本音で語る思い出話④
一際、強い風が吹いた。
ハナミズキの枝が、まるで生きもののようにくねり、真下のテーブルクロスにリスが飛び跳ねるような影を作る。
ギャラリー達もひそひそ話を止めて、なびいてしまった髪やドレスの裾を慌てて押さえる。
アスティリアも例外ではなく、綺麗に巻いた髪を乱暴に押さえた。そして、そのままバツが悪そうな顔をしてロザンリオの腕を引く───この場から、逃げる為に。
「アスティリア、まだ話は終わってないわよ」
ルシータは当然の如く呼び止めた。
当たり前だ。波風立てないよう、これ以上傷付かないよう、家に、自分の殻に引きこもっていたのを引きずり出した責任はしっかりとってもらおう。
ルシータは腹をくくった。
逃げ続けたところで、この執念深い女はどこまでも追ってくる。医者を泣かせる流行り病のように。なら、ここでケリをつけさせてもらおう。
「ねえアスティリア。あなたの引き立て役になれなくてごめんなさい。あなたを褒め称えることを何一つ言えなくてごめんなさい。あなたの望み通りに動けなくてごめんなさい。私はそうあなたに謝れば良いのかしら?でもね、これだけは言わせて」
もう聞きたくない。
ありありとそんな気持ちを顔に表したアスティリアに、ルシータは口の端をゆっくりと持ち上げた。
ああ、今、自分は絵に書いたような悪役令嬢の顔をしている。そんなことを思いながら。ただし、紡ぐ言葉はそうではないけれど。
「あなた、私に噴水に突き落とされたってそこらじゅうに泣いて訴えてたみたいだけど……あれ、私がやったんじゃないわ。あなたが自分からダイブをしたのよ。見栄をはってピンヒールで学校に来たせいで、小石に躓いて」
「え?嘘、マジで?!」
一番最初に食いついたのは、まさかのロザンリオだった。
ついさっきまで他の女性を物色していたというのに。今は婚約者の黒歴史に興味津々だった。もっと聞かせろと言いたげに目を輝かせている。
どうやらこの男、人の悪い噂と失敗話がことのほかお好きなようだ。本当に良い性格をしている。
と、そんなことを思ってみたけれど、よその男のことなど他人の靴紐よりどうでも良いこと。ルシータは、すぐに意識を戻して言葉を続ける。
「素晴らしかったわ。あの時、あなたが何の迷いもなく、噴水に飛び込んでいく様は一生忘れることができないと思う。だって、実験室にいた私は、思わず手にしていた試験管を滑り落としてしまったのよ」
くすっと、堪えきれなくなってつい漏らしてしまったような低い笑い声が降ってきた。レオナードの声だった。
さすがに、ロザンリオはそこまで露骨な態度をとることはしない。だからといって、アスティリアを擁護する気もないらしい。
ほんの少しだけ同情する気持ちがルシータの中に生まれる。だが、こちらとて手を緩める気はなかった。
「恥ずかしいからって、それを隠すために……あなたは、その後大変そうだったわね」
「なっ、なにが言いたいのよ」
口調だけは勇ましいけれど、どうみたってアスティリアは狼狽えている。そして、次に語るルシータの言葉がわかっているのだろう。一歩、後退した。
けれどルシータは、その距離を埋めるべく一歩踏み出す。レオナードがぴったりとくっついてくることに、今は意識を向けないようにして。
「ああ、これも謝らないといけないわね。───私、あなたからの心無い言葉に、悲しい顔を出来なくてごめんなさい。わざわざ登校時間を早めて、私の私物を捨ててくれたのに、悔しい顔をできなくてごめんなさい。制服に泥を塗ってくれたのに、涙の一つも流せなくってごめんなさい」
ルシータは謝罪する態度とは真逆の表情を浮かべ、にこやかに頭を下げた。
そして顔をあげて、きっちりと補足もさせてもらう。
「ご存じの通り、私は研究所の下宿人だから。研究所は都市伝説の宝庫なんで、陰口は挨拶程度にしか聞こえないの。私物も高価なものは何一つ持っていないし。それに私、見ての通りガサツな性格だから、教科書なんてぐちゃぐちゃにされても、文字さえ読めれば別に気にしないの。下宿先で怪しい液体がついた白衣を洗濯することもあるから、成分がわかるものは汚れとも思わないの」
悪口を言われた。
私物を知らぬ間に隠された、捨てられた。
制服に泥をかけられた───
アスティリアは何度も何度も、ルシータにそうされたと涙ながらに、同級生に訴えていた。
まるで本当にされていたように。
でも、これは全てが嘘というわけではない。
実際、アスティリアはそれらを目にしていた。ただし、された側ではなく、する側で。
そしてルシータが他の生徒と同じように、アスティリアのことを女王様扱いするのをずっと待っていた。でも、結局卒業まで、ルシータの態度は変わらなかった。
その結果、ルシータは悪役令嬢となり、アスティリアは悪役令嬢にいじめられる悲劇のヒロインというシナリオが出来上がってしまったのだった。
これまでルシータはこのことを一切公言しなかった。言ったところでどうなると、思い込んでいたし、意固地になっていた。
でも実際、本音で昔話をしてみたところ、どうだろう。
ここにいるギャラリーの顔は、大きな刷毛で絵の具を塗ったように、皆、同じ顔をしている。驚きと、困惑と、罪悪感がごちゃごちゃになった、複雑な表情を。
でも、”片想いしている相手に色目を使った”というでっちあげは、敢えて触れないでおく。すぐ後ろにレオナードがいるから。
そんなアスティリア程ではないが、少々計算を入れたルシータの言葉に、幸いにもレオナードは気付いていない。
でも、少しの間のあと、ゆっくりと小さく息を吐いた。
「......ふぅーん、そんなことがあったんだね」
まるで初めて耳にしたかのように、レオナードもギャラリーと同じように驚きと困惑が混ざった口調でそう言った。ひどく静かに。
初夏の心地よいはずのこの庭の温度が間違いなく5度は下がった。




