人助け
後半部に流血表現がございます。ご注意ください。
道端に男が倒れていた。うつ伏せだ。短髪の黒々とした頭がピクリとも動かない。
照りつける日差しの中で、汗も乾かぬじっとりとした湿気の中で、何をやっているのだろう。土にまみれた短パンとシャツを見るに、好き好んで寝っ転がっているようには見えない。行き倒れというやつだろうか。
「なにを、しているんですか?」
男の頭部に影を作りながら、できるだけそっけなく尋ねてみる。まずは意識の有無を確かめたい。
「大丈夫ですか? 熱射病ですか?」
蝉しぐれの中で何度も呼びかける。
伸ばしていた首の筋が痛くなり始めた頃、眼下の男の右手が微かに震えた。よかった。少なくとも死んではいないようだ。
「うー……へぁ…………」
絞め殺されているような細く乾いた息を漏らしながら、男は顔を上げた。意識が混濁しているのだろうか。土から現れた大きな黒目は、どこを見ているのかわからない。
「私が分かりますか? 助けが必要でしょうか」
ポケットにあるスマートフォンの感触を確かめながら、私はなおも問いかけた。すぐにでも途切れそうな意識をつなぎとめるように。ここで再び失神されるのは、きっとまずい。
辺りに木陰を探しながら、私は何度も呼びかける。そうしているうちに、ふいに目が合った。男が、私を見た。
「…………」
ほんの数秒のできことだったと思う。男はすぐに視線を外して、鋭く大きなその目を上から下へと動かした。私の全身を確かめるかのように。
彼はなぜか私の腹の辺りを凝視して、それから改めて目を合わせてこう言った。残酷に、あるいは自嘲気味に。
「悪いが、君には無理だ」
男の頭が、再び地面に落ちる。それっきり、本当に死んでしまったように動かない。言葉の意味は分からなかった。
何が無理だと言うのだろう。なぜ私には無理なのだろう。
腑に落ちぬまま、私は男が最後に見ていた自分の腹の辺りに視線を落とす。そうして異変に気がついた。
私のシャツ、その丁度脇腹の辺りが真っ赤に染まっている。血だ。おびただしいほどの血が、とめどなく私から流れていく。
痛みはなかった。驚きだけが私を支配していた。なぜ、致死量にも迫るかという体液が、私から溢れているのだろう。理由が、理由が分からない。
シャツを離れた血は、腿を伝い、靴下に吸い込まれる。底にじわじわと溜まっていく。足の裏には既に不快な水気がにじみ始めていた。
その感触を心の片隅でどうでもよく思いながら、私はただ、傷んでいく血液の色に目を奪われている。
腹の血は、滲み、溜まって、少しずつ鮮やかな色を失っていく。その様は、まさに死そのもののように感じられた。一瞬で終わってしまうよりも、ずっとそれらしい。
どのくらい立ち尽くしていただろうか。一向に止まる気配のない出血の中で、意識だけはやけにはっきりと保たれていた。普通ならとうに気絶していたってなんら不思議はない。私はどうしてしまったのだろう。
助けを求めることもせず、ひたすらにその時を待っていると、次第に視界が白んできた。目は開かれたままなのに、どんどんと見えなくなっていく。蝉しぐれが、遠ざかる――。
目を開けば、私は天井を仰いでいた。エアコンの冷気が残る私の部屋。窓から差し込む朝日が眩しい。眠っていたのだと気がつくのに時間は掛からなかった。
疲れも眠気もなく、私は上体を起こす。いつもの朝。喜びも感謝も何も感じなかった。私は生きている。なぜ生きているのだろう。考えるだけ無駄だと思った。
コーヒーを淹れるべくベッドを離れる。そうして、思い出す。私を見た黒い瞳のことを。
――君には無理だ。
それは、ひどく正しいことのように思われた。




