第96話 爆弾魔は都市部を暴走する
俺達はゴーレムカーで都市内を移動する。
時速六十マイルに達しようというスピードに、街の住民は驚いたようにこちらを見ていた。
彼らはすぐに道を開けて交通事故から逃れる。
こういった察しの良い動きは助かる。
今は急いでいるので、一人や二人を撥ねてもおかしくなかった。
視線を忙しなく動かしながら、俺は後部座席のネレアに問いかける。
「ミハナは今どこだ?」
「現在はわたくしの屋敷から出てきたところです……驚くべきことに、厳重に管理していた資料を奪取したようですわ」
「それは帝国との関係を示すものか?」
「はい。彼女はその資料を抱えて、盗んだ車両で逃走中です」
ネレアは神妙な面持ちで述べる。
それを聞いた俺は、笑い出しそうになるのを堪える。
別にネレアの反応が面白かったのではなく、ミハナの行動に感心してしまったのだ。
小心者という印象だったが、なかなか派手に活動している。
どさくさに紛れて、ネレアの隠す資料まで持ち出したらしい。
極限まで追い詰められると真価を発揮するタイプなのかもしれない。
「こっちの道で合っているか?」
「はい、大丈夫ですわ。しばらく直進……いえ、左折ですね。彼女は的確に私達を撒くような経路を選んでいます」
ネレアが難しい顔で唸る。
不思議に思うのも当然だろう。
まだ距離がある中で、ミハナは俺達の追跡ルートを把握しているのだから。
ミハナは魔術を扱えるが、決して優秀な部類ではない。
技能的には一般的な魔術師と同レベルか、それより劣るくらいだ。
賢者から教えを乞いているとは言え、まだまだ半人前に過ぎない。
広域に渡る索敵魔術は彼女には使えない、とアリスも断言している。
そんなミハナが、俺達の位置を正確に察知しているような動きを取っている。
ネレアが困惑するのも当然の話だろう。
俺だって初見ならば同じ心境に陥っていたと思う。
だが、実際は違う。
俺とアリスは、ミハナの能力について徹底的に研究と推論を重ねてきた。
まだ確証がない部分はあるものの、その全容は掴みつつある。
既にいくつかの対策は用意していた。
このような状況で披露するとは思わなかったが、彼女へのサプライズにはちょうどいいだろう。
その後、何度か遭遇を回避されながらも、俺達は前方にミハナの車両を視界に収めた。
彼女は都市の外で出る方角へ走っていた。
エンジン音を響かせながら、猛スピードで通りを突き進んでいる。
俺はゴーレムカーを加速させて、ミハナの車両と並走させた。
窓を開けて気軽な調子で声をかける。
「こんにちは、クールなお嬢さん。俺達とクラブにでも行かないか? オススメのカクテルがあるんだ」
「…………」
ミハナは軽蔑し切った眼差しを返してくる。
俺のジョークがお気に召さなかったようだ。
「ところでネレアの悪事の証拠を手に入れたんだろう? 上出来じゃないか。さすが暗殺王が期待していただけのことはある」
「アンタには関係ないわ。それより……」
言葉を切ったミハナは、後部座席のネレアを一瞥する。
彼女は一瞬だけ驚いた顔を見せるも、すぐにうんざりした様子でため息を吐いた。
「最低の組み合わせね。マジで笑えないから」
「随分とご機嫌だな。俺達の仲が不満かい?」
十ヤード先に大型馬車が停まっていた。
俺は素早くハンドルを切って躱す。
一方でミハナの車両は、割れた石畳にタイヤが乗り上げて浮かび、見事な片輪走行で馬車の横を通過した。
すぐに車体を戻して再びゴーレムカーと並走する。
偶然に偶然が重なったような運転技術に、俺は口笛を吹いた。
「すごいじゃないか。スタントウーマンに転向したらどうだ?」
「アンタはどこまでも冗談ばかり、ねッ」
ミハナがハンドルを切り、車両でタックルをかましてきた。
ぶつかられたゴーレムカーが揺れ、僅かに制御がぶれる。
横転を予感した俺は、すぐさまハンドルを調節して持ち直した。
そのまま加速して突き放そうとするミハナを見て、ちりちりと心臓が燃え上がるような感情を覚える。
「……やってくれたな」
俺は座席下からショットガンを掴み出した。
こいつでタイヤか動力部をぶち抜く。
そうすれば止めることができるだろう。
直後、ミハナの車両が急に減速し、道端に置かれた木箱に当たってスピンした。
甲高いブレーキ音と白煙を巻き上げながら、車両は後方へと流れていく。
「チッ」
舌打ちした俺は腕を動かし、構えたショットガンを二連射する。
ばら撒かれた散弾は、荒ぶる車体に命中した。
側面のドアやボンネットの端に穴が開く。
しかし、それだけだ。
都合よくスピンを終えた車両は、何事もなかったかのように走行を続行する。
今の射撃では、内部の機関は傷付けられなかったようだ。
不規則な挙動で狙いが外れてしまったらしい。
俺は弾切れのショットガンをアリスに投げ渡す。
「リロードを頼む」
「任せて」
今度は拳銃を抜き取って連射する。
ほぼ同時にミハナの車両の前面が氷で覆われた。
彼女が魔術を使ったのだ。
瞬時に生成された氷の層が弾丸を阻み、車両へのダメージを減退させる。
その間にミハナは道を曲がり、車体を擦って火花を散らせながら路地裏へ消えた。
「まったく、大したじゃじゃ馬だ……」
苦笑する俺は拳銃を下ろし、後部座席でそわそわするネレアに指示をする。
「先回りできるルートを教えてくれ」
「分かりましたわ!」
張り切るネレアはナビゲートを始める。
たぶん四方八方に分身を散開させて、街の構造を鑑みながら発言しているのだろう。
ミハナの動きを監視しながらリアルタイムで情報をまとめるのは至難の業だろうが、彼女の案内には淀みは無い。
さすがはエウレア代表を務める妖術師である。
俺は彼女の言う通りにゴーレムカーを走らせていく。
「あ、彼女が路地の中で停止しましたわ! 来た道を戻り始めています。おかしいです、わたくし達の現在地は気付かれていないはずなのに……」
「先回りされることを読まれた。それしかない」
しかも、今のは絶妙なタイミングだった。
ネレアの監視がなければ、大きく距離を取られていただろう。
やはりミハナは最適解を選び続けている節がある。
俺はゴーレムカーを急旋回させ、ミハナと鉢合わせできる地点まで戻っていった。
その途中、ネレアが再び発言する。
「か、彼女は路地を曲がりました。空き家の壁を壊しながら強引に突き進んでおりますわ……最短距離で街の外へ出るつもりのようです」
「ははは、豪快なやり方だな。捕まえて損害賠償を請求しようぜ」
向こうもなりふり構っていられないのだろう。
そして肝が据わっている。
このままだと、追いつけずに街を脱出されてしまう。
それは面倒だ。
確実に都市内で決着させなければ。
俺はバックミラーでネレアの顔を見やる。
「察知されないように注意しながら、幻術で時間稼ぎをしてくれ。できるだろう?」
「もちろんですわ! すぐに実行致します」
「頼むよ」
幻術とは、その名の通り相手を惑わせる術だ。
この世界においては、魔術や妖術の中にあるジャンルの一つである。
仕組みや方法に違いはあれど、対象に幻を見せるのが主な効果となる。
これをネレアの分身経由でミハナに施すのだ。
俺とアリスの立てた推測が正しければ、ミハナは幻術に対処できない。
そして幻術をかけると、あの異様な回避能力がおそらく弱体化する。
見かけでは分からないかもしれないが、何らかの不具合は起きるはずなのだ。
当初の予定では、アリスの魔術で幻を見せるという戦略を考えていた。
ただ、ネレアが協力者となった現在では、彼女に任せた方がいいと判断したのである。
誰かを惑わせるという運用においては、魔術より妖術に軍配が上がるのだという。
妖術師のネレアからすれば、まさに専売特許とも言える分野なのだ。
「彼女に幻術を施しました。ただいま周囲の景色を誤認させております。どうされますか?」
「俺達のもとへ誘導できるかい」
「はい、可能です!」
ゴーレムカーは街の大通りを走る。
すると遥か前方で、一軒の家屋が爆発した。
俺はゴーレムカーを停車させる。
轟音を立てて飛び出したのは、ミハナの車両であった。
その車体は先ほどよりもボロボロで、あちこちが凹んでいる。
ガラスも残らず割れており、タイヤも片方の後輪がパンクしていた。
不快な摩擦音を鳴らしながら走行する始末だ。
あれで車両が動くのは、ミハナの能力が辛うじて機能しているからだろう。
幻術に邪魔されながらも、なんとか致命的な損傷を回避しているようだ。
その辺りのしぶとさは素直に称賛したい。
蛇行運転するミハナの車両は、そこかしこにぶつかりながら暴走する。
周囲の人々は慌てて退避していた。
車両はこちらへ向かって突っ込んでくる。
ネレアの幻術が誤った道でも見せているのだろう。
およそ三百ヤードの距離が急速に縮まっていく。
これで用意は整った。
ミハナは俺達の存在に気付いていない。
そろそろ強烈な一撃をかましてやろう。
「ネレア、そこにある黒い筒の爆弾を取ってくれ」
「えっと、いくつ必要でしょうか?」
「全部だ」
俺はネレアから五本の爆弾を受け取り、ライターで着火する。
窓から身を乗り出して前方へ投げた。
石畳を転がる爆弾から黒煙が噴き出した。
黒煙は濛々と立ち昇り、あっという間に通りの幅いっぱいに充満する。
直進してくる車両が見えなくなった。
「アリス、風だ」
「ええ、分かったわ」
発生した追い風によって黒煙が押し流される。
ここからでは見えないが、大通りの一帯に黒煙が広がっただろう。
ちょうどミハナの進路を妨げる形となる。
俺はハンドルを握り直し、アクセルに足をかける。
「……ここだと時速八十八マイルは出せそうにないな」
「何の話?」
「ただの独り言さ」
俺はアクセルを踏み込み、ゴーレムカーを急発進させる。
その勢いのまま黒煙の中に飛び込んだ。
すぐさま視界不良に陥ったので耳を澄ます。
前方からエンジン音が近付いてくる。
速まる鼓動を知覚しながらも、俺はアクセルから足を離さない。
「おっ」
思わず声が洩れる。
立ち込める黒煙の中を切り裂いて現れたのは、ミハナの車両だった。
目を見開いたミハナは、慌てた様子でハンドルを回そうとする。
しかしもう手遅れだ。
――次の瞬間、凄まじい衝撃と共に互いの車両が激突した。




