○○売りの少女
年の瀬も押し迫った十二月の寒い夜のこと。男はとある地方都市の繁華街の少し外れの通りを歩いていた。
この男が歩いている通りこそかつてマッチ売りの少女が力尽き、天に召された悲しい物語の舞台となった通りなのだが、商魂逞しいこの街の人々はなんとその物語を町おこしに利用し、今ではその通りは「マッチ売りの少女の聖地」として一部のマニアに有名な観光スポットとなっていると言う町おこしに成功したんだか失敗したんだか微妙な通りなのだ。
もちろん正当な「マッチ売りの少女」の物語は大晦日の事なのだが、この通りには年がら年中マッチ売りの少女が跋扈している。だが十二月になるとクリスマス前のケーキ屋の如く売上アップを狙った少女達の熱い商戦が繰り広げられるのが例年の習わしで、この男もそれを狙って掘り出し物を狙ってこの通りを訪れたのだった。
「マッチいかがっすか~」
早速男に声をかける少女が現れた。それにしてもやる気と言うものが毛ほども感じられない物言いである。しかもその少女、どこからどう見てもギャルと言うかヤンキー女と言うか、本家「マッチ売りの少女」の清楚さが微塵も感じられない。こんなのに引っ掛かっているヒマは無いと男はその声を無視して早足に歩いた。するとそこから数メートルも歩いたか歩いていないかのところでまた男に声がかかった。
「……はいかがですか?」
恥ずかしいのだろうか、今にも消え入りそうな声。しかも「マッチ売りの少女」にふさわしい清楚で可憐な少女。男は足を止めた。
「……ッチはいかがですか?」
少女は尚も小さな声で商品を進めて来る。しかし、肝心の商品名がよく聞こえない。男は優しい笑顔で少女に言った。
「お嬢さん、そんなに怯えなくっても良いんだよ。どれ、一つ見せてもらおうか」
男の言葉に少女の顔が明るくなった。
「はいっ、じゃあこちらへどうぞ」
少女は男の手を引き、通りから少し入った暗がりへと誘った。
「おい、これ、ちょっとヤバいんじゃ無いか?」
男は少し不安を覚えたが、好奇心の方が勝ってしまい、黙って少女に手を引かれるまま暗がりへと向かった。
「少し待って下さいね」
少女は男に言うと、背を向けた。カサカサと衣擦れの音が男の耳に聞こえる。
「コレって、マッチ売りの少女じゃ無くって……」
男は生唾を飲み込んだ。そう、この通りでは正統派の「マッチ売りの少女」以外にも様々な物を売る少女が存在するのだ。そういえば昔、マッチが燃えている時間だけスカートの中を覗かせて見せると言うマッチ売りの少女の話を聞いた事がある。男も『掘り出し物』を狙ってはいたが、いきなりこんな当たりを引くとは思ってはいなかった。
「お待たせしました」
少女の言葉と共に金属音が響いた。
ガシャン バン! バラン! バラバラバラバラ……バァァァン!!
「どうですか? 良い音でしょ? 1979年モデル、最終型です」
満面の笑みで言う少女に男は尋ねた。
「コレ、KH400、通称ケッチ400だよね、もしかしたら君って?」
「はいっ、私、ケッチ売りの少女です」
「バイク好き、しかも一部のマニアにしかわかんねぇよ!」
男が突っ込むが、少女はうっとりしながらエンジンをバンバン吹かし、辺りは2サイクルエンジンの吐き出す白煙でもうもうとし始めた。
「どうですか、この音、この振動。そして2ストならではの白煙、まさにホワイトクリスマス!」
楽しそうに言う少女。男は一言言い残すと逃げる様にその場を去った。
「クリスマスはとっくに終わった。それにソイツはこんなトコじゃ無く、出すトコに出した方が高く売れるぞ。じゃあな」
少女と別れ、また通りを歩き出した男に声がすぐかかった。
「……を買ってくれませんか?」
「はい?」
「……ッチを買ってくれませんか?」
「また同じパターンかよ」と思った男だったが、せっかく来たのだ、話だけでも聞いてみようと足を止めた。
「どれ、一つ見せてもらおうか」
男が言うと少女は天使の様な笑顔を見せ、掌を男に向かって突き出した。少女の笑顔に吸い込まれるかの様に男も掌を突き出すと、二人の掌が合わさり、パンっと乾いた音を奏でた。
「ありがとうございます。五百円になります」
「はい?」
商品を見せる事も無くいきなり五百円を請求してきた少女。意味がわからず突っ立っている男に少女は天使の様な笑顔で言った。
「ほら、さっき私としたでしょ、パンって」
男の顔が青ざめた。
「私、タッチ売りの少女なんです。まさかやるだけやっといてお金払えないなんて言いませんよね?」
少女の天使の笑顔が悪魔の笑みに変わった。もし断ったら怖いお兄さんが陰から現れるに違い無い。危険を察した男は五百円玉を渡すと逃げる様にその場を立ち去った。
「毎度ありー、またのご利用、お待ちしてまーす」
後ろから少女の声が聞こえたが、振り返る事無く早足で男は歩いた。
「くっそー、まさかあんな手を喰らうとはな。だが次はそうは行かないぜ」
懲りない男は尚も通りを歩いた。するとまた声がかけられた。
「……はいかがですか?」
「ほうら、来やがった。今度は良い目をさせてもらうぜ」
男は立ち止まると少女に尋ねた。
「君は何売りの少女なんだい?」
「私は……ッチ売りの少女です」
「コイツ等、絶対ぼやかして言いやがるよな。なんだよ、『……ッチ売り』って。はっきり言えよ。いや、そこをぼやかすのがココのやり方なのか」
男は気を落ち着かせて少女の話を聞く事にした。
「私は……あなたを暖めさせていただきます」
「ほう、俺を暖めるってか。さっきは『タッチ売り』だったから今度はハグか? いや、それじゃ『……ッチ売り』から外れてるよな」
男はこの通りに於けるルールを『……ッチ売り』だと考えた。だとすればハグはあり得ない。そこに少女はとんでもない一言を付け加えた。
「特にあなたの下半身を暖めさせていただけるかと」
「買います!」
男は即答した。すると少女は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。これでノルマ達成、家に帰ることが出来ます」
やはり少女達にもノルマと言うものがある様だ。だからこそみんな必死に『……ッチはいかがですか』と言葉を濁しながら声をかけていたのだろう。少女の笑顔を見ながらも彼女の言う『下半身を暖める』とは……? お金を払った男がドキドキしながら待っていると、少女はいきなり男の履いているズボンのベルトに手をかけた。
「うわっ、いきなり? しかもこんな所で!?」
期待以上の少女の行動に男は嬉しいやら驚くやら。少女は恥ずかしそうな顔で言った。
「今年最後のお客さんだから……ちょっとサービスしちゃいますね」
期待に胸を躍らせながら男は少女にされるがままにズボンを剥ぎ取られた。
「うっ、寒いっ」
「大丈夫、すぐ暖かくなりますよ」
男が思わず洩らした声に、少女は悪戯な笑顔で応えた。
「ほら、右足を上げて下さい」
少女の言う通り右足を上げると男の右足に柔らかく暖かい感触が。続いて左足を上げさせられると左足にも同様の柔らかく暖かい感触。そしてそれが腿からお尻、腰へと広がった。
「どうですか、暖かいでしょ?」
少女が言うと、男は恥ずかしそうに応えた。
「いや、しかしコレって……」
全てが終わり、少女が男にズボンを手渡して言った。
「いえいえ、お似合いですよ。じゃあ、ズボンは自分で履いて下さいね」
男は渡されたズボンを履きながら呟いた。
「そうか、パッチ売りの少女と来やがったか……」
男はそれからも懲りもせず通りを歩き、「バッジ売りの少女」や「マッチョ売りの少女」、にひっかかったが、お目当ての「エッチ売りの少女」は都市伝説でしか無かったのか、めぐり合う事は出来ず、通りも終わりが見えてきた。
「あーあ、これで終わりかよ。今年もあんまり良い事が無かったなー。やっぱ離婚されたんが運の尽きってヤツだったんかなー」
吐き捨てる様に男が言った。実はこの男、昨年妻から三行半を突き付けられていた。遊び人だったこの男が心を入れ替えて真面目に働き出して一年、気晴らしにとこの通りに来てみたのだが、結局彼の心は晴れなかった様だ。
「こんなトコじゃ無く、素直にキャバでも行ったら良かったぜ、コンチキショー」
男が毒づいた時だった。
「……はいかがですか?」
男にまた声がかかった。
「おいおい、『……ッチ』も付けないのが来たぜ。遂にネタ切れか?」
せせら笑う様に言う男の目に映ったのは少女とは言い難い妙齢の女性だった。しかも、その顔には見覚えがある。いや、一日たりとも忘れた事の無い顔だった。
「お前……」
震える声で言う男に女は言った。
「お前さん、離婚してから一年、心を入れ替えて一生懸命働いてたよね」
「おう、真面目に働いてるぜ」
男は胸を張って言った。しかし女は悲しそうな目で言った。
「でも、こんなトコで無駄遣いして……バカは死ななきゃ治らないのかねぇ?」
「いや、これは……」
言葉を失う男。だが、女はクスリと笑った。
「そんなバカには私が必要なんだよね?」
女が言うと男は大きく頷いた。
「そうだ、俺にはお前が必要なんだ。もう一度俺と……」
男がこの一年間ずっと言いたくて、ずっと言えなかった言葉。それを言おうとした時、女が男に抱きついた。
「バツイチ売りの少女……語呂も悪いし、少女とは言えないけどね……私の初めての商売なんだけど、買う?」
男は女を抱き締めた。
了