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ルーニャ

 研究室の窓から賑わう宵町を憂いを帯びた眼差しで眺めるマシュー・オルセンの姿には、いかにも煙草や煙管の類が似合いそうな雰囲気が漂う。

 とは言っても、本人は喫煙を心底嫌っているのに加え、研究室の呪怪に関する大事な資料に臭いがついてしまってはいけないため、その光景が現実になることはあり得ない。


 街の灯りが煌々と照らす内の一つが、徐々に拡大するように見えるのを確認する。


「おお。アリナの初試合、漸く終わったか」


 戦力を測るためアリナのデュエルの成果を知りたがったマシューだが、競技場の喧騒はどうも受け付けないらしく、教え子にその連絡を頼んだらしい。

 研究室の方へ近づいてきた光は通信機としての姿を現わし、差し伸べたマシューの指先で再生された。


『先生、こちらルカ・ガルシア。アリナ・ノアの準備は整ったようです』


 蓄音機のような音質で音声が流れ終わると、役目を終えた通信機は元の姿に再変化した。


「うわっ! あの馬鹿野郎、丁度其処に居るからと亀虫なんか使いやがったな……。まあ良い、兎にも角にも戦力は把握できたさ」


 一仕事終えた虫を外へ逃し、一応指先の臭いを確認しているその瞬間、突然何者かが研究室のドアを開いた。

 弩にでも弾かれたようにドアの方へ振り向くと、そこではサラ・サリヴァンが深刻そうな面持ちをしながら肩で息をしていた。


「如何したんだ、サリヴァン。君は慌てて息が上がる様な生徒ではないだろう」

「そんなことは、どうでも! ただ私、お伝えしなきゃと……奴が」


 奴、という言葉で全てを察したマシューの表情は一変する。

 年齢不相応に取り乱した怒声に近い声でサラを問い詰める。


「何処だ! 他のメンバーに連絡は⁉︎」

「グラウンドの森に面した所です! 呼べる他のメンバーはエヴァン・モンゴメリーだけで、しかも連絡先が分からなくて……その、居合わせたアリナが一人で……」


 怒りとも呆れともつかない感情がどっと湧き出る。

 マシューにとって呪怪とは資料の上でしか知り得ないものであったが、それだけでもその恐ろしさは大きなものである。


 そんな存在にたった一人で対峙するのが年端も行かぬ痩せっぽっちの少女とは、なんとも不幸なことか。

 このままで危ないのはアリナの命である。


「全く……仕方ない。私も向かうから、君は早く戻って援護してやれ」

「えぇっ……先生も一緒にいらっしゃらないんですか?」


 悪気のない無垢な声が、マシュー及びオルセン一家のコンプレックスを刺激する。


「残念だが、我が一族は浮遊すら出来っこないんだ。先に向かってて呉れ」


 それを聞くや否や、サラは同情とも軽蔑とも取れる眼差しを向けた。

 それを向けた当の本人はそれを隠し切ったつもりでいるようだが、その哀れな身の上故に人の顔色を読みすぎてしまうマシューには明らかだった。

 オルセン一家は先祖代々この侮蔑の眼差しを受けて生きる運命にあったのだが、それは一体いつの頃からだったのだろう。

 思案するに従って生まれた心の傷は、更にマシューを魔法から遠ざける。


 不安げに窓から飛び立ったサラを見送ると、マシューは軽くアキレス腱を伸ばした。

 そして一度深く息を吸うと、現代の魔法使いにはとても不可能なほどの俊足で、研究室から駆け出た。

 ハロウィンの夜の校舎内など、ぶつかる心配をするほどの人影もない。

 決して近くない祖先によって負わされた罪のために、長らく研究室に縛られてきたマシューにとって、己の()()()()を解き放ったこの瞬間は、わずかに彼の心の傷を癒した。





















 初戦を終えたアリナは沈黙したままルカの佇まいを見つめていた。

 ハロウィーンという日にかけられた呪いのせいだろうか、今日という一日は出来事の多すぎる日だ。

 これらの精神的重圧がアリナの口を固く閉ざしている訳だが、これには他の理由もあった。


 アリナと同じく沈黙を貫きつつはにかんだような微笑を湛えた少年の顔の印象は、彼女にとってはどこかぼんやりとしていた。

 スラブ系のやや中性的な目鼻立ちに、柔和な表情。

 眼鏡を外したことで顕になった薄紅色の虹彩がアリナの心を痛めるが、顔の構成要素としては確かに美しい。

 絶世の美男子と言う程ではないが、その神の慈愛を象徴していると言っても過言でない出立ちは、一部の女子生徒の人気を集めるには十分なのかも知れない。


 ただ、アリナの目には麗しき少年として映らなかった。


「あ……ねぇルカ、マシューに報告に行かなきゃ」

「そうだね。今は研究室にいるはずだから——」


 長過ぎる沈黙に居た堪れなくなったアリナの呟きに()()()()()()で応えたルカの声はすぐに止んだ。

 微笑が少し崩れ、驚いたような目でアリナの背後を見ている。

 何かと思い振り返ると、これまた音速の如くアリナに向かって飛んでくる何かが——否、今度ははっきりと人だと分かる、誰かの影が見えた。


 アリナはその人影から敵意を感じ取り、咄嗟に身を屈めて回避した。

 人影はその頭上を通過した直後、着地してアリナに向き直り、ひと睨みの眼光を突き刺した。


「アレックス⁉︎ どうして此処に……?」

「どうもこうもあるかよ!」


 額に血管を浮き上がらせたアレックスは怒号を響かせると、情け容赦もなくアリナの髪を掴んだ。


「ちょっとアレックス。そんなことしちゃ駄目でしょ」

「五月蝿ぇ、お前は黙ってろ」


 傍観するしかないルカでも、乙女の絹糸のような御髪がぞんざいに扱われるのはいただけなかったようで制止に入った。

 だが、髪の管理は妹のアンナが殆どしていたため、当の本人は別に良いよとでも言わんばかりにルカの目を見た。


「お前のせいで、大事な大事なグラウンドの芝生が台無しになっちまっただろうがよ。これだけ丁寧に管理してんの、誰だと思う?

俺ら生徒だよ。貴重な時間使って、毎日毎日。どう責任取るんだよ」


 何をそこまで激怒して来たかと思えば、これである。

 確かに体育学部のアレックスにとって、グラウンドは大切な活動場所の一つなのだろうが。

 拍子抜けしたアリナは、呆れたとため息を吐いた。

 アレックスの背後に目をやると、ルカも若干の困り眉であった。


「あのねぇ、アレックス。芝生をダメにしちゃったのは、申し訳ないんだけど。こちらとしても教授の命令だし、人の命を守るためだからさぁ」

「んなもん、知るか。甘ったれたこと言うんじゃねぇ」


 そう吐き捨てるように言うと。


「えぇ……? その構えは」

「ああ。決闘(デュエル)しようぜぇ、アリナ。一発ぶち込まねぇと気が済まんわ」


 アレックスがした構えは、彼特有のデュエル中の構えである。

 この申し入れを承諾すれば、アリナの本日三戦目の戦いが始まることになる。

 面倒なことこの上ないのに加えて、そもそもアリナ側は拒食症故に戦闘できるほどの体力が残っていない。

 だがアレックスの般若のような顔を見るに、辞退できそうな喧嘩ではなかった。


「アリナ。こんなの本気にしなくていいから」

「ううん、いいよ。なんとかして」


 心配するルカに返答する真っ最中、瞬時に水魔法を繰り出しアレックスを拘束した。

 人は会話の途中の攻撃は想定しないとどこかで聞いたが、どうやら本当だったらしい。


「!?」


 アレックスは慌てふためいて抵抗しようとするが、彼の発動体である硝子球はさっさと消火されてしまう。


 水は火よりも強い。


 青ざめるアレックスに接近し、その身体をいい塩梅に抱えると拘束を解除し、その次の刹那。


 アリナの身一つでできる必殺技、スープレックス(主人公補正)により決着した。


「一瞬で終わらせたから」

「……一体、如何いう状況なんだ?」


 この場に先程までなかった落ち着いた低音の声の主の方を見ると、息を荒くしたマシューが目を丸くして突っ立っていた。

 その側では同じく目を丸くしたサラがこちらを見つめている。


「あぁ、マシュー。呪怪はもう倒せましたよ——」


 マシューの方へ歩み寄ろうとして一歩踏み出した時、アリナの声は消え入った。

 視界のマシューがぐにゃりと曲がり、違和感を感じるうちにサラもルカも曲がって見え、終いには背景と共に視界の全てが九十度回転した。


 右半身に痛みを感じ、駆け寄るルカのぼやけた姿を認識すると、アリナの意識は眠りについた。





 こんな夢を見た。


 アリナの父親であるサイモンが、アリナの小学校入学のための書類を揃えながら、アリナと談笑していたときの夢だ。


「ねぇ父さん、ここ、母さんの名前書くところでしょう? ルナって、誰の名前か知らないけど……これ間違えてるよ」

「あっ……いや、違うんだアリナ。これはその……訳があって」

「えっ……もしかして、ウワキってやつ? ひどい、いけないんだー」

「違うって! 仕方ない、この話をしたことは、母さんとアンナには内緒にするんだぞ……

実はな、母さんのマーガレットって名前は、本名じゃないんだ。そのルナ(Luna)ってのが本名な。戸籍上はそうなってるが、本人はどうしてもその名前が嫌いらしくて……だから通称なんだ。マーガレットという名前は」

「そうなの……? なんで本名は嫌いなの……?」

「さぁな。父さんにも分からないから、アリナにも分からないと思うよ。ただもう一つ——これも秘密だぞ。母さんはな、実家と仲が悪くて絶縁状態なんだ。どうも、向こうの家庭のやり方がなかなか酷かったらしい、若い頃よく愚痴こぼしてたよ」

「へぇ……ちなみに、母さんのキュウセイって何? どこのお家の人だったの?」

「はっ、アリナは難しい言葉知ってるなぁ、偉いぞ! 母さんの旧姓はな……」


 ここで記憶は終わり、それと同時に夢の世界からも追放された。





「おはよう」


 秋の日差しのようなあたたかい声で、アリナは目を覚ました。

 ルカの声である。


 状況がわからぬまま慌ててがばと起き上がると、また視界が曲がるような気がした。


「ゆっくり起き上がらないと、くらくらしちゃうよ」

「あ……ねぇ、ここはどこ?」

「あ、そうだ。申し遅れたね。僕の家だよ」


 アリナが横たわるベッドから見えた空間にはこぢんまりとしたキッチンと小ぶりなテーブル、その他は彼の学用品と思しきものだけが無造作に置かれた小さな部屋だった。


「……え⁉︎ あたしなんで人様の家で寝てるの⁉︎」

「ごめん、安心して。僕はその辺のすけべ男子みたいに手出したりしてないし、君のお友達も連れて来ておいたし」


 ルカの視線の先には、気まずそうな、でも若干浮ついてうずうずしているような表情のシャーロットが猫背で佇んでいた。


「アリナ、ごめんね。私食べ過ぎて、お腹壊してる間に大変なことになってたみたいで……アンナちゃんに連絡しておいたから、そのうちお迎えに来てくれるそうよ」

「え、ロッティいたの? 連絡ありがと……って、いやそういうことじゃなくて!」

「うん。君ね、どうも栄養足りてないらしくて。気絶しちゃったから」

「ああ……ご迷惑おかけしてます……」


 気絶する前の記憶が徐々に戻ってくる。

 戦闘の連続の怒涛の一日だった、栄養が足りてなくては倒れて当然である。


「お友達から話は聞いたよ。まぁとりあえず……うちでご飯食べてから帰りなよ」

「え? いやいや、そんなの悪いですって……」


 ご飯、と聞いてアリナは尻込みをする。

 拒食症の実態を初対面の人に晒すのは少し気恥ずかしい。


「遠慮しないで。もう作っちゃったし」


 ルカの微笑に含み笑いの様な色が加わり、逃げ場がないと悟る。

 半ば強引に食卓につかされ、渋々カトラリーを手に取る。

 皿の中を恐る恐る覗き込むと、三年前の記憶を押し込めた箱の蓋がゆっくりと開いた。


 コンソメの野菜が入ったスープ。

 いつも焼き立てを近所で買ってきていたパン。

 そして、香り高い鶏肉の香草焼き。


 どれも、あの日の品と殆ど同じだった。


「ねぇ、アリナ」


 我に帰って、呼びかけたルカの方を向く。

 少年はいつの間にかアリナの隣に座っており、女神のような慈愛の眼差しを向けていた。

 その眼差しが、記憶の中で自分を産んだ女性のそれと重なった。


「お母様、優しい人だった?」

「……うん」

「料理がお上手だったんだってね」

「……うん。あたしが美味しいって言うと、喜んでくれた」

「そうだろうね。愛娘が元気でご飯を食べてくれたら、それ以上に嬉しいことは無いと思うよ」

「……そうかな」

「そうに決まってるよ。人はそれが嬉しいから、わざわざ人のために料理するんだ」

「あは、確かに……」


 アリナは今まで妹に作ってきた料理の数々を思い出した。

 料理は得意ではなかったが、アンナが健やかに育ってくれるならと懸命にやってきたものだ。


 今までを懐かしんでいるうちに、食指が自然とスープの方へ伸びていった。

 恐る恐る匙で掬い、一口飲んだ。


「アリナは、ご両親の復讐のためにグレートバースに来たんだって?」

「うん」

「ご両親はそれだけ思ってもらえて、幸せだと思うよ」

「……ありがとう」

「でも。それなら、いっぱい食べて力つけなくちゃね」

「……うん。ありがと」


 張り詰めていたものが壊れたのか、アリナの目からはぼろぼろと涙が零れ落ちた。

 久しぶりに、子供みたいに泣いた。

 でも、何故か少し笑いながら。


「ねぇ、ルカ」

「うん。なぁに?」


 母親の姿を重ねた少年の目は、慈愛の中に寂しさをたたえていた。


「これ、めっちゃ美味しい。母さんの味」

「そう。それは良かった」


 アリナは、この時初めて、抱えていた過去を心の底から受け入れた。




















 ルカの自宅は建造物としては存在せず、大学の側の天文台の隅に異空間を切り開いて造られたものだった。

 気絶している間にどれだけの距離を運搬させたのかと申し訳なく思ったが、この距離なら造作もなかっただろう。

 アリナの孤児院からもそう遠くない。

 わざわざ来させたアンナにかけた苦労もそう大きくなさそうである。


「じゃあ、気をつけて帰ってね」

「……」


 別れ際、アリナは思案していた。


 今日の数刻ルカの様子を見ていると、どうにも違和感を覚えるのだ。


 始め彼の慈愛の眼差しに太陽の様なあたたかさという印象を受けた。

 太陽というのはそれ自身が輝くことができるから、他の惑星を照らすことができるのだ。


 しかしルカがもつ慈愛は、そんな積極性のある優しさではない。

 アリナにはそう思えた。


 勿論彼の今日の善行は彼の意思に基づいて行われたものであり、その活力源に打算がある様には見えなかった。

 とは言え、彼の心の中にある活力源はそんな太陽のようなものだろうか。

 確証なんてあるはずもないが、ルカの目はいつも、何かの重圧に突き動かされて必死に人助けをしているような憂いを帯びているのだ。


 憂いを帯びた目といえば、先程ルカと名を呼んだときはそれが顕著だったように思える。

 大抵の人間が名を呼ばれた方へ向ける眼差しというものは、爛々と輝いているものなのだが。


ルーニャ(Луня)


 アリナが思案の末に呟いたのは、ルカ(Luka)という名の由来となった言語におけるルカ(Лука)の愛称であった。

 何故この結論に至ったのか、アリナ自身にもわからなかった。

 が、その結論に確かな自信が湧いていた。


「……え?」

「ルーニャ、って呼んでもいい?」


 ルーニャと言われた少年は驚いたような顔でアリナを見据えた。

 ひとときの沈黙を経て、彼は何を思ったのだろうか。

 今までずっと顔に張り付いていた微笑とは打って変わった満面の笑顔で言った。


「うん。そう呼んで」


 どこか嬉しそうなルカの瞳には、久方ぶりの光が宿った。


「うん。ルーニャ、今日はありがとね。また明日!」


 アリナはルカに手を振ると、待ちくたびれて先に家路に着いていたアンナの後を追った。


 その後ろ姿に、ルカはとある少女を重ねているとは知らずに。

余談ですが、アリナはどちらかというと、と言うまでもなく完全に父親似のラテン系顔です。ですが、ラテン系でアリナの御髪を膝まであるストレート姫カットという設定にするに十分なほどの直毛はあんまりいないイメージ(ヘタリア好きの友人談)ということで、やっぱファンタジーの設定なんて若干ガバガバぐらいがちょうどいいのかも知れないと思ったりしております。

だれか直毛のラテン系の例あったら教えてくだされ。

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