23.またね
「やっぱ片付けて正解だったね。」
「感謝します。」
「見して見して。おー、すっきり。よかったね、テトラちゃん。もうこのままスマートフォンに住んだ方が楽だら。」
「光人が許可するならば……いえ、やはり人体の動きも覚えておくべきでしょうから、その方針は非推奨です。」
「そう?」
「俺は嫌じゃないよ?人間の体の練習すると疲れるだろうし、いつでもおいでよ。」
「光人君もこう言ってるし、そうしたら?」
「……光人は、なぜワタシにそこまでするのですか?」
じ、とテトラは動きを止めて液晶の向こう側から光人を見つめている。サジェもまたその問いに興味を示したらしく何も言わない。ぽつんと落ちた一拍の間。
「うーん、どうしてって言われると困るけど。テトラは、俺とジェンがここに連れてきたし……いや、面倒見てるつもりとか、そういうのじゃなくて。正直に言うとね?俺、魚を見てるのが好きなんだ。だから、テトラがスマホで泳いでてくれるとなんか、嬉しい。」
「なるほど。では光人はワタシを必要としていると解釈して間違いないですか?」
「うん。合ってると思う。なんかごめん、自分勝手な理由で。」
「構いません。ワタシには建前やそれに類似するものが不可解です。……では、ワタシは人体の訓練が済み次第ここに戻ります。よろしくお願いします。」
「うん、よろしく。」
「よしよし。お互い納得したようでなによりだに。まずはテトラちゃんを人体に戻そか。」
「はい。」
「よっし。行きまっせ。」
毛布を畳んで立ち上がり、そのままサジェに連れて行かれたのは四番書庫――光人がミシュリーに出会った場所だった。先にサジェが連絡を入れてあったらしく、窓口にはあの日、テトラを引き渡した白スーツを着た神経質そうな眼鏡の女性がいた。
「ご連絡の際に言われた機器は設置済みです。」
「さっすがセラちゃん。仕事が早かね。光人君、彼女はここ、四番書庫のサブリーダー、副書庫長のセラ・グラーブスちゃんだよ。」
「篠宮光人です。よろしくお願いします。」
「こちらこそ。……そういえばあなたには書庫長がご迷惑をおかけしたようですね。すみませんでした。」
「え?あ、ティーヌちゃんのことですか?」
「は?」
瞬間的にセラの眉間が峡谷を作るのを見て思わず光人は半歩後ろに下がった。見るものが見れば、それがセラからあふれ出た殺気に押されての反射的な行動であったと分かったことだろう。――もっとも、彼女が殺気を向けたのは光人ではなく、「ティーヌちゃん」であったが。サジェは肩を震わせていた。どうやら笑いをこらえているらしい。
「え、えっと……?」
「ん、ふふ、光人君、一応これからは上司というか、目上になるけん。っく、てぃ、ティーヌちゃんはまずいかも、んふっ!」
「サジェ書庫長、笑い事ではありません。篠宮君、恐らく本人にそう呼ぶように言われたのでしょうが、そのふざけた呼び方はやめなさい。貴方のためです。」
「す、すみません。わかりました。」
ふう、と息をつくとセラはサジェと光人を一つの部屋へと案内した。そこには、テトラがいた。白いワンピースを纏い、ベッドに寝かされている。彼女は相変わらず青白い顔で、心電図らしきものが鼓動を刻む様子を示していなければ、息をしているのにも気づかないくらいに静かに眠っている。金色のまつ毛が揺れることも無く、静かに閉じられた瞳。それを前に、光人はそっとスマートフォンを取り出した。
「テトラ、着いたよ。」
「はい。……これが、ワタシだったのですね。」
「見たことあるの?」
「この部屋から出て行くときに。しかしその時には誰なのか把握していませんでした。」
セラが小さく息を呑む。
「本当に、彼女の意識だけが彼のその……端末に?」
「おん。電子機器への干渉スキルば持っとるらしか。私も最初はおったまげた。」
「それで、そのコードで彼女を本当に体に戻せるのですね?」
「そのはずだに。光人君、テトラちゃん、二人とも準備はいいに?」
「はい。」
「構いません。」
光人からスマートフォンを受け取ると、サジェは早速手に持っていたコードでテトラのベッドの隣に設置された機械につなぐ。テトラは画面上から消える。整頓してしまったホーム画面は、テトラがいなくなった途端に寂しいものに変わった。
しばらくその場の三人で固唾をのんでテトラを見ていると、ぴく、と彼女の瞼が僅かに動いた。次第に、開かれて長いまつ毛に縁取られた海を思わせる青い瞳が覗く。次いで唇が動き、かすれてはいるが声を発した。
「ぁ、きと。」
「ちゃんと戻れたんだね?よかったぁ……。」
「はぃ。」
セラは光人がアウグスティーヌにされたようにテトラの腕に体温計のような器具を軽く押し当てる。
「……体力は低下しているようですが、特別な異常は無いようですね。呼吸も安定しています。」
「そうだ、もう咳き込みそうにならない?」
「はい。呼吸のしかたを、インプットした覚えは、ないのですが……。」
「本能的な人体の機能だに、寝てる間にいつの間にか習得してるってこともここじゃ珍しくなかよ。」
「なる、ほど。」
「しかし、しばらくは動く練習をするにしてもこの部屋の中のみにしてくださいね。それから、無理に立ち上がらないこと。いいですね?」
「かしこ、まりまし、た。」
「それからサジェ書庫長、彼女のスキルは分かりましたが、呪いはどうなんですか?」
テトラが指を曲げたり伸ばしたりするのを眺めていた光人は勢いよく顔を上げる。
「呪いってなんですか……!?」
「ああ、そっか。言うてへんかったなぁ。君たちキャストには、元の物語でもっていた能力なんかを元にした固有のスキルを持つ一方で、それと表裏一体、もしくはまったくの別に固有の能力制限や欠陥がある。例えば……そう、スキルとして絶大な戦闘力を持つ代わりに、呪いとして殺人衝動が抑えられなかったり。」
「そんな……テトラはどんな呪いが?っていうかそれ、俺にもあるんですよね?」
「おん。君にもある。ただ、それが二人とも分からんのよね、まだ。昨日私のパソコンとか光人君のスマートフォンが壊れたりとかはしなかったから、ウィルス属性があるとかそういうわけでもなさそうだし。スキル同様、呪いもどの段階で発覚するか分からない。強いコンプレックスとかトラウマとかあればそれが呪いになることが多いけど……テトラちゃんそういうのあるん?」
「……プログラム、であるワタシ、には、そういったものが、ありませ、ん。」
「だよねぇ。もしかしたら、ウィルスとかとは別にプログラム関係になにかあるのかもしれないけどね。だもんで、セラちゃんはそのへんで何か気づいたらおせーてな。」
「かしこまりました。」
テトラの呪いはもちろんだが、自分のスキルや呪いもどういったものなのか。コンプレックスになんて山ほどある――光人は固く拳を握る。その手にテトラの指先が触れた。光人がはっとしてテトラを見ると、感情の見えない瞳が、それでもわずかに光人への心配を滲ませていた。少なくとも、光人にはそう見えた。こぶしの力を緩めて、黙ったままテトラに頷くと彼女は安心したらしく、そっと指を離した。
「よしよし、んだばテトラちゃんはセラちゃんに任して、だ。光人君は食事済ませたら私と配属先に行くら。」
「え。俺の配属先ってもう決まったんですか?」
「昨日、サトル君に適性検査してもろたべ?あれとかを参考にして、ね。あ、せやったセラちゃん。テトラちゃんさ、ほぼ毎晩光人君がスマホに戻しに来るけんどええが?」
「構いませんよ。しかし、翌朝に連れてくるのを忘れないように。話しは通しておきますから、この部屋に出入りするときは受付でテトラさんのことで来たと伝えてください。」
「わかりました。……じゃあテトラ、行ってくるね。無理したらだめだよ?」
「光人、も。無理は、いけません。」
「うん。」
光人が軽く手を振ると、テトラもまたぎこちなく少しだけ指先を伸ばして見せた。手を振り返したいのだろうと分かって光人は思わず微笑んだ。




