第98話 爆弾魔は賢者に銃を向ける
娯楽都市の郊外にある観光地の遺跡。
そこで俺は、苔の生えた岩に腰かけていた。
「…………」
岩に背を預けて煙草を吸う。
すぐ横には瓶を置いてある。
レモンソーダもどきの炭酸ジュースだ。
瓶を掴んで一口飲む。
本当は酒がいいが、これから大事な仕事が待っている。
すべて片付くまでは辛抱するつもりだった。
(さて、どうなることやら)
水晶による通信で賢者に持ちかけたのは、とある交渉だ。
ミハナを引き渡す代わりに、賢者と暗殺王の支配領域を分割し、その一部をネレアと俺に譲るという内容である。
その条件を受け入れるか否かを尋ねた。
ついでにミハナの引き渡しも含めて直接会いたいと頼んだところ、賢者は事務的に了承した。
この遺跡を待ち合わせ場所にしたのは、娯楽都市に被害を出さないためだ。
ミハナとのカーチェイスでもそれなりの損害が出ていた。
ネレアは既に味方なので、彼女の街を壊すのは良心が痛む。
現在、ここにいるのは俺一人だ。
アリスとネレアには、娯楽都市の屋敷で待機してもらっている。
気絶したミハナの見張り役だ。
二人の魔術で厳重に防護させている。
言うまでもないが、交渉を真面目にやる気はない。
あくまでも連中を呼び出すための口実だ。
冷めたフレンチフライよりもチープな餌である。
無論、向こうも騙されてはいないだろう。
罠を承知の上でやってくる。
賢者はきっとミハナを見捨てない。
そこを利用させてもらう。
俺の予想だと、おそらく暗殺王もセットで来るはずだ。
本来、暗殺王はネレアの支配領域に入れない。
専用の結界を張られているからだ。
だが、賢者がどうにかするだろう。
彼は魔術の達人だ。
抜け道くらいは知っていると思う。
俺との対決を考えれば、間違いなく同行させる。
単独で俺を仕留められるとは思っていまい。
配下は引き連れてくるだろうか。
戦力を掻き集めたいと判断したのなら連れてくるだろうが、無用な犠牲を出したくなければ連れて来ない。
そこは五分五分だ。
まあ、どちらにしてもやることは変わらない。
今からやってくる人間を皆殺しにするだけである。
俺は煙草を吸いながら黄昏る。
そうして日没の気配を感じ始めた頃、向こうから賢者が歩いてきた。
見たところ彼一人だ。
俺は煙草を岩に押し付けて火を消す。
「よう。いきなり呼び出してすまないね」
「…………」
賢者は無言だ。
こちらへの敵意を感じる。
既に臨戦態勢らしい。
アリスがいれば、強い魔力を感知しているだろう。
「ミハナはどこだ」
「安全な場所で眠ってもらっているよ。大切なお姫様だからな」
俺は肩をすくめて笑う。
賢者の目付きが鋭くなった。
俺は立ち上がりながら問いかける。
「あいつがそんなに心配かい」
「…………」
「まあ、訊くまでもないか。わざわざこんな場所まで飛んできたんだからなぁ」
俺は辺りを見回す。
夕暮れの寂れた遺跡には誰もいない。
戦うにはちょうどいい場所だ。
「報告で聞いたが、ネレアと組んだそうだな。何をするつもりだ」
「別に大したことじゃない。代表同士、仲を深めただけさ」
「そうか……」
賢者はそれ以上は追求しない。
雰囲気の割には大人しい。
出方を窺っているのか。
怒り狂って攻撃してくるのなら、対処も楽だったのだが。
賢者と呼ばれるだけの理性は持ち合わせているらしい。
「ジャック・アーロン。お前はエウレアの安寧を壊す者だと認識していいのだな?」
「さぁ、どうだろうな。俺は俺のやりたいようにやるだけだ」
「どこまでもはぐらかすか……それもいい。お前はもう終わりだ」
賢者の言葉に俺は笑う。
お前はもう終わり――どこまでも陳腐な台詞だ。
それを言った人間が、俺の手によって何人も死んでいる。
隣人の挨拶より聞き飽きた言葉だった。
「俺を殺す気かい? ミハナの行方が分からなくなるぜ」
「どうせ娯楽都市に隠しているのだろう。この地で最も厳重な場所だ。それと勘違いをするな。俺は、お前を殺さない」
賢者は懐を探る。
彼は取り出した物を掲げてみせた。
「憶えているか。お前と交わした契約書だ」
「ああ、もちろん憶えているよ。一度たりとも忘れたことはない。このクソッタレな契約のせいで苦労しているからな」
俺は同じように契約書を取り出す。
二枚で一セットだ。
どちらにも同じ内容とサインが記されている。
俺の行動を縛る忌々しい紙切れでもあった。
その時、賢者の殺気が膨れ上がる。
何かするつもりのようだ。
彼は目を見開いて俺に告げる。
「契約を強制的に破棄する。そして――契約反故の罰を顕現させる」
直後、胸と頭に激痛を覚える。
視界に黒いノイズがちらつき始めた。
手足が痺れ、俺は堪らず地面に膝をつく。
見れば胸から黒い茨が生えていた。
掴もうとするも、触れることができない。
まるで影のように実体がなかった。
苦悶する俺をよそに、賢者は悠々と近付いてくる。
「この契約書には細工を施しておいた。いざという時、裏切ったお前を隷属させるための仕掛けだ。強制的に契約の罰を発現させることができる」
「へぇ……やってくれる、じゃないか……」
俺は岩を掴んでなんとか立ち上がる。
痛みには慣れている。
どんな拷問を受けても口を割らないように訓練されているのだ。
この程度なら問題ない。
一方、賢者は余裕の態度を崩さない。
「お前を従えれば、アリスも言うことを聞くだろう。妖術師ネレアはどうか知らないが、ドルグを始末したお前なら対処できるはずだ」
「そいつは……どうかな」
俺は俯きがちに微笑む。
会話の間にもエスカレートする痛みだったが、あるラインを境に勢いを失う。
そこから一気に痛みが落ち着き始めた。
胸から生えた茨もしおれて朽ちる。
視界のノイズも霧散した。
身体の調子を確かめる。
直前までの状態が嘘のように良好だ。
俺は汗を拭って笑う。
「フゥ、なかなか痛かったぜ。対人地雷で蜂の巣にされた時くらいキツかった」
「なッ!?」
賢者が驚愕して足を止める。
彼にとって予想外の展開だったようだ。
俺は手元の契約書を破り捨てながら近付いていく。
「どうして隷属化が効かないのか。それを訊きたいのだろう? 別に隠すことでもないから教えてやるよ」
「こ、この……」
賢者は後ずさる。
形勢の不利を悟り、距離を取ろうとしている。
俺は同じテンポで進んでいく。
「実にシンプルなトリックだ。隷属の先客がいただけさ」
「先客だと……?」
まだ気付いていないようなので、俺は丁寧に説明を始める。
この偽装旅行に出発する前、俺は城塞都市でアリスと魔術契約を行った。
ミハナとの決闘で使ったものよりグレードの高い契約書を用いて、ドラゴンの血をインクにしてサインを書いた。
これによって契約の重さが段違いに上がるのだという。
そうしてアリスと交わしたのは、互いの魂の隷属化だ。
予め魂を縛り付けることで、新たな干渉を弾けるようにしたのである。
使用した契約書よりグレードの低いものだと、この隷属化は上書きできない。
こうして俺とアリスは、互いの心臓を握った状態になった。
ただ、実際は何の強制力もない。
隷属化を利用した命令はできないと契約で定めてあるからだ。
これによって、新たな契約は純粋に隷属化を防ぐだけの手段と化している。
新たな契約の存在は、万が一の最終手段として温存していた。
安全で確実な契約解除ができなければ、これを盾にミハナを殺すつもりだった。
即座に実行しなかったのは、この方法にもリスクがあるためだ。
最初の契約に違反すると魂の隷属が二重で作用するので、俺の負担が非常に大きいのである。
思わぬ副作用が生じる恐れもあったらしい。
だから、あくまでも最終手段だった。
本来は賢者を騙して契約を破棄させるか、賢者を殺害して契約を失効させるつもりで考えていた。
それが駄目なら、時間をかけて契約書を無効化する方法を探す予定だった。
まさかこのような形で役に立つとは思わなかった。
「――というわけで、俺に隷属化は効かない。残念だったな」
「ぐっ……」
俺の説明を聞いた賢者は歯ぎしりをする。
彼はその手に光弾を発生させた。
賢者はいつでも光弾を撃ち出せる体勢で後退を続ける。
途中、狼狽しながら叫んだ。
「互いを隷属にする契約だと? ありえない! 必ずどちらかが裏切るに決まっている……ッ」
「おいおい、甘く見るなよ。俺とアリスは完全な利害関係で繋がっている。互いの力が不可欠なんだ。余計なことはしないさ」
賢者の戯言にやれやれと首を振る。
俺とアリスは、互いの利用価値を理解している。
失っては困ると知っているのだ。
だから相手のために行動する。
それが自分の目的に繋がると知っているからだ。
アリスが世界滅亡の研究を進めようと、俺は一向に止めない。
必要な実験があれば手伝うだろう。
ビジネスライクの割り切った関係だから上手くいく。
「アリスは最高の相棒だ。彼女は狂っているが、目的に対して真摯に向き合っている。下らない理想を掲げる連中より何倍も信頼できる」
俺は賢者を揶揄する。
彼は何も言えず、ただ呼吸を荒くした。
俺は賢者を指差す。
「そんなことよりお前のことだ。小賢しいズルをして俺を奴隷にしようとしたな?」
「違う。それはお前が――」
「おっと、つまらない言い訳は無しだ。残りは地獄でぼやいてくれ」
俺は拳銃を抜き取り、銃口を賢者に向けた。
湧き上がる衝動に任せて、俺は嬉々として言う。
「さあ、始めようぜ。最期まで付き合ってやるよ」




