48.君と空を見る
図書館に本を読みに行くのもいいが、今はテトラを連れて歩くことの方が大切だった。あの地下施設の水槽で泳いでいたテトラに、いろいろなものを見せたい――そう思った。
「テトラ、どこか行きたいところある?って言ってもわかんないか。」
「要望はありません。しかしサジェからこの施設内のマップを受け取りました。よって、光人が望む場所を案内することはできます。」
「あ、マップもらえたんだ。よかった、すごく助かる。」
「それは何よりです。光人はどこか行きたい場所はありますか?」
「そうだなぁ。あ、ジズベルトさんにお礼言ってないから行こうかな。」
修行のために書見台のある部屋を貸してくれたジズベルト――帰還した時に気を失っていた光人は当然、帰ってきてから彼と顔を合わせた記憶がない。
「ジズベルト――九番書庫長、ジズベルト・ボーデンシャッツ氏ですね。ワタシも彼には興味があります。」
「そっか、じゃあ行こう。この先だよね?」
「はい。その両開きの扉を出て、道なりに進んでください。」
実を言うと、光人はもう九番書庫の場所を覚えていた。本館とでも呼ぶべき現在地にある書庫よりも、完全に別の建物として離れたところにある九番書庫は分かりやすいのだ。それでもテトラに確認してみたくなった。実際、テトラは少し得意げに答えたような気がする。それも、光人がそうあって欲しいと望むが故にそう感じたのかもしれないが。
ドアの先には白いタイルの小道と、同じ色をした高い壁。その壁の先に何があるのかを光人は知らない。
「テトラは、この壁の向こうに何があるのか知ってる?」
「この施設を中心にして、円形に広がる街があるとの情報は得ています。しかし、実際に見たことはありません。――ときに光人。」
テトラはそこでひと呼吸おいた。
「空とは、かくも高いものなのですね。」
高くそびえる壁と、今しがた光人が出てきた施設の隙間から覗く空を、光人は見上げた。確かに、広い空とは言えない景色だが――
「――うん。ずっと高いところまで広がってるんだって。俺は詳しいこと分かんないけど。」
「そうなのですね。いつか、もっと広い空を見ることができるでしょうか。」
「きっとね。一緒に見に行こう。」
「はい。あなたと共に。」
テトラはまたスマートフォンの画面をくるくると泳いでいる。この動きは恐らく嬉しいとか楽しいとか、そういう感情を現しているのだろう。本人――あるいは本魚と言うべきか――に自覚があるかは分からないが、こうして見ると、意外と彼女は感情表現豊かなのかもしれない。指を置くと寄り添うように泳いでくるテトラを見ながら光人は歩く。
「光人、前を見て歩いた方が賢明です。」
「そうだね、ごめん。」
「あの建物が九番書庫です。案内を終了します。」
「ありがとう。一回ポケットにしまうね。」
スマートフォンをポケットにしまい、テトラに言われたとおりに前を向く。本館ほどではないものの、相当な高さ――確実に三階建以上ある白い建物へと、足を踏み入れる。
そこにはやはり海か、滝と表現するべき本の世界が広がっていた。
「あ、君。篠宮君ッスよね。」
「はい?」
「体はもう大丈夫ッスか?」
光人に声をかけてきたのは、見上げるほど背の高い、光人と同い年くらいの少年である。
「あ、そうか、気絶してたからわかんないッスね。俺、東太陽っていうッス。倒れてた君を四番書庫まで運んだんスよ。」
「そうだったんですか!すみません、助かりました。もう大丈夫です。」
「それはなによりッス!今日はどうしたッスか?」
「ジズベルトさんに会いに来ました。お礼を言いたくて。」
「しょ、書庫長にッスか!?」
ギョッという表現がぴったりな動きで太陽は軽くのけぞった。もしかして今会いに来るのはまずかったのか?――光人が尋ねると、太陽は気まずそうに苦笑いした。
「そういうわけじゃないんスけど、その……正直ウチの書庫長、怖いじゃないッスか……。俺はもう慣れたッスけど。」
「確かにちょっと怖いけど……意外と優しいんじゃないかなぁって、思ってます。」
「おぉ……なんか、書庫長のことをそういってくれる人がいることに感動したッス……。昨日もめちゃくちゃ欲しかった新人さんを他の書庫に取られたーって荒れてたんで、書庫長のこと苦手って人はまたしばらくここに近寄らなそうなんスよ。」
やはり苦笑いの太陽は、じゃあ、と仕事に戻って行った。光人はポケットのスマートフォンをそっと撫でる。
――多分、取られた新人ってテトラのことだよな……。
このまま会わせてもいいものかと少し悩んだが、結局光人は珍しく誰もいないカウンターの先へと歩み寄る。こっそりと聞き耳を立てるが、中からは特に物音も聞こえない。遠慮がちに小さくノックをすると、極めて静かに扉が開いた。
「お、光人君。ごめんね、今書庫長お休み中なの。」
出てきたのはコナツで、声を潜める彼女と扉の隙間から見える室内では、机に突っ伏して眠るジズベルトの姿が見えた。下敷きになってたの、とコナツは笑って手元の古びた本を光人に見せた。そのままカウンター側へ出てくると、コナツは音を立てないようにドアを閉める。




