旧 第20話 FU・E・RU★レッサーパニック
時は遡り、初出勤の日のお昼のことである。午前中の研修で〈呪いの黒い糸〉を何故か出すことができず、すっかり落ち込んでしまった死神ちゃんはマッコイと連れ立って歩いていた。
マッコイは「きっと腕輪に不具合が出ているだけだから」と慰めてくれた。死神ちゃんは頷くと、潤んだ目をぐじぐじと拭って顔を上げた。すると、目の前には人の列が伸びていた。どうやら、死神ちゃん達はこの列に並んでいるようだった。
「なあ。これは一体、何の列なんだ?」
「うふふ、それは部屋に入ってからのお楽しみよ」
待つこと五分。列に並ぶ人々が部屋へと吸い込まれていく速度は意外と早く、死神ちゃん達は既に部屋の出入り口付近まで移動してきていた。漂ってくる〈美味しそうな香り〉で、死神ちゃんは社員食堂の列に並んでいるとすぐに理解した。
「なあ、たしかに昨日〈生前の習慣などで飲食するヤツもいる〉し〈食べたほうが疲れがとれやすい〉とは聞いたが、食べなくても死なないんだろう?」
死神ちゃんが不思議そうにマッコイを見上げると、彼はニコニコと笑った。
「昨日、ジュースを飲んだときに美味しいと思わなかった?」
「思ったな」
「そういう感情が、結構リフレッシュになるのよね」
「言われてみれば、そうだな。俺も生前は、リフレッシュ目的で何かと食っていたよ」
「でしょう? 上手くコトを運ぶには、気持ちの切り替えって大切だもの。だから、ね?」
そう言ってウインクすると、マッコイはレールの付いた配膳場にトレイを二つ並べ、死神ちゃんを片手でひょいと抱きかかえた。死神ちゃんは目の前に現れた料理郡に思わず「おお」と唸った。
「さ、メインを一品と副菜を二品選んでちょうだいね。……どうしたのよ、そんな怖い顔をして」
モンスターも〈社員〉として働いているというのは知っている。先ほど列に並んでいたときにも、調理場の中がちらりと見えていた。しかし、まさか、調理場内にいる従業員の全部が全部、同じモンスターだとは思いもよらなかった。しかも――
「なあ、こいつら、ゲームとかで例えるなら、ダンジョンの中階層以降に出てきたり、中ボスとして出てくるようなヤツだよな?」
「そうね。うちのダンジョンでも、そうよ」
「そんなのがさあ、飯盛してて、いいもんなのかなあ!?」
死神ちゃんの目の前で、ヤギのような頭部を持つ筋骨隆々の赤い悪魔が、四本の腕を駆使してせっせと二杯の茶碗にご飯を盛っていた。その隣では、やはり同じように赤い悪魔が味噌汁を二杯ずつ盛っている。更にその奥では、追加のおかずを作るべく、一人で二つ同時に鉄鍋を振るい、二つのまな板を前に一人でせっせと二種類の野菜を切っていた。
マッコイは死神ちゃんを見下ろすと、しれっとした声で言った。
「効率よくていいでしょう?」
死神ちゃんが釈然としないというのを視線だけで訴えると、彼はそれを無視して「さ、どのおかずにする?」と言ってきた。
おかずを選ぶと、死神ちゃんは場所取りのために先に席に着いて待っていた。すると、三つ隣くらいの位置で食事をしていた受付のゴブリン嬢と目が合った。彼女はニヤリと笑うと、凄まじくゆっくりと手を振ってきた。――お疲れ様の挨拶のつもりらしい。死神ちゃんは愛想笑いを浮かべると、ひらひらと手を振り返した。
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二人分のトレイを持ってやってきたマッコイは、席に着くと早速食べ始めた。死神ちゃんもそれに傚っていたのだが、すぐさま箸を置いてしまった。
「あら、どうしたの?」
「いや、どうしたも何も――」
だりだりと脂汗を掻きながら俯く死神ちゃんを見つめて溜め息をつくと、マッコイはその周りにいる者達に向かって顔をしかめさせた。
「ちょっと、アンタ達。そんなじろじろと見ていたら、リフレッシュにもならないでしょう。ほら、散った散った!」
死神ちゃんの両隣には、何故か赤いアイツが無言で座っていた。ヤツに双方からじっと見つめられて、死神ちゃんは身を硬直させた。遠くでテーブルを拭いていたはずの者も、のそのそとやって来て死神ちゃんの背後から死神ちゃんのことを覗き見てきた。――赤い巨体の威圧感は凄まじく、死神ちゃんはまるで蛇に睨まれた蛙状態だった。
マッコイが追い払ってくれたおかげで居心地の悪さから解放された思ったのも束の間、居座り続けていた一人が仲間を呼んだ。たちまち先ほどと同じ状態に逆戻りしただけでなく、マッコイの隣や背後にも赤いアイツが増えて状況は更に悪化した。
アイツが集うたび、マッコイは追い払い続けてくれた。しかし、際限なく仲間を呼び続ける悪魔達に、さすがの彼も温厚な表情を消した。
「ちょっと! いくら久々の新人だからってね、限度ってものがあるのよ!? 気になる気持ちは分かるけど、初日からプレッシャー与えてどうするのよ! 少しは気を遣いなさいよ! ていうか、アンタ達が集い過ぎると、世界が停止するんだから! ホント、少しは考えて行動して!」
声を荒げるマッコイに驚いた悪魔達は、一度ビクリと大きく体を跳ね上げると、しょんぼりと肩を落として捌けていった。視界から赤い色が消えた頃合いを見て、死神ちゃんはげっそりとした顔をマッコイに向けた。
「本当に、ありがとな……。ていうか、世界が停止するって、何だ?」
「欲に眩んでやり過ぎるとね、悲しい結果を生むって話よ」
死神ちゃんは不思議そうに首を傾げると、とりあえず目の前の食事に集中することにした。
あとで聞いたところによると、どうやら、この悪魔の特性である〈仲間を呼ぶ〉を利用して効率よく修行しようとした冒険者が調子に乗った結果、世界が揺らぐほどの大惨事に発展したことが過去にあるらしい。――正直、その逸話自体、真実のほどは定かではないらしいのだが。それが真実であるのかについては、それはまた別のお話……。
――――何事も、ほどほどがいいのDEATH。