第5話 さようなら桜ヶ丘
ふと、カレンダーを見る。
なんだかんだで気づけばもう三月の終わり。
先週のニュースで春一番が吹いたと言っていた様に、季節はまさに春である。
「んー、よしっ。遺書も書いた、部屋も掃除したし……」
固まった背中を伸ばしながら暖かい陽射しを浴びて、僕は自室の机で遺書の封をしていた。
最後は家族の前で死ぬつもりだが、万が一があるので一応書いておく。まぁ保険みたいなものだ。
「さぁて、大地に予約メールして……と」
最近やたらと活躍するスマホをポケットから取り出し、ながったらしい文を打つ。
どうでもいいような内容から始まり、寿命のこと、そして感謝の言葉。
親友と言える友達なのだ。黙って居なくなるようなことはしたくなかった訳で。
さて、準備は整った。もう思い残すことはなにもない。
夕食時の事。
久しぶりに家族で食事を終えた僕は、家の中を見て回っていた。
僕が生まれ育った家だ、思い入れがない訳がない。
和室の柱に彫られた溝や襖に書かれた落書き、なぜかそのままになってある懐かしい思い出。
「裕也」
そんな懐かしい思い出を指でなぞっていると、後ろから父さんが現れた。
そういえば、めずらしいことに今日明日は両親共に休みなのである。
神様からのサービスかな?
「……なぁに? 父さん」
なんだかぐっと来るものがあるが、できるだけ僕は普通に対応した。
「お前、最近何か隠してないか?」
「え?」
ドキッとした。いきなり何を言うのかこの父親は。
「なんで?」
「いや、最近のお前は……なんとなくおかしくてな」
これが父親というものなのだろうか。
ここ最近、日に話しても二・三口程度の関係だったのに。
心配されてた事に嬉しくなって、そんな事実に僕は思わず笑ってしまった。
「あー笑った笑った。大丈夫、なにもないよ。……ありがとう」
「なんだ突然笑いやがって。日ごろから無視しおってに」
「いやいや! してないよ? ……ただ、話しづらかっただけ」
「そ、そうか……なら、気にするな」
いつも仕事熱心で、尊敬できる父親だと思っていた。
だが、今の父さんは困った顔しつつもなんだか嬉しそうな、弱弱しく苦笑いした変な顔をしているのだ。
小さい頃から寂しい思いをしてきたが、こんな父親を見るのは初めてかも知れない。
こんな一面もあるんだなぁと。
「大丈夫だよ父さん。あ、それよりもさ。母さん若いからいいけど、出産大変なんだからちゃんと近くにいてあげてね?」
「ぶふぉっ、おまっ! ななな……何を突然……」
ふと、神様から聞いた情報を思い出した。
年明け前に生まれるらしいその子は僕の妹となる家族なのだ。
あ、今更な話だけど父さんと母さんは大分歳が離れている。
母さんまだ若いからなぁ。
「さてね。あ、父さん。明日なんだけどさ、ちょっと時間ある?」
「ちょ……お前なぁ……。何故か知らんが、明日も仕事が休みになったからな、一日空いてるぞ」
「そっか。なら明日、久しぶりに桜ヶ丘公園行かない?」
「ん? まぁ、よくわからんが……わかった。よし! 母さんも誘ってみんなで行くか!」
「うん!」
そんな感じで、久しぶりに父さんと夜遅くまで語り合った。
僕の笑顔の裏に映る、罪悪感を隠しつつ……。
翌日。
「朝……か、支度しなきゃな……」
いつも以上に目覚めがいい朝。
カーテンを開ければ春の陽射しが部屋に差し込む。
二階の東側に位置する僕の部屋には、特にこれといった家具はない。
机の上には四十インチの液晶ディスプレイに最近発売したハイパースペックPC。窓の脇には高級そうなコンポにソファーにベッド、テレビの横には大地とよく遊んだあのVRゲームが鎮座している。
そして、机の上に置かれた一通の封筒。
普通なら発送先が書かれるだろうその位置には二文字の文字が目立つ。
「今まで、お世話になりました」
これが見納めになるだろう自室を眺め、机を撫でながら僕は呟いた。
階段を下りてリビングに出れば、父さんは難しい顔をして新聞を読み、母さんはキッチンで朝食の準備をしている。
「裕也か。おはよう」
「おはよ、父さん」
「おはよう、裕也」
「おはよ、母さん」
リビングのテーブルにつけば、母さんが朝食を準備してくれた。
このご飯を食べるのもこれが最後かと思うと、なんだか寂しい気持ちになる。
そんなことを思いつつも、ゆっくりと朝食を味わいながらこの味を記憶に残した。
「じゃ、行くか」
父さんの号令でもって、僕の住む町でも桜で有名な公園『桜ヶ丘公園』に向かった。
久々に乗る父さんの車は、タバコの臭いが染み付いた懐かしい匂いだった。
小さい頃はよく煙たがって「くさいー」なんて言って離れたりした。
記憶が走馬灯のように蘇る。
いけないな。こんな所で泣いてはいけない。
気分を紛らわせようと窓越しに外を見たのだが、どこを見ても知っている所ばかり。
いきなり涙ぐむ僕を見て、心配した母さんがハンカチを差し出してきたが、僕は「大丈夫だよ」と言って瞼に溜まった涙をすっと拭った。
さて、相変わらず下手糞な運転で三回切り返してようやく駐車場に止めることができた。
いよいよ桜ヶ丘公園に到着だ。
ここには小さいころはよく父さんに連れてこられた記憶がある。
そんな思い出のあるこの場所を最後にしたかった。
だって桜の木の下で死ぬなんて、最高じゃないか。
「なんだか、ここもすごく懐かしいわねー」
のほほんとした母親はうれしそうに微笑みながら、桜の木を見上げる。
ニュースでも話題になったが、本日の桜ヶ丘公園は満開のお知らせ。
出店や屋台も多く、飲み会をしている中年男性や若者がひっきりなしに移動している。
公園もなかなか広いので、僕たちはそんな光景を見ながら人の流れについていくことにした。
特に話したりすることもなく、まったりとした時間が過ぎていく。
お昼は珍しいことに屋台の料理だ。
こういった食べ物はなかなか食べる機会が無かったので、三人とも非常においしく頂いた。
周囲の環境の影響なのかわからないが、すごく美味しかった。
父さんなんて近くの飲み会を見て、ビールを飲みたそうに目線を彷徨わせていたが、母さんに一喝されて落ち込んでいたが。
こうして、楽しい時間はあっという間に過ぎ、運命の時間が刻々と近づいてきた。
「……ぐっ……」
突然心臓に痛みが走り、前のめりに体を丸める。
なるほど、こういう感じなのか。
「ど、どうした! 裕也!」
「大丈夫!?」
迷惑をかけて申し訳ないが、二人は僕をとても心配してくれるのがわかる。
「大丈夫だから……ごめんね……でももう遅いんだ。……うぐっ……」
「なにを急に! こんな苦しそうな状態で変な事言うな! 今から病院行くぞ!」
そういって僕の細い腕を握り、人ごみを掻き分けながら車へと移動する。
「もう……遅い……っていうか……びょ……病院じゃぁ、これは治らないんだ……」
徐々に増す痛みに意識を持っていかれそうになりながら、僕はゆっくりと話す。
いつの間にか車に乗せられ、父さんは慌てて車を走らせる。
「くそっ、前の車どけ! 邪魔だ!」
珍しく苛立つ父さんは、必死の形相でクラクションを鳴らす。
もう、残り少ないだろう時間を気にしつつ、僕は決断した。
ごめんね。
父さん母さん、親不孝もんで。
「僕ね……もう長くないんだ。そろそろ死ぬ」
「なんだそれは!? 有り得ん事を言うな!! すぐ病院に着くからな!!」
「もしもし! ちょっと、今から急患入るから準備して! 今すぐ!」
父さんは珍しく慌てふためき、母さんは自身が働く桜ヶ丘病院に電話をしている。
いつもはおっとりした母さんがキリキリと動く珍しい姿を眺めつつ、話を続ける。
「ごめん……秘密にしてて。でもね……本当、多分一時間もないと思う」
ガサゴソとポケット中のスマホを取り出し、起動中の『カウントダウンなんちゃら』を見る。
『0日0時間07分45秒』
神様に聞いた時間を参考にすれば、もう残りわずかだ。
「どういうことだ!? おい! 裕也! 許さんぞ! 何を勝手に決めてやがる!」
「病院についたわ! 裕也!」
どうやら病院についたようだ。
困ったことに桜の木の下で死ぬことは許されず、数々の命が救われる場所で死ぬらしい。
これはちょっとした罰かなぁ。
「ぐっ……今までごめんね。でも、すごく……尊敬してる……から」
『0日0時間05分25秒』
「なんで、そんなこと……って、そんな話は後でだな!」
父さんが病院の救急搬入口に車をつける。
『0日0時間04分32秒』
看護婦さんが待機していたのか、ものすごい勢いでストレッチャーに乗せられ運ばれる。
「……生まれて……くる子……愛して……あげてね」
「子供……」
困惑した顔で母さんが僕を心配してくれる。
『0日0時間2分17秒』
「そう……いうわけ……だ……から……父さん……」
一年前はただの悪戯だと思ってたけど、ほんと人生なにがあるかわからないなぁ。
『0日0時間01分45秒』
「……母さん……」
半年前から僕はあれこれ頑張った。
なんだかんだで必要な知識も大量に記憶できたし、次の新しい人生はどんな物語が始まるのか楽しみだ。
『0日0時間00分27秒』
死んでも次がある。
これって、普通の人には有り得ない事だ。
「僕を……生んでくれて。……僕を……育ててくれて、本当に……ありがとう」
涙を流しながら僕は呟いた。
『0日0時間00分03秒』
『0日0時間00分02秒』
『0日0時間00分01秒』
スマホの画面に表示された数字が、とうとうゼロになった。
唐突に、ゆったりと奏でられるブルックナーの交響曲第七番 第二楽章。
なぜこの曲を選んだのかはよく覚えていないが、ジャカジャカと喧しい音楽よりはマシかと思った。
四分の四拍子が奏でる非常にゆっくりとしたBGMを最後に、眩しく照らされる病院のどこかで僕はこの世を去ったのだった。