雲隠
「……ナ、アリナ! どうしたの? 起きてアリナ」
漸くアリナの意識が戻ってきたのは、夜闇が明けた数刻後だった。
「あ。ロッティ、おはよう」
思考が上手く回らないまま反射的に挨拶をする。
近所に住む幼馴染のシャーロット・テイラーは、横たわったアリナの身体のすぐ横で膝を地面に立てて、色白の細腕を延べてアリナの両頬を包むようにして顔を覗き込んでいた。
シャーロットの表情が醸し出す不穏な空気と、その背後にある普段の目覚めで見るはずのない曇天に違和感を覚える。
「おはようじゃないでしょ、アリナったらもう! はやく起きて!」
「うん、わかったから手どけて……」
長年の幼馴染というものは優しく、その手を頬からアリナの手へと運び、引っ張り起こすようにしてくれた。
くらくらと酷く目眩がするのを我慢し、引っ張られるに従ってなんとか上体を起こし、安定させる。
一度視界がじんわりと暗くなった後、またじんわりと戻ってきた。
血の巡りは至って正常なようだ。
(……あれ。何であたしはここにいるの? 何があって、こんな所で寝て)
「ああ、そうだロッティ! 奴がいたの! それで、それで父さんと母さんが」
「どうしたの、そんな必死に。昨日の夜、森からすごい音がして、今朝見にきたらアリナ倒れてるし。それに」
何を知ってか、どこか悲しげな目をして言う。
「アリナの右目の色、変わってるよ」
アリナを一回り小さくしたような風貌のアンナは、ぴょんぴょんと無邪気に飛び跳ねながら帰ってきた。
よっぽどお泊まり会が楽しかったのだろう。
まだ九歳と幼く、酸い味なんて知らなくても良いはずの幸せそのものの顔を、今、自分のせいで壊してしまわねばならない。
この現実は、十二歳の少女にとっては苦しいものだった。
シャーロットは呪怪について詳しく、森にいた両親を見つけるまでに色々と教えてくれた。
「呪怪が初めて発見されてから、想呪症候群に0から5のステージができたの。1から4には多かれ少なかれ寿命に影響が出るわ。
0は当初と同じ。1は目、細かく言うと虹彩の色が薄いピンク色に変化するの。アリナはたぶんこれね。
2は視力の低下で…… ところで、いつになったら着くの?」
シャーロットは弱々しいとまでではないが、小さな声で話す。
「わかんない。けど、そんなにかからないと思うよ。続きを聞かせて…… ああロッティ、足元気をつけて!」
少々不注意なシャーロットには森で歩く分にも危険だ。
けっつまづいたり、今みたいに、でかいアオダイショウを踏みかけたりする。
「ひゃっ! 危なかった、ありがとう。3は……なんだかよくわからないんだけど吐血したり、血の涙が出たり、まあ……血が出るの。4は完全な失明で」
説明を聞いている間に、横たわった両親の肉体を見つけた。
サイモンの発動体はアリナのように杖ではなく短い鞭のようなもので、本人が丹精込めて作った力作である。
それ故本体はかなり丈夫な筈だが、その丈夫な発動体は先端の方から裂けていた。
マーガレットの発動体は杖で、効果が出る杖先の方を中心に粉々に砕けていた。
不自然に開いたままの二人の虚ろな目は、桜色よりもずっと薄いくらいのピンク色になっていた。
そっと、二人の手に触れる。
「最後のステージ5はね」
嫌だ。
聞きたくない。けど聞かなくてはならないんだ、きっと。
昨日まで、あんなに、あんなにあたたかかったのに。
冷たくなっている手を握りしめる。ぼろぼろと涙が溢れ出す。
唯一の友シャーロットは、アリナに寄り添い、ただ悲しそうに見つめていた。
「……即死、よ」
弱々しい声が意味したたった二文字の言葉が非情にも少女の運命を宣告する様を、もう一人の少女のエメラルドの瞳は哀しげに見届けた。
アンナは、話を聞いても全てを理解するには及ばなかったようだが、突然突きつけられた事実に呆然とするばかりであった。
広い空間に、たった二人。
感傷を互いにこめるように、ぎゅっと手を繋いで家に帰る。
ダイニングには冷めた食卓が放置されていた。
母の最後の料理を、姉妹で静かに食べた。
悲しくてきっと味なんてしないだろうと思っていたが、料理のひとつひとつに温もりが残っており。
当たり前に存在した日々の大切なもの全てを守れなかった事なんて忘れてしまうくらいに、すごく美味しかった。
けれどもやっぱり寂しかった。
補足します。タイトルの読みはくもがくれで、ロッティはシャーロットの愛称です。わかりづらくてすいません。
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