第180話 爆弾魔は雪原地帯へと至る
夜明け頃、ゴーレムカーは枯れた大地を走る。
微かな眠気を煩わしく思っていると、前方に巨大な格子状の門が見えてきた。
地面に膨大な数の術式が、圧倒的な密度で描かれている。
門の向こうには雪原が広がっており、雪がはらはらと降っていた。
俺は窓から顔を出して確認すると、ゴーレムカーを停車して降りる。
そして少し離れたところから門を観察する。
迂闊に触れると危険な予感がしたのだ。
ここは例の雪原地帯である。
門の先へと進んでいけば、最果ての城に辿り着くだろう。
降車したアリスが屈み込み、門の周辺を見回し始める。
彼女は無表情で術式や門を凝視していった。
おそらく結界を解析しているのだろう。
アリスは目視によってそれを可能とする。
「……さて」
解析の間、俺はゴーレムカーに寄りかかった。
胸ポケットから取り出した煙草をくわえ、紫煙を楽しみながらアリスの後ろ姿を眺める。
残念ながら俺に手伝えることはない。
精々、周囲の警戒をするだけであった。
ところがここは、動物一匹すら生息しない秘境だ。
人間の住む領域からも離れている。
どこの国の軍も、この地域を気味悪がって近付いてこない。
襲ってくるとすればシュウスケくらいだろうか。
そんな彼も俺達の居場所には気付いていない。
隠蔽はまだ十分に機能していた。
野郎が瞬間移動で仕掛けてくることはない。
つまり俺の仕事なんて無く、ぼんやりと煙草を吸うしかなかったのだ。
待機中、少し強めの風が吹いた。
それなりに肌寒い。
すぐそばが雪原のためだろう。
今までとは気候が大きく変化しており、この近辺の地域はかなり寒かった。
門の先はさらに過酷な環境に違いない。
ゴーレムカーの中は最適な気温を維持されるが、屋外にいる間は我慢しなければならない。
幸いにもレベル補正を受けた身体能力のおかげで凍死する心配はなさそうだった。
もちろん衰弱もしない。
異世界の恩恵を受けたことで、肉体の基礎が根本的に異なるのである。
今の俺は、どのような環境にも対応できる。
雪くらいはクリスマスの子供のように楽しんでみせよう。
短くなった煙草をちびちびと味わっていると、不意にアリスが立ち上がった。
彼女はこちらを向いて頷く。
少し誇らしそうな顔だ。
良い知らせがあるらしい。
煙草を口から離した俺は彼女に尋ねる。
「どうだい。いけそうか?」
「ええ、問題ないわ。少し待ってて」
アリスは地面に手をつく。
彼女の指から光が発せられ、それが術式に干渉していく。
術式が脈動し、じわじわと薄れ始めた。
「う、ぅ……」
途中、アリスが小さな呻き声を洩らす。
よく見ると鼻血を垂らしていた。
眼差しも虚ろなものになりつつある。
それにも関わらず、アリスは集中して術式を消していた。
「……ふむ」
俺は煙草を踏み消すと、アリスの懸命な努力を見守る。
惰性で眺められるほど無関心にも非情にもなれなかった。
言葉を発さず、ただ腕組みをして彼女を見やる。
そうして待つこと数分。
びっしりと刻まれた術式は、剥がれながら霧散していった。
門にかかっていた錠前が割れて落ちる。
そして、門が金属の擦れる音を立てながら両開きとなった。
雪原地帯からひときわ強い突風が吹き抜ける。
凍り付きそうな冷たさだ。
風の当たる肌がぴりぴりと痛い。
門の解除を終えたアリスは、汗と鼻血を袖で拭った。
そして、こちらへと歩いてくる。
「……でき、たわ」
言い終えた辺りで、アリスが大きくふらついた。
彼女が倒れそうになったので、俺は駆け寄って抱き止める。
「ありがとう。さすがは相棒だ」
「…………」
アリスは無言で微笑すると、静かに目を閉じた。
俺は彼女の口元に耳を寄せる。
正常なテンポの呼吸音であった。
(大丈夫。ただ気を失っているだけだ)
アリスは疲労しているだけである。
安静にしていれば目が覚めるはずだ。
ひとまず無事そうでよかった。
俺はアリスを助手席へと運び、慎重に寝かせてシートベルトを着ける。
これで急ブレーキの際も安心だ。
俺は運転席に移ると、ゴーレムカーを発進させた。
(アリスがこれだけ頑張ったんだ。俺も気合いを入れないとな)
ここで情けない真似をするわけにはいかないだろう。
世界滅亡まであと少しだ。
彼女が起きるまでに、さっさと作業を進めるくらいでなければ。
ちんたらしているとアリスに呆れられてしまう。
ゴーレムカーが門を抜けて雪原地帯に侵入した。
舗装もされていない道を直進していく。
ハンドルを握りながら地図を確かめる。
詳しい距離は不明だが、日没までには最果ての城に着くだろう。




