第82話 爆弾魔は賢者と語り合う
白が基調のその部屋の中央で、賢者は革の椅子に座っていた。
彼は優雅な動作で立ち上がる。
「よく来てくれた」
「憧れの賢者様の招待なんだ。呼ばれなくたって駆け付けるさ」
俺は微笑みながら返す。
すると賢者は、僅かに眉を寄せた。
「……本気で言っている、わけはないな」
「真に受けないで。ほとんどが冗談よ」
アリスがさらりと補足する。
言葉の端々に毒が含まれている気がした。
心なしか呆れているようだ。
「ハッハ、まあそういことだ。お調子者の戯言として受け流してくれ」
俺は苦笑いしつつ応接用らしきソファに腰かけた。
少し遅れてアリスも横に座る。
俺は胸ポケットから煙草とライターを取り出し、向かい側に座ろうとする賢者を一瞥した。
「吸っていいか」
「構わない」
許可を得た俺は、遠慮なく煙草を吸い始めた。
先端からくゆる紫煙は、そよ風に運ばれて窓の外へ流れていく。
不自然な動きだ。
風はどこから吹いたのか。
見れば、賢者の視線が窓に向いていた。
明確な素振りはないものの、彼が魔術で自主的に換気したのだろう。
相変わらず便利な能力である。
俺は気にせず煙草を吸いながら話を切り出した。
「それで、何の用だい? この前の契約の解消なら、喜んで承諾するが」
「解消などするものか。ミハナを殺すだろう?」
「もちろん」
俺が断言すると、賢者はため息と共に頭を抱えた。
随分と疲れている様子である。
「こういう時は本音を隠さないのだな……」
「正直者として生きるのが信条なのさ」
「……っ」
賢者はまた一つため息を吐く。
何か言いたげだが、それが言葉になることはなかった。
顔を上げた賢者は話題を切り替える。
「学園の様子を見てどう感じた? お前達の意見を聞きたい」
「そうだなぁ……」
俺は腕組みをしながら考えた。
そして、やたらと時間がかかった道のりを思い出す。
「いいアイデアだと思ったよ。うちの街でも取り入れたいくらいだ」
「幅広い系統の術を教えているのね。指導内容にも偏りが無く、魔術師の育成をよく考えているのが分かったわ」
俺達の答えに、賢者は満足げだった。
もしかすると自慢したかったのだろうか。
冷静に考えてみれば、あんな真似をするメリットが少ない。
手の内を晒すようなものなのだから。
「この学園は俺が長年に渡って力を入れてきた機関だ。結果、エウレア国内における魔術師の地位は着実に向上している」
「そりゃすげぇな。賢者の名に恥じない偉業ってやつだ」
「いずれお前達の支配領域とも積極的に交流していきたいと考えている。今のエウレアは変革の時期だ。数十年に一度の機会が到来している」
賢者は真剣なトーンで言う。
俺は紫煙を吐き出しながら笑った。
「変革の時期だって? ちょいと大袈裟じゃないかね」
「全く大袈裟ではない。厄介者のドルグがようやく消えたのだ。あの巨竜人は常に俺や他国の領土を奪おうと画策していた。何よりも戦いを好む男だ。代表の器ではなく、純然たる暴力の化身であった」
「とんだ嫌われ者だな。そんなに酷かったのかい」
「思い出すだけで頭痛がするほどだ。お前も十分に危険だが、ドルグと比べれば理性がある。手を取り合って国を繁栄できる余地はあるはずだ」
賢者は身を乗り出して語る。
やはり懐柔が目的らしい。
気持ちは分かる。
ドルグの支配領域は広い。
俺が各都市の開発を進めていることで、価値も急上昇していた。
爆発した黒壁都市も、地下鉱脈が生まれて宝の山のような状態である。
賢者としては、何とかして俺を仲間に置きたいのだろう。
俺は持参の灰皿に煙草を押し付ける。
「考えておくよ。俺も自分の街は発展させたいと思っている」
「俺はいつでも歓迎だ。良い返事を待っている」
賢者はやはり乗り気だった。
エウレアの代表も一枚岩でないことは知っている。
様々な思惑が交錯しているのだ。
早い段階で新参を引き込むことで、少しでも優位に立ちたい気持ちもあるのかもしれない。
こういったゴタゴタが、俺は好みではない。
もっとシンプルに動けないものだろうか。
まあ、利潤を考えると支配領域は捨てられない。
これくらいは我慢すべきだ。
俺は脚を組んで座り直す。
「さて、当たり障りのないトークはそろそろ終わりにしよう。さっさと本題に入ったらどうだ?」
「…………」
賢者は俺からの振りを受けて黙り込む。
ここまでの話も重要だが、まだ何かある気配がしたのだ。
どうやらそれは当たりだったらしい。
賢者はゆっくりと瞬きをする。
「――ジャック・アーロン。お前について知りたい」
「愛の告白か? すまないがあんたはタイプじゃないな」
「そうではない。お前は異界の人間なのだろう? そこに興味がある」
俺は密かに納得する。
賢者の本当の関心は、異世界にあったのだ。
ミハナから断片的には聞いた情報から、俺という別の召喚者と話したくなったのだろう。
賢者の双眸からは確かな知識欲が窺えた。
俺は首を振って肩をすくめる。
「大して面白くないさ。語るほどのことはない」
「ミハナによると、他の召喚者の行方は分からないそうだ。帝都の爆発を生き延びた彼らは、全員が別行動を取ったらしい。疑心暗鬼になったのだろう。それについてはどう思っている」
「ははぁ、そいつは悪いことをしちまったな」
賢者からの追及に、俺は形ばかりの感想を述べた。
帝都で召喚者共を仕留めきれなかったことが残念なくらいだった。
そこで全滅できていれば、面倒なことにならずに済んだ。
元の世界への帰還だけに集中できた。
彼らが疑心暗鬼になって別行動を取ったことに関しては、愚かとしか言いようがない。
結果として二人の召喚者が俺に殺されている。
団体行動を心掛けていれば、もう少しマシな末路を辿っていたと思う。
俺の反応から本心を悟ったのか、賢者は嘆息した。
こちらを窺う視線には、明らかに軽蔑の念が感じられる。
それを抑えながら賢者は話を再開する。
「……まあ、いい。異世界の話はいずれ改めて訊こう。個人的な意見だが、ミハナとは仲良くしてほしい。お前達が争うと、エウレア全体の不利益となる」
「この国がそんなに大事か?」
「俺は愛国者だ。この力と身分と歴史に誇りを持っている」
賢者は胸に手を当てて言う。
どうやら本気らしい。
正直、どうでもよかった。
「それで、肝心の彼女はどこにいるんだ。ここで研修生をしているんだろう?」
「彼女は隣室で待たせている。今から呼ぶが、くれぐれも暴れないでくれ」
賢者が指を鳴らす。
数秒後、部屋の扉がノックされた。
入ってきたのはミハナだ。
俺はソファから立ち上がると、歩み寄って握手を求める。
「ハロー、久しぶりじゃないか。会いたかったぜ――」
喋っている途中、その手をミハナにはね除けられた。
ぱちん、と乾いた音が室内に鳴り響く。
「む」
後ろから賢者の声がした。
彼も予想だにしないリアクションだったらしい。
俺は叩かれた手を開閉する。
「おいおい、どうした。反抗期かい?」
対するミハナは、汚物でも見るような眼差しを向けてきた。
そして吐き捨てるように言う。
「随分と気安い態度ねぇ……自分の立場、分かってんの?」




