婚約者が語る真実③
さて、ルシータが今日何度目かわからない他の事で心を揺れ動かしていても、見た目の状況はなんら変わらない。
レオナードは射貫くようにアスティリアを見つめている。答えなければ、お前の家、即刻潰すぞと、眼力で訴えている。それは脅しではなく本気で。
だからここはどう考えても、アスティリアは土下座の一つでもして、謝罪をするべきだった。
ルシータに過去の非礼を詫び、今の失言もすぐに撤回して「二度とこのようなことは、しません。言いません。企てません」と誓わなければならなかった。
けれどアスティリアは、自分の非を潔く認め、素直に謝る事ができない人種だった。特に自分より身分が低い人間に対して頭を下げるくらいなら、いっそ────
そう。いっそ、全てを滅茶苦茶にしてしまおうと思うハチャメチャな性格で、筋金入りの癇癪持ちだった。
「うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ」
いや、うるさいのはお前だ。
そんなツッコミを思わず躊躇ってしまう程、アスティリアは全身全霊で、そう叫んだ。
もうアスティリアは、自分でも訳が分からない状態だった。
とにかく思い通りにいかなくて悔しかった。
どうしてこんなことになってしまったのだと、悲劇のヒロイン思考で己を憐れんだ。
他人の目に映る自分を想像したら、耐えられなかった。そうした相手に押さえきれない憎しみを覚えた。
許せなかった。目の前にいる、男爵令嬢が。
そしてこう思った。
婚約者に大切に護られているけれど、それは所詮、今だけの事。醜い姿になったら、愛想をつかされるだろうと。
アスティリアにとって、美しさが全てだった。
ちょっと頭が悪くて単位が厳しくても、媚を売れば誰かが何とかしてくれた。
ちょっと嘘を言っても、綺麗に涙を流せば皆がアホのように信じてくれた。
ちょっと性格が悪くても、綺麗に着飾って夜会に出れば、沢山の男性に声を掛けてもらえた。
だから、醜い姿になったら、侯爵家の美しい当主は、婚約者をゴミのように捨てるだろう。
アスティリアは、そう思った。なんの迷いもなく。
「私は悪くないわっ。全部、ルシータが悪いのよっ。私のせいにしないでよねっ」
「まだ、そんなことを言うのか───……本気で、僕を怒らせたいのか?アスティリア嬢」
半ば呆れた口調から、冷徹な声音になったレオナードの警告を聞いても、アスティリアは余計に憎悪を募らせるだけだった。
そして、こんなことになったのは、全てルシータが仕組んだ罠だったのかと都合よく解釈した。
レオナードがまだ何か言おうと口を開こうとするのが、アスティリアの視界に入る。
「だから、うるさいってばっ」
アスティリアは髪を振り乱しながら、地団駄を踏んだ。
どうでも良いことかもしれないが腕を組んでいたはずのロザンリオは、他人といえる距離まで移動していた。まるで寄せては返す波のように、ごく自然に。
これもまた、アスティリアにとって気に入らないことだった。
メデューサもドン引きするほどの勢いで、ばさんばさんと、駄々っ子のように首を左右に振る。
そしてたまたま視界に入った。
手を伸ばせば届く距離に、男爵令嬢の顔を醜いものに変えることができる、とあるものを。
「あんたなんか、こうしてやるっ」
アスティリアはそう叫びながら、テーブルの上にあるものを掴んだ。
ルシータは、アスティリアが何をするのかに半拍遅れて気付いた。
それは僅かな差ではあったが、目の前で起こる出来事が、これが途方もない判断ミスでもあったことをルシータに伝えた。
アスティリアがルシータに向けて、ポットの中身をぶちまけたのだ。
もちろんルシータは、それがレオナードがメイドに用意させたものだということは知っている。
熱湯、浴びたら、すぐ火傷、とノリ良く瞬時に判断したと同時に、無意識にアロエを探した。でも強く腕を引っ張られた。抗うことができぬまま、再び気障な香りに包まれた。
この全てがわずか数秒の出来事だった。
耳をつんざく程の悲鳴が、庭園に響き渡った。
同時にガシャ、ガシャ、ガシャーンと耳障りな金属音と陶器やガラスの割れる音が聞こえた。
でもルシータは、熱くはなかった。痛みも無かった。濡れた感触さえなかった。
あるのは、確かな温もりだけで。
ルシータはゼンマイが止まりかけたおもちゃのように、ぎこちなく顔を上げる。
そうすれば当然のように、紺碧色の瞳が出迎えてくれた。
「ルシータ、大丈夫?」
「……っ」
ルシータは何も答えることができなかった。
レオナードはルシータの後ろにいたはずなのに。
なのに熱湯を被ったのは、ルシータではなく、レオナードだったから。




