15.ディークス私立図書館
「なーるほど。じゃあ、そのテトラちゃん?は今四番書庫、ミシュリーたちんとこにいるとね?」
「はい。」
「上着は?」
「テトラに貸したままです。」
「そか。洗い替え用にもう一着用意しといたけん、明日はそれ着とき。にしても、機械の魚ってのは珍しか。そういうのはそもそも機械って判定で真っ先に時間が止まったりするもんだけんど。」
「そうなんですか?」
「まぁ、今までの統計上って話だけだら。こういう例外もにゃあわけやない。そういう例外に最初からぶち当たるってのも、主人公性能かねぃ。」
「さぁ……。」
「はっはっは。わがんねぇよなぁ。」
快活に笑って見せると、サジェは光人の腕に着けていた検査器具を外した。異常なし、という彼女の言葉に光人はホッと胸を撫でおろした。
「んで、君の部屋ね。今まだ配属も決まってないせいで用意できてないんよ。だもんで、そこで寝といてほしいけん。」
「はい。……この、手術台みたいなところですかね。」
「おん。あぁ、勝手に手術したりせんから安心してな。」
「怖いこと言わないでくださいよ。」
「はっはっは。早いトコ配属決まるとよかねぇ。」
ほい、とサジェに渡された毛布に包まって光人は恐らくは手術台であろうそこに寝そべる。サジェが雨だれのようにキーボードを叩く音が次第に遠のいていく。疲れていたのが、やっと実感として湧いてくる。抗えない睡魔に屈し、すぐに光人は寝息を立て始めた。サジェが手を止めて振り返る頃にはすっかり寝入っていた。
「やっぱ、見た目に反して肝が据わっとるのぅ。」
ずず、とサジェはコーヒーをすする。
「よォくおやすみ。」
そしてまたモニターへと向かい、彼女はキーボードをたたくのだった。
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実のところ、光人が一晩過ごした手術台はお世辞にも寝心地の良いものではなく、目を覚ますと同時に光人を襲ったのは背中の痛みであった。
「いっ……。」
「よぉ。起きたかいな。軽く柔軟でもしとき。」
「そうします。」
サジェは昨晩眠る前と同じようにモニターの前でキーボードを叩いている。その背中を見ながら腕を上に伸ばすと、バキバキと体が悲鳴を上げた。それはサジェにも聞こえたらしい。
「あー、すまんね。寝心地は良くなかけんね。」
「寝たときは気にならなかったんですけどね。……サジェさんはずっとここにいたんですか?」
「おうよ。私はこれから寝るねん。」
「えっ、徹夜ですか?」
「夜型じゃけん。気にせんとき。」
そうは言うものの、彼女の色白な顔には黒いクマが目立つ。目も充血していた。彼女もまた光人と同じように腕を上に伸ばして体をほぐす。
「ああ、そうだ。これを君に返そうと思ってたんだぎゃ。忘れててすまんの。」
「あ、スマホ。サジェさんが拾っててくれたんですね。」
「すまほ?って言うのかこれ。」
「はい。えっと、主に人と連絡を取るのに使ったりとか、あとはゲームしたり、調べ事に使ったりできる機械です。」
「はーん、なるほど便利だね。解体したいくらいだに。」
「解体はちょっと……。」
「ダメかぁ。」
渡されたのはスマートフォンであった。ほんの僅かな期間手元を離れていただけなのに、随分触れていなかった気がして、滑らかな表面を指で撫でる。急に現実に戻ってきたような、不思議な感覚が光人を襲った。
「ええねぇ。実はここ、あんまり通信機器は発達してなくてね。いろいろな世界の情報を受けて開発しようとしてはいるんだけどなかなか手が回らないんよ。」
「はぁ。」
「ま、ソレの話もまた今度聞かしておくんなまし。一応、電源は入るようにしておいたよ。」
「えっ、充電できるんですか?」
「はっはっは。私天才だからね。でもちゃんと動くか確認してくんろ。」
サジェは明るく笑う。促されるままにスマートフォンの電源を入れると、海の中が映る。色とりどりの熱帯魚が悠々と泳ぐ様を撮ったその写真は見慣れた待ち受け画面で、光人は安心して動作を確認する。ルートヴィヒのエフェクトによって恐らくは光人自身と共に氷漬けになったはずだが、奇跡的に影響は少なかったらしい。問題なく動く画面。画面端の電波マークは圏外になっているのは、当然といえば当然の話しであった。
「動きます。ありがとうございます、サジェさん。」
「んー?いいってことよ。さてさて、今日は君、またこの施設の中でいろいろしてもらうことになるから、まずはちゃっちゃとご飯食べといで。」
早く食べろということだろうか、と聞きなれない単語に内心首をかしげるもどうやら間違ってはいないらしい。じゃあ、とスマートフォンをポケットにねじ込んで、用意されていた白い上着を羽織った光人が立ち上がったその時、ノックの音が室内に響いた。サジェは一瞬動きを止めたが、すぐに招き入れた。
「どうぞ。」
「失礼するよ。」
「失礼します。」
扉の先にいたのは二人の男性。二人とも奇妙な格好をしていた。一人は分かりやすくはある。神父か牧師か――その違いを光人は知らなかったが、とにかく聖職者なのだろうということは服装から明らかであった。白いローブを纏い、ロマンスグレーの髪をオールバックに撫でつけた紳士は、穏やかな笑みを浮かべている。見るからに穏やかそうな彼の隣にいるもう一人の男こそ、異彩を放っていた。艶やかな黒髪には所々に紫色が混じり、無造作にも見える状態で肩口まで伸びている。纏っている物は和風な黒い羽織と、同じ色の袴。しかし羽織の下に着こんでいるのは白いスタンドカラーのシャツであった。「大正ロマン」という言葉が光人の脳裏には浮かび上がったが、それともまた少し違うような気がしていた。ピエロが履くような先の尖った靴はヒールがあるらしく、歩く度にコツコツと固い音を立てている。真っ白な空間、真っ白な服を纏う者たちの中において圧倒的な存在感を放つ彼は、思いの外あっさりと口を開いた。
「そちらが新しくこの『ディークス私立図書館』に招かれた少年か。ちょうどよかった。」
異彩を放つ青年――こちらは光人から見て年上とはわかるものの隣の聖職者に比べて随分と若い――が静かに光人に歩み寄ると、彼の銀色の縁の眼鏡が中途半端に光を反射し、レンズの奥の紫色の瞳をうっすらと隠した。彼はそっと右手を光人に差し出そうとするが、その前に両者は割って入ったサジェの腕と半身によって接触を遮られる。滑らかな動きで青年と光人の動きを妨害したサジェの一瞬見えた横顔は、やけに緊張していた。
「彼に御用ですか、鵺魄殿。」
「ええ、まぁ。彼のことをあなたに尋ねようと思って訪れたので、間違いではないね。」
「そうですか。ご報告が遅れて申し訳ありません。彼は篠宮光人。標準的なダブルのキャストです。しかし詳細なスキルなどはまだ判明しておりません。」
「ふむ……。それなのに、昨日はジェン・フランカ君の任務に同行させたのかい?少々、軽率では?」
「彼は状況の把握が遅く、実際に経験をさせた方が理解を深められると判断しました。戦闘経験や適性からジェン・フランカであれば対処可能な範囲と考え、同行させました。」
「なるほど。そして、この状況は一体どういうことかな?」
「詳細なスキルがいまだ不明な以上、我らが館長、鵺魄殿の御身に万が一のことがあっては困りますので。」
「……わかった。では、控えよう。」
鵺魄と呼ばれた青年は言いながら一歩後ろへと下がると、再び光人へと声をかけた。
「サジェ君越しに失礼。篠宮光人君といったかな。」
「っ、はい。」
「私はこの施設、『ディークス私立図書館』の館長、鵺魄。よろしく。」
「よろしくお願いします。えっと、お世話になります……?」
「はは、恐らくは私が直接お世話をすることは無いだろうがね。」
「はぁ……。」
唇の端を少しだけ持ち上げる青年――鵺魄は思いのほか気さくであるらしい。光人は鵺魄に対する印象を「大正ロマン風の恰好をした眼鏡の青年」から「個性的な格好をした都会にいそうな人」に切り替えた。少しばかり反応に困ってサジェを見上げるが後ろからはその表情を知ることはできず、やはりまだ緊張した雰囲気を醸し出している。これでは助け船を求めるのは無理か、と光人が思った矢先、口を開いたのは聖職者風の紳士であった。
「サジェさん、お騒がせしてすみません。楽にしてくださって構いませんよ。すぐに館長は私が連れて行きますので。」
「……いえ。こちらこそ申し訳ない。」
「いいのですよ。館長が一人で入ろうとしているのが見えたので追って来たのですが、正解でしたね。……あぁ、光人君。私は壱番書庫長、シルクです。以後お見知りおきを。」
「はい。よろしくお願いします。」
「では、行きますよ館長。」
「これだから君と一緒に来るのは嫌だったんだが……仕方あるまい。サジェ君、彼についての報告は近日中に頼むよ。」
「承知いたしました。」
シルクに引きずられるようにして鵺魄はその場に背を向ける。しかし、再び顔だけを振り向かせて光人の顔をしげしげと眺めた。
「あの、なにか……?」
「いえ。……報告が楽しみだ。」
そう言い残して、やっと二人は出て行った。




