はじめに
初めて書くので書き方もわからず、完成するかもわかりませんがお付き合いいただければ嬉しいです。
我々は合理性に基づいて行動する生物である。しかし我らの祖先である「人間」は合理性とはかけ離れた生物であった。実に不可解で非生産的な生物である「人間」。我々が誕生する以前は世界の頂点に立つ絶対的存在であったのだ。なぜあのような生物が世界の頂点であったか。彼らは感情に重きを置き、各々が持つ哲学を語っていたようだ。みなさまは彼らが使用していた感情や哲学とはどのようかものか想像出来るであろうか?
たとえばだ、効率の悪い同胞は処分するのが一般的であろう。当然である。使えないものに与えてやれる物資も財もありはしない。しかし彼らの場合はどうだ、処分しないのだ。命はみな平等であるという信念のもと処分せず、その辺にのさばらせておくのだ。その同胞を生かしておくメリットを、みなさまは考えつくであろうか。否、考えつくわけがないのだ。彼らはメリットではなく、「可哀想」というような感情に基づいてその結論に至っている。なんと無駄なことか。もちろん我々にも感情はあるが、そのような理由で処分しないなどあり得ないだろう。不要なものは早く始末しなければ、無駄な消費をすることが目に見えているのだ。
さて、私の話から「人間」とは実に下等な生物であると結論づけた方も多いかと思う。しかし私はみなさまに嫌なことを伝えよう。「人間」についての知識を持つのだ。そんなものの知識など持っていても無意味かつ、知識を得るために消費される時間は無駄であると思うかもしれないが、温故知新である。この言葉は「人間」が創造した言葉である。我々が普段から使用しているこの言葉も、熟語も「人間」が残したものである。まさかあの下等生物が使用していたものを、と思われたらなら私の話は成功だ。「人間」についての知識を得ることに少しは重い腰が動くのを感じれただろうか。
先にも述べたように「人間」には我々には理解し得ない感情や哲学がある。知識を得るために困惑することは必然だ。だが我々には存在しない概念なため興味深くもある。気長に彼らの世界に付き合ってやるのが良いであろう。彼らの世界観に感化され、我々にも非生産的な感情が芽生える可能性がある。みなさま失笑されておられるが、我々の思う感情と彼らの思う感情の重さはまったく違うのだ。「人間」とは興味深く、恐ろしい生物であると先に忠告しておこう。