第62話 爆弾魔は別れを告げる
俺の提案を受けたマイケルは唇を噛んで悩む。
交渉に乗るべきか決めあぐねているのだ。
揺れる内心が透けて見える。
彼は床を睨んだ後、眉を寄せてこちらを窺う。
「……その前に、訊きたいことが、ある」
「ほう。言ってみろよ」
俺は笑顔で続きを促す。
何を知りたいのやら。
俺は優しいので丁寧に答えてあげよう。
マイケルは一歩踏み出すと、怒りで顔を染めて吠えた。
「どう、して……どうして俺達を、狙うんだッ!」
マイケルは鼻息を荒くして問いかけてくる。
本気で答えを知りたいようだった。
俺は含み笑いを洩らす。
そのうち耐え切れずに爆笑した。
「ハッハッハ! そいつは面白いジョークだなァ! この期に及んでまだそんなことを言えるとは思わなかったよ。俺が審査員なら、十点満点の札を掲げるところだ」
「なに、を……」
「この世界に召喚された時、俺を馬鹿にしただろう。あれだよ」
俺が前へ進むと、マイケルは後ずさる。
その顔は呆然としていた。
強い非難も見て取れる。
「ま、まさか……たったそんなことで」
「――そんなこと? 今、そんなことと言ったか?」
失言を耳にした俺は、ギリギリまでマイケルに詰め寄った。
反射的に向けられた魔剣をどかして嘆息する。
「おいおい、マイケル。侮辱を軽んじるなよ。最低な行為だぜ?」
「だ、だからと言って、あの子達を、殺すなんて……!」
「それに俺は、標的を逃さない主義でね。帝都爆発からまんまと生き延びたお前のことは、必ず仕留めると決めていた。邪魔をするなら誰だって始末する。そういう人間なんだ」
ゆっくりと言い聞かせるように、俺は自分の意見を告げる。
マイケルは無言で息を呑んだ。
そこには、確かな怯えが滲んでいた。
まったく情けない。
時間停止という絶対的な力を持っているというのに、マイケルは満身創痍で敗北した。
そして逃れられない交渉戦に持ち込まれている。
まあ、俺にとっては良い流れだ。
文句なんてない。
俺は手を打って雰囲気を和らげる。
「だが、ちょいと気が変わったんだ。お前への報復は十分に行った。もうたっぷりと苦しめたから、ここらで仲直りしたいと思ったのさ」
「そんな、馬鹿な……」
「俺にも良心の呵責ってものがある。痛み分けってことで、終わりにしないか?」
俺はマイケルに答えを求める。
マイケルは気味が悪そうにこちらを見た。
「お前は、狂っている」
「ああ、そうさ。狂っているとも。頭のネジやらボルトが二ダースくらい迷子なんだ。拾ったら届けてくれよ」
俺はマイケルに歩み寄って肩を組む。
彼の身体が硬直する。
強い緊張を覚えているようだ。
「なぁ、マイケル。落ち着いて考えてみろ。意地を張って俺を斬れば、解毒剤が手に入らないんだ」
「…………」
「それともお得意の時間停止で探してみるかい? その身体でやれるものなら、好きにすればいい。まあ、賢い選択じゃないってことだけは忠告しておくよ」
「でも……」
「彼女を救いたいのなら、私怨を捨てろ。俺を赦すだけで、命と安全が約束されるんだ。安いものじゃないか」
今から時間停止で探し回る暇もない。
マイケルの肉体も持たないだろう。
逡巡するマイケルは、苦し紛れに反論を試みる。
「口約束、したところで……お前は、きっと破る。信用が、できない……」
「そう言うと思ってこいつを用意しておいた」
俺は二枚の羊皮紙とペンを取り出す。
それをマイケルに見えるように掲げてみせた。
「契約書だ。それも魔術的な力がある。こいつを使えば、ただの口約束ではなくなる。内容を破ると罰が下るからだ。契約内容は既に書いてある。まずは読んでみてくれよ」
俺は契約書とペンをマイケルに渡す。
記された内容はそれほど難しいことではない。
俺は解毒剤をマイケルに譲渡し、赤髪少女を解放する。
以降、俺とマイケルは互いに攻撃してはいけない。
上記を破った場合、心臓が潰れる呪いが発動する。
真剣に読み込むマイケルに、俺は親身になって語りかける。
「それで、どうするんだ。契約するのなら、お前と彼女は助かる。断れば毒で死ぬ。好きな方を選ぶといい」
「うう……」
マイケルは契約書を掴んで唸る。
相当に悩んでいる。
たっぷり二分ほど考え抜いた末、彼は掻き消えそうな声で答える。
「分かった……契約、する……」
「素晴らしい! 賢明な判断だ。マイケル、君なら了承してくれると思ったよ」
俺は大喜びでマイケルの背中を叩く。
彼は鬱陶しそうにしながら手を差し出してきた。
「は、早く、解毒剤を……」
「まずは契約からだ。ここにサインしてくれ。言うまでもないが、マイケルなんて偽名を書かないでくれよ? 契約に使うのは本名だ」
俺が喋る間にも、マイケルは契約書にサインしてしまう。
決心した後は行動も早い。
俺は二枚の契約書を覗き込む。
「へぇ、ヤマハシ・ミノルというのか。いい名前だな。よろしくな、ミノル」
「…………」
マイケル改めミノルは、俺の言葉を無視して赤髪少女へと駆け寄った。
そして拘束を解いていく。
やはり彼女の身が最優先らしい。
ここまで徹底していると、素直に尊敬せざるを得ない。
拘束を壊すマイケルをよそに、俺はペンを握って契約書と向かい合う。
「よし、じゃあ次は俺の番だな」
所定の位置にペンを走らせると、唐突に契約書が光り始める。
光はだんだんと弱まり完全に消えた。
俺は契約書を丸めて紐で縛り、片割れをミノルに投げ渡す。
「これで契約成立だな。晴れて俺達は親友ってわけさ」
契約書を乱暴に掴み取ったミノルは、血の涙を拭いながら呟く。
「そんなこと、どうだって、いい……解毒剤、だ……」
「まあまあ、そんなに焦るなよ。探し物は身近にあるものだ」
俺は赤髪少女の服のポケットを指差す。
ミノルがそこを探ると、瓶に入った錠剤が出てきた。
「一人二錠ずつ、三日間は摂取するんだ。そうすれば完治する」
「信じて、いいんだな……?」
「ここで嘘をつくメリットがない」
俺が肩をすくめると、ミノルは解毒剤をその場で飲んだ。
眠る赤髪少女にも口移しで飲ませる。
赤髪少女を背負ったミノルは、部屋の出口へと向かう。
その際、一度だけ振り向いた。
「もう一生、俺達に、近付くな……二度と、顔を見せるな……」
「ああ、もちろん。心配するなよ。俺は約束を守る男なんだ」
しっかりと頷いてみせると、ミノルは部屋を出ていった。
俺は部屋の出口まで見送りに行く。
赤髪少女を背負う彼の姿は、半ば廃墟と化した路地へと消えていった。
遅々とした足音もやがて聞こえなくなる。
静寂の中、アリスが隣に寄り添う。
「行ってしまったわね」
「そうだな」
「本当にやるの?」
「当然さ」
俺は懐からスイッチを取り出した。
ボタン部分に指を添える。
まだ押さない。
その状態で一秒ずつ数を数える。
高鳴る鼓動を自覚しながら、俺はしっかりとカウントしていった。
そうして三十秒が経った時、笑みを湛えて言う。
「グッバイ、ミノル。これが別れの挨拶だ」
俺はスイッチを押し込む。
罠だらけの路地を越えた向こう側で、つんざくような大爆発が起きた。




