第39話 錬金術師は静かな夜を過ごす
※主人公視点ではありません。
意識の浮上に伴い、私は静かに目を開けた。
視線だけを窓の外に向ける。
澄み渡った夜空には、月が浮かんでいる。
明け方に眠ったのでこんな時間になってしまったらしい。
私はそっとベッドから出る。
近くから微かな寝息が聞こえてきた。
同じ部屋の別のベッドで、屈強な体格の男性が横たわっていた。
その男性は大の字になって気持ちよさそうに眠る。
彼は異世界人のジャック・アーロン。
私が行動を共にすることになった奇妙な人物である。
彼についてはよく分からない。
素性も不明だ。
詳しくは聞いておらず、彼もあまり話そうとはしない。
少なくとも善人ではないと思う。
だけど、悪人かと訊かれれば首を傾げてしまう。
ただ敵対した人間だけを徹底的に嬲り殺すのだ。
大きく歪みながらも、彼は決してぶれない芯を持っていた。
心身の強さを兼ね備えている。
自己のためには、あらゆる犠牲をも厭わない独断性だ。
人はそれを狂気と呼ぶのだろう。
じっと寝顔を見つめていると、彼は唐突に目を開けた。
私の視線に気付いたらしい。
彼の眠りは浅い。
いつ敵に襲われても反応できるようにしている。
長年の習慣と思われる。
上体を起こした彼は、軽く手を上げる。
「おはよう。よく眠れたかい」
「ええ、疲れも取れたわ。ジャックさんはどう?」
私が尋ねると、彼は両腕を曲げて筋肉を強調した。
鍛練された肉体だ。
彼の暴力の根源でもある。
何種類かの動きを披露した後、彼は得意気に答えた。
「もちろん俺は元気さ。このままフルマラソンにだって参加できる」
「そうなの。よかったわ」
私は頷きを返す。
ふるまらそん、というものが何か分からないけれど、元気が有り余っているのは確かだった。
私は彼が疲労している姿を見たことがない。
彼は常に平然としており、ことあるごとに冗談を言ってみせる。
底無しの体力もあるけれど、おそらくは弱った部分を見せたくないのだろう。
決して強がりではなく、それが癖になっている。
彼は生粋の戦士だ。
如何なる状態でも戦いに身を置けるよう、無意識に調整しているに違いない。
ベッドから起きた彼は、手を組んで伸びをする。
それが終わると腹を撫でた。
「そういえば、食事がまだだったな。何か作るかね」
呟いた彼は一階へ下りると、家主のレトナに頼んで台所を借りた。
そこでおもむろに料理を始める。
「ジャックさんってば、料理もできたんですねぇ。少し味見させてもらっていいですか?」
「邪魔だ。あっちに行け。材料費はもう払っただろう」
つまみ食いを試みるレトナに、彼は小皿に分けた料理を押し付ける。
そのまま味の感想も聞かずに追い払ってしまった。
退散するレトナを横目に、私は彼の料理の手伝いをする。
「ったく、絵に描いたような女狐だな」
「どういう意味なの?」
「ムカついて殺したくなるってことさ。誰でも誑かして操れると思っていやがる」
彼はレトナがあまり好きではないらしい。
いや、過去の言動を鑑みれば、間違いなく嫌いの部類と思われる。
レトナが殺されていないのが不思議なほどであった。
彼女に利用価値があるから我慢しているのだろう。
彼は美人が好きみたいだけれど、レトナへの対応は辛辣だった。
容姿の良し悪し以前に、性格が合わないのだと思う。
私自身、レトナとはあまり話したくなかった。
饒舌すぎる点を抜きにしても、見え透いた打算が受け入れられない。
人間的な悪意と言い換えてもいい。
料理が揃ったところで、私達は一階の居間で食事を始めた。
私と彼は向かい合わせに座る。
夕食は肉と野菜の炒め物にスープとパンだ。
ありふれた料理だが、寝起きの身体にはちょうどいい。
彼はナイフとフォークを駆使して食事を進める。
皿はあっという間に空になっていった。
そして余った料理をおかわりする。
途中からドワーフの集落で貰ったお酒も飲み始めた。
かなり空腹だったらしい。
昨晩、あれだけ動いたのだから当然だろう。
常人の運動量ではない。
「新しい拠点で爆弾を作りたいんだが、何かアイデアはあるかい?」
彼はパンを齧りながら話題を切り出す。
雑談を兼ねた打ち合わせのようだ。
「これまでとはまた違ったコンセプトのやつだ。俺も爆弾魔を自称しちゃいるが、魔術は専門外なもんでね。この世界の材料にもまだまだ疎い。役に立ちそうなものは積極的に取り入れたいんだ」
彼は私に意見を求めてくる。
これまでにも何度かあったことだった。
彼は私の能力を高く評価し、付随する知識も信頼しているらしい。
加えて彼には学習意欲もある。
そのうち本格的に魔術を勉強するつもりだと言っていた。
普段の言動から武闘派の印象は強いが、決して頭が悪いわけではない。
その事象について、何が必要かを理解していた。
故に私も安心して方針を委ねられる。
私は思考を巡らせながら答える。
「精霊石を使った爆弾はどうかしら。封じ込めた炎の精霊を暴走させれば、広範囲を焼き尽くすはずよ。本来ならまず成功しないけれど、ジャックさんのスキルがあれば実現できるわ」
「そいつはいいな! 面白そうだ」
彼は身を乗り出して喜ぶ。
子供のような無邪気さと同時に、殺戮への期待を覗かせていた。
爛々とした目が、異様な色を灯している。
私は既に慣れているので平気だが、人によっては恐怖を感じるだろう。
私の内心の感想をよそに、彼は顎を撫でつつ思案する。
「精霊石か……エウレアの市場を探せば見つかるか?」
「見つかると思うけれど、精霊石はとても稀少ね。普通は魔道具や武器に搭載して恒久的に使うものだから。私から提案したけれど、爆弾の材料としては高価よ?」
「そんなものは関係ないさ。金なんていくらでも集められる。せっかくのアイデアを実践しない方が損だろう?」
彼は少しの迷いもなく反論する。
本気でそう考えているようだ。
爆弾を作るためなら、多額の出費も関係ないらしい。
熱意の方向がずれている気はするけれど、それは指摘しないでおく。
彼が決めたのならそれでいいのだ。
私が何らかの不利益を被るわけでもない。
むしろ、どういった爆弾ができるのか純粋に興味があった。
その後も新しい爆弾の案を検討し、話がまとまったところで夕食を終了する。
私はレトナの厚意で浴場を使うことになった。
一般家庭ではあまり見られない設備だが、便利屋は儲かっているらしい。
そんなことを考えつつ、私は脱衣所で服を脱いで浴場に入る。
浴場は魔道具で湯が出るようになっていた。
大きな浴槽に加えて、香油や石鹸も用意されている。
手入れも隅々まで行き届いていた。
これには素直に驚く。
レトナのこだわりなのだろうか。
或いは助手のハックによる配慮かもしれない。
どちらにしろ、相当に豪華なのは確かであった。
私は頭から湯を浴びて身体を洗う。
汚れと一緒に疲れもほどけて流れ落ちる感覚だった。
とても気持ちがいい。
レトナには後で礼を言わないといけない。
ほどなくして私は浴場を出た。
そこで着替えを部屋に置いたままであることに気付く。
せっかく身体を洗ったのに、脱いだ服を着るのも憚られた。
私はタオルを身体に巻き、そのまま自室へと向かう。
「……っ」
途中、小さく欠伸をする。
まだ眠気が残っているみたいだった。
長時間の戦闘で疲れている。
私は体力不足を実感する。
レベル上昇に伴う身体能力の強化も過信はできない。
今後を考えると、私も体力作りをして損はないだろう。
彼の同行者を続けるには、それくらいの努力は必須なのだから。
もう少しで部屋に着くというところで、向こうから扉が開いた。
室内から現れた彼と鉢合わせになる。
彼は酒瓶を片手に私を一瞥すると、軽く頭を下げた。
「おっと、すまんね」
謝罪を口にした彼は、私の横をすれ違う。
酔いの回った顔をしているが、足取りに乱れは無かった。
彼は階段を下り始める。
「どこへ行くの?」
気になった私が声をかけると、彼は酒瓶を掲げてみせた。
「昨日の酒場だ。少し飲んでくる」
「私も行っていい?」
「まだ眠いだろ。先に休んどきな。それと、風邪だけは引いてくれるなよ?」
「……くしゅんっ」
私は意図せずくしゃみをする。
非常に間が悪い。
「ははっ。体調管理は鉄則だぜ。世界を滅ぼすまでは、健康でいないとな」
彼はこちらを向かずに笑うと、そのまま手を振りながら階下へと消えていった。
なぜか眠気に気付かれていた。
表情に出したつもりはなかったのに。
相変わらず侮れない洞察力である。
彼はよく見ていた。
残された私は大人しく部屋に戻り、着替えを身に付けた。
そしてベッドに潜り込んで目を閉じる。
彼の言う通り、もう少し寝た方が良さそうだった。
眠気に支配されるまでの束の間、彼のことを考える。
本当に不思議な人間だ。
世界を滅ぼすという私の目的を聞いても、眉一つ動かさなかった。
否定や反論はせず、ただ面白そうにしていた。
そして現在、私達は互いの目的達成のために協力している。
どこまでも歪んだ関係である。
しかし、彼とならば叶えられる予感がした。
これまでの"私"が成し遂げられなかった悲願が、ようやく実現する。
その時は、もう遠くない気がした。
脳裏に彼の姿を思い描きながら、私は緩やかに眠りの世界へ落ちていく。




