17.食堂
「よぉ。」
「ジェン!おはよう。」
「おう。これから飯だろ?行くぞ。」
「迎えに来てくれたんだ。」
「昨日食堂から出るとき、お前場所間違えてたからな。あとはまぁ、平常時の食堂の使い方も知っといた方がいいだろ。」
「助かるよ。」
ジェンに着いてホールを横断する。食堂の入口では、目立つ長身の人影があった。どことなく雑な伸び方をした濃紺の髪、同じ色の温度の無い瞳。白いカーディガンのようなものを着た青年――ジェンに親し気にルッツ、と声をかけられた彼こそ出会ってすぐに光人を氷漬けにした張本人、ルートヴィヒであった。今は特に攻撃される理由が無いと分かりつつも咄嗟に身構える光人に、ルートヴィヒはなおも気だるげに視線を投げる。身体をこわばらせたまま、じりじりとジェンの背後に身を寄せようとすると、ジェンは分かりやすく大きなため息をついた。
「ルッツ。威圧すんなって。」
「……そういうつもりはない。」
「ほんとか?おまえ笑わねーしよぉ。」
「……そうか。すまない。」
「えっ。あ、いや、俺もなんか、ごめん。」
実際にそういうつもりが無かったのか、それともジェンに言われたから態度を軟化させたのかは不明だが、ルートヴィヒは冷たい視線を光人に向けるのをやめて一言謝罪した。もしあれがいつもの姿なのだとしたら、と思って光人は妙に申し訳なくなった。ジェンの背後からそっと体を離して小さく頭を下げる。しかし、ルートヴィヒはさして気にも留めていない様子で光人から視線を外した。
「よっし、飯だ飯。」
「今日は焼き魚だそうだ。」
「お、久しぶりだな魚。」
魚、と聞くとつい光人はテトラを思い出すが、今のところは思い出すだけにとどめる。というのも食堂は昨晩訪れたときの静けさとは打って変わってにぎわっており、食事をしながら仲間と談笑する者、コーヒーを啜ってため息をつく者、様々な髪色、肌色の人々がそれぞれ普通に食事をしている様に圧倒されてそれどころではなかったのだ。教室二つ分ほどの広さをまんべんなく埋める人々の姿に、本当にフィクションの世界にいるのだ――改めてそのことを意識した。よう、と軽く手を挙げて仲間に挨拶するジェンの背を追いかける形で歩く光人は、すれ違う人々に視線を向けられるたびに軽く会釈する。ルートヴィヒは無反応のままジェンの隣を歩いているが、彼に対して何か言う者はいなかった。やはりこれが普段通りなのか、とこちらも再確認していた。
「ルッツ、俺と光人で飯持ってくるから、ここにいてもらっていいか?」
「わかった。」
いくつか並んだ長いテーブルの片隅に空きスペースを見つけてルートヴィヒに場所取りを任せると、ジェンは光人の腕を引いて厨房まで案内する。近付くとより強く漂ってくる焼き魚の匂いが二人の鼻孔をくすぐる。光人に至っては、嗅ぎなれた焼き魚の匂いに、早くもホームシックになりかけていた。家の食卓を最後に見たのがずいぶん昔に感じる。
「お前、魚食える?あ、とりあえず食えないモンはねーって言ってたか。」
「俺がいた世界での話だけどね。食文化の違いとかって問題になるの?」
「割とな。生き物の肉食うなんてもってのほかだーみたいなこと言うヤツもいるし、元々の種族が人間じゃなかったやつに多いけど、岩とか木が主食だったってヤツもいるしな。」
「岩……?」
宗教的な意味で食せないものがあるというような意味で尋ねた光人には、ジェンの答えは少々衝撃的であった。
「そういう人たちってどうしてるの?流石に人間の体でそういうの食べられないよね?」
「この世界での食事っつーか、人間の体での食事に慣れてもらうしかなくてな。時間かかるけどこればっかりは仕方ねぇ。そうだ、テトラも多分そこからだぞ。肺呼吸と、二息歩行と食事と……生身の人間体で生活するために不可欠な動作を覚えねーと。」
「そっか。……テトラ、大丈夫かなぁ。」
「得手不得手はあっても大抵なんとかなる。つーか、まずはテメェの心配しろよ。とりあえずほら、選べ。」
ジェンが指で示したのは今日の献立表である。相変わらず真っ白で近未来的な印象を受ける壁にホワイトボードがぶら下がってる様が、なんともミスマッチで思わず光人は目を疑ったが間違いなくそれはホワイトボードである。黒いペンで献立がそこに記されている。先刻から匂いがするとおりに焼き魚のセットがメインに書かれているが、その下には様々な理由でメインのセットが食べられない人向けに別メニューが書き出されていた。
「じゃあ、一番の焼き魚セットにする。」
「ん。オレとルッツもそれだから魚セット三つってあのカウンターで言ってこい。」
ジェンの指さす先には大きめのカウンターがある。細い目と丸眼鏡が印象的な男性が顔を覗かせて、二人に手を振っているのが見えた。
「おはよう。新入りさんかなぁ?」
「はじめまして。篠宮光人です。」
「はじめまして。僕は霖っていうんだ。よろしくねぇ。ご飯は何にする?」
「焼き魚のセットをください。あ、三人分お願いします。」
「はいよぉ。ちょっと待っててね。」
厨房の奥に引っ込んだ霖を見送る。隣で黙って見守っていたジェンがうなずいた。
「お前、人見知りとかはしないよな。」
「そうだね。あんまり人見知りはしないかも。」
「ルッツは結構人見知りでさ。態度わりーけど、あんまり気にしないでやってくれ。悪気は多分ねーから。」
「ああ、そんな気はした。俺も氷漬けにされたりしたからさっきはちょっと身構えちゃったけど。」
「あー、あれなぁ……。」
ジェンは軽く頭を掻く。
「結構、過保護なんだよな。アイツ。」




