだけでなく、会社の損得を考えて行動してくれないと」

 私は倉田社長に大きな役目を任され、珍しく顔色を変え叱られたので、頭に来た。私は、倉田社長に反発した。

「私には、そんな判断は出来ません。そんな重要なことなら、私に任せず、自分で折衝して下さい」

 倉田社長は私に反発され、驚いた。私は立腹し、ぷっつんした。沈黙が夕方まで続いた。夕方になるや私は不満をつのらせ、友達と食事をするからと言って、倉田社長を事務所に残し、1人で先に帰った。その気まずい空気は翌日も続いた。その上、タイに出張している滝沢先輩から、無理難題を言って来るので、倉田社長は、カッカするばかりで、手がつけられなかった。昼食後には、月末にタイに出張する技術者、越地社長に連絡し、現地に到着したら滝沢先輩を帰国させるよう依頼した。そんなこんなで、倉田社長は、ストレスいっぱいになり、3時過ぎになると、先に帰ると言い出した。

「何処へ行くのですか?」

「事務所探し」

「なら、私も一緒に行きます」

「駄目。下見だから、私だけで充分。留守番を頼むよ」

「雪ちゃんに会うの?」

「違うよ。ここの契約更新料を支払いたくないから、兎に角、新事務所を探さないと」

「なら、尚更のこと、私も一緒に行きます」

「重要なことだから、君と相談せず、自分で探すよ」

 倉田社長は、私の同行を拒否した。私がベソをかいたが、彼は一向に私の気持ちを察してくれなかった。彼は、これから雪ちゃんと事務所探しをするのかもしれない。私は倉田社長に抱かれて、温もりを得たかったのに、彼の心は別の人に向かっていた。彼の私に対する情愛は冷え切ってしまったのかもしれない。最早、私は倉田社長にとって、無用な存在となってしまったのでしょうか。私は不安に襲われた。彼は雪ちゃんに会いに行くに違いない。彼はオーバーコートを着て、マフラーを首にすると、事務所から無言で出て行った。


         〇

 真面目な人間ほど悪徳の誘惑に弱いという。私は倉田社長が浩子夫人や私に隠れて付き合っている雪ちゃんとは、どんな女か知りたかった。甘え上手で、可愛い女なのか。それとも他人の事を悪く言う我欲の強い女なのか。倉田社長は優しい人だから、雪ちゃんに騙されているような気がして、心配で心配でならなかった。私は週末の午後、倉田社長が外出の準備を始めたので、彼に質問した。

「今日は雪ちゃんに会いに行くのですか?」

「今は雪ちゃんどころでは無い。早く事務所を探さないと」

「なら私も一緒に探します」

「いや、自分一人で探すから、心配ご無用」

「でも、一緒に連れて行って下さい。アパレル店として利用出来るか、確かめたいです」

「良いだろう。今日は代々木方面に行って見ることになっている」

 そうと決まると私たちは午後2時半に事務所を出て、半蔵門線の電車に乗り、表参道まで行き、そこで千代田線に乗り換え、代々木公園駅で下車した。駅近くの不動産屋の営業マンと合流し、営業マンの勧める代々木公園近くのマンションの1階を見させていただいた。広さといい部屋の配置といい、事務所としては良かったが、窓辺が駐車場になっていて、アパレル商品を展示するには外から見えにくいという問題があった。また人通りも少なく、家賃が予想以上に高額だったので、不適切と判断した。愕然とする不動産屋の営業マンとマンション前で別れてから、私たちは代々木八幡駅前まで歩き、近くにあった不動産屋に立ち寄り、そのビルの3階にある空室を見させていただいたが、建物が古く、2階が焼き鳥屋なので、その臭気がひどく、別の所はないかと相談した。すると来月から借りられるという西新宿の貸室を紹介してくれた。今月中に内装してから、案内してくれるというが、それまで待っていられないので、住所を教えてもらった。善は急げという諺に従い、私たちは、その場所を確認に行った。その場所は西新宿にあるホテルの裏側で、現在、自転車の修理工場になっていて、全く冴えない雰囲気であったが、ここを改装し、事務所兼店舗にしたなら、街の雰囲気も美化されるのではないかと、何となく夢が広がった。店舗スペースの広さもあり、家賃も予算に近く、ほぼ倉田社長の計画案を満たしているし、人通りも適当にあって、『スマイル・ジャパン』が店舗を構えれば、新しい事務所など増える通りのような気がした。今は冴えない裏町の通りだが、店舗が増えれば、これから発展する通りの様に思われた。私たちは、その場所の確認が終わると、ルンルン気分になり、そこから歌舞伎町まで足を延ばし、『ピーコック』に行って休憩した。私たちの夢は確実に前進していた。これから新しい世界が展開するかと思うと、私は2人の未来を描いて、身体を全開した。繰り広げられる愛のいとなみ。際限なく繰り返される彼の攻撃。夢中で彷徨う数分間。私の谷間の溝の更に奥にある甘美な泉が、喜びに溢れて、音を立てた。その泉の音を聞いて、倉田社長は、私の上で総てを放出して果てた。私はベットの中で、彼にお願いした。

「今日の事務所のチラシ、浩子さんに見せて、了解してもらって」

「うん。相談してみる」

 倉田社長も、気に入ったみたいだった。いよいよ日本国内でも、アパレルの販売にチャレンジ出来るのだと思うと、私の夢は弾んだ。互いに満足し、『ピーコック』を出てから、私たちは『高野フルーツパーラー』でバイキング料理を楽しんだ。フルーツをたらふく食べてから、私は倉田社長と新宿駅東口で別れた。倉田社長は、これからタイへの出張者2名と打合せがあるということで、横浜へと向かった。私は新宿駅で倉田社長と別れてから、デパ地下で食料品の買物をして、『ハニールーム』に行った。私が友達と食事をして来たからと説明し、斉田医師にお寿司弁当などを出してあげると、彼は私を疑った。ビールを飲み、くだを巻いた。

「また玉山社長が言っていた若い男と会って来たのか?」

「何,言ってるの。大学時代の女友達よ」

「嘘を言うな。大学時代の男友達だろう」

「疑り深い人ね。そんな人、いないわよ」

 私はぷいっと膨れて、彼に背を向けて、舌を出した。


         〇

 日曜日、私は『スバルビル』の地下の喫茶店で、琳美と会った。琳美の恋人、早川新治が一緒だと思って行ったが、彼は一緒でなかった。私は琳美に会うなり訊いた。

「どう。その後の検査は?」

「異常無しだって」

「良かったわね。これからは注意するのよ」

「はい」

 琳美は素直に答えた。こんなに素直な妹のような琳美が、私より先に妊娠し、中絶の経験をしたと思うと、女とは恐ろしい生き物だと、琳美を見詰めた。理性より欲望の方がまさり、自制することが出来無かったのだ。今の若者が早熟であるのは分かるが、常識と非常識のはざまで、何が正しいかを理解出来ず、暴走してしまうことは危険だった。この危険は他人事では無かった。私は失敗を犯した琳美と相手との関係を心配した。

「その後、早川君とは、上手く行っているの?」

「まあね。2人とも共犯者みたいに、物事を慎重に用心深く考えるようになったわ」

「そうよ。考え無しに、暴走しちゃあ駄目よ」

「あの時は、親がいないのを、これ幸いと思って、しちゃったから」

 琳美は恥ずかしそうに笑った。未成年のセックスを想像すると、私の方が恥ずかしくなった。私は琳美を睨みつけて言ってやった。

「そんな軽はずみなことをしちゃあ駄目よ。また同じことになったら大変だから。必ず、コンドームを付けるのよ」

「うん。分かっている。勉強以外のことも教えてくれて,有難う」

 私は琳美と話しながら、自分のやって来たことも、また軽はずみな非常識なことだったと反省した。何人もの男たちと肉体的関係を繰り返して来たが、何とかうまく切り抜けて来た。そんんことを反省していると、琳美が、私の膝を突っついて言った。

「そうそう。この前、借りた20万円の半分、10万円を返すわね。封筒の中味、数えてみて」

 琳美が突然、銀行の封筒を私に差し出したので、私はびっくりした。返してもらうのは嬉しいが、何故、こんなにも早く返すのか。

「随分、早いのねえ。どうしたの、大金なのに」

「お年玉と友達のカンパで、10万円、準備出来たから、早川君が、半分でも良いから、早く返そうって」

「そうなの。早川君て、しっかりしているのね」

「うん」

 琳美は嬉しそうな顔をした。貸したお金を何時、返してもらえるのか心配していたが、こんなに早く返してもらえるとは。

「良く友達にカンパしてもらえたわね」

「うん。他の友達の時も、カンパして上げたから。でも汚点がついてしまって、ちょっと悲しいけど」

 琳美はそう答えると、とても悲し気な顔をした。カンパをしてもらったものの、仲間たちから不良のレッテルを張られたに違いなかった。彼女が涙をこぼしそうになったので、私は彼女をなだめた。

「そんなこと気にしちゃあ駄目よ。ひとつのことで失敗しても、琳ちゃんの総てが駄目になった訳では無いのだから、へこたれちゃあ駄目。正々堂々と胸を張って生きるの。誰だって、欠点の一つや二つあるんだから」

「そうよね。そうよね。有難う,愛ちゃん」

 琳美が私の手を握って来た。私は彼女を励ます為、力強く琳美の手を握り返してやった。日本ではほんの少し前の時代まで、婚前交渉はいけないという風潮だったらしいが、今では、そんな処女神話など崩れ去ってしまって、何処にも存在していなかった。でも学生の分際で未婚のまま妊娠してしまうということは、世間的に問題だった。しかしながら、初体験は好きな人とという女の理想から言えば、琳美は夢を実現したのだともいえた。私の場合、その夢は叶えられなかった。当時、私は中国で、赫有林に処女を捧げようと考えていたが、その夢は叶えられず、成り行きで、有林に捧げるべき処女を他の男に与えてしまった。相手は会社の経営者で、彼に出張先で求められ、どうしようもなく、妥協するより仕方なく、奪われてしまった。私が、そんな中国にいた時のことを回顧していると琳美が私に質問した。

「でも、セックスって悪いことかしら」

 私はその質問にどう答えたら良いのか戸惑ったが、悪い事とは答えたくなかった。言葉を選んで、琳美に答えた。

「悪い事ではないわ。私たちも生物なの。生物であれば、交尾をするのよ」

 私はまるで生物の先生でもあるかのように、堂々と答えた。私の答えを聞くと、琳美は愛らしい笑顔を見せた。私たちは喫茶店での話が終わると、新宿3丁目に買物に出かけた。


         〇

 時が過ぎるのは実に早い。1月が終わり、もう2月だ。押上駅から向島の事務所に行くまでの通りや人家の庭には椿や梅の花が見事に咲いて、春が来たような明るい気分になった。事務所に着いてからも、シクラメンやシャコバの鉢花の匂いがして、春を感じた。その鉢花をベランダに出して、水を上げていると、倉田社長が出勤して来た。私は倉田社長のコーヒーカップに温かいコーヒーを淹れて、テーブルの上に置きながら、倉田社長に質問した。

「浩子さんに事務所のチラシを見せて、どうでした?」

 すると倉田社長は、ちょっと憂鬱そうな渋い顔をして、私に答えた。

「ううん。家賃が高いのと、歌舞伎町が近いので、乗る気が無かったよ」

「でも、あんなに良い所、他に無いわよ。私は、あの場所が良いわ」

「今度の11日、不動産屋が案内するというのだから、それまで待つしかないよ」

 浩子夫人が家賃が高いというのは分かるが、墨田区と西新宿とでは土地柄が違い、家賃が高くなるのは当然のことだった。その上、部屋の面積も、現在の事務所の1,5倍であるから、現在の事務所家賃より高くなっても仕方ない事だった。歌舞伎町が近いというが、西新宿と歌舞伎町の間には山手線や埼京線、西武新宿線が走っていて、区分がはっきりしていて別世界だ。それも新宿駅と大久保駅の中間地点の細い通りの1階だ。アパレル店を開くにはうってつけの場所だと思う。予算に適うなら、私はこの場所を借りて欲しいと願った。しかし倉田社長は、他の人にも相談しているらしく、決断をしなかった。そんな優柔不断な倉田社長を、私はからかった。

「雪ちゃんの意見でもあるの?」

「うん。店探しは私たちに任せるって。店をオープンしたら手伝ってもらおうと思っている」

 私は、その言葉を耳にして、カッとなった。余りにも私のことを軽視した発言だった。

「駄目よ。そんなことしたら、私、会社を辞めて、次の所を探すわ」

「なら勝手にしたら」

「雪ちゃんのこと、そんなに好きなの?」

「好きとか嫌いとかいうんじゃあ無いんだ」

「私には理解出来ないわ。浩子さんに言いつけるから」

「よせよ。そんなことしたら、総てが終わりだ。私も君も・・・」

 倉田社長の顔が蒼白になった。浩子夫人に知られたら、離婚問題に発展する可能性が大きかった。倉田社長にとって浩子夫人は一等、大切な人だったから、困らせる訳にはいかなかった。でも雪ちゃんという女に、アパレル店の仕事に加わってもらう訳にはいかなかった。自分勝手かもしれないが、アパレル店は、自分中心に進めて行きたかった。浩子夫人も私を店長にと考えているのだから、私の意見を優先してくれる筈だ。その為には倉田社長と自分の立ち位置と自分の存在をより深く確認し合う必要があった。でも私は、このことを、これ以上、全面的に持ち出して、倉田社長と議論し合うのが怖かった。もし倉田社長に拒否されたら、本当に会社を辞めなければならないかもしれなかった。そんな危惧があったことから、私たちは午前中、無口になってしまった。昼食時、『シャトル』に行って、石川婦人たちと少し会話したが、『シャトル』から戻った午後になっても、私たちの無言は続いた。結局、私たちは互いに互いをなだめるしか方法が無かった。夕方、仕事を終えてから、私たちは、事務所の中で互いを見つめ合った。倉田社長は、ちょっと溜息をつくと、私に言った。

「いい加減にして、これからゆっくり話そうか」

 私は彼の言葉に頷いた。私たちは何時もの様に、事務所のあるマンションの前からタクシーを拾い、『シャルム』へ行った。私は指定された部屋に入ると、裸になり、シャワーを浴び、ベットの布団の中に潜り込み、倉田社長にまとわりついた。彼の心が、まだ私にあるのか確かめようと、必死になって迫った。彼は私の望みを感じて、甘い言葉をささやき、私の肌つやを確認し、私の欲情を引き出そうと愛撫を開始した。彼の優しく細い指先での緩急でのテクニックが私の快感を高め、私を蕩けさせた。彼は私の愛液が溢れ出て来るのを目にすると、正面からそれを受け止め、防ぎ止めようと、噴出口に蛇口栓を差し込み、必死になって腰を使った。私の愛器は異常な程に、その蛇口栓を締め付け、悲鳴を上げた。2人の濃密な情欲の時間が、秘めやかに過ぎて行くのを、私は夢中になってむさぼり続けた。


         〇

 2月初め、『微笑会』の集まりがあり、私は何時もの新宿のデパートの13階のレストランに出かけた。私がレストランに顔を出すと、既に純子、真理、可憐、美穂、春奈が集まっていた。まずはビールで乾杯し、和風料理を食べながら、何時もと同じ話題から始まった。何といっても、可憐と長山孝一が、どうなっているのかが仲間たちの一番の興味事項だった。純子の質問に対し、可憐が答えた。

「長山君とは、正月休み会うことが出来たわ。少し痩せたけど、元気だったわ」

「矢張り、料理人になるつもりでいるの?」

 そう質問されると可憐は、ちょっと悩んだが、明るく笑って答えた。

「彼、今、料理の修業が楽しくて仕方ないのですって。煮物の作り方、魚の捌き方、刺身の並べ方、天ぷらの揚げ方、茶わん蒸しの作り方など、先輩に教えてもらい、将来は都内に店を構えたいと言っているの」

「静岡に帰るつもりは無いの?」

「帰らないで、独立するつもりなの。店を持ったら、私と結婚したいって」

「まあっ。ご馳走様。それは良かったわね」

 私たちは可憐の話を聞いて、ホッとした。可憐の話が終わると、春奈と小寺俊樹の話になった。相変わらず、2人の関係は進んでいなかった。それを真理が、またからかった。

「春ちゃんたち、2人とも硬すぎるのよ。もっと柔らかくならないと駄目よ。純情とあやふやな欲望が、一番、困るの。もう、心をときめかせ、純情でいられる年齢では無いと思うけど」

「そうかもね」

「そうよ。男と付き合うには、頭脳戦で無く、肉弾戦で行かないと」

「真理ちゃんは相変わらずだね」]

 そんな真理を純子が批判すると、真理は信じられないという顔をして、純子に食って掛かった。

「そういう純子ちゃんだって、昔はスケバンだったじゃあない。今は平林君に、ぞっこんだけど、将来、どうなるのかなあ」

「私は大丈夫。昔の私は見かけは不良ぽかったけど、本質は純真なんだから。芯は高潔なのよ。それより、あんた自身はどうなのよ」

「私。私は旅人。直哉も困っているわ。私の場合、相手が多くて絞り切れないの。これも困りものよね」

 真理は恥ずかし気も無く、自分の多情を笑った。男遍歴の多い真理の気持ちが分からないでも無かった。何故なら、私もまた真理と同類だった。頷く私を見て、真理はすかさず、私に話題を向けた。

「でも愛ちゃんは男にもてても、私と同じことをしちゃあ駄目よ。中国に戻るなら、適当に男遊びしても構わないけれど、日本でずっと暮らすつもりなら、日本の男と誠実な付き合いをして結婚しないと」

「そうは言っても、中国人が日本人と結婚するのは、そう簡単じゃあないわ」

「結婚は勢いよ。まずは工藤君と結婚し、自分の日本での立ち位置が何処かはっきりと決めるの。それから自分のやりたいことをやれば良いのよ」

 真理は私が日本人になることを勧めた。真理の言う通りかもしれなかった。兎に角、これからの私は工藤正雄か斉田医師のいずれかと、結婚することだった。その後は自分の色気と才気を使い、奔放に生きれば良いのかもしれなかった。私は仲間たちと話しながら、このような感情を抱く自分の不誠実さに対し、ゾッとした。こんな不誠実な私が、誠実一辺倒の工藤正雄と結婚して、仕合せになれる筈が無いと感じた。

「工藤君との結婚は無理よ。彼の両親は息子の嫁は日本人でなければと考えているのだから」

「駄目よ。そんな弱気じゃ。捕まえたからには絶対、手放しては駄目よ」

 真理の熱弁に、皆が笑った。何時ものことながら『微笑会』の集まりは男たちの話で盛り上がり、とても楽しく、私は教えてもらうことが沢山あった。


         〇

 私は『スマイル・ジャパン』が西新宿に借りようとしている建物の改装が終わったかどうか倉田社長に下見の日時を不動産屋に確認してはと助言した。本来なら、私が言わなくても倉田社長が率先して行うべきことだったが、倉田社長はタイに出張している滝沢先輩や下請会社の越地社長からの質問に振り回されて、事務所の下見のことまで気が回らないでいた。私に言われ、倉田社長が電話で不動産屋に確認したところ、その場所は私たちが見た自転車屋の所で無く、その裏手の場所だという説明だった。私は、それを聞いて、直ぐにインターネットで、場所の再確認をした。すると何とそこは通りから奥まった自転車屋の裏側で、表通りで無かった。私たちは勘違いしていたことに気づき、戸惑った。私たちは午後4時、会社を出て、その場所がどんな所か、再度、訪問した。するとその場所は、自転車屋の裏のビルの1階で、全く人目につかない所だった。これではアパレル店など開ける所では無かった。私たちはがっかりして、仕方なく、近くの不動産屋に駆け込み、別の物件を探した。幾つかの候補があり、明後日、不動産屋に案内してもらうことにした。不動産屋を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。私は、ここで倉田社長に誘われるのではないかと期待した。しかし倉田社長は私を誘おうとしなかった。タイに出張している滝沢先輩から電話が入り、客先への対応の仕方などを指示して、私に先に帰るよう手を振った。彼はタイとの長時間の電話のやり取りで、私と付き合っている暇など無いみたいだった。私は倉田社長と別れた場所から『ハニールーム』が近いので、大久保駅前に買い物に行った。斉田医師との約束の日では無かったが、醬油やミリンやテッシュペーパーなどの不足品を『ハニールーム』に持って行く為だった。それにシクラメンの花に水を与えてやりたかった。大久保駅前のスーパーで買い物をして『ハニールーム』に入ると、部屋の中はひんやりとして、居たたまれなかった。私は慌ててエアコンの暖房を入れ、お湯を沸かし、コーヒーでも飲もうと考えた。そして、ガスレンジに火を点けてから、ふと良からぬ想像をした。倉田社長がアパレル店のことで雪ちゃんに電話している姿が目に浮かび、倉田社長に直ぐにメールを送った。

 *これから雪ちゃんに会っては

 駄目ですよ。

 早く家に帰って休んでね。

 では、また明日*

 しかし倉田社長からの返事は無かった。倉田社長は雪ちゃんと会っているのかもしれない。そんなことを考えていると、お湯が沸いた。マイカップにコーヒーを淹れ、砂糖を加え、口にすると私はホッとした気分になれた。そこへ倉田社長から返信メールが送られて来た。

 *今まで滝沢先輩と長い電話のやりとりを

 していました。

 これから、電車に乗って

 帰るところです*

 私は、私が買い物をして『ハニールーム』に到着してから随分、時間が経過してからの返信だったので、倉田社長のことを疑った。

 *別れてから時間が経っていますが

 会社に戻ったのですか?*

 別れてからの相手の行動を気にして何になるのでしょうか。倉田社長が会社に戻ったりする筈など無かった。きっと雪ちゃんといるのに相違ない。そう想像している私に倉田社長が返事を送って来た。

 *滝沢先輩の問いに会社に戻って、

 書類を見ようと思いましたが

 遅くなるので止めました。

 今まで、喫茶店で滝沢先輩と

 やりとりをしていました*

 私は彼のメールを信じなかった。でも納得したふりをした。

 *分かりました。

 ゆっくり休んで下さい。

 おやすみなさい*

 会社の仕事が終わってから、お互いがすることは自由だが、相手の事が気になって仕方ないのだから困りものだ。倉田社長は、浩子夫人の夫だ。私が彼のことを気にする理由は無い。それより私が気にしなければならないのは、アパレル店のことだ。


         〇

 2月12日の金曜日、中国の旧正月が始まる前々日、午前中、小雪がちらつき、中国にいた頃のことを思い出しながら事務所へ向かった。子供の頃、空から舞い降りて来る雪に希望を抱いたことを思い出す。春麗姉と雪だるまを作ったり、雪投げをしたりして遊び回り、春節が来るのが楽しみで楽しみで仕方なかった。どんな新年になるのだろうと子供ながらに夢を描いた。あれから年月が過ぎ、こうして東京で見る雪もまた、何となく不安もあるが、未来への希望を叶える可能性を抱かせてくれた。私は美しく程よく降る東京の雪を振り払ってから事務所に入った。この事務所とも近いうちにさよならすることになるのかと思うと、何故か名残惜しい気がした。倉田社長は雪の為、電車が遅れたということで、何時もより1時間ほど遅れて出勤して来た。その為、遅れて来た倉田社長はタイの滝沢先輩に電話を入れたり、客先へ書類をFAXしたりで、午前中、大忙しだった。倉田社長の仕事が一段落したところで、『シャトル』へ昼食に出かけた。この頃になると、雪はきれいに止んでいた。倉田社長は『シャトル』に来ていた石川婦人から、バレンタインチョコをいただき、大喜びした。私はバレンタインのプレゼントを用意していたので、昼食を終え、事務所に戻ってから、それを倉田社長に差し上げた。オシャレな襟のYシャツのプレゼント。それを包装紙から取り出し、倉田社長に着せてサイズ確認すると、ぴったり。倉田社長は、自分の姿を洗面台で確認し、またも大喜び。突然、私を抱き寄せて礼を言った。

「有難う。ぴったりだ。こんなのが欲しかったんだ。とても嬉しいよ」

「喜んでもらえて良かった」

 私は事務所の中で彼に抱き締められ、このまま事務所でことが始まるのではないかと思った。ところが、その寸前に、倉田社長の携帯電話のメール音が鳴った。彼は抱いていた私を、そっと離すと、携帯電話の画面を眺めて、内容を確認し、直ぐにメールの返信作業を行った。誰からのメールか。雪ちゃんか。別の女か。『スマイル・ワークス』の仲間か。『帝国機械』の後輩からか。私は倉田社長の返信メール操作が終わったのを見計らって質問した。

「誰からのメール?」

「秘密」

 倉田社長は誰からのメールだと答えてくれなかった。夕方になると、倉田社長が、そわそわし始めた。

「どうしたの。時計を気にしたりして」

 私が質問すると、今度は答えてくれた。これから『Tプラスチック』の早坂工場長や『帝国機械』の後輩たちと一緒に、横浜の『中華街』で、ご苦労さん会をするとの説明だった。それが本当のことかどうかは分からなかった。そんなことから私と倉田社長は、何時もより早めに仕事を終え、浅草橋で別れた。倉田社長は横浜へ向かい、私は総武線に乗り換え、大久保の『ハニールーム』に行った。本来なら、こんな日の夜には、工藤正雄を誘い、デートすべきなのでしょうが、『ハニールーム』で過ごすことの方を優先した。夕食は斉田医師と2人で、スキヤキを食べた。ビールとワインで良い気持ちになったところで、私は斉田医師にカーデーガンをプレゼントした。斉田医師は喜んでくれたが、本音を吐いた。

「有難う。これは持って帰れないな」

「当り前よ。ここで着てもらう為に買って上げたんだから」

「そうだよね。ここは私と愛ちゃんの愛の住処だからな」

 斉田医師がそう言うと、ビールの臭いのする息を私に吹きかけて来て、突然、食事途中なのに、卓上カセットコンロのスイッチを切った。そして横に座っていた私を抱き上げ、ベットへと運んだ。私は、びっくりしなかった。何時もの事なので、私の心は平常心だった。今や私と斉田医師との交わりは、夫婦の行為と同様だった。ベットに上がると互いに真っ裸になり、性器を曝け出し、痴態狂態を繰り返した。私が愛器の扉を開くと、彼は巨根をそこに食い込ませ、こねくり回した。私の愛器は歓びの愛液を溢れさせ、私は隣りの部屋に聞こえるほどの喜悦の声を上げた。死と官能の混交した渦の中で、私は昇りつめ、彼は私に挿入したまま沈没した。私はゆらゆらとした感覚に浸りながら、ふと工藤正雄は今頃、何をしているかしらと考えた。こんな時に何故、私は工藤正雄のことを考えたりするのか?自分でも説明がつかない。


         〇

 私は倉田社長の会社経営について、時々、疑問を抱いた。社長、社長と呼ばれ、浮ついた気持ちで遊び回っているように思われることもあれば、必死になって利益を追求し、新しい事業を拡大しようと努力しているようにも思われ、どれが倉田社長の本質なのか疑問だった。私は『スマイル・ジャパン』の事務所に出勤して倉田社長と顔を合わせるたびに、その目つきや肌艶を確認した。それらは彼の表面の表情でありながら、その内面を映し出す、鏡でもあった。その肌の下に隠されている彼の正体が何であるのか、私は、その都度、知りたかった。特に私が知りたかったのは、彼の本気度だった。彼は本当に私との夢、アパレル店オープンを実現させようとしているのか。それとも単なる遊びで私を雇用しているのか。彼が目指している未来は何なのか。一般的に考えれば、彼は定年退職して仕事の一線から退いた年金生活者だった。その彼は何の為に、会社経営をしているのか。『スマイル・ワークス』の仲間同様、社会貢献の為だと言っているが、それは疑わしい。何時だったか浩子夫人は彼の事を、こうぼやいた。

「彼の趣味は仕事だから」

 儲かろうが儲かるまいが、利潤など構わない会社遊びだと浩子夫人は理解しているみたいだった。それにしては、タイ出張者に熱弁を振るったり、アパレル店舗のことを考えたり、展示会の参加など、費用の掛かることにも、積極的であり、遊びとは思われなかった。私は考えれば考える程、倉田社長という人物が会社経営についてどのように考えているのかが分からなかった。浩子夫人は共同経営者として取締役に名をつらねているが、時折、出勤して来て、私と食事をして帰って行くだけであり、興味は会社と全く別の所にあった。ダンスやコーラス、友達とのカラオケや買い物の方が優先し、会社の損益のことや主人の浮気のことなど、そっちのけだった。もっとも還暦を過ぎた女性に仕事の事を期待するのは無理なことかもかもしれなかった。従って倉田社長は自由気侭だった。『スマイル・ワークス』の金久保社長たちは、内心、私の事を倉田社長の愛人と思っているみたいだったが、私の前では、そんな態度を見せなかった。私のいない所では中国人には気をつけろと言っているらしかった。倉田社長は、そういった友人の忠告をないがしろにはしない人だった。だから私の秘密には、あえて踏み込んで来ようとはしなかった。彼は精神的に強い男だった。自分の能力に自信を持つとともに、自分の生い立ちや学歴に誇りを持ち、自負と矜持を秘めて生きていた。それが私には魅力的に思われた。また性格的に私と似ているところがあった。それはしたいと思ったことに積極的に挑戦し、失敗を恐れず、それを苦労と思わない性格だった。しかし私が彼を嫌いなのは、秘密裏に単独行動することだった。彼は一見、柔和で明るく振舞っているが、内心は何を考えているか分からなかった。それがまた怖くもあった。彼の心の中を覗くことは不可能に近い難しいことだったが、それでも私は彼の内心を探ろうとした。

「事務所の件は、どうなされるのですか?」

「うん。ちょっと他の所を当たっている」

「雪ちゃんじゃあないでしょうね」

「彼女は私の事など当てにしていない。彼女には沢山、男がいる。事務所の事はいろんな角度から検討している」

 倉田社長は、そう言いながら、夕方になると、ソワソワし始めた。私と地下鉄の浅草橋で別れてから、銀座の方へ行ったりした。何処へ行くのか分からない。後を付けようと思ったが馬鹿らしいので止めた。私は、その後、新宿に行き、1人で不動産屋の張り出し案内を見たりしてから、桃園が待つマンションに向かった。本来なら事務所の賃貸については芳美姉の夫、大山社長に相談すれば手っ取り早いのだが、倉田社長と大山社長を会わせたくは無かった。何故なら倉田社長と大山社長とは住む世界が余りにも違うように思えたからだ。倉田社長の経営する『スマイル・ジャパン』に芳美姉夫婦に介入され、小さいながら、きちんとした会社を乱されるようなことがあってはならないと思ったからだ。『スマイル・ジャパン』は私の夢を叶えてくれる期待の会社なのだ。


         〇

 私は工藤正雄にバレンタインの贈り物をしていないことが気になって仕方なかった。そこで彼にメールすると、直ぐに返信メールが入った。

 *ご無沙汰。

 俺も、そろそろ会いたいなと

 考えていたところです。

 今週の木曜日の夕方なら

 OKです*

 私は正雄から約束のメールをもらい、嬉しい気分になった。『微笑会』の仲間は私と正雄が結婚することに期待しているが、当の本人である私は、どうしたら良いのか迷っていた。斉田医師にすべきか、工藤正雄にすべきか、いずれ決断せねばならないことだった。その上、私は現在のアパレル店開店の夢にも足を引っ張られていて、それ程、結婚を急ぐことは無いと、結婚を軽視していた。しかし工藤正雄は私との結婚を真剣に考えていた。私は木曜日の夕方、新宿駅東口で、トレンチコート姿の正雄と合流し、喫茶店『ライラ』に入り、コーヒーを飲みながら雑談した。正雄は自分たちに関する話を他所にして、他人の話から始めた。

「長山とはまだ会えていないんだ。川添さんは彼と会えたのかな。何か情報、入ってないかな?」

「彼女、正月に会えたって言っていたわ。料理人になる為の修業に夢中らしいわ。店を出すまで、結婚はしないみたい」

「そうか。彼も意地があるからな。だから俺たちに連絡しようとしないんだ。長山の母親から、平林の所へ、心配して電話が入ったらしいが、平林は本当に長山の所在が分からないので、困ったって言っていたよ」 

 私たちは長山孝一と川添可憐の恋の行方が、どうなるか心配しながらも、自分たちの結婚をどうするのか逡巡していた。正雄の話では、平林光男と渡辺純子が6月に結婚する準備をしているという。だから正雄は、それに続き、親の反対を押し切って、秋に私と結婚したいというような希望をほのめかした。私は、そんな正雄に希望の光みたいなものを感じながらも、自分の自堕落さ恥じるとともに、正雄の穢れることの無い誠実さに恐れを覚えた。だから私は彼の希望に対し、はっきりせず、優柔不断な態度をとった。

「クウ君。焦っては駄目よ。私たち、まだ就職して1年も経っていないし、仕事の事、習得しきれていないのだから、結婚するのは、あと数年先のことよ」

「でも仕事と結婚の時期は別に考えないと」

「仕事は重要よ。仕事を身につけて、自立出来るようになってからでないと、共倒れする危険性もあるから」

「そんな心配はいらないよ。俺が君を守ってあげるから」

「それって本当なの。嬉しいわ」

 私は笑みを見せて、彼の手を握った。それから数日遅れのバレンタインチョコを渡した。正雄はとても嬉しそうな顔をして言った。

「じゃあ、次へ行こうか」

「はい」

 私は喫茶店『ライラ』から出ると、彼の腕につかまり『ファンタジー』に行った。部屋に入り、まず私が先にシャワーを浴びた。そしてベットに入り、彼がバスルームから出て来るのを待った。テレビのアダルトビデオを観ていると、腰の全面にバスタオルのテントを張った正雄が、バスルームから出てきて、私の横に入り込んで来て、私を上から見詰めた。澄んだ美しい眼差しで囁いた。

「愛しているよ」

「私も」

 私たちは、ゲームのように、そう囁き合った。正雄は私の言葉を受けると、ちょっと頬を赤らめ、私の顔に顔を押し付けて来た。まずは私に甘いキッスをして、乳房を優しく撫でた。私は彼の股間に手を伸ばし、勃起しているものを掴んだ。その物体はもう火の様に熱くなっていた。

「凄い。カチンカチンよ」

 私の花園は、彼の勃起具合を強く感じて、愛液を湧き上がらせた。そのフェロモンを感じて、正雄は私をからかった。

「まだ入れなくて良いかな」

「我慢出来るなら、入れなくても良いわよ」

 私も彼をからかった。正雄は私の乳房を吸い、私の股間の割れ目に指を差し込み、尚も私に確認し続けた。

「まだ入れなくて良いかな」

 私は彼の囁きと愛撫を受けて、気持ち良さが増し、いたたまれなくなった。手にする彼の珍鉾の先が濡れて、私が欲しがるのを望んでいるのが伝わって来た。彼は同じ言葉を繰り返した。

「まだ入れなくて良いかな」

 私は我慢の限界に達して、喘ぎ声を上げた。

「ああ、そんな。そんなこと言わないで。早く。早く入れて」

 私は正雄の燃える珍鉾を求めた。すると正雄はゆっくりと珍鉾を挿入し、律動を開始した。私は正雄に子宮を突き上げられ悶え、乱れ、快感に溺れた。


         〇

 倉田社長が事務所を移転することを本当に考えているのか、私には分からなかった。これからどうなるのかと心配していると、タイから滝沢先輩が、1ヶ月間の機械据付指導を終えて帰国するという連絡が入った。その連絡を受け、倉田社長も私も、ホッとした。このことにより技術指導料が、タイの客先から『スマイル・ジャパン』に送金されて来るからだった。倉田社長はこの送金されて来る資金を元手に、新しい事務所に移転する計画でいた。その計画書は倉田社長のパソコンの中に入っていて、『スマイル・ワークス』の人たちには分からぬ内容だった。しかし、私には分かっていた。彼が出張している時に、彼のパソコンを開け、事業計画書、売上実績表、損益計算書、貸借対照表など、こっそり覗き見していたからだ。タイの中古機械代金3千万円の他に、技術指導料5百万円が入って来るのであるから、有難い話だった。従って私の勤める『スマイル・ジャパン』が、新しい事務所を賃借することは決して無理な計画では無かった。なのに何を考えてか、倉田社長の事務所探しは遅延するばかりで、私をイライラさせた。私と夢を共有する計画はどうなっているのか。今日こそは、それをどのように考えているのか確認しようとすると、邪魔が入った。『スマイル・ワークス』の仲間たちが、午前中から月例会ということで、ゾロゾロ事務所に集まって来た。加齢の男たちが狭い事務所に何人も集まり、私は息苦しくなったが、我慢するより仕方なかった。昼食は皆で『シャトル』に行き、私は石川婦人たちと話し、少し気分的に解放された。食事を終え、事務所に戻ると、午後から『冬季オリンピック』のフィギアスケートが始まり、皆でテレビの前に集まって、浅田真央とキム・ヨナの演技に夢中になった。『仮面舞踏会』と『007』の音楽に合わせて、2人の美女が、それぞれに氷上で舞った。私は浅田真央ファンだったので、男たちと一緒に、彼女を応援した。ショートプログラムの結果は1位、キム・ヨナ、2位、浅田真央、3位、ロシェット、4位、安藤美姫、5位、長洲未来という順で終わった。テレビでの観戦んが終わると、ワイワイガヤガヤ。私はドッと疲れが出て、息苦しさが増した。それを察した倉田社長が、私に耳打ちした。

「先に帰って良いよ」

 私は倉田社長の言葉に甘えて早退した。帰りの電車に乗りながら、『スマイル・ワークス』の人たちは、これから事務所内で酒盛りを始めるに違いないと想像した。『スマイル・ジャパン』の事務所はかってのしがらみから、老人憩いの場所のまま、そこから脱皮出来ず、何時まで続くのでしょうか。そんな状況から脱皮する為にも、一時も早く、新しい事務所を探さなければならなかった。私は新宿に着いてから、代々木駅近くの不動産屋に立寄ってみた。しかし、代々木周辺には、店舗と事務所を兼ねられるような手ごろな物件が見当たらなかった。あるのは高級オフィスビルの中の3階とか4階の部屋で、家賃も高く、現在の家賃の3倍だった。その不動産屋に手ごろな家賃の物件が無いかと相談すると、新宿1丁目か2丁目あたりなら、少し安く借りられる物件があると説明してくれた。私はその情報を得て、新宿1丁目へ行ってみた。そこは四谷と新宿御苑の中間あたりの街で、高層ビルが少なく、半分住宅街のような街だった。日本語学校などもあって、若い中国人や東南アジア人がふらついていた。少し暗くなり始めると何処からともなく、派手な衣装を着た女性たちが溢れ出して来た。よく見ると女装をした男性たちだった。そんな人達の中にも女性の私でも、見ほれる程の美しい人がいた。私は、そういう人達を見て、胸が鼓動した。どういうことか、知性と優雅さを匂わせるその姿に、同性愛的感情を抱いた。この妖しい街の空気は私にとって異常だった。私は、この街は『スマイル・ジャパン』の事務所を移転させる所では無いと思った。私は慌てて、そこから新宿駅南口へと引き返した。


         〇

 2月末近くになっても、倉田社長はバタバタしていて、新事務所を決定出来ないでいた。朝から埼玉の工場へ『古賀商会』の古賀社長と出張し、午後2時半に事務所に戻って来た。そして浩子夫人から預かって来た私の給与明細書を私に渡した。それからまた4時過ぎに出かけようとした。アパレル店のことを相談したいのに、その暇がない。私はイラついた。

「何処へ行くの。今週は私の相談の相手をしてくれないの」

「うん。これからタイの出張報告を滝沢さんにしてもらうので、渋谷へ行く。知らない人でないから、後から渋谷に来たら。一緒に食事をしよう」

 倉田社長は最近、自分が私に素っ気なくしていて、私がイラついているのに気づいてか、私を食事に誘った。私はそれに同意した。

「分かった。1時間後に渋谷に行くわ」

 私は渋谷で食事をして、滝沢先輩と会った後、事務所の事を確認しようと思い、滝沢先輩との食事の席に同席することを了解した。そして1時間程、事務所内で留守番をした後、半蔵門線の電車に乗り、渋谷のハチ公前に行った。約束の5時を過ぎたのに2人はハチ公前に現れなかった。その間、数人の男に声をかけられたが、無視した。5時半になって、漸く2人が現れた。滝沢先輩とは展示会以来の顔合わせだった。お互いに軽く挨拶してから、3人で渋谷駅近くのビルの中の居酒屋『えん』に入り、滝沢先輩のタイ出張のご苦労さん会の食事をした。まずはビールで乾杯。刺身盛り合わせ、湯豆腐、かぶと煮、野菜サラダ、牡蠣鍋などの料理をいただきながら、滝沢先輩のタイでの機械据付の苦労話を聞いた。滝沢先輩は、モニカ女史の活躍を得意になって喋っりまくった。私が倉田社長のタイでの愛人と思っていたモニカ女史は、滝沢先輩の女だったと知り、私は安心した。また滝沢先輩は、据付指導の試運転指導の中心人物として、日本から派遣している越水社長の問題点を、あれこれと倉田社長に訴えた。私は、そんな苦情やタイ観光の話を倉田社長と一緒に聞いた。タイ出張のご苦労さん会は7時半に終了した。私たちは、滝沢先輩と渋谷駅で別れた。それから私たちは、地下鉄の副都心線の電車に乗って東新宿駅で下車。そこから数分の所にある『ピーコック』に行った。部屋に入り、私が衣服を脱いでいるのに、倉田社長は何か考え事をしていた。私は遠慮しないで訊いた。

「どうしたの。何か悩み事でもあるの?」

「いや」

「雪ちゃんのこと」

「いや別の事」

「事務所のこと?」

「うん。そろそろ決めないとな」

 彼は、そう言うと、先に裸になった私を背後から抱きしめた。好色な私は直ぐに、その気になった。彼は、そんな私に囁くように言った。

「気に入った賃貸物件を四谷で見つけたんだ。来週、一緒に見に行こう」

「本当ですか」

「本当だとも」

 彼は、そう言うと、シャワーを済ませていないのに、私をベットに運んだ。私は彼に指示されるまま、仰向けになって裸身をさらした。彼は上から私の肌に優しく触れながら、甘い言葉を投げかけた。

「私は花をめでる時、外見だけでなく、その花芯まで観ることにしている。その花芯の奥深くから放たれて来る香りに、それ以上の魅力を感じるから」

 そして両手で、私の両脚を大きく広げ、谷間の花に鼻を近づけた。

「賃貸物件も同じだ。外見だけでなく内見を詳しくしないと」

 私は彼の詩人気取りの進め方に興奮した。詩的でありながら、エロ小説風で、卑猥であるが、その誘導にゾクゾクした。私は彼に秘密の花園を斉田医師の様に覗かれ、正常心を失った。私は、彼の顔を股間から押し退け、彼の股間の男根を手にすると、それを自ら,彼が覗いていた箇所に引き入れ、連結させ、下から腰を波のように上下させた。すると倉田社長が、それに合わせた。倉田社長は私に合わせて、シリンダーでのピストン運動を繰り返した。この同調性のある営みは、私たちに一体感をもたらした。それを感じると、私の快感はさざ波のように一気に高まり、私は彼の腰にしがみつき、何度も絶頂に達し、イヤイヤをして果てた。倉田社長は自分の欲望を放出すると、ぐったりしている私から、そっと離れて、バスルームへと移動して消えた。


         〇

 3月になった。『スマイル・ジャパン』の事務所に向かう道すがらの住宅の庭には水仙や福寿草や馬酔木の花が咲いて、春が来たのだと感じた。私は事務所の中も春らしく明るくしようと、チューリップやエニシダの花を途中の花屋で買って行って、事務所の花瓶に飾った。ちょっとした心遣いで浮き浮きした気分になれた。倉田社長もまた事務所に入って来るなり、明るい笑顔で呟いた。

「綺麗だな。嬉しくなるね」

 それから私に中国への招聘状を作成させ、EMSで送るよう指示した。私はそれらの仕事を午前中にこなし、午後早く事務所探しに出かけたかった。しかし、倉田社長は月末、『スマイル・ワークス』の仲間たちと伊豆旅行に出かけ、会社を休んだりしたことから、処理しなければならない仕事が沢山あり、午後2時頃まで、ドタバタしていた。その仕事処理が終わるや、私たちは、事務所を出て、地下鉄の半蔵門線の電車に乗り、大手町で、丸ノ内線の電車に乗り換え、四谷3丁目へ行った。午後3時、不動産屋と駅前で合流して貸室のある5階建てビルまで3分程、歩いた。四谷3丁目と四谷4丁目の中間地点の新宿道りから、少し入った所の古いビルだった。早速、不動産屋のチラシに従い、ビル1階の空き部屋の内見を行った。物件はほぼチラシに描かれている内容と一致していて、私も気に入った。トイレやキッチンに問題はあるが、使用しながら検討して行くことにした。内見を終えてから、私たちは近くの喫茶店で、不動産屋と打ち合わせを行った。倉田社長は、不動産屋に他の役員、浩子夫人の承諾を得てから最終的に契約を決定する旨を伝えた。そして引っ越しは3月19日頃になるであろうと倉田社長は不動産屋に話した。打合せが終わると、不動産屋の湯川担当は契約出来そうなので、嬉しそうな顔をして帰って行った。私たちは、その後、喫茶店に入り、賃貸室内を事務所と店舗として、どのように割り振ろうかなどと、話し合った。倉田社長は事務所スペースを広く取ろうとしたが、私は店舗スペースを広くしたいと強調し、反論した。こうなると私たちは子供みたいに、自分の勝手を主張した。社長と社員であることも忘れ、喫茶店内で口論し、他の客に怪しい目で見られた。すると倉田社長は不愉快な顔になって、事務所に帰って仕事をするから、私に先に帰るよう指示した。私は強情な倉田社長に意見を受け入れてもらえず、不満いっぱいのまま、喫茶店から跳び出した。分からず屋なのは、どちらなのか。アパレル店を開くからには、商品を豊富に展示しなければ、お客は寄って来ない。でも本業も大切にしなければならない。私は四谷三丁目から丸の内線の電車に乗って揺られながら、自分を反省した。と、突然、良からぬことが脳裏を駆け巡った。彼は、何故、事務所に戻るのか。本当に事務所に戻って仕事をするのか。もしかして、あの可愛いスラッとした『シャトル』の林優香と会うのではないか。彼女とは私が入社する前からの知り合いだから、何かあってもおかしくない。しかし、優香の叔母、智美の監視があるから、2人とも深入りは出来ない筈だ。だとすると、倉田社長が事務所に戻って仕事をするというのは噓かもしれない。雪ちゃんと、これから待合せするのかもしれない。2人は何処で待合せをするのか。私の頭の中は見たこともない雪ちゃんへの嫉妬で、搔き乱された。私は気分を紛らわせる為、琳美に電話して、夕食を一緒にしようかと誘った。デパートの地下で待合せし、ギョーザ、カキフライ、エビチリソース、ワンタンなどを買って部屋に入って、桃園が帰って来るまで雑談した。琳美は完全に元気を取り戻していた。

「もう、やっても大丈夫かしら」

「何、言ってるの。桜が咲く頃までは駄目よ」

 私が注意すると、琳美は舌を出して苦笑いした。私には、そんな琳美が可愛かった。彼女にとって私は、腹を割って話せるお姉さんだった。こんなやりとりをしていると、桃園が帰って来た。女が3人寄れば姦しいという言葉があるが、桃園が加わると部屋の中は一段と賑やかになった。狭い部屋の中で3人で食事をして、桃園がアルバイトに出かけるまで、楽しく可笑しく過ごした。それから琳美とカラオケに行き、ストレスを解消した。


         〇

 四谷三丁目の古いビルの1階の部屋を借りることにしたのに、倉田社長の様子が変な感じだった。精神的に落着きが無いように見えた。何に対して悩んでいるのだろうかと心配になった。新しく事務所を借りることに、浩子夫人が反対しているのか。何故、彼女は反対するのか。私には店長は貴女よと言った浩子夫人が反対しているとは思えなかった。それ以外に何の理由があるのか。タイの仕事は滝沢先輩の後を引継ぎ、越水社長とモニカ女史が協力し合って順調に工事を進めているという連絡が入っているし、その費用の残金も、工事が終われば送金されて来る筈だった。となると、倉田社長の悩みは何か。やはり雪ちゃんのことか。想像するに、雪ちゃんという女は、倉田社長をたらしこみ、『スマイル・ジャパン』の社員になりたいと考えているに相違なかった。アパレル店の準備が出来上がったところで、私と入れ替わろうと画策しているのかもしれなかった。それとも倉田社長は、あの可愛い林優香を採用しようかと考えたりしているのかも。兎に角、昨日あたりから倉田社長の精神状態は不安定だった。普段、大人しいが、それ以上に無口になるので、どうしたら良いのか私には分からなかった。こんな時に浩子夫人は、どのように対処しているのか教えてもらいたかった。質問すれば浩子夫人は多分、こう答えるに違いなかった。

「彼は変人だから、放っておけば良いのよ」

 そうは思っても、放っておく訳には行かなかった。私は午前中の仕事を終え、『シャトル』で昼食を済ませ、事務所に戻ってから、恐る恐る倉田社長に質問した。

「新しい事務所を借りること、まだ迷っているのですか?」

「いや」

「なら、どうして。元気が無いのですか。浩子さんに反対されているのですか?」

「彼女は反対をしていないが、物件を自分の目で確かめたいと言っている」

「なら、何よ。アパレルの商売をすることに反対なの」

「まあ、それもあるかもな」

 倉田社長は平然と答えた。しかし私の心に動揺は起こらなかった。慎重な彼が、そう考えるのは当然のことであり、彼の悩みの原因は他にあるように思えた。私は追求した。

「一体、何が悩みなの。私にもはっきり教えて下さい」

「うん。勤務時間や土日の営業の事を考えると、あと1人、女性社員がいた方が良いのではないかと・・・」

 倉田社長は、矢張り、他の女のことを考えていた。私は、その言葉を聞いて、泣きそうになった。そんなことになったら、私が入社以来、頑張って立ち上げて来たアパレルの仕事を新しい女性に奪われてしまいかねない。その相手が、ずる賢い雪ちゃんであれば一筋縄で済ませることは出来ない。私が倉田社長に捨てられる可能性だってある。私は心配していたことが現実になろうとしているショックに、胸を押しつぶされそうになった。

「駄目よ。駄目。女性社員を増やすなんて。そんなの絶対に駄目よ」

「どうして」

「経費の中で人件費が一番高いのよ。私1人で充分。私1人で駄目だった時には、浩子さんに来てもらえば良いのだから」

「しかし、浩子さんは、ダンスやコーラスがあり、通勤にも時間がかかるから」

「兎に角、女子社員の採用はアパレルの売上げが軌道に乗るまで待って下さい」

「でも店をオープンしたら、土日も客が来るだろうから」

「土日だって、私、店に出て働くわ」

 私は雪ちゃんを採用させない為に無理なことを言った。土曜日や日曜日は『ハニールーム』に行ったりする、プライベートの時間が必要なのに、雪ちゃんを採用させない為に、無茶苦茶な発言をした。倉田社長は私が目に涙を滲ませて説得するのを目にして、可哀想に感じたのか私に詫びた。

「ごめん。ごめん。ただ、思い付きを言っただけだから、気にしないでくれ」

「はい」

 私は涙を堪え切れず、トイレに駆け込んだ。そして、あるったけ泣いた。涙が収まったところで、席に戻ると、倉田社長は優しく言った。

「明日、10時、浩子さんが物件を見に、四谷三丁目に来るから、一緒に付き合ってくれ」

 私は、その言葉に頷き、また泣きそうになった。


         〇

 雨上がりの快晴の金曜日、私は四谷三丁目の交差点近くの喫茶店に入り、倉田社長と一緒に浩子夫人が現れるのを待った。浩子夫人が古いビルの1階にある借りようとしている物件を気に入ってくれるかどうか心配だった。その倉田社長夫婦は10時に喫茶店にやって来た。3人でモーニングコーヒーをゆっくりと味わい、10時半に貸店舗に行くと、不動産屋の阿部課長と湯川担当が、私たちを待っていた。家主は現れず、彼ら不動産屋の2人と一緒に浩子夫人同席の上で内見を行った。もと不動産屋に勤務したことのある浩子夫人は、不動産屋の2人に、あれやこれや質問し、2人をあたふたさせた。一方、倉田社長は、もう契約した気分になっていて、机の配置などの寸法確認などを始めた。私もアパレルの販売コーナーを、どのようにしようか構想を巡らせた。

「狭いけど、何とかなりそうね」

 浩子夫人が漏らした言葉に私は安堵した。浩子夫人は私たち同様、トイレやキッチンに問題があるが、倉田社長と私が納得するなら、借りようと了解してくれた。浩子夫人は不動産屋の阿部課長たちに、トイレやキッチンの改造について、家主と交渉するよう条件を出した。しかし、その場で不動産屋からの了解は得られず、家主と相談してみますとだけで、正式の契約日は来週の木曜日の午後1時と決めた。私たちは貸店舗の内見を終えると不動産屋と別れて、近くの『すずな食堂』に入り、焼き魚定食を食べながら、これからのことを語り合った。浩子夫人は私と一緒になって、アパレル店の夢を、まるで母と娘の様になって話した。店に飾る洋服やアクセサリー、化粧品の事になると私と浩子夫人は目を輝かせた。『すずな食堂』での昼食を終えると浩子夫人はコーラスの発表会の前の練習があるからと言って、四谷三丁目駅で、私たちと別れて、地元へと帰って行った。私と倉田社長は浩子夫人を見送ってから、会社に行って仕事をした。倉田社長は事務所の移転先が決まったことを、『スマイル・ワークス』の金久保社長や野崎部長にメールした。すると彼らから直ぐに連絡が入り、倉田社長は、その対応に追われた。移転が決まったことから、倉田社長はやることがいっぱいあるのに、仲間からの問合せに、いちいち答えなければならず、イラついた。その為、ストレスが溜まり、私に八つ当たりして来たりした。私も私で彼の不可解な性格に腹を立て、彼に盾を突いたりした。倉田社長は沢山のやるべきことを抱え、自分が何をしているのか、分からなくなり、パニック状態に陥って、突然、叫んだ。

「今日は仕事、終了!」

 そして机の上の書類をまとめて、ドサッと引き出しに投げ込み、私を睨みつけた。私もそんな倉田社長を睨みつけて、その後、すかさず、倉田社長をなだめにかかった。

「社長。ストレスが溜まっているみたいですね。帰りに休憩しましょうか」

「うん。そうしたいな」

 彼はまるで子供みたいに頷いた。私たちは5時半過ぎに事務所を出て、新宿に向かった。新宿に到着し、新宿三丁目駅から歌舞伎町まで歩いた。彼は何時もに無く、コソコソと急ぎ足で歩いた。人に見られるのを避けているように思われた。私と歩いているところを誰かに見られるのを恐れている風だった。ラブホテル『ピーコック』に入ると、彼はホッとした顔を見せ、上着を脱いだ。私が先にバスルームに入って、出ると、彼が続いてバスルームに入った。彼はゆっくりバスタブに浸かり出て来ると、まだ濡れている所があるのに、私に覆い被さって来た。まずは私に接吻し、乳房を吸い、それから私の左足を肩に担ぎ、私の股間の谷間を覗き込んだ。それから、そこに口を当て、花弁を舐め回した。ああ、恥ずかしいから止めてと言いながらも、私の割れ目の愛の源泉は、言葉に反して欲情のゆだれを、溢れ出し始めた。そんな私の愛器に、倉田社長は何時もより激しく、攻撃を仕掛けて来た。彼は私の腰を両手で持ち上げ、私をメチャクチャに揺さぶり、乗馬に似た追い込みにかかった。その攻めに私はメロメロになり、歓喜の声を上げ、乱れに乱れまくった。気が遠くなりそうな陶酔に痺れながら、私は卒倒した。これからどうなるのか、私たちの関係は?


         〇

 倉田社長と快楽を味わい、満たされた後、『ハニールーム』に行くのは、気が進まなかったが、行かざるを得なかった。『スマイル・ジャパン』の正社員として、毎日出勤するのは当然のことだったが、『ハニールーム』への週末の訪問も当然せねばならぬ約束事だった。『ハニールーム』は、斉田医師が私との逢引の為に契約している部屋なので、週末に欠勤する訳にはいかなかった。私は新宿駅で倉田社長と別れた後、デパートの食料品売場で、寿司や野菜やポテトサラダ、果物などを買って、『ハニールーム』に行った。部屋に入ると、斉田医師が既に来ていて、柿の種をつまみながら、ビールを飲んで、私を待っていた。これから彼とまた絡み合わなければならないのかと思うと、何故かうんざりした。彼は私との愛欲に盲目になり、妻との離婚まで考えているというが、まだ私には信じきれなかった。彼が欲っしているのは私の身体だけではないのか。本当に離婚してくれるのか。選ぶべき男は工藤正雄ではないのか。でも、私の為に、こんなに広い部屋を借りてくれているのだから、まんざら嘘とは思えない。私は、そんなことを考えながら通勤服を脱ぎ、普段着に着替え、テーブルの上に、デパ地下で買って来た寿司やお吸い物やイカのから揚げ、肉じゃがなどを並べ、彼と向き合った。何時もの様にワインで乾杯し、雑談した。斉田医師は私が勤めている『スマイル・ジャパン』のことを気にかけているのか、『スカイツリー』の話題を口にした。

「テレビで『スカイツリー』の高さが随分、伸びたと放送していたが、実際、どんな様子か一度、見に行ってみたいな」

「ええ。見上げる程に高くなったわよ。浅草に行けば良く見えるから、案内して上げても良いわよ」

「では、桜の花が咲いた頃に花見がてら、一緒に行こうか」

「そうね。良いわよ」

 私は何の配慮も無しに、そう答えた。現在、鉄塔下部台座の斜めの支柱が、3百m以上に伸びて、これから第一展望台を組立てる工程になっているので、うまくすれば花見の頃、その台座がはっきりと眺められるかもしれなかった。更に私は余分なことを言ってしまった。

「でも『スカイツリー』が完成する頃には、私の勤務先は墨田区でなくなるわ」

「えっ。4月から別の会社に勤めることにでもなったの?」

「勤め先が変わるのではなく、会社の事務所が四谷に移ることになったの」

「では通勤も随分、楽になるな」

「そうよ。でもアパレル店を始めるので、帰るのは遅い時刻になるかも」

「それは困るなあ」

 斉田医師は寿司をつまみながら、勝手なことを言った。彼の言い分も分からないではないが、私にはアパレル事業を成功させることが、現在の重要な課題だった。目の前にいる斉田医師が直ぐにでも結婚してくれるなら別だが、彼の離婚はまだ先のことで、工藤正雄との結婚も期待出来なかった。私は寿司を美味そうに食べている斉田医師を見ると、急に苛立たしくなった。私は男たちを比較した。斉田医師は妻、京子と私の間を、規則正しく往復しているだけで未来に向かっての変化が見られなかった。工藤正雄は、私と結婚したいと告白したが、私とたまに会うだけで、本当に私と結婚したいのか確認するのが難しかった。ご両親が反対しているみたいだし、柴田美雪とも付合っているらしかった。それに較べ、倉田社長は高齢なのに、前へ前へと前向きだった。その新しいものに挑戦しようとする魅力は、私の心に夢と面白さを与え、私には大いに歓迎だった。だから斉田医師に言ってやった。

「私は勤務時間が増えても困らないわ。楽しい時間が増えて、給料もアップしてもらえるのだから」

「分かっていないんだなあ」

 斉田医師は、そう言うと、食事中であるのにテーブルの下から右足を私のスカートの中に突っ込んで来た。時々あることなので、私は驚かず、彼を叱った。

「何するのよ。まだ食べてる最中よ」

「こういう楽しい時間があるってことを忘れてもらっちゃあ困るね。こういう時間の方をたっぷり欲しいとは思わないとね」

「馬鹿ねえ」

 私は夕方、倉田社長とやって来たのに、斉田医師にスカートの中を弄繰り回され、自分の淫蕩な身体が勝手にうごめき始めて、それを制御しきれなくなった。彼は、私の好色な気分を煽り立てたのを感じ取ると、急いで寿司を食べ終えて、言った。

「もう食事はいいからベットへ行こうぜ」

 その言葉に私が急いで、寿司を食べ終ると、彼は私をベットに引きずり込んだ。私がベットの上で仰向けになると、彼は照明を最高にし、診察からスタートし、胸をもみほぐし、私の両脚を大きく広げ、股間に顔を埋めた。私は彼に股間の愛器の淵を吸われると、もうどうにもならなくなった。女性の鋭敏な性的欲求が過激な行為を求めた。斉田医師はその情欲を見取ると、いやらしく笑い、彼の膨張した男の武器を見せてから、突入を開始した。彼の砲筒は何処までも逞しく、ゆっくりと私の中に入り込んで、怒涛の如く暴れ回った。私は攻められ、あられもなく喘ぎ、たちまちにオルガスムスに達し、ベットから起き上がることが出来なくなるほど、痺れた。私は彼の攻撃が終わり、彼が私から離れてからも、濡れたところを曝け出したまま、ベットの上で仰向けになって寝ころび、起き上がることが出来ないでいた。私の極点に達した快感は、行為が終わってからも、超越したまま長く続いた。


         〇

 私は、この巡って来た日本でのアパレル店の開店のチャンスを人に奪われたく無かった。『スマイル・ジャパン』に入社以来、ずっと倉田社長に尽くして来たのに、これからという時に、他の女に介入されるのは、真っ平ごめんだった。その為には、仕事をしたり、遊び回っている倉田社長にしがみついて離れないことが大事だった。私は倉田社長が中学時代の同級生と湯河原への1泊旅行を終えて、出社して来るや、コーヒーを淹れ、倉田社長がいない間に受取った書類を渡した。彼は沢山の書類に一瞬、パニック状態になるが、まずはコーヒーを飲み、それから一つ一つ、書類の案件処理を行こなった。不動産屋からの契約書については一読してから、自宅にいる浩子夫人に、FAXするよう、私に指示した。私は命令に従い、その契約書を倉田社長の自宅にFAXした。その間、倉田社長は引っ越し業者に引越し費用の見積依頼をしたり、中国や韓国からの書類に目を通した。あれやこれやしているうちに、あっという間に昼になってしまった。昼食時、『シャトル』に行き、私は西崎マスターに林優香のことについて質問すると、彼女はあと1年、ここでアルバイトをしながら、日本語学校へ通うという話だった。それを聞いて、私は自分の考え過ぎであったと、ホッとした。『シャトル』での昼食を終え、事務所に戻ってから、倉田社長は中国の『金龍塑料機械』へ送付する招聘状の補填書類、招聘理由書、身元保証書、滞在予定表を作成した。それが出来上がると、その送付を急がれている為、自ら郵便局にEMSを出しに事務所から駆け出して行った。彼が事務所から出て行って、ちょっとしてから、携帯電話が鳴った。私の携帯電話が鳴ったのかと思ったが、そうでは無かった。鳴っているのは倉田社長の携帯電話だった。倉田社長は書類を送るのに慌てていて携帯電話を机の上に置きっ放しで、郵便局に出かけたのだ。瞬間、私の心の中に良からぬ悪意が芽生えた。私は携帯電話が鳴り止んでから、こっそり倉田社長の携帯電話を手にした。そして恐る恐る彼の携帯電話をチェックした。電話は古賀社長からだった。私は電話の他、メールもチェックした。その中に小雪という女からの長いメールがあり、私は驚愕した。

 *冰ちゃんから連絡があり、

 無事、大連に帰ったとのことです。

 社長さんによろしくと言っていました。

 私は今のレストランの仕事をして、

 半年以上になり、

 毎日が忙しくて辛いです。

 私は社長の会社で仕事をさせてもらえないかと

 考えています。

 今の社員は問題があるのではありませんか。

 梨里からの情報によれば

 彼女は、お医者さんと付き合っているようです。

 気を付けた方が良いですよ*

 メールの中の女性に心当たりは無かった。あるとすれば白梨里だ。謎の女、雪ちゃんと白梨里は知り合いなのか。白梨里は何故、私と斉田医師のことを知っているのか。もし知っていたなら私と斉田医師の事は芳美姉にも知られているかもしれない。私は心臓が止まりそうになった。このメールを倉田社長が読んでいるということは、倉田社長は私と斉田医師のことを知っていながら私に、素知らぬ顔をしているということだった。ショックだった。私は恐ろしくなって倉田社長の携帯電話を彼の机の上に戻した。私はどうしたら良いのか悩んだ。10分ほどすると、倉田社長が郵便局から事務所に戻って来た。彼は携帯電話を置きっ放しだったことも気づかず、机に座ると、パソコンに向かい、再び中国や韓国へのメールの送信をした。彼はメールを打ち込みながら、中国や韓国の悪口をブツブツ口にした。それに対し、私が嫌な顔をして、正々堂々と真正面から文句を言えば良いのにと言ったりした。その為、今日も夕方、口論となり、一日の仕事を終えた。2人で事務所を出て、駅へ向かっている途中、急に雨が降って来た。私は雪ちゃんとの関係を探り出そうと彼を誘ってみた。

「昨日、社長がいなかったので寂しかったわ。ゆっくり話したいわ。良いですか」

「ちょっとなら」

 私たちは地下鉄に乗り、東新宿へ向かった。東新宿駅に降りると、雨がミゾレに変わっていた。私たちは寒さを堪え、転ばぬよう注意して、駅から小走りで、『ピーコック』に駆け込んだ。私たちは部屋に入ると、バスルームに入り、バスタブのお湯に浸かり、身体を温めた。それからベットに移動し、裸で抱き合い、身体を温め合った。彼は私を横向きで抱きながら、呟いた。

「昨日見た鎌倉の大銀杏のように、千年も、その雄姿を誇り立ち続けることは、私には出来ない。私が倒れる前に、君は別の大樹の下に行った方が良いと思うが」

「それって、どういう意味」

「私と君との年齢差は40歳。私は昨日倒れた鎌倉の大銀杏のような老木だ。だから、私より、もっと若くて頑丈な大樹のような男の所へ行けということだよ」

「何を言ってるの。いやよ、いや。私の夢は社長と一緒に夢を共に実現させることなんだから」

 私は捨てられまいと、必死になって彼にしがみついた。そして彼と強く強く結ばれた。互いの思いを確かめ合い、燃えに燃えた。すべてのいとなみが恍惚に繋がる悦楽に満たされ、まるで夢幻のようだった。愛の確認を終え、『ピーコック』を出ると、外は大雪。強風に雪が舞い乱れ、まるで私たちに嫉妬して荒れ狂っているかのようだった。


         〇

 数日後の3月11日、木曜日の午前中、私は一人、事務所でアパレル関係の仕事をした。正午にはコンビニに行って、弁当を買って来て、事務所で昼食を済ませた。倉田社長は、午後1番、浩子夫人と新宿にある不動産屋の事務所に行き、賃貸契約書にサインをする為、出社しなかった。私は、この事務所とも、あと数日でさよならするのかと思うと、何となく寂しい気持ちになった。いろんな思い出が蘇って来た。でも倉田社長も私も、共に創る夢の為に、ここから脱皮するのだと思うと、新しい事務所への期待に胸が膨らんだ。私は午後2時、事務所を出て、四谷三丁目へ向かった。愛住町入口通りの『スマイル・ジャパン』が新しく賃借する『中谷ビル』の1階に行くと、既に倉田社長と浩子夫人が、80歳近い家主の中谷婦人と話をしていた。中谷婦人はビルの5階に住まわれているという説明だった。その家主と倉田社長夫婦が契約の話を不動産屋と一緒になって完了するのを私は部屋の片隅で眺めていた。その家主との確認が終わると、不動産屋が手配した内装業者がやって来た。その内装業者との打合せで、私も幾つか意見を言わせてもらった。結果、倉田社長は浩子夫人や私の意見を取入れ、内装業者に店舗と事務所の仕切りのパーテーションとトイレを洋式にする見積もりを依頼した。倉田社長は内装業者に、以前、私が要望した考えに従い、店舗スペースを広く取るよう、パーテーションの位置を指示した。午後3時半過ぎ、私たちは家主の中谷婦人や不動産屋の阿部課長たちや内装業者たちと別れ、先週立ち寄った、三丁目の交差点近くの喫茶店に入り、3人でコーヒーを飲んだ。3人とも、それぞれに描く希望でいっぱいだった。事務所の移転から、移転してからのことなど、あれやこれや語り合った。コーヒーを飲み終わってから倉田社長は横浜の客先へ、浩子夫人は自宅へ、私は事務所に向かうことになった。倉田社長はタイから帰国した越水社長と会うという話だったが、私には疑わしく思えてならなかった。これから雪ちゃんと会うのではないか?私は地下鉄の改札口に入ってから、2人と別れ、赤坂方面に向かう振りをして、2人が新宿方面行き電車に乗るのを確かめて、別の車両に跳び乗った。そして新宿駅に着いてからの2人の行動を追った。2人は地下鉄から新宿駅の西口に行くと、小田急線の改札口で別れた。浩子夫人は小田急線の改札口から中に入って、倉田社長に手を振りながらホームの先の方に消えて行った。浩子夫人を見送ってからの倉田社長の行動がどうなるのか、私は様子を窺った。彼はJRの改札口の方へ引き返しながら、携帯電話を取出し、誰かと会話を始めた。結構、長電話だった。それが終わると彼はJRの改札口に入って、山手線の渋谷方面のホームへと向かって行った。彼が横浜へ行くというのは真実のようだった。私は倉田社長のことを疑った自分を反省した。倉田社長が雪ちゃんと呼ぶ、小雪という女からのメールを盗み見してからというもの、私の倉田社長への疑念が深まり、私は妄想の中に引きずり込まれた。妄想が妄想を呼び、自己増殖を繰り返した。小雪という女の私への不信感を、倉田社長が、どう読み取っているか深読みしてみようとすると、私の彼女への感情は,増々、悪化し、小雪に悪意を抱く被害妄想に陥った。倉田社長は、彼女からの情報を私に確認せず、素知らぬ振りをしているが、その内心は尋常で無いに相違なかった。私は倉田社長の心中を察し、申し訳ないことをしていると思った。しかし私が日本という異国で生きて行く為には、嘘も方便だった。悪女と思われようが、利用出来るものは利用しなければならなかった。自分の持てる魅力を充分に活用し、食べて生きて行く為に、自分に接近して来る男たちを夢中にさせ、騙すことも止むを得ない事だった。他人を傷つけないで生きるには,どうすれば良いかなどという上手な方法を考えてはいるものの、それを失敗なくやり遂げることは難しい事だった。とはいえ、嘘が露見する危険性はあっても、生きる為には、それを実行していくしか道が無かった。そんな私の生き方を、倉田社長は理解してくれているのかもしれなかった。耐え忍び、素知らぬ振りをして、やり過ごしているように思われた。私には、それが辛かった。


         〇

 倉田社長をめぐる女たちには、どうも隠された動きがあるようだった。この間、盗み見た倉田社長のメールに登場した小雪、冰々、梨里の3人は一体、どんな女たちなのか。私は週末の伝票整理をしながら彼女たちのことを想像した。白梨里がメールの登場人物の梨里であったなら、私の情報は桃園から彼女たちに伝わり、彼女たちが倉田社長と知合いなら、私の情報は倉田社長に伝達されるに違いなかった。そんなことを想像すると私は不安でならなかった。今日も私は、そんなことを考えながら倉田社長の日替わりの性格に悩まされた。倉田社長は午前中から、パソコンに向かい無口だった。正午になって、『シャトル』に食事に行っても、彼が喋らないので、私は石川婦人たちと世間話をした。そして午後の仕事を終え、夕方になると、倉田社長は親しい会社の社長たちと銀座で飲むからと言って、一足先に事務所から出て行った。私は、それから中国店の業績表をチエックした。旧正月のお陰で、2月の売り上げは過去最高だった。私は、これから開店する東京のアパレル店も、春麗姉の店のように繁盛してくれるのではないかと、希望を膨らませた。その後、私は部屋掃除をして事務所を出た。地下鉄の電車に乗り、浅草橋で総武線の電車に乗り換え、大久保に行って、下車した。駅近くのスーパーで食料品を買い込み、『ハニールーム』に行った。後は何時ものパターンだった。料理を作り、斉田医師とワインを飲みながら食事をし、それからセックスをした。斉田医師は満足して、大いびきをかいて、ベットで眠り、私は食器類を洗ってから風呂に入った。風呂から出てくると、なんと倉田社長から私の携帯電話にメールが入っていた。

 *こんばんは。

 数日前、私の悪口を言ったようだね。

 うちの社長は助平で甘いから

 私の言うことを何でも聞くって。

 仲間に馬鹿にされているのに

 文句も言わず、私にとっては

 都合の良い人だって*

 私はこれからゆっくり眠ろうとする前の突然、のメールを読んで衝撃を受けた。私が、倉田社長のいない所で、悪口を言っているという苦情だった。だが私は倉田社長に対して、似たようなことを感じ取ったりすることはあっても、口に出して他人に喋ったことなど、一度も無かった。誰かのでっち上げに相違なかったが、そんな告げ口をしているのは、桃園か梨里か。私は怒りの返信をした。

 *誰ですか?

 そんな嘘の告げ口をする人は。

 私は社長の悪口など一度も言ったことが

 ありません。

 誰ですか?

 そんなことを言う人は*

 すると直ぐにまた倉田社長からメールが入った。

 *私は今、銀座から新宿に来て

 歌舞伎町で飲んでいます。

 彼女たちは私の事を

 騙されていると言っています。

 今日は誰と一緒ですか?

 不動産屋の社長?

 それとも、お医者さん*

 倉田社長は、今、小雪という女と飲んでいて、口説かれているに相違なかった。私には合点がいかなかった。雪ちゃんと関係していると私が推測している桃園と梨里は、今、『快風』でマッサージのアルバイトをしている筈だ。倉田社長は、今、どういう店で飲んでいるのか。こんなメールをして来るとは、相当に悪酔いしているのかもしれない。私は心配になった。

 *雪ちゃんと一緒ですか?

 そんな人の言うことなど信じないで

 早く浩子さんのところへ

 帰って下さい*

 そうはメールしたものの、私は現実、『ハニールーム』で、斉田医師と一緒だった。このことは倉田社長に対しての裏切行為となるのかしら。恋愛は自由と言うが、男は女を独占したがり、女は沢山の男たちにもてたがる。だからトラブルが起きるのだ。私は食卓に座ったまま、自分の現在を見詰めた。1時間ほどすると、また倉田社長からメールが入った。

 *今、ホテルにいます。

 家には帰りません。

 新しい事務所を契約してしまったことを

 後悔しています。

 失敗です。

 もう何も考えたくありません。

 ヤダヤダ、こんな人生。

 後のことは、どうなっても構いません。

 ただ、遠くへ行きたい*

 その文面は、切羽詰まった内容だったが、彼が妄想家であることを私は知っていたので、私を悩ませようとしているのだと感じ取った。しかし、歌舞伎町の女たちから私の実体を教えられた彼は、私の本性を知って、怒り狂い、苦悩しているのかもしれなかった。不動産屋の社長とは玉山社長のことか、大山社長のことか?お医者さんとは間違いなく斉田医師のことだ。この男たちについて小雪をはじめとする歌舞伎町の女たちは、倉田社長に、私のことをどのように説明しているのだろう。私は恐怖に怯えた。自業自得といえば、それまでだが、見知らぬ女たちから弱点をつかれ、私には反論のしようが無い現実だった。高潔な倉田社長は、私を信じ、尽くせるだけ尽くして来ただけに、私に裏切られていることを知り、怒り乱れ、メールして来たに違いない。その失意の胸の内はいかばかりかと思うと、私は心臓を締め付けられた。ホテルの一室で、嗚咽する彼の姿が、脳裏を巡り、私は不安と悲しさで一晩中、全く眠ることが出来なかった。


         〇

 土曜日の朝を迎えた。睡眠不足で辛かった。倉田社長はどうしているのでしょうか。私は彼の精神状態が心配だった。私の周辺にいる誰かが、倉田社長を苦しませているに相違なかった。その犯人は誰か。昨夜の倉田社長は、一晩中、女たちに私の事で攻められ、落胆し、人生を放り出したい程、錯乱状態に陥ったみたいだった。それが酒の所為なら、助かるのだが、そうでなければ一大事だった。私は斉田医師と『ハニールーム』での朝食を済ませるや、彼と別れて、大久保から新宿まで歩いた。頭の中は倉田社長の事でいっぱいだった。1人になり、途中にある喫茶店『ドトール』に立寄り、モーニングコーヒーを飲んで、まずは心を落着かせた。その後、倉田社長にメールを送った。

 *昨日、無事に帰れましたか?

 深夜近くになってメールを見たので

 とても心配で、眠れませんでした。

 その後、どうなったのかと思って

 メールしました。

 メールを見たら、返事を下さいね*

 しかし、待てども待てども、彼からのメールは送られて来なかった。心配なので、浩子夫人に電話でもしようかと思ったが、そんなことをしたら、かえって私たちの関係を疑われることになるから、返事を待つしか方法が無かった。時間が経てば経つほど、私は心配になった。2度目のメールを送った。

 *どうしていますか?

 返事が無いので、どうしているのかと

 気になって仕方ありません。

 すごく心配しています*

 しかし、倉田社長から返事は無かった。午後になると心配が怒りに変わった。私は、怒りのメールを送った。

 *こんなに心配しているのに 

 返事が無いのはどういうこと。

 とても悲しいです。

 もうメールしません。

 もし生きているなら

 返事して下さい*

 それでも返事が無かった。私は4度目のメールを送った。

 *生きていますか?

 生きているなら返事を下さい*

 私は不安を抱かえたまま、時を過ごした。夕方近くになり、心細さが増して来る頃を狙ってか、やっと倉田社長からのメールが届いた。

 *生きていますよ。

 心配させてごめん。

 朝帰りで、午前中から死んだように

 ずっと眠っていました。

 今は、夕暮れの公園を散歩しています。

 あれこれ、考えることがいっぱいあって、

 悩んでいます。

 これを春愁というのでしょうか*

 私は倉田社長からのメールを読んで、ホッとした。遠くへ行って自殺でもされたら、私の所為にされてしまうと、ドキドキしていたが、朝帰りしたという知らせに一安心した。誰と一夜を過ごしたかなどということは、どうでも良かった。生きていて良かった。彼が誰かの告げ口により、不誠実な私を嫌悪し、憎悪しているのに、私をどうしたら良いのか、苦悩しているのが痛いほど分かった。私は、倉田社長への情報源として、桃園や梨里が関係しているのではないかと疑っていたので、一日中、無口でいた。そんな普段と違う私のことを桃園が心配した。

「愛ちゃん。アパレルの店を開くって言ってたけど、上手く行っていないの?」

「順調よ。でも割り込もうとする女がいて」

「女?誰よ?」

「倉田社長の女で、小雪っていうの。彼女、私を追い出そうとしているの」

「まあっ、それは厄介ね」

 桃園は私の困った顔を見て、気の毒そうに言った。しかし、彼女は心の中で、私の事を自業自得と思っているかもしれなかった。琳美姉に隠れて大山社長と関係のある桃園は、大山社長から私の事を、どんな女か教えてもらっているかもしれなかった。また琳美から斉田医師のことを知らされているかもしれなかった。倉田社長への情報源は矢張り桃園か。でも、その情報源が桃園だとして、その情報を小雪に漏らして、何のメリットがあるのか?桃園と小雪は、どういう関係なのか?私は思い切って桃園に訊いた。

「桃ちゃん。小雪って女、知らない?」

「知らないわよ」

「梨里ちゃんのお友達に、そんな女いない?」

「知らないわ。梨里ちゃんが、何か関係あるの?」

「分からない。ただ何となく訊いただけ」

「私も梨里ちゃんも、貴女の会社の社長さんを見たこともないのよ。その私たちが、何故、貴女の会社の社長さんの女を知っているというの」

「それは、そうね」

「その様子だと、相当、悩まされているみたいね」

 桃園に同情され、私は一息ついた。桃園は、私の悩む顔をじっと見詰めた。私は桃園に答えた。

「そうなの。昨日、一晩中、その女のことを考え、眠れなかったわ」

「嘘でしょう。彼氏に抱かれて眠る暇が無かったのでしょう。彼氏に夢中になって仕事をちゃんとしていないのじゃあないの。だから社長は、貴女を追い出したいのじゃあないの」

 桃園は意味ありげに言った。桃園の見解は厳しかった。私が毎週、金曜日に付き合っている男と外泊していることに気づいていて、会社では中途半端な仕事をしていると思っているみたいだった。


         〇

 あっという間に、3月も半ばになった。私は月曜日、倉田社長が出勤して来るか心配しながら、出社した。その倉田社長は機嫌を直したかどうか分からないが、9時に出勤して来た。先週末の私とのやりとりなど、全く無かったような態度で、すっかり『スマイル・ジャパン』の社長に戻っていた。倉田社長は、私の淹れたコーヒーを飲み終わると、新しいパソコンの購入から、内装の検討、引っ越しの準備、事務所移転の挨拶状、書庫の手配など、猛烈な勢いで、仕事に取組んだ。また私とは中国店の業績確認を行った後、来月の展示会の準備の進み具合を確認し合った。『スマイル・ワークス』の金久保社長たちとは、会社の備品や書類及び、現在の事務所の明け渡し等についての相談をした。その目的遂行の為に立向かう倉田社長のパワーに私は、ただただ感心するばかりだった。倉田社長から移転決定の知らせを受けると、『スマイル・ワークス』の野崎部長が先ずやって来た。倉田社長は野崎部長に四谷の新事務所の住所や電話番号、インターネットについて説明し、新事務所に持込めない『スマイル・ワークス』の所有物について、書類にまとめて伝達した。それを確認してから、野崎部長は個人の秘密書類などの整理を始めた。私は、その野崎部長の作業の合間に、こっそり野崎部長に相談した。

「野崎さん。倉田社長の知合いの雪ちゃんに会ってもらえませんか?」

「雪ちゃんって誰?知らないな」

「社長の彼女みたいです。陰で私の悪口を言うので困っているんです。一度、話合いたいんです」

「なら倉田に直接、言えば良いじゃあないか」

「社長は雪ちゃんのことを信じて、私のことを信じてくれません」

 私に相談された野崎部長は困った顔をした。私とのことで、私が入社して間もない頃、トラブルに巻き込まれた過去が、彼の記憶に残っていて、私の個人的な問題に関与したくない顔つきだった。しかし、相談され、対応しない訳にはいかない感じだった。彼は小さな声で私に訊いた。

「雪ちゃんて、どんな人?」

「中国人で、居酒屋でアルバイトしているみたいなの。私の全く知らない人なの。背が高いらしいわ。社長の事が好きで、私のありもしない事を告げ口しているから困っているの」

「なるほど。アルバイトをしてない時は何してるの?大学生?」

 野崎部長は倉田社長が付合っている中国人女性が、どんな人物か知りたいらしく、私にいろいろ質問して来たが、細かく説明したくとも、説明することが出来なかった。

「これ以上、細かいことが分からないから、社長から、こっそり聞き出してよ。お願い」

「うん。訊いてみる」

「雪ちゃんの正体が分かったら、雪ちゃんに会って、注意して欲しいの」

 私は野崎部長に懇願した。しかし野崎部長は冷たかった。私から聞くだけ聞いてから、苦笑いして私の依頼を断った。

「俺には出来ないよ。親友の彼女に注意するなんて。それに去年の様に、突然、変な男に電話して来られたら嫌だから」

 私は野崎部長の拒否の言葉を聞いて、去年、斉田医師が野崎部長を脅したというのが事実だったと知った。『スマイル・ワークス』の人たちは、野崎部長にこれらの事件があったことから、私のことを悪女だと疑い、警戒しているみたいだった。私は野崎部長に相談したことを、まずかったと後悔した。そこへ一段落した倉田社長がパソコンから離れて、コーヒーを飲もうと立上がって、私たちに声をかけた。

「何を2人で、ヒソヒソ話をしているの?」

 テーブル席で書類整理していた私と野崎部長は慌てた。倉田社長が私たちに近づいて来ると野崎部長が答えた。

「お前の彼女の話」

「俺の彼女か。親しくさせていただいている女性は数人いるけど、彼女はいないよ」

 倉田社長は野崎部長の質問を軽く受け流して、相手にしなかった。

「そんなことより、昼飯に行こう」

 そこで私たち3人は『シャトル』へ食事に出かけた。その席で倉田社長は『シャトル』の西崎マスターやママや石川婦人や中里女社長たちに事務所を移転することになったと報告した。それを聞いて、西崎マスターはじめ、石川婦人、中里女社長たちが、残念がった。『シャトル』での昼食を終えて事務所に戻ってからの午後の仕事は、本格的な事務所移転準備となった。本棚にあるフアイルのダンボール箱への詰込みは倉田社長が行った。取引先別の順番があるからと言って、私たちに手を触れさせなかった。これらのフアイルが『スマイル・ジャパン』にとっての重要財産だという。私は私で、アパレル関係の書類や在庫品などをダンボール箱への詰込んだ。野崎部長は野崎部長で、事務所に持って来ていた秘密書類等を集めると、午後3時に引き上げて行った。私は、その後、倉田社長と2人で、文房具などの小物をダンボール箱に詰めた。引っ越しの日程は倉田社長と金久保社長の相談で、『スマイル・ジャパン』が先行すると決めていた。従って『スマイル・ワークス』のパソコンや書類や事務用品などは、新事務所に移送するが、それ以外のソフアや食器、掃除機、カーペットなどは、後日、『スマイル・ワークス』の山荘に運ぶことになっていた。倉田社長は、限られた時間内での引っ越し準備に夢中だった。私が話しかけようとしても、彼の態度に拒否反応が見られ、私にはどうすることも出来なかった。


         〇

 木曜日、浩子夫人が引っ越し準備と事務所内の片づけの手伝いに事務所にやって来た。この引っ越しについて、何故か『スマイル・ワークス』の仲間たちは非協力的だった。新事務所を使わせてやるというのに、どういうことか。私は浩子夫人に不平を言った。

「どうして、『ワークス』の人たちは手伝いに来ないのかしら」

「こんな狭い事務所に何人もいたら、引っ越し準備が出来ないでしょう。だから社長の方から、お手伝いをお断りしたのよ」

「でも1人くらいは」

「そんなこと気にしないで、私たちで頑張りましょう」

 浩子夫人は、そう言って笑った。彼女は引っ越し慣れしていて、細かいことに気が付いた。カーテンを外し、ベランダを掃除してから、ダンボール箱の中身が分かるようにダンボール箱にシールを貼り、品名を書いた。また大切なものは荷崩れしないように、紐で縛るなどした。そして昼食時には『シャトル』に行き、新百合ヶ丘の和菓子店から買って来た餅菓子を皆に配り、御礼の挨拶をした。『シャトル』の西崎マスターやママや馴染み客たちは、私たちとの別れを惜しんだ。中里女社長などは、落着いたら、女2人で飲みましょうなどと、私に言ってくれた。私はこれが大都会、東京の下町の人情というものかと涙が出そうになった。昼食を終え、事務所に戻ってから、私と浩子夫人は母と娘の様に食器類などを、仲良く荷造りした。新事務所での夢を語りながら、浩子夫人と仕事をしていると、楽しくて仕方なかった。私は浩子夫人に小雪を採用するのか質問しようと思ったが、浩子夫人が全く知らない事かもしれなかったので、口にするのを止めた。3時過ぎになると、『スマイルワークス』のソフアや食器や掃除機、カーペットなどをベランダ寄りに移動し、新事務所へ運ぶ物との仕別けをした。『スマイル・ワークス』の品物は月末、千葉の菊田輝彦の家の倉庫に運び、その後、長野の山荘に持って行くという話だった。こうして夕方までに引っ越し準備が完了した。私たちは事務所の鍵を閉めて、3人で新宿まで一緒の電車に乗って帰った。私は新宿駅で、これから『小田急デパート』で買い物をするという倉田社長夫婦と別れた。2人はとても仲良しで、倉田社長が時々、口にする仮面夫婦とは思えず、嫉妬さえ感じる程だった。倉田社長は口先で私を愛していると言ってくれてはいるが、矢張り、一等大切にしているのは浩子夫人だった。それを分かっていてか浩子夫人は、倉田社長の浮気など全く気にせず、彼の妻としての自信を持って寛大に振舞っていた。従って私には彼女に勝てる自信など、何処にも無かった。もしあるとすれば、若さと彼の好みの容姿だけだった。私は倉田社長夫婦を見送ってから、デパートには行かず、冷蔵庫にある食料品で、簡単に夕食を済ませようと、マンションに帰った。すると桃園が珍しくカニコロッケと海藻サラダを買って、先に部屋で待っていた。私は衣服を着替えながら桃園に言った。

「今日は早かったのね」

「関根君が友達と飲み会なの。だから早く帰って洗濯しようと思ったけど、雨が降って来そうなので止めちゃった」

「思うように行かないわね」

 私が元気なく、そう言うと、桃園が心配そうな顔をして私に質問した。

「引っ越し日は決まったの?」

「うん。明日、引っ越し業者が9時に事務所に来ることになっているの。午後には新しい事務所よ」

「それは良かったわね。いよいよ力の発揮どころね。私も関根君と早く美容院をオープンしたいわ」

 桃園は関根徹と協力し合って、美容院をオープンすることを夢に描いていた。その純粋な若い2人の夢は美しかった。それに較べ、私のアパレル店のオープンは不誠実なものかもしれなかった。倉田社長というお人好しとの道ならぬ恋を利用し、その後ろ盾を得て中国に『微笑服飾』をオープンして、今回、新宿区内へのアパレル店オープンに漕ぎ着けたことは,ちょっと、狡いやり方かもしれなかった。桃園の笑顔に対し、私は渋い顔をして言った。

「でも自分の力でのオープンじゃあないから」

「何を言ってるの。愛ちゃんに期待しているから、社長さんが、決断されたのよ。小雪とかいう女に負けちゃあ駄目よ」

 桃園は私を食卓に座らせ、カニコロッケを美味しそうに食べながら私を激励した。彼女は『スマイル・ジャパン』のアパレル店オープンが、まるで自分の店がオープンするかのように喜んでくれた。私は桃園の言葉を聞いて、幸せな気分になった。


         〇

 金曜日、明け方まで降っていた雨が止み、私が墨田川近くの事務所に着いた8時過ぎには、青空が覗かれるようになっていた。私が事務所に入り、何時もの様にお湯を沸かすこともなく、ポカンとしていると、倉田社長がやって来た。

「お早う。この事務所とも今日でお別れだね」

「名残惜しいわね」

「うん。いろいろあったな」

 そう言われて、私はこの事務所で働いた約1年を振り返った。入社して間もなく始末書を書かされ、解雇されそうになったり、玉山社長が経営する『ドロップイン』に転職しようかと行動したり、隅田川の花火を楽しんだり、韓国の『南星機械』の展示会の手助けをして、李智姫と親しくなったり、中国に『微笑服飾』をオープンし、そこへの衣服を郵便局から中国に送ったり、スナック『シャトル』で昼食をいただいたり、『スマイル・ワークス』の人たちと忘年会をしたり、いろいろなことがあった。そんなことを回想している私をよそに倉田社長は石鹸ケースやトイレの飾りなど、細々としたものを小箱に詰め込もうとしているのを発見して、私は倉田社長に言った。

「そんな物、捨てた方が良いのじゃあないの」

「これは私の小遣いで買った物だから、私は大切にしたい」

「社長は新しいものが好きなんでしょう。古いものは捨てて」

 私が皮肉を込めて言うと、倉田社長は何かを感じて不愉快な顔になり、私とケンカになりそうになった。そこへ約束の9時ということで、引っ越しセンターのメンバー4人がやって来た。こうなるとケンカなどしていられない。あらかじめ準備しておいたダンボール箱の他、フアイル棚、食器棚、テーブル、机、椅子、パソコンなどを引っ越し業者が、事務所から運び出すのを確認した。倉田社長は1階に降りて、道路に止まっている小型トラックに荷物が積まれるのを確認した。あらかじめ荷物を整理しておいたので、荷物の運び出し、トラックへの積み込みは1時間以内で終了した。そのホロ付きトラックが四谷の新事務所に向かって出発するのを見送ってから、私と倉田社長は簡単に部屋掃除をして10時過ぎ、幾つかの手荷物を持って、押上から四谷3丁目の新事務所へと移動した。私と倉田社長が新事務所に到着すると、浩子夫人が不動産屋に行って事務所の鍵を受取って来るのを引っ越し業者が待っているところだった。11時過ぎ、浩子夫人が事務所の鍵を持ってタクシーで駆け付けて来た。その鍵で倉田社長が貸店舗のシャッターを開け、内側のガラスドアーを開き、1階の貸室に引っ越し業者が荷物を運び入れた。小型トラックを停めている道路から直ぐ前の1階の空き部屋に荷物を運び込むだけなので、荷物の搬入は、あっという間に終了した。引っ越し業者は、荷物の搬入が終わると、倉田社長に荷物の引渡書にサインを要請し、倉田社長が、その書類にサインをした。そのサインをいただくと、引っ越し業者は浩子夫人から飲み物などをもらい、昼前に帰って行った。こんな時なので、昼食は直ぐ近くにコンビニがあるので、そこから弁当を買って来て、部屋に運び込んだ仮置きのテーブルで食べた。午後になると東京電力、NTT、ガス屋、鍵屋などが来て、人の出入りでバタバタした。私は浩子夫人と運び込まれたダンボール箱の荷物を開き、それぞれの物を、倉田社長が作成した配置計画図に従って、指定場所に置いた。あっという間に、夕方の5時を過ぎてしまった。私と浩子夫人はパーテーション工事に立会う倉田社長を新事務所に残して、浩子夫人と先に新宿に移動し、『小田急デパート』の14階の『なだ万』で、引っ越し祝いの食事をした。30分程すると、倉田社長が加わり、和やかな引っ越し祝いとなった。食事が終わると、私たちは『小田急デパート』の1階で別れた。私はその後、『ハニールーム』へ向かった。


         〇

 翌朝、私は、まだ眠っている斉田医師を起こさず、先に1人で朝食を済ませ、食卓の上に、斉田医師の朝食の準備をして、『ハニールーム』を出た。大久保駅から新宿駅に行き、地下鉄丸ノ内線の電車に乗って四谷3丁目で下車した。駅から新事務所まで、5分とかからなかった。今までと格段の違いだった。私は昨日、倉田社長から受け取った鍵を使い、シャッターを開け、続いてガラスドアーを、別の鍵で開けた。部屋の中に入ると、室内のパーテーション工事が完了していた。私はここでアパレル店をオープンするのだと思うと浮き浮きした気分になった。早速、ガスレンジを使い、お湯を沸かして、コーヒーセットの準備をした。そこへ倉田社長の息子、孝明が『ヨドバシカメラ』新宿店のパソコンセット係りの男とやって来た。彼らは新しく買ったパソコン1台と、以前の事務所のパソコン2台の計3台を、店舗内奥の事務所の壁側の事務机の上にセットして、配線工事を行った。私は、その間、ダンボール箱を開け、自分の関係する書類などを所定の場所に収納した。10時になると倉田社長が現れ、『ヨドバシカメラ』の作業員や息子に、ご苦労さんを言ってから、新しく設置した書庫に客先フアイルなどを並べた。昼近くになると、浩子夫人がやって来て、事務所の中は、ごった返した。それに合わせたように『ヨドバシカメラ』のパソコンの設置が完了した。『ヨドバシカメラ』のパソコンの設置係の男は、作業が終わると、倉田社長のサインをもらって帰って行った。一段落したところで、倉田社長と息子、孝明がパソコンの無線ランや掃除機を購入する為、新宿へ出かけて行った。その間、私と浩子夫人は近くの中華料理店で、マーボ豆腐の定食を食べた。そして午後は浩子夫人に食器戸棚の整理をしてもらい、私はアパレル関係の必要器具のリストアップをした。何処に更衣室を設け、何処にマネキンを置こうかなど、あれやこれや考えた。この店舗は以前、パン屋だったということで、天井の照明は明る過ぎる程で、アパレル店には充分だった。午後2時過ぎ、倉田社長と孝明が掃除機などの入ったダンボール箱をタクシーに乗せて帰って来た。浩子夫人は早速、その掃除機を使って事務所内の掃除を開始した。彼女は本当に綺麗好きで、細かな所まで丁寧に掃除機をかけた。彼女は前の事務所にいた時から、事務所へ来ると必ず掃除をした。私が気にすることなど、お構い無しに、良く働いた。私がしますからと言うと、何時も、こう答えた。

「私のやることって、これくらいしか無いから」

 私は中身を取出し、空になったダンボール箱を折りたたみ、部屋の片隅に積み重ねた。後日、引っ越しセンターの係員が、引取りに来るという。午後4時過ぎになると、私も浩子夫人もやることが無くなった。しかし倉田社長と孝明は、無線ランの立上げに四苦八苦していて、直ぐに終わりそうで無かった。倉田社長が私と浩子夫人に言った。

「2人とも先に帰って良いよ」

「なら、私と愛ちゃんは、お先に帰るわね」

 浩子夫人はパソコンのメールの立上げに奮闘している2人に、そう言って、私と一緒に帰路についた。私は浩子夫人と四谷3丁目駅に向かいながら、彼女の息子、孝明に関する質問をした。

「孝明さんに恋人はいるのですか?」

「数年前にはいたみたいだけど、今はいないみたい」

「親に紹介しないだけではないのかしら」

「だと良いのだけれど・・・」

 浩子夫人は倉田社長と同じで、息子の孝明が可愛くて可愛くて仕方ない感じだった。アメリカ帰りの孝明は、何故か私には堅苦しくて近寄り難い存在だった。私と浩子夫人は、そんな孝明の話を地下鉄の電車に乗ってからも話し続け、新宿駅で別れた。


         〇

 新しい四谷の事務所への通勤は30分あれば充分なので、とても楽だった。日曜日にゆっくり休息し、月曜日の午前9時に新事務所に出勤するや、私はアパレル店のことを考えた。倉田社長親子の努力により、事務所の準備は、ほぼ完了したというのに、私が担当するアパレル店の恰好が、まとまっていなかった。不要になったダンボール箱を折りたたみ、店舗フロアーの片隅に積み重ねて置いていたのを引っ越しセンターの係員が、来週、引取りに来るといっていたのに、引取りに来ないので、あらかじめ仕入れておいた衣類を開梱することが出来ず、私はイライラした。また店の看板も、これからの手配で、何時、開店セールをすれば良いのか、決められなかった。私はイライラして試着室用カーテンを天井から吊ろうと1人で試みた。だが上手く行かなかった。倉田社長は事務所での仕事の傍ら、私がガタガタしているアパレルコーナーに顔を出して、私に意見した。

「そんな物じゃあ駄目だよ」

 倉田社長は他人事のように私の手配した試着室用カーテンが、この店舗には不適切だと批評した。私は、自分がコストを抑えて手配した試着室用具にケチをつけられ、倉田社長に嚙みついた。

「社長は、そう仰るけど、私は必要最少限の費用で済ませたいと思って、これを手配したのよ」

「君の気持ちは分かるが、やるからには、お客様がゆったりした気分で、自分の試着した姿を鏡に映して、クルクル回って、見られるようにしないと駄目だ。君が手配したものは小さ過ぎる」

「そんなの場所は取るし、費用がかかって無理よ。このカーテンレールを天井に取付けられれば済むことよ」

「駄目だ。天井に重量をかけることになる。私が別の方法を考える」

 倉田社長は、私が手配した試着室用カーテンの天井取付けを許可しなかった。白一色で統一されている店舗内に、ブラウンのカーテンも不似合いだと指摘した。私はカッカした。

「折角、私が手配したのに、何故、許可してくれないの」

「試着室のことは、私が設計し手配するから、君は展示会のことに専念してくれ」

「何を言うの。アパレル店のことは、私に任せると言ったじゃない。もしかして、雪ちゃんに頼む積りじゃあないでしょうね」

「そんな積りは無い。雪ちゃん、雪ちゃんて君は言うけど、そんな他人のことなど考えず、自分の仕事を、ちゃんとしてくれ」

 普段、大人しい倉田社長に、きつい形相で、ぴしゃりと言われ、私は反論出来なくなった。くやしくてくやしくて、涙が溢れそうになった。そこへトイレを和式から洋式に改造する為の工事業者がやって来た。従来の和式トイレの上に洋式便座を設置し、ウオシュレット可能にして、一昼夜すれば使用出来ると説明して、工事を行った。その工事業者が午前中に工事を終えて帰ってから、私と倉田社長は駅近くにある定食屋に行って、焼き魚定食を食べた。午後になると倉田社長はアパレルコーナーのパーテーションの寸法やドアー寸法、隣りのエステ店の看板の寸法などを測定した。それから、その寸法図書類をビジネスバッグに入れながら、私に言った。

「これから、打合せに出かける。多分、戻らないから、後をよろしく」

「何処へ行くのですか?」

「近くのお客様の所へ挨拶に行く。何かあったら携帯に電話して」

 新事務所スタートの日なのに、突然のことなので、私は唖然とした。こういった倉田社長の突然の行動はよくあることなので、慣れてはいるが、何故か気になった。まさかアパレル店のことで小雪の所へ行ったのではないかなどと、良からぬことを想像した。私は初日から新しい事務所に1人残され、寂しい気持ちになった。結局、3月末までのアパレル店の開店計画は望めそうになかった。でも私は落胆しなかった。一歩一歩、前進していることは確かだった。私はアパレル店の開店を夢見て、いろんな想像を駆け巡らせた。そんな時、事務所の電話が鳴った。恐る恐る受話器を取ると電話の相手は『スマイル・ワークス』の金久保社長だった。

「倉田いるかな」

「先ほど出かけました」

「なら電話があったら、『ワークス』の事務所の引渡しを済ませたので、何時もの『大ちゃん』へ行っていると伝えてよ」

「はい。分かりました」

 私は電話を切るや、その旨を倉田社長にメールした。倉田社長は直ぐに了解の返事をして来た。今日、戻らないからと言っていた理由が分かった。私は、1年間通ったあの事務所が、今日で過去のものになってしまうのかと思うと、名残惜しい気がした。『スマイル・ワークス』の人たちも、多分、私以上に心に残る思い出として、後日、あの事務所を懐かしむことでしょう。


         〇

 4月が到来。倉田社長は新入社員2名を採用しようかと考えていたらしいが、事務所移転に費用がかかるということで、今年度の新入社員の採用を断念したらしい。従って、今日から、また浩子夫人と3人で頑張らなければならない。ようやく桜の花も開花し心機一転、頑張ろうという気持ちになった。四谷3丁目の新事務所に出社して、パソコンに向かっていると、倉田社長と一緒に浩子夫人が出社して来た。コーヒーを飲んでから倉田社長は、浩子夫人と私に伝えた。

「年度初めなので、一言、挨拶します。一般企業では今日が入社式です。新入社員を迎え、社長が新年度の事業計画を社員に伝える日です。まだ我社には新入社員を迎える力はありませんが、小粒ながら、4月から事務所を新宿に移し、産業機械部門とアパレル部門の2部門を車の両輪として前進することになりました。産業機械部門では中国の機械メーカーとの展示会が来週に差し迫っています。その資料準備が未だ中途半端です。今日から展示会が終わるまで、人数が少ないので、これにかかわる業務に専念して下さい。アパレル店の開店については、その後、私も参画し、早期にオープン致します。そして、1年間、一致団結して頑張りましょう。以上」

 倉田社長が展示会の話から始めたので、私は一瞬、アパレル店のことはどうなるのかと思ったが、冷静に考えれば倉田社長の言う通りだった。倉田社長は挨拶を終えると、展示会の時、来場者に配布する資料をコピーし、紙封筒に詰めるよう浩子夫人と私に命じた。浩子夫人と私は倉田社長がコピーした資料を封筒に入れる作業をしながら、アパレルの事ばかりを話し合った。それが面白くないのか倉田社長は昼食時になると、そのまま客先に挨拶に行くと言って事務所から出て行った。私と浩子夫人は近くの中華料理店に行き、肉野菜イタメ定食をいただきながら、世間話をした。私が、先日、事務所のパソコン設置の手伝いに来た彼女の息子、孝明のことを質問すると、彼女は得意になって息子の自慢話をした。しかし、息子の結婚の話になると、理想の相手がいなくて困っていると暗い顔をした。多分、本人が理想の女性を求め過ぎているに違いなかった。私は言ってやった。

「大丈夫ですよ。きっと良い人が現れますよ」

「私は息子の嫁をもらうなら、健康で明るくて、料理が上手であれば、それで良いの」

 浩子夫人は息子の嫁は教養や容姿が端麗でなくても良いというのだ。一般的に母親は綺麗で知性的でスタイルの良い裕福な家庭の女性を嫁にと考えるようだが、浩子夫人は違っていた。とはいえ、孝明がそう考えているかは分からなかった。浩子夫人のような女性を求めているのかも知れないし、丈夫で肉体的で笑顔の絶えない家庭的な女性を求めているのかも知れなかった。そんな会話をしての、昼食を終えて、事務所に戻ってからは、私たちは余り会話もせず、仕事の追い込みにかかった。4時近くになり、展示会の配布資料が、五百部程、出来上がった。浩子夫人とホッと一息ついたところに倉田社長が戻って来て、私に言った。

「愛ちゃん、お疲れさん。先に帰って良いよ。後は浩子さんと戸閉めをして帰るから」

「本当ですか」

「社長が、そう言っているのだから早く帰りなさい。いろいろやることがあるでしょうから」

 浩子夫人も、私が先に帰ることを、明るく勧めてくれた。私は2人の言葉に甘えて、一足先に事務所から出て地下鉄に乗り、新宿に行き、JRに乗り換え、大久保駅へ行った。駅近くのスーパーで食料品を買い、『茜マンション』に行き、『ハニールーム』で、斉田医師が来るのを待った。その斉田医師は6時半過ぎに、『ハニールーム』に現れた。私たちは何時もの様にビールと赤ワインで乾杯した。それから私が準備した料理を食べながら、今週1週間にあったことなどを思いつくままに話した。その後はベットに移動し、裸になってじゃれ合った。斉田医師は何時もの様に上半身から診察を始め、それから下半身へと顔を移動して行き、股間をペロペロ舐めながら私をからかった。

「いやらしいな。もう、こんなに濡れているよ」

「自分だって、こんなに太くなっているわよ」

 私は彼の股間の物を手で掴み言い返してやった。そして直ぐにしごきに入り,彼を興奮させ、からかった。

「どう気持ち良い?」

「ああ、気持ち良いよ。そのやり方、たまらないよ」

「そう。そんなに気持ち良いの?」

「ああ、もう入れるよ」

「まだ早いわ。もう少し我慢して」

「我慢出来ない。ああっ、行くよ!」

 斉田医師は、そう叫ぶと突然、私の上にのしかかり、太く燃えた男根を挿入して来た。私は両脚を大きく開いて、彼の燃える男根を受け入れた。彼は懸命に私を突き続けた。私は悦びのため息をもらしながら、アパレル店オープンの事を考え続けていた。


      〈 夢幻の月日⑬に続く 〉


       


 



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