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白い天井

 ――またやってしまった。

 目が覚めた時、俺の目に映ったのは医務室の見慣れた天井で、つまり俺はまた気を失っていたらしい。

 少し全力を出すとこれだ。またゲイルに説教されると思うとつい溜息が漏れる。ゲイルは常々「お前は口を開くと説教ばかりだな」と嫌な顔をするが、正直なところ、俺がゲイルに説教される回数の方が多い気はしている。

 ゆっくりと上体を起こしてみると、まだ、頭がふらふらして気分が悪い。今回も随分血を失ってしまったらしい。飛んでいる間は自覚症状が無いだけに性質が悪い。口内と鼻腔に広がる鉄錆じみたにおいに辟易していると、不意に声がかけられた。

「おや、意外と早いお目覚めじゃないか、お姫様」

「トレヴァー」

 揶揄の響きは聞き流して、そちらに視線を向ける。有能な同期トレヴァー・トラヴァースは、いつからそこにいたのか、壁際に置かれたソファに優雅に足を組んで腰掛けていた。と言っても、こいつの神出鬼没っぷりは戦場でも日常生活でもいつものことなので、今更気にもならない。

「俺、どのくらい寝てた?」

「十五分程度だね」

 大したことはないな。そもそも翅翼艇(エリトラ)に乗る度に意識を失う、という時点で問題はあるわけだが、それでも一日目覚めずにゲイルに青い顔させた時よりはずっとマシだと思うことにする。

 立ち上がり、つかつかと近寄ってきたトレヴァーは、わざとらしく口の端を歪めて言う。

「あーあー、美人が台無しだよ」

「え、まだ血ついてる?」

「顎の辺りにべったり」

 渡された濡れた布で顎の辺りをぬぐうと、確かに赤黒いものが付着した。いくら自分の血とはいえ、やはりいい気分ではない。何しろ鼻血だしな。

 念のため顔全体を拭いながら、腹の底から溜息を吐き出す。

「近頃は随分慣れたと思ってたんだけどな……」

「肉体的限界は流石に『慣れ』で誤魔化せるものじゃないと思うね、ボクは」

 トレヴァーの言い分も、まあ、否定はできない。いくら魂魄で翅翼艇(エリトラ)を動かす霧航士(ミストノート)といえど、その魂魄が肉体に結び付けられている以上、肉体の悲鳴を誤魔化しきることはできない。

 俺の場合、魂魄と肉体を結びつける器官、つまり脳にかかる負担が人の数倍大きいらしい。その反動なのか何なのか、鼻腔からの出血が癖になってしまっている。このまま続けていれば脳が焼き切れて廃人になる可能性もある、と言ったサヨの冷たい視線を思い出すと、何とはなしに背筋がちりちりする。

 ――だが。

「それでも、俺はこうでもしなきゃ、飛べないしな」

 正確には、俺自身が飛んでいるのではない。飛ぶのはあくまでゲイルで、俺は奴のための『目』に過ぎない。誰よりも速く、誰よりも高く。飛んで、飛んで、飛び続ける奴を支えるためには、多少の無理くらい許容しなければやってられない。

 並列思考、高速演算。それに俺が持って生まれた「能力」。その全てを駆使して、初めて俺は奴の『目』足りうる。飛べない俺が、翅翼艇(エリトラ)に乗ることを許されるのだ。

 トレヴァーは、そんな俺を涼やかな色の目で見下ろして、心底呆れた顔で肩をすくめる。

「それで焼き切れてちゃ世話ないけどね」

「まあな」

 俺も同じポーズを返してやる。確かにトレヴァーの言うとおり、焼き切れて壊れてしまっては、意味がない。

「でも、そうでなくたって霧航士(ミストノート)の寿命は短いんだ。俺が壊れるか、ゲイルが蒸発するか。その前に」

 ――目指した場所にたどり着けるか。

 俺の呟きを耳ざとく拾ったらしいトレヴァーが、くつくつと笑う。

「撃ち落とされる可能性をこれっぽっちも考えないのが君らしいよね、オズ」

「その時はその時だろ」

 別に、考えていないわけじゃない。ただ、その時は俺もゲイルも死ぬ。それだけの話。

「ま、ボクは君たちの夢には興味ないけど、撃ち落とされるのは困るからね。ゲイルのあんな姿やこんな姿が二度と見られなくなるなんて、人類の損失だよ」

「いやートレヴァーはほんと変態だなー」

 どこまでもトレヴァーの興味対象が「ゲイル」でなく「ゲイルの飛び方」なのはよくわかっているので、ここは軽く流すに済ませる。

 こいつの言い方はアレだが、トレヴァーがこういう奴であるお陰で、俺はゲイルに「好きに飛べ」と言える。俺の目が届かない場所は、必ずこいつが守ってくれると信じていられるのだ。

 トレヴァーは意味ありげな笑みを浮かべたまま、俺に背を向ける。

「ゲイルには大丈夫って伝えとくから、もう少し休みなよ。すごい顔色だよ、君」

「何となくそんな気はしてた。お言葉に甘えとく」

 正直、体を起こしていると何だか目が回って吐き気が酷い。貧血の症状であることはよくよくわかっているので、もう少し大人しくしていた方がいいとは思っていたのだ。

 トレヴァーはもはや俺には見向きもせず、ただ、ひらひらと長い指を持つ手を振った。

「おやすみ、オズ」

「うん、おやすみ、トレヴァー」

 そのまま、ゆっくりと仰向けに倒れこむ。トレヴァーの足音は聞こえない。来た時と同じように、あいつはいつだって音もなく去っていく。そういうものだ。

 無機質な白い天井に、青い、青い、未だ見たことのない「空」のイメージを――いつか、ゲイルと共に目指すと決めた、遠すぎる場所のイメージを焼き付けて。

 瞼を、閉じる。

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