第83話 爆弾魔は召喚者に忠告する
俺は硬直してミハナを凝視する。
頭の中では、叩き付けられた言葉の意味を咀嚼していた。
「…………」
背後にいるアリスが、さりげなく俺から離れる気配がした。
何らかの危険でも察知したのか。
相変わらず勘が良い相棒だ。
一方、ミハナは腰に手を当てて立っていた。
見下した調子で指を差してくる。
「ふざけないでくれる? アンタは私に負けたの。言動を弁えてよ」
「ははは、そんなに冷たくしないでくれ。俺だって傷付くんだ」
「――――っ!」
俺が穏便な対応を取ると、ミハナは顔を真っ赤にした。
彼女は大きく手を振りかぶる。
俺はあえて何もせず、棒立ちするばかりであった。
振り抜かれたミハナの手が俺の頬を打つ。
フルスイングのビンタだ。
音の割にはまったく痛くない。
「いっ……」
対するミハナは手を押さえていた。
叩き方が悪かったのだ。
レベル補正により、俺の防御力が高すぎるせいもあるかもしれない。
俺は少し屈んでミハナと視線を合わせる。
「おっと、大丈夫かい。慣れない暴力は振るうもんじゃないぜ?」
「うるさいッ!」
ミハナは無傷の手で俺を殴ろうとした。
俺は顔を逸らして躱す。
両手を潰させてしまうのはかわいそうだ。
「チッ」
ミハナは露骨に舌打ちすると、片手を庇いながら顔を上げた。
小さく息を吸い込み、目を見開いて彼女は叫ぶ。
「――調子に、乗るなァ! 私を、二度も! 二度も殺そうとしたくせにッ! 狂った爆弾魔め……アンタなんか大嫌いよ!」
感情を露わにしたミハナは、心の赴くがままに罵倒を重ねてくる。
なんとも強気な態度だ。
契約によって、俺が彼女を殺せないからだろう。
決闘の際は臆病で自信なさげな言動が目立っていたが、これが本来の性格らしい。
とんだじゃじゃ馬である。
やがてミハナは俺の胸倉を掴むと、これ見よがしに足を踏んできた。
オーダーメイドの靴に傷と汚れが付く。
少し前に街の職人に作らせたスニーカーもどきだ。
履いた時のフィット感と軽さを気に入っている。
そういったことも知らず、ミハナは悪意に満ちた言葉を吐き連ねていく。
「調子付いていられるのも今のうちよ。今に見ていなさい。負け犬になったアンタをコキ使ってやるから。契約で私には逆らえないものねぇ……本当に馬鹿で憐れな――」
刹那、腕が勝手に動いた。
固めた拳がミハナの顔面を捉え、彼女の細い身体を吹っ飛ばす。
ミハナはひっくり返しながら部屋の扉に激突した。
小さな白い物体がいくつか床を転がる。
それは歯だった。
正確には前歯である。
根本が血に染まったそれは、ぽつんと絨毯の上に落ちていた。
「は、はぇ……ああ、うぅ……」
床に座り込むミハナは、情けない声を洩らす。
彼女は手で顔を押さえていた。
指の隙間から大量の血がこぼれ出している。
鼻血だろう。
殴った際の感触からして、おそらく骨が折れている。
ミハナはぽろぽろと涙を流していた。
俺は無言で彼女に近付いていく。
ミハナはふらつきながらも立ち上がった。
「ア、アンタ何して――」
彼女の言葉を遮るように腹を蹴る。
倒れたミハナは、芋虫のように丸くなって痙攣し始めた。
加減はしたので内臓は潰れていないだろう。
ただ猛烈に痛いだけである。
「お前、何をしている……契約を忘れたのかッ!」
賢者が激昂していた。
凄まじい剣幕だ。
俺の暴挙がよほど許せないらしい。
彼の手から魔術の鎖が放たれ、瞬く間に俺を拘束する。
両腕を動かそうとすると、ぎしりと鎖が軋んだ。
何重にもきつく巻き付いた厳重さからは、賢者の本気度が窺える。
俺はその状態で笑う。
「そんなに怒るなよ。俺が禁じられているのは、ミハナを意図的に殺す行為のみだ。俺は彼女を殺すつもりはない。ただ顔面を殴り、腹を蹴っただけさ。契約違反じゃない」
すなわち殺す気が無い暴力は可能だった。
契約書の穴の一つである。
厳密すぎる契約書は、グレーゾーンを作れない。
故にこういったことができる。
ミハナはそれを想定していなかったらしい。
なんとも考えが浅い女である。
その割には大胆不敵な態度だった。
「魂の隷属化が起きていないのが、何よりの証拠だろう? 俺は契約を守っている。分かったらさっさと解いてくれ」
「ぐ……だからと言って……」
賢者は言い返せずに唸る。
そのそばでアリスが魔道具を展開させた。
彼女の着けた腕輪が分裂して宙に浮かび上がる。
それら一つひとつが半透明の刃を纏って無数に浮遊し、その切っ先を賢者に向けた。
アリスは冷徹な表情で賢者に告げる。
「彼を離して」
「…………」
賢者は未だ無言を貫く。
どうすべきか判断に迷っているようだ。
俺はその姿を嘲笑いながら鎖を引き千切った。
些細な抵抗感だが、拘束具としてはお粗末なレベルだ。
例えるならプラスチックくらいの硬さである。
なんとなしに動こうとすれば邪魔になるが、少し力むだけで壊せた。
俺は拳銃を取り出しながらミハナを見下ろす。
「侮辱も大概にしておけよ? いくら温厚で優しい俺でも、我慢できないラインがある」
ミハナの耳に銃口を押し当てる。
すると、頭の奥で鈍痛がした。
心臓がぴりぴりと痺れるような感覚もある。
契約反故の警告だ。
引き金を引くことが、彼女の死に繋がるためである。
ここから先に進むと魂の隷属化が待っている。
さすがにそれは困るので、俺は拳銃をホルスターに仕舞った。
ミハナの髪を掴んで扉の前からどかし、ドアノブに手をかける。
「今日のところは退散するよ。多忙な学園長の時間を奪うのも申し訳ないからな。この街の観光を楽しんでから帰るさ。また用事があれば連絡してくれ」
「…………っ」
賢者は歯噛みする。
捨て台詞の一つでも言ってくるかと思ったが、黙り込んだままだ。
ここで俺を引き留めず、立ち去らせる方が被害が少ないと分かっているのだろう。
端々のやり取りから賢者の性格は知っている。
俺は悠々と扉を開ける。
魔道具を収納したアリスも駆け寄ってくる。
そうして二人で学園長室を出た。
俺達は廊下を歩いて敷地の外へと向かう。
あれだけの騒ぎがあったというのに、特に誰かが来るということもなかった。
静かな学園内を歩いて移動していく。
先ほどの一件により、賢者との仲は決裂した。
都市開発の観点で考えると惜しい気もするが、あれは仕方がない。
ミハナを差し出してくれるのなら、最愛の親友にもなれるだろうが、どうやらそれは難しい要求みたいだった。
今後、俺の妨害をしてくるのならば賢者は殺す。
そうでないなら、義務的な付き合いを続けていこうと思う。
別に嫌いな人間ではない。
お互いの方針がぶつかってしまうだけだ。
それと賢者の処遇とは別に、いくつか嬉しい発見があった。
まずミハナの性格だ。
お世辞にも品行方正といった感じではない。
気持ちは分かるが、なかなかのクズだった。
安全な立場から他者を嬲るのが好きで、それでいて自身は力を持っていない。
実に殺し甲斐がある。
感情的になって冷静さを欠きやすい点も高評価だ。
あれだけの屈辱と痛みを受けながらも、俺に反撃してこなかったことも見逃せない。
攻撃能力を持っていないのだろう。
彼女は俺に対して恨みを抱いている。
何らかの手段があれば、使ってもおかしくない場面だった。
そして重要なのが、俺の攻撃が当たったことである。
決闘の際はあれだけ攻撃を回避されたというのに、あっさりと殴る蹴るの暴力を振るえた。
きっと彼女のスキルには、何らかの発動条件があるのだ。
突破口を見い出す上で大きなヒントになる。
何にしろ、無敵の能力でないことは確信できた。
次に賢者の力量だ。
彼は魔術の達人だが、極端に強いわけではない。
咄嗟に使える魔術では、俺を止めることができないことも判明した。
どのような攻撃をするかにもよるが、十分に対処が可能である。
こちらにはアリスもいるため、魔術対策もできる。
前提として、ドルグを相手に手を焼いていた男なのだ。
そのドルグを倒した俺達が敵わないわけがない。
無論、油断は禁物だ。
この前の決闘では、そんな慢心から失敗したのだから。
戦うにしても入念な事前調査を行い、連中の弱点を暴いておかなければ。
別にタイムリミットがあるわけでもない。
時間をかけて進めていこう。
その後、特にトラブルもなく学園の敷地から出た。
ゴーレムカーで道路を走っていると、世界樹が視界に入る。
この都市のシンボルとも言える存在である。
(……いずれ爆破することになるかもしれないな)
ふと危険な考えが脳裏を過ぎる。
無意識のうちに、爆弾の設置箇所の検討を始めていた。
こういう部分が爆弾魔と呼ばれる所以なのだろう。
とは言え、それが偽りの無い気持ちであるのは確かだった。
賢者と敵対した暁には、きっと実現することになる。
少しだけ楽しみだ。




