旧 第36話 死神ちゃんと困った用心棒
四階のダークゾーンに入ってすぐの場所にて、死神ちゃんがとり憑いた冒険者とそのパーティーメンバーは小休止しようとしていた。ダークゾーンの外は獰猛なモンスターがたくさんいるのだが、ちょうどこの〈暗闇に入ってすぐ〉の場所は比較的安全で休むにはもってこいだった。疲弊したままその中を突っ切るよりは少しでも回復してからのほうが、無理なく一階まで帰ることができると思ったからだ。
どんな光も吸収する特別な闇の中で、冒険者達は手探りで簡易キャンプの準備をしていた。ダンジョンの環境に左右されることのない死神ちゃんは、四苦八苦しながら荷物の中を引っ掻き回す冒険者達をぼんやりと見つめて立っていた。このパーティーはメンバー全員が女性で、死神ちゃんは「巷でよく聞く〈女子会〉とやらは、こういう雰囲気なのかな」と思いながら、かしましい彼女達を眺めていたのだが――
「ぎゃあああああああ!!」
死神ちゃんは思わず叫んだ。突然、触れているかどうかくらいの微妙なタッチで膝裏を撫でられた感触があったからだ。
「何、モンスターでも出た!?」
「モンスターなら死神ちゃんが叫ぶはずないでしょ!?」
「じゃあ、物取り!?」
冒険者達が慌てて戦闘態勢に入る中、死神ちゃんは恐る恐る後ろを振り返ってみた。するとそこには、ずんぐりむっくりとした体格のおっさんがいて、一生懸命身体を小さくして屈み込み、真剣な表情で死神ちゃんの膝裏を眺めていたのだった。
「おおおお、おっさんがいる! おっさんが舐めるように膝裏見てる!」
死神ちゃんが涙声で彼女達にそう伝えると、彼女達は戦闘態勢を解除するどころか逆に警戒を強めた。そして「変態」だの「気持ち悪い」だのと口々に言った。するとおっさんはフウと深く息をついて、ゆっくりと立ち上がった。
「お嬢さん方、お困りのようですな。私でよろしければ、目的地まで用心棒しましょうか。これでも私、結構レベルの高い隠密なんですよ」
「ちなみに、お代は?」
女性陣の一人が尋ねると、おっさんは「ほっほっほ」と軽やかに笑った。そして、とても優しい口調で言った。
「なあに、ちょっとこの幼女の膝裏を定期的に眺めさせてくれさえすれば、お金なんていりませんとも」
女性陣は押し黙った。どの女性も、とても微妙そうな表情を浮かべていた。そして手探りに身を寄せ合うと、ヒソヒソと密談を始めた。
「タダなら、いいんじゃない?」
「でも、小休止のたびに、私達の横でおっさんが幼女の膝裏を真剣に眺めてるとか、気持ち悪すぎない?」
「そうだけど、でも……」
女性陣が相談事をしている最中も、おっさんは死神ちゃんの膝裏を真剣に眺めていた。闇に溶けて音もなく敵に近づくという性質上夜目が効く隠密は、ダークゾーンの中でもモノを見ることが出来る。だから彼は、死神ちゃんの膝裏をマイペースに堪能していた。
ねっとりとした視線を常に膝裏に一点集中で感じるというのも中々に気持ち悪いもので、耐えきれなかった死神ちゃんはその場にぺたりと座り、膝をしっかりと抱え込んだ。
つい先日購入したばかりの短パンを初めてダンジョンに履いてきていたのだが、洗わずとも立ちどころに綺麗になるとはいえ、こんな理由で汚れをつけるというのは癪だった。でも、これで気持ち悪い視線から解放されるはずだと、死神ちゃんはホッと一息ついた。しかし、おっさんは今度は死神ちゃんの目の前に陣取り、〈何故座り込んだ。膝裏を早く見せよ〉とでも言いたげな表情で、無言の圧力をかけてきた。
死神ちゃんが体ごと別の方向を向くと、表情を変えることなく姿勢を崩すことなく隠密がついてくる。思わず、死神ちゃんは声を荒げさせた。
「さっきから何なんだよ!」
「分かっているだろう。早く膝裏を見せなさい。本当は、男の子の膝裏のほうがいいんだが、君は短パンを履いているからね。脳内で男の子として処理しておくから、ほら、早く見せなさい。――いやあ、隠密仲間の膝小僧好きから話を聞いてから、君にとり憑かれる日が来るのを心待ちにしていたのだが。まさか、別パーティーにとり憑き中のところに遭遇するとはなあ」
「お前、あの痴女の知り合いかよ! 隠密には変態しかいないのか!?」
女性陣は、死神ちゃんとおっさんの会話を聞いて一瞬静かになった。そして、再びこそこそと話しだした。
「えっ……おっさんが男の子の膝裏が好きとか、余計に気持ち悪くない?」
「見た目がダンディーならまだ耐えられるだろうけど、声からして結構な歳っぽいし、これでダンディーじゃなかったら余計に辛いよね……」
彼女達は頭を抱え、重たい空気を漂わせた。そんな彼女達に、死神ちゃんは懇願した。
「頼むから、とっとと結論出してくれないかな!? 断るなら断る、頼むなら頼んでさっさと一階目指す! もしくは、死んでくれてもいいんだぜ? そしたら俺、帰れるから! とにかく、早くしてくれ! 気持ち悪くてしょうがない!」
女性陣は深い溜め息をつくと、おっさんに用心棒を頼むことにした。そしてダークゾーンから出てきたわけだが、彼女達はそこでも盛大に溜め息をついた。何故なら、おっさんはダンディーには程遠い、ずんぐりむっくりとした体格だったからだ。しかも、ドワーフだ。隠密という職に適している種族ではないではないか。
彼女達は一抹の不安を覚えたが、おっさんは見た目の割にとても機敏な動きを見せた。そして一息つくごとに死神ちゃんの膝裏を真剣な表情で食い入るように見つめるのだが、戦闘時の意外な機敏さと変態さのギャップが気持ち悪さを一層引き立たせていた。
できる限り視界に入らないように、気にしないようにということに集中せねばならないため、どの小休止も全然休憩にはならなかった。しかも、死神ちゃんが必死の抵抗を見せて逃げ惑い、それをおっさんが追いかけていくため、どう足掻いても視界に入ってくる。そして、気にしないようにしていても、時折聞こえてくる死神ちゃんの悲壮感漂う〈小さな呻き声〉のおかげで、どう頑張っても気になってしまって仕方がない。
女性陣は少しずつゆるやかに、精神的にすり減っていった。これなら途中で死んでしまってもいいから、用心棒なんか頼むんじゃなかったとさえ思った。
おっさんがモンスターを薙ぎ払うたび、本来ならば延命出来たと喜ぶべきなのだろうが、彼女達は落胆し、あまりの辛さにすすり泣く者まで現れた。幸せそうなのはおっさんだけで、彼は働いた後のご褒美とばかりに、まるで他の世界へと旅立ってしまったかのような危ない目つきで死神ちゃんの膝裏をうっとりと見つめていた。
突如、一人が錯乱したかのように罠へと突っ込んでいった。彼女はこの状況に耐えられなくなったようで、同じく耐えきれずに精神不安定となっている仲間を救うために、自ら灰になることを選択したようだった。
仲間達は、犠牲となった彼女に心から感謝した。そして、絶対に蘇生してあげることを固く誓った。
残った女性陣は涙でくしゃくしゃになった顔を死神ちゃんに向けると、諭すような口調で言った。
「あなたも早く帰りな。それから、長ズボンのほうがいいと思うよ、絶対に」
「何故余計な助言をするのだね、お嬢さんがた!」
「うるさいよ、変態!」
おっさんが女性陣に噛み付いたが、死神ちゃんは気にすることなく彼女達に「そうだな……」と答えた。そしてしょんぼりと肩を落とすと、死神ちゃんは壁の中へと消えていったのだった。
――――タダほど怖いものはないのDEATH。