35.人生初の師匠
光人は床を見ながら、小さく口を開いた。
「それでも、強くならないといけないんです。もとの世界に戻らないと……。」
「劇的に人を強くする方法などそうそう無い。日々の鍛錬があればこそだ。しかし、どうしても急いでいるなら……ある意味ルートヴィヒよりも師には向かないかもしれないが、お前に『戦い』を教えてくれる人がいないこともない。」
「え?」
「命の保証はしない。端から取り合ってくれない可能性もある。それでもやる気があるなら付いてこい。今なら恐らく会えるだろう。」
「……。」
ほとんど痛みが引いた腹を撫でる。そして今一度自身に問いかける。――今、すべきことは?これから、しなければいけないことは?
「どうする。」
「行きます。」
「……わかった。付いてこい。」
束ねられた艶やかな金髪が揺れるロデリックの背を追いかける。さほど急いでいる風でもないのに、足が長いおかげか彼もまた歩くのが速い。自分ばかりが急いでいるような気分になりながら階段を上り、最上階の三階。行き先も告げられないまま案内されたのは――――零番書庫、その一室であった。
「七番書庫・司書のロデリック・イリーガンです。カエンホタル司書長殿はいらっしゃいますか。」
ノックと共に呼びかけたロデリックの声に応えたのは中性的な声であった。短く「入れ。」と言ったその声を聞き逃さず、扉を開く。
「よぉ、ロデリック。珍しいじゃねぇか、お前がこの俺に会いに来るなんて。」
「ご無沙汰しております。今日はご相談がありまして。」
「んだよ、その後ろのガキか?」
「はい。指導者を欲していると言うもので。」
爛々と輝く大きな赤い瞳。左目の上から縦に一筋、それと交差するように顔の中央ほどの高さに横に一筋の大きな傷。高い位置で一つにくくられた黒髪は、毛先に向かうにつれて燃えるような赤色をしていた。同じように、長身が纏う黒い和服もまた裾が赤い。目の前のロデリックをはじめ、圧倒的に白い服を着る人間の多いこの組織で――否、何よりも、どこもかしこも真っ白なこの建物の中においてその姿は異彩を放つ。しかしその存在感を光人はつい最近、他にも目の当たりにした覚えがあった。――そう、図書館館長の鵺魄である。鵺魄もまた黒を纏っていたのだ。鵺魄がひたすら相対する者に異質さを感じさせたのに対して、ロデリックがカエンホタルと呼んだその人物は清々しい熱気を――炎そのものを思わせる。
「指導者ねぇ。俺は弟子をとらねぇ主義だ。他を当たんな。……と言いてぇところだが、わざわざ俺のところに連れてきたってこたぁ、なんか理由があんだろ?それくらいは聞いてから考えてやるよ。」
「ありがとうございます。彼は、剣を握ったことすらほとんど無い、戦いとは無縁の生活をしていたようです。しかし、彼はなるべく急いで強くなるために師を求めている。ならば――まずは戦うということがどういうことか、知るのがいいかと思いまして。」
「なるほどな、それで俺か。命知らずなこった。そいつ死ぬんじゃねぇか?」
「命の保証はしないと言ってあります。」
ずかずかと大股で光人の前に進み出たカエンホタルは、品定めをするように光人の顔をのぞき込む。
「聞かせろ、小僧。お前死にたくなくて強くなるのか?それとも――死んでも強くなりてぇのか?」
合わせられた視線を、今は不思議とそらせずにその赤い瞳を見つめ返す。乾いた喉からは、思ったよりも滑らかに声が出た。
「俺は――――――、死んでも強くなりたい。」
赤い瞳はなおも光人を見つめる。
「死んでも強くなって、やらなきゃいけないことがあります。」
「…………よし!」
カエンホタルは光人の顔をのぞき込むのをやめ、ロデリックを振り返る。仁王立ちで満足そうな、というよりは楽しそうな顔をして声を弾ませる。
「気に入った!おいロデリック、こいつ俺の弟子な!」
「私に宣言されましても。」
「いいじゃねぇか!よっし、早速連れ回す!」
「篠宮の所属書庫に許可は取ってくださいね。では、私はこれで。……篠宮。」
軽く頭を下げたロデリックが光人を流し見る。
「生きていたら、手合わせくらいはしてやる。」
「よろしくお願いします。あの……。」
「お前に死ぬ選択をさせたかもしれないんだ。礼は必要ない。」
「それでも。ありがとうございます。」
「……次会ったときは、その慣れない言葉遣いもやめていい。」
呆れたようにロデリックは言い残して去って行った。その口元にわずかながら笑みが見えた気がしたのは光人の勘違いであったのか――それはもはや誰にも判別する術は無い。
「そうだ。お前、名前は。」
「篠宮光人です。」
「おうおう、光人な。ああ、俺の名前も教えておいてやろう。俺は火燕焔神。火の神だ。好きに呼べ。」
「じゃあ、師匠って呼んでもいいですか?」
火燕焔神はその大きな瞳をさらに見開いた。そして満足そうに頷く。
「師匠、師匠か。悪くねぇな。よし、じゃあ俺のこと呼ぶときは師匠な。」
「はい、師匠。師匠は火の神様なんですか?」
「今じゃこんな人間の小せぇ体に押し込まれてるがな。元の物語では無敵の炎だったのさ。ああ、キャストっつったけか。わりとここに来てなげぇけど、どうもあのへんのことって覚えるのめんどくせぇんだよな。まぁ俺にとっちゃ大した問題じゃねぇ。俺は俺が強くあればそれでいい。んで、お前所属は。」
「えー……弐番書庫、です。」
光人が自分の記憶を確認するように言うと、その目の前で火燕焔神は動きを止めた。そして、先ほどまでの清々しいものとは別種の笑みを浮かべる。好戦的な表情の背景に、炎がゆらめいたような気がした。




