婚約者はもうどうにも止まらない⑥
本当に面白くない冗談だ。レオナードは、ほんのちょっとだけ不機嫌になる。それはルシータに向けてではなく、ルシータの父親に向けて。
なぜなら、ルシータは家族をとても大切にしているから。
だから「君のお父さんのせいで……」なんていう真実を明かすことはできないし、レオナードとて、自分の言葉が原因で二人が揉めるのなど見たくもない。
それに、いずれルシータとの間に子が授かって、それが女の子だったら間違いなくレオナードも同じ気持ちになることがわかっているから。
そんなわけで、レオナードはルシータに事の顛末を説明することはしなかった。
でも、いい加減、婚約者の気持ちをしっかり言葉にして聞きたい欲求は抑えることができなかった。
「ねえ、ルシータ怒ってる?」
「は?え?な、なにが?」
突然、しゅんとした口調に変わったレオナードに、ルシータは目を丸くする。
「学生時代、君を護れなかったこと。それから君の気持ちを確かめることをしないで、強引に婚約を進めたこと。あと今日、無理矢理お茶会に誘ったこと……怒ってる?」
レオナードは、もっと具体的にルシータに問いかけた。すぐに「はぁ?」という間の抜けた返事が返ってきた。
「怒ってない?」
「うん」
「本当に?」
「もちろん」
「僕の事、嫌いになってない?」
「まさか」
「じゃあ、好き?」
「……っ」
───ここは素直に誘導尋問に引っ掛かって欲しかったのに。
ルシータが妙齢の女性よりほんのちょっと冷静なところも魅力的であるけれど、今回に限っては、ちょっとばかし苦く思う。
だからレオナードはこれ以上追及する代わりに、ルシータの左の耳たぶに歯を立てた。
°˖✧°˖✧°˖✧°˖✧
「───まったくルシータは、素直じゃないんだから……だから、おしおき」
そんなことを言われた後、今まで経験したことがない疼きを覚えて、ひっとルシータは短く悲鳴をあげた。でもそこに拒絶の色はなかった。
ルシータの心の中では、只今季節外れの台風が起こっていた。
こんな目で、彼に見つめられる日が来るなんて。こんなふうに触れられることがあるなんて、ルシータは想像したことさえ無かった。
ただ予想外の展開についていけないのと、これまでそういった経験がないからどうして良いのかわからなくて狼狽えているだけ。
そして、なんだかんだと言って一番大きい感情は喜びで。
ルシータの華奢な手は、無意識に自身の左の耳たぶに触れようとする。けれど、
「知っているかい、ルシータ。君は嬉しいとき、ここに触れるんだ」
「なっ......」
触れようとした手を優しくからめ取られたと思ったら、そんな言葉が耳に落とされ、ルシータは目をひん剥いた。
これは相当な衝撃だった。ボードレイ先生とレオナードが個人的なつながりがあったことより遥かに大きいそれ。
次いで、なぜそれを知っているんだと思わずレオナードを睨んでしまう。
なぜなら、これを知られていたということは、本音が駄々洩れだったということ。
知っていながらずっと黙っていて。しかも、こんなタイミングで暴露するなんて。レオナードは少し意地が悪い。
そんな意地の悪いルシータの婚約者は、嬉々としてこんなことまで語り出す。
「12歳の誕生日に、母君から使い古した白衣を貰ったとき。14歳の夏に、父君から薬学辞典を贈られた時。15歳の秋に、一人で植えて育てたシダに蕾ができたとき。君は一人になった途端、こっそりここに触れていた」
「見てたの?!」
「……見えてただけさ」
心外だなと言いたげに眉を上げたレオナードの視線は、熱で潤んでいて、酷く何かを欲しているように見える。
ルシータは、こくりと小さくつばを飲んだ。
それをどう勘違いしたのか、レオナードは片膝をルシータが腰かけている座席に乗せた。ぐっと彼が近づく。触れていない箇所の方が少ないほど、二人は密着している。
「ちょっと待ってっ」
なにかしらの危険を感じて、ルシータは身を捩る。
「待てない。さんざん待ったんだ」
食い気味に雑な返事をしながらも、レオナードはルシータの首筋に唇を当てた。
「……ひぃ」
泣きそうな悲鳴なのに、どこか甘い声が出てしまうのをルシータは止められなかった。
でもどうか後者の部分は気付かないでくれとレオナードに向けて必死に祈る。けれど、そんな願いは聞き届けられるわけもない。
どんどんルシータを追い詰めていく非道な婚約者は、唇を上に移動しながら、掠れた声で囁いた。
「今日何回君がここに触れたか、言ってもいいかい?」
「か、数えていたの?!」
「……当たり前じゃん」
「大好きだよ、ルシータ……ねぇ、もう一度聞くけど……君は、僕の事をどう思っている?」
「……わかっているくせに」
今ここで好きという言葉を紡いだら、大変なことになるのをわかっているルシータは、大変遠回しな表現を使うことを選んだ。




