涙
加奈は追い詰められて考えることを放棄した。
私は何をやっても責められる。
悔しいけれど、それでもまだ司が好きだ。
浮気されても、生活費を渡してくれなくても、酷いことを言われても、私は好きなんだ。
莉奈から父親を奪ってはいけない。
好きになったのだから、とことん司に尽くそう。
周りがそうしろと言うのだから、それでいいじゃない。
司が家に帰りたいと思うように、明るく振舞い、美味しいご飯を作って、家を磨きあげて、暖かい家庭を作ろう。
だから、頑張らなくちゃ。
加奈は莉奈を連れて司の元へ戻った。
相変わらず、司が生活費を入れないため、昼の事務の仕事の他に、教材添削の内職と夜は塾の受付の仕事を掛け持ちして働き始めた。そんな状況のなか、家事を完璧にするように心掛けた。
辛いときこそ、笑顔をつくればきっと良いことがあるはずだ。そう、加奈は考えるようにしていた。
私が限界まで頑張った先に答えが見つかるはず…。
もう、加奈の心は壊れかけていた。
加奈と莉奈が帰ってから、司は1ヶ月は大人しくしていたが、また遊び癖が出た。
このとき、加奈は朝の9時から夜の9時まで働き、莉奈は延長保育で保育園に預けていて、お迎えは莉奈の母にお願いしていた。そして、司が早く帰れる日は莉奈のお迎えを司に任せていた。
司の休みは平日の不定休で、土日祝日は必ず仕事が入る。そのため、司は莉奈を保育園に預けて遊びに行くようになった。保育園代は加奈が払うことになっていたため、保育園の延長料金や夕飯代は全て加奈の負担となった。
そして、司が事件を起こす。
司が保育園に迎えに行くはずのある日、保育時間を過ぎても、莉奈を迎えに行かないまま、司は外で遊び続けたのだ。
緊急連絡先が加奈の母だったため、保育園側は連絡するのを躊躇ったらしいが、一時間経っても迎えに来なかったため、やむを得ず加奈の母に連絡して加奈の母が迎えに行った。
加奈の母は莉奈を連れて、司と加奈と莉奈が住む家に行き、事の次第を説明した。
「莉奈は迎えに行ったとき、涙で顔がぐしゃぐしゃだったよ。すごくお腹も空いてたみたいで…。でも、ずっと泣いて私から離れなかったのよ。迎えに行けないなら、私に連絡ちょうだいよ」
加奈の母は涙目で、泣きつかれて寝た莉奈を抱っこしながら、そう司に告げた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
加奈は泣いて謝った。
当の司はあっけらかんとしていて、謝罪の言葉はなかった。
司は責めると、逃げる。それを加奈も加奈の両親もわかっているから司に対する言葉が出てこなかった。
司はこのとき、全く反省などしていなかった。
これからは、俺が迎えに行かなくてもお義母さんが行ってくれるみたいだし、ラッキーじゃん。そう考えていた。自分の子供の事なのに、司は人の気持ちが全く理解できない人間なのだ。
この事件をきっかけに、司の異常性が加奈以外の人間にも理解されるようになった。
しかし、今回の事件の代償は高くついた。規約違反により、莉奈は保育園を退園することになった。何より、莉奈が精神的に不安定なり、育児の負担が大きくなった。そんな状況で新しい保育園に預けるのを躊躇い、落ち着くまで加奈の母に面倒を見てもらうことになった。
加奈は、心よりも先に体の方が壊れた。
頻繁に立ち眩みや動悸が多くなり、失神発作を一度起こして緊急搬送された。ついた病名は起立性調節障害。この病気は自律神経失調症の一種である。
「体を壊して死ぬくらいなら、離婚しなさい」
加奈の母が病室の白いベッドに横たわる加奈にそう告げた。




