上弦の月
裕太が月を見ることを私は止められなかった。
月を見ることの何がいけないのか、うまく説明できなかったし、私がグレ始めた頃は、親にやるなと言われたことをやりたかった。
それに、私がグレた頃にやった他のどんな悪事より、月を見るほうがよっぽど良い。でもそれが、どんな意味を持つのかがわからない。
裕太に何度理由を聞いても「見たいから」という以上の答えがない。
しばらく悩んだ後、裕太の友達で話を聞いてくれる子がいないかと考えて、隣の都子ちゃんを思い浮かべた。
裕太より年上だし、しっかりして見える子で、仲良しだ。それにご両親も真面目で優しそうな人達で、充分信頼できるだろうと思った。
これでだめなら、といくつかの児童精神科やカウセリングのウェブサイトをブックマークした。
都子ちゃん曰く「見ると元気になるんだって」。
あまり芳しくない答えだった。元から月や星が好きだったわけではないし、サッカーをするとか焼き肉を食べるとかそういうことの方が元気になっていると思う。
私はブックマークしていたサイトを全て、上から下まで、読み込んだ。
値段のことなど気にしたくないが、やはりカウセリングは高い。しかし、月を見るからと児童精神科に連れて行くのもおかしい気がして、カチカチカチカチ何度もサイトを巡った。
そうしながら、ふと、検索窓に「月 子供 好き」と打ってみたが、子ども部屋用の壁紙やステッカーがヒットするだけ。
好き、がいけないのかもしれないと「月 子供」と検索すると、アニメ映画のサイトばかりがヒットした。
次に、「月 子供 見る」と入れる。月が好きな子供のいる家庭のブログや天文台のサイト、オススメの望遠鏡などの更に後に、ひっそりと「Full Moon Syndrome(満月症候群)の児童」というサイトがあった。
映画か妄想か、だとしても気になって、そのページを開く。
―満月症候群の子供たちは、感染から最初の満月までの潜伏期間を経て、月を好んで見るようになります。
満月症候群という病名はとてもフィクションのようですが、現実に存在する奇病と言えるでしょう。
ごく稀に、自然界に存在するlunararia.Acidobacteriaという細菌に感染することで発症します。この細菌は非常に稀で、培養が難しいためあまり研究が進んでいませんが、感染したと思われる児童の主に硝子体から発見されたことで、研究者達に広く認知されるようになりました。
経口感染(川の水や草花を口にして感染すると思われる)し、全身の様々な体液内に繁殖しますが、ルナラリアが好むのは主に硝子体です。
そして、ルナラリアは硝子体で太陽光などの光エネルギーを浴びて栄養を得て、更に繁殖し、全身に移動します。また、効果的な治療薬も発見されていません。
しかし、ルナラリアは毒性が殆ど無く、体内で繁殖しても、尿や便で簡単に排泄されてしまうので、体内のルナラリアの数が増えすぎることはほぼあり得ません。そして増えすぎても問題はないとされています。
では、このルナラリアに感染した場合に起こる症状が何なのか?それは満月症候群(英:Full Moon Syndrome)という名前の通り、月を好んで見るようになる、というものです。
全く無害で、むしろ素敵なように思える症状ですが、何人かの児童は月に集中するあまり、夜眠らなくなったり日常生活に支障が出ていたりするという報告があるので要注意です。
また、なぜ子供だけが満月症候群になるかと言うと、大人の感染者は眼球その物の衰えが原因で感染児童程美しく月が見えていないのではないかと言われています。
最初の満月までが潜伏期間とされているのは、満月症候群の子供たち数十人に「いつから月を見始めたか?」と聞くと「満月の夜に美しく勇気づけられるような光を見た時から」と答えたからです。ですが、まだまだ症例が少ないため研究が必要です。
とある研究者は、ルナラリアに感染している人は現在認知されている満月症候群患者より多く存在するが、単に月が綺麗であるまた月が好きであるというように捉えられていて、ルナラリアに感染している事に気づかれていないのでは?と語ります。―
現実味のある学者の名前と簡素なサイトのデザイン。文章も固く専門用語が何度も登場するが、わかりやすい解説も多い。
「あぁ、これか…」と呟いた私は、そのページを閉じて、いくかのブックマークもそっと消した。