Chapter 9
応接室の中は、思ったよりも広かった。
20畳はあるかと思われる室内の真ん中に、やわらかそうな黒いいすが向かい合っている。壁際には、観葉植物くらいしか置いていないし、壁には何も飾られていない。
これが応接室というものなのだろうか。
ていうか、窓ガラスが壁いっぱいに張られていて、外の景色が丸見えなのが、少しいただけない。
だって――。
「ほう、これは眺めがいい!」
「でしょ、でしょ!」
僕の気持ちを何も分かっていない二人が、窓の景色を見て感心していた。
大澤さんがこちらを振り返って、手招きする。
「ほら、桂君も、こっちに来て窓の景色を見ようよ! すごい眺めがいいよ!」
「いや・・・・・・遠慮しておきます」
「ええ、何で来ないの? 窓の景色とてもいいのに」
なぜ僕が遠慮する理由が分からないんだ!
僕が一人頭を抱えていると、壁際のドアからノックする音が聞こえた。
「おーい、君たち! 誰かは知らないが、使うならもう少し静かにしてくれないか? 私は騒々しいのは嫌いでね」
「あ、すいません、露崎社長!」
大澤さんが返事をする。その言葉に、大志摩さんの耳がぴくんと動く。
「何、〝露崎〟だと? 社長さんの名前、露崎というのか?」
「え? ええ、そうですけど」
大澤さんがそう答えると、大志摩さんはドアのほうへ歩み寄り、大声で叫んだ。
「おい、露崎! 露崎なのか?」
・・・・・・え!?
僕は、大志摩さんがいきなり、社長さんの事を呼び捨てで呼んだことに驚いた。大志摩さんの知っている人なのだろうか?
大志摩さんの声に、扉から、不機嫌そうな顔の男性が出てきた。
背は、僕と同じくらい。眼鏡をかけていて、少し腹が出ている。年齢は、五十代後半って所だろうか。
「何だね、私のことを呼び捨てにして・・・・・・お、おおっ!?」
その男性は、大志摩さんをみるなり、驚いて目を見開いて言った。
「あ、あなたは、大志摩さんじゃありませんか!」
「露崎! やはり君だったか!」
二人は肩を組んで、高笑いした。僕は、片方の耳を手で塞ぎながら、大澤さんに耳打ちする。
「あの眼鏡のかけている人が、露崎社長ですか?」
「そ。四年位前に、副社長から社長に昇任したの。前社長を蹴落としてね」
「なるほど・・・・・・あ、そういえば、このビルが出来たの、確か三年前でしたよね? もしかして・・・・・・」
「そうよ。反対意見を押し切って、建物をこんな派手なビルにリニューアルしたのも、あの露崎社長よ」
そういう大澤さんの口調は、少し皮肉が混ざっているように思えた。
露崎社長が僕らのことに気付き、大志摩さんに問いかける。
「大志摩さん、この人たちは?」
「ああ、紹介しよう。私の姪の光代と、知り合いの桂遥翔君じゃ」
僕らが頭を下げると、露崎社長はニコニコした顔で、僕等のもとに歩み寄ってきた。
「光代さんと、桂君ですね? はじめまして。社長の露崎です」
そういって露崎社長は、僕らに名刺を渡してくれた。もらった名刺には、
IMAGINE ENTERTAINMENT株式会社 社長
露崎 聡
と書かれていた。
大志摩さんが僕らに説明する。
「露崎は、わしの大学のゼミの後輩でな。まさか、こんな大企業の社長になっていたとはなぁ! はははは」
「おだてないでくださいよ、大志摩さん。私はまだまだ未熟者で・・・・・・」
大志摩さんが高笑いするのを見て、露崎社長は恥ずかしそうに微笑んだ。それを見た大澤さんが、思い切り皮肉った口調でつぶやいた。
「人を蹴落として自分だけのし上がるのだけは上等なのに、何が未熟者よ」
その目は、怒りと憤慨に溢れた、今まで見せた事もないような目をしていた。僕は、そんな大澤さんに何もいえなかった。
「いやあ、さて! こんなところで立ち話もなんですから、社長室へ行きましょう。ささ、こちらへ!」
「おお、いいのか? よし、お言葉に甘えさせていただくとするか! はははははは」
「はははははは」
そんな会話をしながら、二人は扉の向こうへと消えていった。
・・・・・・最後までうるさい人たちだ。
率直にそう思ったが、大企業の社長に面と向かって言えるわけがないので、黙っておいた。
「――さて、やかましい人たちは消えた事だし、そろそろ聞かせてもらいましょうか」
大澤さんが辟易とした口調で言った。その言葉に、僕はきょとんとする。
「聞かせてもらう? 何の事でしょう?」
「だから、目的よ、目的! ここまでして私に会いに来た目的よ。苦い思いをしてまでここまで来たって事は、あなたにもあなたなりに何か目的があるんでしょう?」
大澤さんの言葉に、僕はやっと本来の目的を思い出す。
「ああ、そうそう。そのことなんですが――」
僕は、一呼吸置いていった。
「僕の〝夢〟の中に現れたとき、大澤さん、自分のことを――〝『FANTASY ANOTHER』不正取締本部主任補佐〟だって、名乗りましたよね。その〝FANTASY ANOTHER〟って、何の事でしょうか?」
「ああ、それを訊きに来たの。分かった。説明するわ」
大澤さんの話によると、〝FANTASY ANOTHER〟とは、今大人気の新感覚オンラインゲームの事らしい。大澤さんは、そのゲームの不正取締本部で働いているんだとか。
ゲームの内容は、よくあるようなバトルものなのだが、ゲームのプレイ方法が少し特殊である。今までは、ゲーム機器を持って、画面を見ながらプレイするものだったのだが、〝FANTASY ANOTHER〟では、特殊な操作は一切必要なく、ゲームでよくあるようなバトルの場面を、リアルに『体験』できるんだそうだ。
「ずばり言っちゃうと――自分の『意識』を、仮想現実の世界に飛ばして、そこで知り合った仲間と一緒に、ゲームの要領で敵を倒していく、というものなの」
「そ、それはすごいですね!?」
「でしょ、でしょ? それで、意識を飛ばす方法は、この専用ヘルメットを使ってやるの」
大澤さんは、どこから持ってきたのか、オレンジ色のヘルメットを取り出した。
「人の睡眠には、脳が活動しているレム睡眠と、そうでないノンレム睡眠の二種類があるの。夢を見やすいのが、レム睡眠のほう。夢を見ている際は、眼球の運動が活発になる上、θ波という脳波が、覚醒時とほぼ同様の振幅を示すの。この専用ヘルメットについている感知装置が、そのθ波を感知して、波の振幅を計測し、個人情報に変換。その情報を、〝FANTASY ANOTHER〟のメインコンピューターに送信し、プログラムにアクセスすれば、プログラムの世界を自由に行き来したり、他の人の『部屋』に入る事もできるってわけ。まあ、体感型のテレビ電話みたいなものよ」
「・・・・・・はあ、そうですか・・・・・・」
プログラムの中に入る仕組みを、大澤さんは、めいっぱい専門用語を使って説明してくれた。だが、はっきり言って、とても精神力を使う話だ。
「ちなみに、どうやって他の人の『部屋』に入るかというとね――」
「ああ、そこまでで結構です」
僕は、大澤さんの前に手を置いて、丁重に断る。
大澤さんが言った。
「でも、桂君が〝FANTASY ANOTHER〟のことを知らなかったのは、少し意外だったわね。いまどきの中高生なら、誰でも知ってるようなものなのに」
「ああ・・・・・・まあ、僕は、ついこの間まで引きこもっていて、外部からの情報をできる限り遮断してきたので、そういう流行みたいなものは、あまり知らないんですよ」
「ふ~ん、そうなの・・・・・・」
大澤さんがうなずく。僕も一つ質問してみる。
「それにしても、大澤さんは博学ですね。どこか良い大学でも行ってるんですか?」
「え、大学? 大学なら、清堂院大学だけど」
「うそおっ!!」
僕は思わずそう叫んでしまった。
清堂院大学は、東京で三本の指に入る名門大学だ。他の二本の指には、京都大学と一位二位を争う東京大学と、比較的裕福な人たちが行く麗邦大学が入る。
でもまさか、大澤さんがそんな名門大学に通っていたなんて・・・・・・。
正直、とても驚いた。
「桂君は、どこの高校に行ってるの?」
「え・・・・・・蓮桜学園、ですけど」
「あら、結構いいところじゃない! あそこ、偏差値がとても高くて、校風もいいところなのよ?」
「え、まあ、そうですけど・・・・・・」
うつむく僕の背中を、大澤さんがぽんとたたいた。
「いいところ行ってるんだから、もっと胸を張って! そうすれば、自分に自信がつくわよ」
「ああ・・・・・・ありがとうございます」
大澤さんに励まされて、僕は少し、自分に前向きになれたような気がした。