第171話 爆弾魔は脱獄する
俺は牢屋の椅子に拘束されていた。
暇潰しに口笛を吹いている。
僅かに動かせる爪先で床を蹴ってリズムも刻んでいた。
同じ曲を何度目ループしたのだろう。
三百回から先は数えていない。
正直、そろそろ飽きてきた。
レパートリーなんてとっくに枯渇している。
(ったく、ふざけやがって……)
最初の会話の後、シュウスケはまったく姿を見せない。
食事も出てこない。
完全なる放置である。
監禁されたり、牢屋にぶち込まれた過去は一度や二度ではないが、これほど劣悪な環境も珍しかった。
俺の心が生まれたてのヒヨコのように弱ければ、早々に気が狂っていただろう。
タフガイで良かったと改めて思った。
牢屋は静寂に包まれていた。
特筆できる音と言えば、一定の感覚で響く水の滴る時くらいだろうか。
それを聞きながら、蝋燭の頼りない火を見つめるばかりの楽しい日々を過ごしている。
シュウスケには感謝しなくてはいけないな、本当に。
嘆息した俺が口笛を再開したその時、頭の中に小さな声が響き渡った。
『……ックさん』
聞き馴染んだ声だ。
俺は相手のことを知っている。
(何だ?)
俺は首を動かして辺りを見回した。
しかし何も変化はない。
どこまでも陰気な牢屋だけが存在していた。
『ジャックさん。聞こえる?』
「アリスか。ちゃんと聞こえるぜ」
『返事は口に出さないで。今、あなたの脳内に話しかけているわ。心の中に思うだけで、あなたの言葉は私に届くはずよ』
アリスはいつもの口調で説明する。
脳内ということは、テレパシーのようなものだろうか。
そういう魔術があると何かの書物で見た気がする。
確か念話といった名称だった。
俺はアリスに言われた通り、心の中で意識して呟いてみる。
(あー、こんな感じでいいのか……?)
『大丈夫よ。聞こえているわ』
どうやら上手くいったらしい。
こんな風に会話ができるとは、本当に便利な世界である。
元の世界より発達している部分も少なくないのではないだろうか。
(アリス、どうやってこんなことをしているんだ。ひょっとして近くにいるのか?)
『残念だけれど近くにはいないわ。あなたと私に施された魔術契約の繋がりを利用して念話を行っているの』
アリスの説明で俺は思い出す。
そういえば、彼女とは魔術契約を交わしていた。
互いの魂の隷属化である。
当時は、第三者による隷属化を防止するための措置で行ったのだった。
どういう仕組みかは定かではないが、彼女はそれを利用したらしい。
『あまり長続きしないから手短に説明するわ。一度しか言わないからよく聞いて』
(オーケー、了解したよ)
俺は素直に頷く。
彼女の言うことに無駄はない。
そもそも俺は拘束されている。
大人しく話を聞くしかなかった。
『今からあなたを拘束する鎖を無効化するわ。そうしたら、すぐに脱出に動いて』
(鎖を無効化って、離れた場所からできるのか?)
『あなたの身体を介して鎖に干渉するの。魂の隷属化で繋がりがあるからこそ可能なことね。こんな使い方は想定していなかったけれど、運が良かったわ』
アリスはクールに言ってのける。
顔は見えないが、きっといつものように澄ましているのだろう。
(ハッハ、さすが相棒だな。優秀すぎて恐ろしいくらいだ)
『ありがとう。褒め言葉の続きは再会した時に受け取るわ』
アリスは珍しく軽口を叩いた。
誰かさんの影響を徐々に受けつつあるようだ。
その善し悪しについては触れないでおく。
『ハリマ・シュウスケとの会話は盗み聞きしていたから状況は把握済みよ。とにかく旧魔族領から離脱するのが最優先ね』
(まったくだ。野郎を殺すには対策が足りなかったらしい)
俺達は様々な対策を用意していたが、シュウスケの能力は絶大だった。
今までの召喚者と比べても別格だろう。
加えて言うなら、本人のスペックも高い。
狡猾さと大胆さを兼ね備えており、さらに冷静だ。
いくら挑発しても平常心を崩さなかった。
とてもやりにくい相手である。
これまでに殺してきた召喚者は、人格面に付け入る隙がある者が多かった。
今回はそういった戦法が使えないと考えるべきだろう。
『仕方ないわ。相手が悪かったもの。私もあそこまでの能力とは思っていなかった。それよりも鎖の解析を行うわ。私の合図で破壊してね』
(任せておけ)
俺はじっと動かずに待機する。
数秒後、心臓の辺りで温かなパワーが流動し始めた。
アリスの魔術だろう。
それは全身を伝って鎖にも浸透していく。
『エーテル製……厄介な聖遺物ね。旧魔族領に保管されていたものかしら』
アリスが独り言を洩らす。
その間にも鎖が振動し、軋み出していた。
俺がどれだけ力を加えても、びくともしなかったというのに。
どうやら魔術的なプロセスを踏まなければ壊せない類のものだったようだ。
やがて鎖に亀裂が走った。
それが音を立てて広がり、一気に拘束を緩めていく。
『――今よ』
「ふんッ」
アリスの合図と同時に、俺は全身に力を込める。
その瞬間、各所に巻かれた鎖が弾け飛んだ。
ばらばらになった鎖が床に散乱する。
俺は息を吐いて手足を撫でた。
「よし、上出来だな。晴れて自由の身ってやつだ」
『安心するのはまだ早いわ。ハリマ・シュウスケがあなたの脱走を察知したはずよ。早くその場から逃げて』
「分かっているさ。脱出は得意分野だ」
俺は鉄格子を掴んで左右に押し曲げる。
出来上がった隙間を潜り抜けた。
ついでに鉄格子を何本か引き千切って即席の武器にする。
丸腰よりはマシだろう。
『……さすがね。そこも相当な魔術防御が施されていたようだけれど』
(さっきの忌々しい鎖に比べれば、クラッカーみたいに脆かったぜ)
俺は鼻で笑う。
よほど特殊な拘束でなければ、俺の膂力の前では紙くず同然だった。
牢屋を脱した俺は、近くの階段を上がっていく。
『感知魔術で脱出経路を導くわ。私の言う通りに進んで』
(イエス、マム。頼りにしているよ)
俺は胸中で相棒に告げる。
今回も彼女のサポートに助けられてしまった。
相変わらずアリスは有能である。
生涯を振り返っても、ここまで信頼できる人間は滅多にいなかった。
そんなアリスが脱獄のチャンスをくれたのだ。
無駄話を控えて、さっさと脱出しなければ。




