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これは君が殺るかい?

 森の奥で眠っていた呪怪が、憂さ晴らしの衆のにおいを嗅ぎつけてやってきたのだろうか。

 四足歩行の動物の様な形をしたそれは、やはり禍々しいオーラを纏い、動物の威嚇を彷彿とさせる動きを見せた。

 このオーラは勿論、負の感情のマナが高濃度で空気中に存在している状態である為、想呪症候群のステージ0にあたる頭痛や吐き気を引き起こす。


 奴に近づくにつれ、激しい頭痛と倦怠感がアリナを襲う。


 既に、辛い。


 この苦しみすらも、一たび身体から漏れでてしまえば、呪怪はそれを糧としてしまうという残酷な現実をうっすらと脳裏で意識した。

 逃げ惑う人だかりの背側で、野次馬をしている者たちが、好奇心のままに呪怪に触れに向かおうととしていた。

 彼等彼女等は、奴の恐ろしさにこれっぽっちも気づいていないのだろうか。


 帰ってもらわねば、少なくとも彼等のうち誰かひとりは生きて帰れなくなるだろう。

 戦闘に慣れたメンバーも(恐らく)そうおらず、庇おうとしても彼等に流れ弾が当たってしまう可能性が高い。


「すみません! そこの人達! それから離れて下さい!」


 辛うじて聞き取れたのだろうか、上級生の男女数名が怪訝そうな視線をアリナに突き刺す。


「危険なので離れて下さい! 教授からの命令なんです!」


 口ごたえをされては敵わないので、できる限りの剣幕で捲し立てるように叫ぶと、野次馬達は何かをぶつくさ言いながら立ち去っていった。

 一先ず、何も知らない一般人を遠ざけることはできたようだ。


 ならば次は、状況確認である。

 ずっとおどおどし続けのサラを正気に戻すように叫ぶ。


「サラ! 他に戦闘要員は?」

「はっ! えと、それが……今のところ誰もいなくて」

「え? なんで?」

「だって、ビリー・ケインは医務室でしょ、エヴァン・モンゴメリーは——」

「それはいいから! 貴女が戦えばいいじゃない」

「私は戦えないの」


 耳を疑う。

 こんな時に限って医務室なんかで体調を崩しているであろうビリーへの憤りもあるが、それよりも目の前の無力そうにこちらを見つめるサラが無責任なように思えて腹立たしかった。

 顔合わせの場にいたなら、戦えないなんてことはあり得ない筈だ。

 そうこうしている間にも奴は人だかりへと歩を進める。


「ごめんね、厳密に言うと攻撃力にはなれないの。私ね、もちろん魔法は使えるんだけど、呪怪を沈静化するだけみたい」


 そう来れば、仕方ないが。

 初めての戦いを実質一人で成功させねばならないのは、流石に心細い。

 思わず当てつけのような溜息をついてしまった。


「……わかった。先ずは援軍を呼んで。そしたら直ぐに奴の沈静化をお願い」

「わかった。すぐ戻ってくるから」


 また耳を疑う。

 途端に駆け出したサラを見るに、連絡先すら交換していなかったらしい。


 はらわたが煮えくり返るような気がしたが、この哀憎(負の感情)も都合よく闇魔法に昇華する他ない。

 己の内で湧き出る悪感情を掌に集めて、いつも通りエネルギーの球を作り出す。

 ここまではいつも通り順調にこなせる。


 あとはただこの球を奴にぶつけて攻撃し、またエネルギー球を作り、また攻撃しを繰り返すだけである。

 だが、その手間が小さい訳ではない。


 呪怪の図体は、一体全体どのようにして隠れて生きていたか皆目検討もつかない程大きい(アリナは見たことがないが、ゾウとかマンモスといい勝負だと想像している)。

 その上真意は知れずとも明確な殺意を持って我々人間に襲いかかってくるため、当たり前だが一筋縄ではいかないのである。


 兎にも角にも、攻撃せねば何も始まらない。

 アリナは呪怪の動向を伺い、見計らって最初の一撃を与えた。

 何色ともなくぼんやりと光るエネルギー球が呪怪に触れたところから明るく閃光を放ち、氷を素早く融かすように呪怪の身を削る。

 有効打、のようである。


 が。


 次の刹那、呪怪は身の危険を感じ取ったのか、怒り狂った猛獣の如くアリナに襲いかかってきた。

 言葉だけではただ本当に獣の類いがその本能に従って真正面から反撃してきたような印象を受けてしまうが、呪怪による()()というのは、それほの甘いものではなかった。


 呪怪の身体には骨格や筋肉などといった、機能や可動域が限定された運動器の概念がない。

 動物のような形状をある程度保ってはいるが、見た目の如く質感もスライム状であるため、その体積が許す限りはどの部分からでも、腕を伸ばすように変形して襲いかかってくる。


 先ず尻尾のような形状の突起が呪怪の表面から突き出され、鞭打ちの要領でアリナを狙った。

 慌てて低くしゃがみ込んで躱す。

 突起の高さを見るに、腕を伸ばせば届いてしまう距離である。

 やられっぱなしではいられなかったのか、アリナは咄嗟に右腕に魔力を込め、その腕を真上に突き上げ突起を貫いた。


 右腕の呪怪と触れた部分に強い衝撃を感じると同時に鈍い破裂音を聞く。

 呪怪の突起部分は本体から切断されたらしく、遠心力に従って数メートル程飛ばされ、地面と衝突した。

 突起の断片は直ぐには消滅しなかったが、どうも本体から離れると弱くなるらしく動きは鈍く、切断面から徐々に蒸発するようになっているのが見えた。


 一息ついたのも束の間、今度はアリナの足元を狙い、浜辺で波が押し寄せるように呪怪から解け出た流体が流れてきた。

 先程から呪怪による攻撃で「狙う」と表現しているが、どうやら呪怪には人から漏れ出る感情のマナを感じ取る以外にも感覚器があるようだ。

 迎撃の最中、アリナは獣の眼のような構造が呪怪の中に突如現れたのを見たのだ。


 これはマシューに報告すべきだろうか、と思案しながら地面を蹴り、いつも通りの浮遊で呪怪と距離をとろうと試みる。


「……え?」


 足が地面から離れてまもなく、いつもの浮遊感が足りないことに気づいた。

 数メートルだけ上昇すると、重力に逆らいきれず落下に近い降下を始めた。

 着地地点の呪怪は未だ引いていない。

 焦燥感に駆られるがまま、今度は足に魔力を込めて呪怪を踏み抜く。

 魔力を込めた足はなんとか防御機能を果たしたらしく、踏み抜いた地点から呪怪は水の輪が広がるように引いていった。


 ひとまず事なきを得たが、他に味方がいない初戦闘という状況下で更に緊急回避もできなくなってしまったことにアリナは戦慄した。


(……相当まずい、一刻でも早く倒し切らないと)


 この場合、これ以上呪怪に反撃される事なく復讐を終えるのが理想的である。


 そこで(感情)の限り魔力を込め、抱えきれないほどの大きさのエネルギー球を作り出した。

 これで終わりにしよう、できるはずだ——そんな考えも頭の片隅にありながら、エネルギー球を呪怪の身体に叩きつけた。


 はずなのだが。


 先程と同じくエネルギー球が閃光を放つような姿勢を見せたが、アリナの手の中でそれは急激に力を失った。

 それだけではない。

 効き目を失ったエネルギー球は呪怪の糧となってしまうのだろうか、それはみるみるうちに呪怪に吸収されていく。


 アリナは慌ててエネルギー球から手を離そうとする。

 が、どういうわけか縫い付けられたかのように球から手が離れなかった。


 例えばこのまま魔力を込め続けてエネルギー球を大きくし続けたら、どうだろうか。

 球が大きくなれば呪怪との距離も大きくなり、自分の身に降りかかる最悪の状況だけは免れることができるだろう。

 だがしかしそれは同時に呪怪に与える糧を増やすことにもなる。


 どうすべきか決めあぐねている間に、アリナの怨念が籠ったエネルギー球は完全に吸収され、それにくっついていた青白い細腕が呪怪の身体に沈んだ。


 とぷん、という水のような音に続いて、声にならない悲鳴が響き渡る。


 なるほど呪怪とは人の哀憎の塊である、触れてみるとそれに凝縮された人々の怨嗟の叫びが、その細腕からアリナの五感全てに侵入してきた。


「見捨てられた」それは、幼き声の嘆き。

「人間として扱われなかった」それは、吐き捨てるような恨み。

「騙されなければ今頃幸せだった」それは、悔恨が姿を変えた嘆き。

「あの者のせいで俺は全てを失った」それは、命を乞うて叫ばれた恨み。

「間違っているのは俺じゃない」それは、世界を捉え違えた嘆き。

「ぜんぶ間違えた」それは、どこか内向的な恨み。


 ある記憶は、寒々しく。

 ある記憶は、孤独に。

 ある記憶は、痛ましく。

 ある記憶は、傷を持ち。

 ある記憶は、不可解に。

 ある記憶は、絶望をもって。


 その他全ての限りない憤怒の感情がアリナの感覚の至る所をも痛めつけるこの地獄絵図を、一体どんな芸術が表せるだろうか。

 痛みに悶えながら視界を苦し紛れに観察すると、呪怪の身体の中に沈んだ手の境目が段々と曖昧になっていく様が見えた。


(ああ——終わりだ)


 ()()()()()()()の苦痛に、アリナは死を覚悟した。


 だが、運命はアリナを殺す選択を躊躇ったようだ。


 満月の方から目視できぬ速さで飛んできた何かによってアリナは突き飛ばされ、怨嗟から解放された五感は最初に花の香りと着地の安定を感じた。


 始めアリナを突き飛ばした何かが物体なのではなかろうかとちらと思ったりしたが、どうやらそれは物体ではなく人間らしい。

 抱き抱えるようにしてアリナの身体を支え、呪怪に傷つけられた腕を掴んだその少年の姿勢から救済の意図が読み取れる。


 幸運にも命拾いをしたアリナだが、一連の出来事に腰を抜かしてしまい、暫くは過呼吸を抑えるのに精一杯だった。

 言葉を使えそうな呼吸になると直ぐに、自分の背中を支えている命の恩人の顔を一見した。

 このような状況でこのような芸当をしておきながら、その表情は柔和な微笑をたたえていた。


 先程の花の香りといいその微笑といい、アリナには亡き母親のマーガレットを思い出させてしまう。


「あの、ありがとう。……貴方は?」

「名前はルカ・ガルシア、身分は想呪対抗学専攻の学生。そんなことよりも、時間がない」


 ルカは切り口上でアリナに返答をすると、アリナのかつて腕だったものを手にとり、人差し指でそっとなぞって何かを唱えた。

 すると驚くべきことに、原型をなくしていたアリナの腕からじわじわと手が生え指が生え、終いには元通りの手が戻ってきた。


 その光景を眺めていると、アリナは二週間ほど前に観戦したデュエルの光景が頭をよぎった。

 俊敏な動き、崩れない微笑、不思議な治癒魔法。

 あの試合で見たルカとは、この少年なのか。


 ルカはかけていた眼鏡を外して灰色がかった青色の上着の内ポケットにしまいながら話した。


「よし、腕は治ったね。じゃ、君はさっきみたいにエネルギー球作って」

「え、でもあたし、さっき失敗して……」

「とびっきりの悪感情を込めて、他にはなんにも考えないで。そうしたら、大丈夫だから」


 落ち着いた声には妙に納得してしまい、言われた通り闇魔法のエネルギー球を作る。

 するとルカは、三秒にも満たない時間でアリナの背後にまわり、その華奢な身体を素早く抱えて宙に舞い上がった。

 背中側からルカが支える形で浮遊しているため恐怖心は幾分少ないが、先ほどから驚かずにいられない事ばかりで鼓動が痛い。


「ちょっと! どういうつもりなの⁉︎」

「驚かせてごめん。そのままできる限り魔力を込めてて。あと舌噛まないように」


 すると次の刹那には浮遊感が落下感に変わり、アリナは恐怖を抑えんと目を瞑った。

 アリナの背丈を超えるほど極端に肥大化したエネルギー球の脅威を、作り出した本人は知らずに終わるのが惜しい、とルカは思う。

 落下速度が最大に近い頃に身体の左右軸での回転を感知し、次の刹那には衝撃音を聞いた。


 着地は安全に行われたらしく、地に足をついて目を開ける。

 すると二人は天井のぽっかり空いた呪怪の薄層ドームの中におり、なけなしのスライムの残骸が二人を囲む様に降ってきた。

 ルカはすかさずそれらに蹴りを入れ、蹴られた残骸はあっという間に消滅した。


 夜闇の世界に静寂が戻る。


「——倒、せた?」

「ほとんどはね」


 落ち着き払って言うと、ルカは草の中に転がっていた光る石を拾い上げた。


「呪玉。知っているかい?」

「あぁ、呪怪の心臓とも言われる……」

「そう。これを破壊すれば、ようやく一体討伐完了さ」


 呪玉とは、もともとは負の感情のマナを回収して留めおく為のただの石である。

 それが呪怪の話となれば、それはもちろん呪怪の生命を維持する為の基礎構造となるわけであるが。


「マシューから名前は聞いてるよ、アリナ。折角だし、これは君が殺るかい?」


 ルカは慈愛に満ちた微笑を崩さず、掌の上の美しくも残酷な石をアリナに差し出した。

 今日の手柄はアリナのものだからとどめもアリナが刺すべきと言わんばかりである。

 しかし先程死に目を見たような心地のアリナはそんな自尊心は持ち合わせておらず、見つかった返す言葉はこれだけだった。


「ありがとう。でも、あたしは今日ルカがいなかったらもう今頃死んでいたから。だから、とどめは貴方が刺して」


 それを受け入れた様子のルカは、掌の石をそのまま握りしめて魔力を込めた。

 アリナの闇魔法とは真逆の、真白に光輝くエフェクトが指の隙間から漏れでは様もまた、あの日デュエルで見た試合の一場面を彷彿とさせた。


「——呪怪第一個体、討伐完了」

ビリーが医務室にいるのは食い意地を張って胃を壊したからでしょうね

横ではシャーロットがうずくまっているはずです

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