45.遅めの朝ご飯
かくして、光人は今日一日テトラと共に行動することとなった。テトラは本人の希望で今はスマートフォンの中にいる。というのも、いつもの癖でポケットに突っ込むせいで先日の修行に持って行ったと話したからである。致命的な損傷がないか確認するとのことだった。もちろん彼女にとっては、生身の体で歩くよりも楽という理由もあるのだろうが――真剣にスマートフォンを心配している様子だったので、移動手段に関しては二の次だったのだろう。
「おい、篠宮。」
「あ、ロデリックさん。」
まずは腹ごしらえを、と食堂で霖から朝食を受け取った光人が出会ったのは金髪の美形――ロデリック・イリーガンであった。ロデリックは前に見たときよりも軽装で、しかし背筋をまっすぐに伸ばした姿勢で椅子に腰掛けていた。時間帯の問題なのか、食堂に人気はまばら。そのせいもあってか、ロデリックが腰掛けている周囲だけ、「食堂」と呼ぶのを一瞬戸惑ってしまうような空気が漂っている。これが気品か――と、光人は一人、納得した。
「生き残ったか。おめでとう。」
「えっ、ありがとうございます。」
「なんだその意外そうな顔は。……まぁいい。とりあえずその改まったしゃべり方はよせ。」
「そうだった。」
紅茶を飲む姿はさながら英国紳士である。無論実際に英国紳士に会ったこともないので想像でしかないのだが。そんな気品にあふれたロデリックの正面に座るのはなかなか気が引けるものだが、呼び止められた以上、ここで離れた別の席に座るのも失礼な気がして光人は尋ねた。
「ここ、座ってもいいかな。」
「かまわん。」
思いの外あっさりと許可が下りたことに胸をなで下ろし、光人は椅子を引く。
「食べ方汚かったらごめん。」
「何の宣言だ。……そこまで人の食事の作法にとやかく言うつもりはない。慣れない手つきでこぼす方が不快だ。あとは無駄に音を立てなければいい。」
「いるよね、やたら食べるときにクチャクチャ鳴らす人。」
「あんなものは論外だ。」
やはり多少の緊張はあるものの、光人は紅茶を味わうロデリックの正面で温かいカルボナーラを前に手を合わせた。いただきます、と小さく言う。
「お前の他にもやっている人を見たことがあるが、それは何かの儀式なのか。」
「元はそんな感じだったと思う。俺のはもう、癖だね。そうしなさいってずっと言われてたから。」
「そうか。」
静かな、朝と昼の境目。相変わらず窓がないせいで時間の感覚は分かりづらいが、それでもどことなくのんびりとした時間である。光人はスパゲティをフォークで絡め取り、口へと運ぶ。蕩けるような濃厚な旨味と、香ばしい黒コショウの香りが舌を満たしていく。
「……おいしい。この食堂のってなんでもおいしいね。」
「ああ。食事は人生の大きな楽しみの一つ、と言って譲らない職員が多らしくてな。」
「こだわってるんだ。」
食事や水に不安がないのは、当然ながら精神的な負担を軽減させる。突然訳も分からないまま所謂異世界に放り込まれた身として、衣食住を保証された環境に改めて光人は感謝した。これがどれか一つでも欠けていたら、当然だが今のように落ち着いて誰かと話すこともできなかっただろう。
「修行はどうだった。」
「死ぬかと思った。」
「だろうな。」
「でも、死ぬって思ったら、逆に絶対に死ねないって思ったんだ。」
ロデリックが動きを止める。一瞬虚を突かれたような顔をして、すぐにその口元をわずかに持ち上げた。そのまま、控えめにクツクツと笑う。
「な、なに?いや、変なこと言ってる自覚はあるんだけど。」
「いや、悪い。……そうか、それならいい。合格だ篠宮光人。火燕焔神殿に任せて正解だった。――戦うということがどういうことか、少しは分かっただろう。」
「うん。すごく――怖いことだ。」
「それでいい。」
ロデリックはティーカップをソーサーに置いた。陶器のぶつかる音が小さく響く。
「火燕焔神殿に礼は言ったか?」
「それが……実は帰ってくるときに気絶しちゃって。起きてから会えてないんだ。サジェさんのところに武器の発注に行くように言われたんだけど、その前に師匠のところに行くべきかな。」
「ああ。そういうことなら尚更行っておけ。時間さえあれば事細かに、という表現が合うかは知らんが、指導はしてくれるだろう。」
「そっか。なら先に行ってくるよ。サジェさんはいつでもいいって言ってたらしいし。」
光人は急いで、しかししっかりと味わってカルボナーラを完食する。その間、ロデリックは何か言うでもなく、しかしそこにいた。そして光人が再び手を合わせるのを見届ける。
「ごちそうさまでした。」
「俺も部屋に戻るとしよう。」
「ご飯、付き合ってくれてありがとう。」
「なんとなくそこに座っていたかっただけだ。気にするな。」
ロデリックはまたかすかに笑って、光人に背を向けた。光人もまた皿とトレーを返却すると、スマートフォンから聞き慣れた通知音がした。ポケットから取り出すと、ロック画面で機械の魚が悠然と泳いでいる。通知音は彼女が鳴らしたらしい。一応周囲の様子に気を配りつつ、光人は所謂歩きスマホ状態でロックを解除する。
「光人、予定変更ですか?」
「うん。先に師匠に会ってくる。」
「師匠……先程の話から察するに、火燕焔神なる人物でしょうか。」
「そうだよ。元は火の神様なんだって。テトラのこと見たら師匠もびっくりするかなぁ。」
「どうでしょうか。どちらにしても、新しい人物のデータが収集できるのは私にとっても望むところです。」
そもそもテトラにとって今、情報の収集は全て光人の役に立ちたいという、その想い一点のみで行われている。あなたの役に立ちたい――そう言っていたのを思い出して光人は心臓が温かくなった。




