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サイド・メイン・サイド・プロット  作者: 村瀬ナツメ
第一章
25/54

25.本の海と疲労の権化

 追いついたとき、既に迅雷は廊下の終わりに立っていた。扉の隣の端末に手をかざして開く。

 

「後でこの端末にもお前の情報を登録しておく。それまでは自分で開くことはできんが我慢しろ。職務内容は歩きながら説明する。」

「はい。」

「既にジェンに着いて現場に行ったからわかるだろうが、俺たち弐番書庫の仕事は時間の止まった世界から生存者を救出することが第一だ。しかし、まだ寿命を食われていない、時間が進行している物語へ行くことも多い。さっき俺が他の部署から渡されたような資料をもとにタイムイーターに狙われている可能性のある物語や食われ始めた物語へと赴き、タイムイーターを撃破する。これが基本だ。」

「戦うってことですよね。」

「ああ。偵察と調査、作戦実行。これらを優先的に行うが故に死亡率も高いがキャストの自身の物語への帰還率も高い。自分の身は自分で守れるようになることだな。」

 

 話しつつ階段を下りた二人は、更にホールを横断する。閉鎖的なこのホールにも、当然ながら外へとつながる扉があるのだと、光人はこの時初めて意識した。他の扉がスライド式なのに対して、両開きになっているドアになぜ今まで気づかなかったのか、自分でも不思議な気持ちになりながら迅雷に続く。扉の外は明るく、ここにきて初めて青空を見ることができたが、高い壁に囲まれていて外界の様子を窺うことはできない。白いタイルの敷き詰められた小道の先に、また白い建物が見えた。

 

「今から行くのは九番書庫だ。どこの物語が食われそうか真っ先に探知する書庫であり、一般の職員が出入りすることが多い書庫でもある。図書館だの書庫だのという呼び名が一番似合うのはここだろうな。」

「本がいっぱいあるんですか?」

「そうだ。物語の寿命は、その物語が誰の記憶からも忘れ去られたときに訪れるのが基本だ。つまり物語の寿命を延ばすには、一人でも多くの者がその物語を覚えている必要がある。そのために、他の任務がない職員は基本的に九番書庫で端から本を読むのが仕事になる。」

 

 静かに両開きのドアを開くと、――――膨大な量の本、本、本。書物の海がそこには広がっていた。真っ白な壁と床、真っ白な本棚。しかしそれを忘れさせるほどの色とりどりの背表紙をした書物が敷き詰められている。光人は圧倒的なその様相に、思わず口を開けたまま遥か頭上まで続く本棚を見上げる。促されるまま足を踏み入れると、紙とインクの匂いが鼻腔を満たしていく。

 

「すごい……。」

「この世界唯一にして最大の図書館だ。……随分楽しそうだな。本が好きか?」

「はい。小さいころから本を読むのが好きで。」

「そうか。」

 

 読書を趣味としていたがそれほど裕福な家に生まれたわけではなかった光人にとって、本が無料で読める図書館は非常に有用な場所であった。購入して家に置くわけでもないので本が場所を取ることもない。その上、図書館そのものが基本的に静かな場所であることも好ましかった。これからの生活で、ここにある本を読むことが許されるどころか推奨されるならば、正直なところ願ってもない話である。ずんずんと進んで行く迅雷の背を見失わないように、しかし周囲の本の――海というよりも滝とでも表現すべき光景に目を輝かせた。

 

「篠宮。こっちだ。」

 

 ハッとして振り向くと、恐らくは貸し出し用であろうカウンターのそのまた奥にある扉の前に迅雷はいた。受付に座っている茶髪の女性に軽く頭を下げて迅雷に早足で駆け寄る。

 

「今から会うのは、この九番書庫の書庫長だ。多少面倒な手合いではあるが、面倒じゃないヤツの方がこの組織には少ない。」

「はぁ。」

「基本的にいつでも業務に忙殺されているような男だ。用があるときはここに来れば大抵会えるということは覚えておけ。」

 

 光人が返事をするよりも先に迅雷は扉を開く。それに続くと、中は外にあるものとはまた別の本で満たされていた。どこか傷みを感じる本、ページが抜けかかった本、古びた薄い冊子のような本、汚れた本。照明こそ明るいが、どこか陰鬱とした雰囲気が漂う室内はかすかにカビとたばこの臭いを感じた。そんな中で文字通り本に囲まれた状態でデスクにかじりついてペンを片手に本を読んでいる男性がいる。黒髪に艶はなく、元は几帳面に整えられていた面影のある七三分けの前髪も少し乱れている。くたびれた白いシャツ、血の気を感じない白い肌、生え始めの無精ひげ。下瞼のクマは重くぶら下がり、眼鏡の奥の瞳は無感動に文字を追っている。疲労という言葉の擬人化のような男であった。

 

「九番書庫長。」

「……あ?」

 

 声をかけられた男性はそこで初めて迅雷と光人に気づいたらしい。低い声と共に顔を上げ、光人を見るなり持っているペンと本をそのまま取り落とし、大股で歩み寄る。思わず半歩後ろに下がりかけた光人の眼前に立ってその肩に両手を置く。肩を跳ねさせる光人を気にする様子もなく、彼は勢いよく隣の迅雷を振り返った。

 

「補充か!!やっと!!」

 

 疲労で濁っていた瞳が輝いている。しかし、それは次の迅雷の言葉で残酷にも、瞬時にまた濁ることになるのだった。

 

「いや、ここじゃない。俺の書庫だ。」

「あぁ?お前のところは足りてるだろう!?」

「死亡率は高いが。」

「最近補充が必要なほど死んだとは聞いてねぇぞ。」

「特殊な事情もある。お前、こいつの顔に見覚えはないのか。」

「ねぇな。」

「こいつの名前は――篠宮光人だ。」

「……そういうことかよ。」

 

 話しに着いていけずに迅雷と目の前の九番書庫長の顔を交互に見ていた光人。その顔をまじまじと見つめると、九番書庫長は光人の肩から手を離した。はぁ、とため息を着くと自身の胸ポケットからたばこのものと思しき箱を取り出し、中を確認して舌打ちをした。どうやら中身は空らしい。

 

「篠宮光人。」

「はい。」

「お前、『主人公』だな?」

「えっ……と。」

 

 迅雷を振り向く、彼は無言のまま頷く。

 

「そうらしいです。」

「俺はお前を知っている。ここに来る前から。正確に言えば、お前が元々いた物語を俺は大体知っている。お前の生い立ちも、生活も、結末もだ。」

「え……?」

「俺は九番書庫の書庫長、ジズベルト・ボーデンシャッツ。仕事は、ここであらゆる本を読み続け、すべての物語を一言一句違えずに記憶することだ。だから、お前の物語を知っている。」

「一言一句!?」

「そうだ。そしてその物語が忘れ去られようとするとき、記憶を頼りに最後の抵抗として本から抜け落ちようとする言葉を補完し続ける。タイムイーターの襲撃を受けた物語はハイスピードで寿命が削られるせいで、そんな作業は間に合わんがな。完全に物語が消滅してしまえば、俺も覚えてはいられん。――だというのに、お前の物語は不確実ながらも覚えている。主人公が救出されるとこういう現象も起こるんだな。」

 

 メガネの奥の瞳には相変わらず光を感じない。光人はその瞳を見上げながら、ずっと心臓が耳のすぐ隣にあるんじゃないかというほどの鼓動が自分の中に響くのを感じていた。

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