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哀憎使いの英雄譚  作者: しゅりりんね
デュエル
25/28

さっさと投げろや

 アリナのか細い指から離れたハンドボールは放物線を描き、横にいたトーマスの顔面を直撃した。


 鈍い音が二人の鼓膜を抉る。


「ご、ごっめんなさ〜〜〜〜〜い!!!!!!!!!!」


 頭部への衝撃とアリナの壊滅的な身体能力に目眩がして、彼は大きなため息を吐いた。










「いや、もうな……何で真横に飛ばすんだよ!」

「ああ、もうホントすいません……力がちゃんと入らなくって、はい……」

「早よ鍛えろよ! せっかく投球フォームは良くなってきてるんだから」


 ご立腹のトーマスはガミガミ言いながら、アリナの腕をじろじろと観察する。

 彼女の年齢や身長の割に細過ぎる上腕は、いつも以上に血色が悪い。


「……ちょっと運動すりゃ筋肉つきそうなもんだが。なんでこんなに華奢なんかねぇ……わかんねーな」

「あー、なんでだろ……昔からなんで、体質かもしれないです」


 そんな事はない。


 別にアリナは華奢な方ではなかったし、寧ろ食欲旺盛で肉付きは良い方だった。

 ただ、あの日以降のアリナはずっと絶食状態である。

 一週間食事を摂らないことも珍しくない。


 アンナに気を遣い無理矢理明るくなろうとして置き去りにしたはずのトラウマ。

 この苦しみ()が「食事」という行為に染み付いて離れなくなってしまったのだ。


「……ま、ゆっくりやってけば時間が解決するだろうしな」


 アリナが耐えてきた三年の月日は、こんなにも浅い。


「しばらくは美味いもん多めに食って体力作れよ」


 味覚などもう覚えていない。

 そんな状態でどれだけ食べようと、吐き出して無に帰す。


「フォームは……伸び代はあるからな。倶楽部に投球するタイプの発動体の使い手で上手いやついるから、そいつに聞くといい」

「……はい」


 引き攣った笑みをあくまで提示しながら思う。

 どうやら無神経な気遣いは罪に成り下がるらしい、と。


 訳もわからずに、アリナはトーマスが少し嫌いになった。











 日の入りが早くなり、また考査期間が近づいてきたのもあって、早くに帰宅する生徒が増えてきた。


 殆ど誰も居なくなった競技場で、やけになって振りかぶる。


 無情にもまともな軌道を嫌うボールを見つめていると、背後から笑い声が聞こえてきた。


「ッはー、だっせぇーーー!!! 小学生みてーな投球してやがんの」


 小学生のような煽り文句に応戦するほどの体力が残っていないアリナは、そちらに目をやるまでもなく——



 否。



「んじゃあ、テメーが手ほどきして見せろやあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



 ……どうやら、鬱憤()の力にしてみれば、この程度どうといったことはないらしい。


「びっくりしたわ! へなちょこ投球のくせにバカでかい声出しやがって」


 アリナの主人公補正スープレックスで危うく宙を舞いそうになった者だとは到底思えないほどの気迫である。

 ハスキーボイスからは判断し難いが、仕草や体格からして、男性的だと判断した。

 年齢相応の未熟さ(溢れ出る合法ショタ感)は健在であるが。

 実年齢は反論の余地もなく違法じゃないか、などという無粋なツッコミはしないで頂きたい。

 この場合重要なのは事実ではなく、溢れ出る感情なのだから。


「身体の使い方がよく分かってないだけだよ、もう……

あたしがへたっぴなのは重々承知してるから、良かったら教えてくれるとありがたいなぁ」


 先程の初対面に似つかわしくない怒号からは想像し難いほど下手に出てきたので、少年は半ば拍子抜けと言った表情である。


「ああ、あたしはアリナ・ノアね、ひとつよろしく。貴方の名前は?」

「げ。なーんでわざわざ名乗らなきゃいけねーんだよ」

「別に隠すほどの身分じゃないでしょ、所作からして。

それに、なんてったって名前で呼ばないとトンチンカン作者が混乱して文章がぐちゃぐちゃに——」

「わーったからそんなこと言うな! ……ほら、アレックス。アレックスでいいよ、そんな本名気に入ってないし」

「……? そう、じゃあアレックスよろしくね」


 今後役立ちそうな人間関係を作ろうと、強引に社交辞令を済ませておく。

 普段のアリナであればこのような事は自発的にはしない筈だが、今はどうやら気が違っているらしい。


「へいへい。んじゃ早速本題ね。魔法が普及してから、球技界に起こった異変って、なーんだ?

答えはもちろん投球の障害だが」

「あたしが解答する余地はないのね……」

「時間もったいないし。んで、その障害がなんで起こったかって話になるワケで……。アリナ、ちょっくらボール投げてみ?」


 アリナにボールを渡し、三歩下がってこちらを注視した。

 その眼差しは至って真剣そのものだったので、やけに顔のパーツの印象が浮かび上がってきた。


 アレックスの顔は美しかった。


 すっと通った鼻筋に、エメラルド色の瞳。

 それを縁取るような長い睫毛に、艶っぽさのある頬のほくろ。

 それらの全ては、全身の大量の汗で滲んでしまっているようだが——


「ほれ、何やってるんだ。さっさと投げろや」

「ああ、ごめん」


 慌ててボールを構えて、利き手にボールを移す。

 身体の重心を動かし、リリースへの心構えをしたその瞬間。


「ほれ、ストップ」


 アレックスがそう言うまでもなく、アリナの腕の動きは止まった。

 意思に反する動きに慌てて見上げると、少し浮いたアレックスがアリナを見下ろしていた。

 その手の中では、細腕と共にボールが抱えられている。


「よーく見とけよ」


 そう言って、何かを引き延ばすような形でアリナの手とボールを遠ざけた。



 ぬちゃあ〜〜〜



「ひっ……何これ」

「そ。これが、リリースのときに邪魔してるってワケ」


 先程「何かを引き延ばすような」と形容したが、本当に、得体の知れない何かが引き伸びていたのである。

 ドロドロとしたスライム状の物体は、落下するに従って消滅していった。


「一球入魂とかいうだろ? 投球って、案外手元に意識いくんだよ。それが感情のマナとして働いて、魔力が強い奴ほど投球に支障が出る、っていう流れ。

ちなみに、練習するほどフォームが悪化するのもだいたいこれのせい」


 なるほど、と呟く頃には既に、アレックスはまた三歩下がっていた。


「ちょっと意識すりゃ、割とすぐ直るから。ほれ、もっかいやってみ」


 促されるまま、もう一度構える。

 振りかぶった次の刹那までに、手元の意識の流れを変えて、投げる。

 手応えは上々。


 それからは一瞬だった。

 勿論完璧とまではいかないが、以前の大暴投は全くしなくなったようである。


「なーんだ、結構やるじゃん。ま、こんなとこでいい?」

「うん、ほんとありがとね」

「……おうよ」


 どこか誇らしげだったアレックスも、感謝を述べられると途端に頬を赤くした。

 案外、照れ屋らしい。


「じゃあ、もう遅いしあたし帰るね! またお礼するから」

「お、んじゃ期待しとく……って、駆け足は速えのかよ。

——俺も帰んねーと。流石に成績やべー」


 アリナの後ろ姿を見送りつつ、アレックスも帰路に着こうとした。

 彼もまた特待生ではあるが、入学以来デュエルに入り浸っていたので、ほぼ勉強をしていないのだ。

 幾ら特待生とは言え、努力をしなければ地頭が良いだけのポンコツである。

 アレックス自慢の跳躍を駆使しつつ、西陽を背にして浮遊を開始した。


「……そーいやなんで投球練習なんかしてたんだ、アリナのやつ」




























「ただいま……あ、今ご飯やりまーす」


 おかえり、の声を聞き流しながら冷蔵庫を探る。

 まな板やら包丁やらはアンナが用意しているのを見て、名のないタスクを思い出した。


「そうそうアンナ、ハロウィンって予定空いてる?」

「……空いてるけど。何で?」


 そう答えたアンナの目は何処となく冷たい。


(何だろう。言葉にするなら「怪訝」そうな感じが……

——いや、まさかそんな)


 気を抜くとすぐに杞憂に走る思考を押し殺し、話を続ける。


「大学で宴会……? みたいなのをやるらしくって。

誰でも無料で参加できるみたいだし、ご飯も出るから。よかったら友達とか連れて行ったら?」

「そう。行けそうだったらお邪魔するわ。ありがとう」

「うん、よろしくー」


 話しながら、アンナはやはり母親似なのだと実感する。


 やわらかい黒みがかった髪にグレーの瞳。

 華奢でやや撫で肩のまっすぐに伸びた背中。

 そしてトーンが低めの、やわらかい声。


 それなのに何故、アンナがまとう空気は冷たいのだろう。


 アリナは、アンナのいる岸辺の対岸にいるような気分になりながらも、見ないふりをしてやり過ごした。







 部屋に戻っていつも通り課題を片付け、ベッドに寝転ぶ。

 一度瞬きをしただけのような気がしていたが、既に窓から朝日が差していた。


 重たい身体を起こし、のろのろと着替えてようやく外に出る。

 見上げた十月の空は変わらず冷たい青色だ。


 最近のアリナには、何もかもが早く進んでいるように見える。

 大学もデュエルも、唯一の家族でさえも、知らぬ間にずっと遠くで前進し続ける。


 ひとり蹲るようなアリナを置き去りにして。


「おはよ、アリナ」


 すいすいと飛行するシャーロットを見る。


(——周りが早いんじゃない。あたしが遅すぎるんだ)


 痛みを知らない朝日と共に、旧ヨーロッパの一日が始まる。


























「だ〜か〜らぁ、この人の綴りはギルバート・アデールじゃなくてジルベルト・アデール!」

「はぁ⁉︎ じゃあなんで発音はギルバートのままなのよ! どいつもこいつも、発音と綴りがめっちゃくちゃ! 教養の欠如!」

「教養が欠けてるのは貴女の方だから! 中学の歴史で軽く習ったでしょ、ロッティ……戦後のヨーロッパは言語が入り混じったけど、古来からある名前はそのまま残ったの。

で、同じ綴りでも人によって読み方が違ったり親の名付けがテキトーだったりした結果、本人の好きな言語の発音で呼ばせて綴りはまた別の言語になることがよくあるの」

「そんなんじゃ、テストで困るじゃない……法則性がまるでないんだもん」

「そーでもないよ。例えばこの人の苗字のアデールは純フランス語だから、綴りはそっちに統一してる」

「あー……そういえば他の偉人もそんな感じだっけ……」

「例外もいっぱいあるけどねー」

「クソがああアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 甲高い怒号に蠢いた森の中の何かには、まだ誰も気付かない。

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