49.目覚めない恐怖
しばらく扉に耳をつけてコナツは中の様子をうかがう。ジズベルトが起きる様子は無いと確信したらしく、やっと彼女は光人に向き直った。
「ふぅ……大丈夫みたい。ごめんね、タイミング悪くて。」
光人は逆に申し訳なくて眉尻を下げる。
「いえ、俺も急に来てすみません。また今度改めて会いに来ますね。」
「うん。そうしてあげて。あの人も、寝られるときに寝ておかないといけないから。」
「本当に忙しいんですね。」
「それもあるけど、そもそも眠るのが得意じゃないっていうか……。目覚めなくなるのが怖いんだって。」
「目覚めなくなるのが……?」
今眠って、このまま目覚めなかったら――人間、一度は考えたという人も多いだろう。しかし、あのジズベルトがそういうことを考えるどころか恐怖する姿が想像できず、光人は首を傾げた。
「あの人が忘れたら最後、消えてなくなっちゃう物語もあるからね。いろいろ責任感じてるんだと思うよ。それに――あぁ、これこれ。必要なくなるとすぐポケットに入れちゃうから、こういうときに回収してあげるんだけど……。」
コナツはエプロンのポケットからクシャクシャに丸まったメモ用紙を取り出した。伸ばすと、何度も確かめるようにいくつかの単語が書かれているのが分かる。それはジズベルト本人の名前であったり、今光人が話しているコナツのフルネームであったり、人名が多い様子であった。
「全てを覚えてることが普通で、当たり前だった書庫長にとって、何かを忘れるっていうのはすっごく怖いことなんだって。そりゃ、私だっていろいろ大事なこと忘れちゃうのが悲しいし寂しいのは同じだけど、普段から忘れっぽい私と書庫長とじゃ深刻さとか種類が違うみたいなんだよね。」
「だからテトラが欲しかったのかな……。」
「テトラ?――あぁ、昨日書庫長が話してた新人さんかぁ。多分そうだよ。自分以外に、自分の記憶を半分持ってて欲しかったんだろうね。」
当たり前にあったものが突然なくなる不安――それには光人も覚えがある。
「光人、飯嶋コナツに会わせてください。」
「あ、うん。飯嶋さん、テトラは今……スキルを使ってここにいるんです。」
突如聞こえた第三者の声にきょろきょろとしていたコナツにスマートフォンを見せる。コナツは目を見開いた。わずかに口を開けたままで画面で泳ぐテトラを見ている。
「はじめまして、飯嶋コナツ。ワタシは電子回遊の魚・テトラです。ジズベルトの補佐に就けないことを謝罪します。」
「は、はじめまして……!うわー、すごい……!あ、補佐、補佐ね。それはいいの。私ももっとがんばるし。でも、たまにお手伝いに来て欲しいな。光人君と一緒に。」
「了承しました。コナツの寛大さに感謝します。」
「寛大だなんてぇー。」
照れたような、それでいて誇らしげな顔でコナツは笑った。
「テトラちゃんは、なんでウチの書庫断ったの?」
「ワタシは、誰よりも光人をサポートしたいのです。そのためです。」
「そっかー!じゃあしょうがないね、うん!」
光人の方を見てから大きく頷くコナツ。きっぱりと言い切られると気恥ずかしいものの、嬉しいのも事実で光人は咄嗟に何も言えなかった。コナツはそれすらもニコニコというよりは、そこに嫌味はないもののニヤニヤと表現するのが似合う表情で見ていた。
「そうだ、まだ光人君もテトラちゃんも誰か先輩連れてかなきゃダメだと思うけど、その内お散歩とか買い物しに他の物語に干渉するのもアリだよ。できることは限られてるけど楽しいんだよ。」
「そういうこともできるんですか?」
「うん。ほら、修行に行ったのと同じ感じだよ。もちろんその世界の登場人物に直接関わったりすることはできないっていうか、禁止されてるんだけど……図書館はアクセサリーとか作ってないから、そういうの欲しい人は他の世界に買い物に行ったりするの。」
「なるほど……。」
テトラは装飾品の類いを欲しがるタイプには見えない。しかし、いろいろな場所を出歩くのは――その時彼女が人型であれ、スマートフォンに住む魚であれ、有意義かもしれない。光人はそんな風に考えた。
「こういうところ行きたい!みたいなのがあったら私たちに言ってくれれば丁度良さそうな本教えるから、ご遠慮なく!」
「わかりました。そういう時はお願いします。」
迅雷は、九番書庫こそ図書館と呼ぶのに最もふさわしいと言っていたが、事実こうして話すと『司書』という肩書きもよく似合う。
テトラと一緒に行くところを今度探してもらおう――そんな風にちらりと考え始めた光人を前に、突如コナツはハッとした顔で光人の両肩を摑む。光人はその肩を跳ねさせるも、コナツは気にせず口を開いた。
「光人君、そろそろ食堂行った方がいいかも。私は行く。」
「へ?あ……そういえばサジェさんもテトラを人体に戻して行けって……。」
「そっか、テトラちゃんにも当然人体あるよね。ならなおのこと急がないと!」
「でもサジェさんはもうちょっと後でもいいって言ってたような?」
「サジェさんは普段食堂使わないからその辺の認識甘いの!ほら早く早く!」
くるり、と後ろを向かされて急かされる。電車ごっこのような状態のまま早足で九番書庫を出て行くのを、太陽が呆然と見ているのだった。




