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風誘う唄 ─天使の万能薬─  作者: 白河マナ
10/10

第0話 3/3


 重ねられた現実が過去になり、『今』という存在しない時間のカタチを創る。

 切り倒された樹木が切り株になってもなお新芽を宿すように、傷ついた人の心もまた時を経ることで、新たな想いを抱き、育む。


 少年に二度の絶望を与えた、万能薬ソーマ。

 皮肉にも、少年が心を取り戻すきっかけになったのもこの薬だった。




 アースの姉シーラが死んでから2年が経とうとしていた。

 季節が巡り、少年の背が姉のそれを追い抜いてしまっても、街並みはほぼ変わることがなかった。しかし、人の心は年を負うごとに変わっていく。


 神。

 或いは、己。見えない何か。


 人々は各々が信じる絶対的な存在に願う。

 不幸が終わるように。今の幸せが壊れないように、と。




 年月はアースから胸の痛みを取り去ったが、その傷跡を消すには至らなかった。夢の中。ふと見上げた青空の中。温かいシチューを飲んでいる時でさえ、時折アースの脳裏に姉の姿が浮かんでは消えた。そんな時、あらためて傷の存在に気づく。


 そして、思い出す。

 自分には大好きな姉がいて、死んでしまったことを。


 どんな時も自分のことを考えてくれていた、優しい姉。

 その姉に対して、何もできなかった自分。


 偽物の薬。

 薬があれば救えたのに。


 アースは、過ぎてしまった過去を悔やみ、現実を恨んだ。なにをどうしたらいいのか分からず、ただ生きているだけの毎日が続いた。

 そんなアースが、記憶の中でもう一つの大事な存在が薄れていっていることに、気づくはずもなかった。





「俺と仕事をやらないか?」


 ガットと名乗る男から誘いがあったのは、ある風の強い日。


「仕事ならしている」


 窓を拭く手を休めずに、アースは答える。街の外れにある教会の掃除がアースの仕事だった。これは元々シーラがしていた仕事のひとつだ。


「教会の掃除なんてのは、男がやる仕事じゃねえ。女に任せときゃいい」


「それでも俺の仕事だ」


 先ほどよりやや強い口調でそう言い、黙々と掃除を続ける。


「ソーマって知ってるか?」


 手を止め、振り返るアース。

 怒りを露わにガットを睨みつけた。表情にはそれとは他に、なぜ知っているんだという、男に対して逆に問いただすような感情が含まれていた。


「天使の翼から作る万能薬のことだ。お前が知ってるかは知らんが、べらぼうな値段で俺らのような人間が買えるもんじゃねえんだ。だがな、」


「……エルムのことか?」


 最近、ソーマを今までの1割ほどの価格で市場にさばいてる組織があらわれた。その組織の名がエルムというのをアースは知っていた。


「知ってるなら話が早い。その組織で、天使を狩る仕事をやるヤツを集めているんだ」


「それで?」


「いい金になる仕事だ。それに、天使の翼っていう高価なものを扱う仕事だからな。それなりの信頼関係をお互いに築かにゃいけねえ」


 ガットは一呼吸おいて、


「家族を病気で亡くした人間ってのが、エルムの提示した仕事に就くための資格だ。お前は、その条件を満たしている」


 僅かにアースの肩が震えた。


「考えたことないか? お前の姉ちゃんと同じ病気で、同じように苦しんで、死を待つだけの人たちがいるってことを」


「……そいつらで罪滅ぼしでもしろっていうのか?」


「どんな気持ちで仕事をしようがお前の勝手だ。まあ、それがエルムの意図するところだと思うがな」


 姉と同じように、苦しんでいる人がいる。

 やせ細った身体で。

 折れそうなほどに細くなってしまった腕で。

 嘔吐を繰り返し、眠れない夜を送っている人たちがいる。


 その当たり前の事実は、アースの表情を一変させた。

 呆然としているアースを無視するように、ガットの言葉は続く。


「自分だけが不幸で、自分だけが惨めな思いをしてると勘違いしてねえか?」


「……」


 言い返すことの出来ないアースの口から出たのは、


「どうして姉さんのことを知っている?」


 という疑問だけだった。


「会ったことがあるからさ、この教会で。葬式にも参加した」


「……そうか」


 済まない、と付け加えた。


「いや、お前の姉ちゃんには何かと世話になったからな。それより、今の話を考えておいてくれないか?」


「……」


「天使狩りってのは、家畜を殺したりすることの比じゃねえくらい汚ねえ仕事だ。人間とそっくりな奴等を捕まえて、翼を引きちぎるんだからな」


 強い風が教会の壁を叩く。

 どこからか入ってきた風が、二人の髪を揺らした。


「だが、それで人間がひとり救える」


「なんで、」


 アースは震える声で、


「あの時じゃなくて、今なんだよ……」


 瞳に哀しみを湛えながら、胸の内のすべてを絞り出すように呟いた。

 ガットは床に落ちた雑巾をアースに手渡し、考えておいてくれともう一度言い、背中を向けた。


「丘にある家、早く買い戻してやれよ」


 ガットは最後にそう言い残して、街へと帰っていった。

 数日後、アースは天使狩りの仕事に就くことになる。






 ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇






 消えていく、ひとりの少女との記憶。

 忘却の果てにあるもの。

 それは、いずれやってくる回帰を予期させるものだった。





 月光を受けた腕飾りは、神秘的な光を放っていた。

 シーラはベッドに寝たままの状態で、天井に腕をかざしている。腕を回転させると、光の残像が浮かびあがり、それが綺麗で何度も繰り返していた。



「……あ」



 どくん、と心臓が大きく鳴った。その自分の鼓動に驚いて、シーラは声をあげる。

 アースは何事かと見やった。



「……なに……これ」



 弱々しい口調でシーラが呟く。

 少しでも動いたら、頭に飛び込んできた映像が壊れてしまいそうだった。



「女の子……が……」



「一体、どうしたんだ?」



 心配したアースが手を取ると、不思議とシーラの頭に浮かんでいる映像が鮮明になった。

 温もりが腕を通して、身体を伝い、胸に届く。



「わからない、わからないけど……」



 話の内容を訊くアースに、シーラは目をつむって語り始めた。

 音のない、瞼に映るイメージをそのままに。






 見えたのは、ひとりの少女




 もう一度、大好きな少年の笑顔が見たくて




 何かをしてあげたくて




 でも待つことしか出来なくて




 少年の願いは、少女には叶えられない願いで




 何もできない自分の無力さを恨んで




 冷たい雨に打たれながら




 祈りさえすれば、願いは必ず叶う




 そう、信じて




 命が尽きるまで祈り続けた少女がいた




 そんな少女の、悲しい物語──






 シーラは、少女の見たもの、感じたものの全てを言葉にした。

 話している途中から堪えきれなくなり、シーラの頬を涙が伝った。視界を覆う映像と少女の想いが、胸を締めつけた。


「悲しい話だな」


 無言だったアースが口を開いた。


「……うん」


「もしかしたら、その女の子はお前なんじゃないのか? 記憶が戻ったとか?」


「でも、翼が生えてなかったし……」


「そうか。……男の子の姉さんはどんな人だった?」


「それがね、彼女の顔だけがはっきりと見えないの。男の子は、アースに少し雰囲気が似てるかな」


「……」


「ねえ、アースにはお姉さんがいなかった?」


 冗談半分で言ったシーラの質問に、答えは返ってこなかった。

 黙っているアースに、そっと唇が重ねられる。しばらくの沈黙の後、


「『今』は嫌い?」


 優しい笑みを浮かべ、天使の少女が問う。


「……いや」


「だったらいいじゃない」


 再び、シーラが子供のような無邪気な笑顔を浮かべる。


「それより明日、街に行かない?」


「いいけど、買い出しに行ったばかりだろ」



 腕輪を見せるシーラ。

 それをアースが手にとってみると、一番大きな黒い石が欠けていた。

 はぁ……と、ため息をつくアース。


「いつかやると思ってたけどな」


「……ごめんなさい」


「いいよ。それって、最後にタダで貰った石だろ?」


「うん。魔法の石……」


「そういえば、そんなこと言ってたな。魔法どころか、買ってすぐに割れるくらいだからやっぱりニセモノだったな」


 と、アースは笑った。


「まあいいか。とりあえず、明日あの店に行こうな」


 シーラは、元気よく頷いた。


「……あ」


 再び、シーラが声をあげる。


「今度はなんだ?」


 シーラは、店の主人との会話を思い出した。






 ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇






 『すみません、魔法が込められていると言ったのは嘘です』


 『やっぱり。本で読んだことがあるけど、魔法の石ってすごく高価なんでしょう?』


 『はい。ですが、その石は実際のものと同じです。ただ、魔法が込められていなければ高いものじゃありませんので』


 『……そうなんだ』


 『はい。それをするのは、あなたですから』


 『えっ?』


 『知っていますでしょうか? 魔法は、誰にでも使える可能性があるのです。もしかしたら、あなたにもその資質があるかもしれません』


 『ほんとに?』


 『ええ、本当です。ですから、たまにその石に祈りを込めて下さい。あなたの願いが神へ届くかもしれません』


 『なんだか夢のある話ね』


 『そうでしょう? 叶わない祈りを捧げるよりはずっと……』


 『わかったわ。やってみる』


 『石が割れることを願っていますよ』


 『……?』


 『願いが叶ったとき、その石は割れてしまうんです』






 ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇






 今夜も世界中の祈りが天へと昇る


 それらの殆どは風に流され 闇夜に溶けてしまう




 僅かな願いだけが残り 星の下で待つことができる


 気まぐれな天使に集められ 神のもとへ運ばれるのを




 祈りの言葉は 天からの眩まばゆい光を受け 音を生む





 素晴らしい旋律が




 風を求め (うた)として 響き渡る




 それはまるで 天使たちを導く風を 誘うかのように



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