第139話 爆弾魔は不意の一撃を炸裂させる
洋館の一階廊下。
等間隔で窓の並ぶそこで、トオルとアヤメは正面から遭遇した。
少し距離を保って二人は対峙する。
「ははは、どちらが先に動くんだ?」
「いつものことだけれど、楽しそうね」
「そりゃ楽しいさ。標的が殺し合うのを、気楽に観戦できるんだからな」
これぞローリスク・ハイリターンなやり方だ。
加えて愉快なシチュエーションでもある。
楽しまないと損だろう。
二人を眺めていると、トオルが口を開閉させた。
何か言ったようだ。
彼は悲しそうな表情をしている。
何か説得でもしようとしているのか。
あのアヤメを相手に通じると思ったのなら、とんだ愚か者である。
ジョークにもなり得ない行為だ。
彼女との対話は困難極まりない。
話を聞いているようでまったく聞いていないということも珍しくなかった。
それだというのに、殺しに関しては真面目に遂行する。
以前まではどうかは知らないものの、アヤメという女は生粋の殺人鬼であった。
決して言葉で止められるタイプではない。
案の定、アヤメは動き出した。
彼女は片手を突き出し、そこから火炎を噴き出す。
魔術によるものだろう。
火炎は廊下を焼き焦がすような勢いでトオルに迫る。
しかし、トオルは動かない。
彼は悲しそうな顔をしていた。
憐みを含んだ眼差しをアヤメに向けている。
荒れ狂う火炎は、トオルの目前で消えた。
そこに何らかの境界線があるように、彼を燃やすことはない。
トオルが前へ進んだ分だけ、火炎の射程も短くなっていく。
火炎が効かないと悟ったアヤメは、今度は笑いながら突進する。
彼女は血みどろのナイフを振りかざす。
トオルを間合いに収めた途端、アヤメの動きが悪くなった。
いつものスピードとは比べ物にならないほど鈍い。
明らかに常人の範疇に収まっていた。
その間にトオルは踏み込む。
こちらは以前に目撃した際と同等の速度だった。
彼はすれ違いざまにアヤメを斬る。
アヤメは胴体から血を噴き出しながら倒れた。
俺の位置からでは姿が見えなくなる。
トオルはその場に佇んでいた。
苦しそうな顔で俯いている。
アヤメはいつまで経っても起き上がらない。
平時の彼女ならとっくに反撃に移り、再び致命傷を食らっている頃だ。
なぜ立ち上がらないのか。
答えは単純で、再生能力が機能していないためである。
原因はそばに立つトオルだった。
彼の固有能力は【幻想否定 A+】という代物だ。
発動者であるトオルを中心に半径二メートル――およそ二・二ヤードの範囲内にあるファンタジー要素を無効化してしまう。
言ってしまえば、ステータスやスキル、魔術といったものを問答無用で消し去れるのだった。
俺達がトオルに苦戦したのも、このスキルが原因であった。
彼の近くで爆弾が作動しないのは、内部機構に術式を使っているためだ。
材料に使われる魔導液も、無効化の対象だろう。
銃やゴーレムカーも同様だ。
少しでもファンタジー要素が混ざっていると、即座に機能不全に陥る。
一時的にアリスが魔術を使えなくなったり、俺の傷が治らなくなったのも能力の射程に入ってしまったからであった。
これだけでも厄介だというのに、【幻想否定 A+】はさらに面倒な特徴を持つ。
それは、トオル自身には影響を及ぼさない点だ。
彼だけはレベル補正の恩恵を受けられる上、スキルも問題なく使えるのである。
つまりトオルに接近すると、この世界が由来の力がすべて使えなくなり、一方で彼はレベル100オーバーの身体能力で攻撃してくる。
これほど卑怯なことはあるだろうか。
本当に馬鹿げている。
思わず笑ってしまうほどクソッタレな能力であった。
トオルはこのスキルのおかげで帝都爆破を切り抜けられたに違いない。
あれは都市核を爆弾にして起きたものだ。
すなわちファンタジーなパワーで構成された爆発である。
【幻想否定 A+】で無効化できたのだろう。
これは推測でしかないが、【未来観測 A+】のミハナは彼に密着することで難を逃れたものと思われる。
効果範囲は半径二メートルだ。
他の人間を助けるだけの余裕はあったはずである。
何はともあれ、恐ろしいスキルには違いないだろう。
自身の不死身能力が無効化されると知りながらも、アヤメはトオルとの対決を快諾した。
彼女は頭のネジが外れている。
判断能力が完全にぶっ壊れていた。
まあ、こうしてリスクを負わずに堂々と攻撃できるのだから、俺にとっては好都合なことであった。
(アヤメを殺した。次はどうする?)
現在のトオルは、剣を手に立ち尽くしていた。
彼はその場を動かない。
いや、正確には動けないのだ。
そこから離れるとアヤメの再生が始まり、彼女の暴走が再開する。
他の兵士では対処できず、被害が拡大してしまう。
結局、トオルが鎮圧するしかない。
見事な二度手間である。
彼女の死体を持ち運べば解決するのだが、そこまで頭が回っていない様子だ。
トオルは焦っている。
二階に護衛対象を置いたままだからだろう。
突破口が見えているにも関わらず、勝手にジレンマに陥っていた。
「はは、いい気味だ」
俺はスコープを覗き込みながらポケットを探る。
取り出したのは特製の精霊爆弾だ。
まだ狙撃はしない。
今のトオルは動けないことで警戒心を強めている。
万が一、察知されて弾を躱されても困る。
まずは確実に命中させられる状況を作るのだ。
俺は立ち上がると、爆弾を掴みながらエースピッチャーさながらの構えを取る。
そこから一気に踏み込んで爆弾を遠投した。
「これが、俺からのプレゼントだッ」
一直線に飛ぶ爆弾は、勢いを緩めずそのまま洋館に落ちていく。
ほとんど狙い通りのコースだ。
我ながら抜群のコントロールである。
コツン、と音を立てて爆弾が洋館の屋根にぶつかった。
その瞬間、大爆発が起きた。
真っ赤な炎が洋館にめり込み、触れた箇所から粉砕していく。
巻き上がる黒煙。
甲高い音を立てて割れる窓ガラス。
新勢力の洋館は、倒壊を始めた。




