Chapter 6
「二つ....か....」
昼休み。
僕はまた屋上への階段を登り、お気に入りの場所に来た。
屋上から望む昼休みの校庭は、たくさんの生徒たちで溢れていた。サッカーをする生徒、野球をする生徒、バレーボールをする生徒ーーそれぞれの生徒によって、遊びはさまざまである。
僕は、校庭の向かいにある、水色の大きな給水塔の近くに腰かけた。そして、今さっき起きたことについて考えてみる。
頭の中に、富永のあの言葉が響く。
「あなた、この何時間かの間に二つも嫌なことを経験したんでしょう?」
あの言葉が、妙に引っかかる。
"二つ"というのは、一体どういうことなのだろう。一つは当然、朝の駅前でのことなのだろうけど、もう一つがわからない。僕が他に経験した"嫌なこと"といえば、その後の"夢"のことぐらいだけど....。
まさか。
僕は、ある考えにたどり着く。
気のせいなどではなく、本当に神保たちは、今朝の〝夢〟のことを知っているのではないか?
もしそうだとしたら....一体何が起こっているのだ? 僕の知らないところで。監視でもされているのか? でも、何のために? 集団暴行? 性的暴行? それとも、レイプ?
考えるだけで恐ろしくなる。嫌なら考えなければいいのに、想像を止めることができない。まるでブレーキの利かなくなった車のように、どんどん想像を膨らましていく。
僕は一体、どうなってしまうのだ....?
全身の血液が、上から下へと流れていく。
その日は一日中、神保たちに心の中を見られているという変な被害妄想で頭がいっぱいだった。
その夜。
僕は一人、布団の中でびくびくしていた。
今朝の悪夢がまた繰り返されるのかと思うと、気が気でならない。もし神保たちが何らかの攻撃を仕掛けてきたら、僕は、どうすればいいのだろうか。向こうが懲りるまで何とか耐えるか? それとも、玉砕覚悟で攻撃してみるか? でも、へたに神保たちの逆鱗に触れて、返り討ちされたらどうしよう....。
僕は、見通しの立たない恐怖に、ずっとおびえながら過ごした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
うう....頭が重い。
どうやらあの後、結局眠ってしまったようだ。まったく、おとなげない。
ん? 待てよ....ここは!?
ぼくはその場からがばっと起き上がり、辺りを見回す。
見渡す限りの黒い壁。鋼のように固い地面。
こ、ここは、まさか....。
僕の脳裏に、今朝起きた悪夢がよみがえる。
言葉にできない違和感。神保たちの罵声。降りかかる言葉の雨。
間違いない。今朝のときと同じ、あのドームのような部屋だ。
背筋に冷たいものが走る。
ということは....。
「おう、目ぇ覚めたか、てめぇ?」
唐突に、聞き覚えのある声が聞こえた。
恐る恐る振り返ると、そこには――、
「よう、桂。久しぶりだな」
神保たち六人が立っていた。
「はは、前もここに来て、お前と遊んだよな。いい思い出だぜ」
そういって神保はにやりと笑った。
「......」
僕は歯を食いしばり、神保たちを、敵意の孕んだ目で見る。
神保は「まあまあ」となだめるような口調で言う。
「おいおい、そんな殺気立った目で俺たちを見ないでくれよ。俺たちゃ友達だろ?」
「......」
何も言わない僕に、神保はわざとらしく大きなため息を着いた。
「はあ。まあいっか。お前が俺たちのことをどう思ってるかなんて、知ったこっちゃないし。――とにかく、今日も楽しい思い出作ろうぜ?」
そういって神保たちは、下卑た笑いを向けた。
「....っ」
僕は激しく歯ぎしりをした。それを見た神保が、心配そうな顔で訊いてくる。
「おいおい、どうした、桂? 怖じ気づいたか?」
「....うるせぇんだよ」
「あ? 何か言ったか?」
「うっせぇんだっつってんだよ、このガキ頭!! 一回で分かんねぇのかよ!!」
気付いたら、僕はそう叫んでいた。
神保たちはかなり驚いたようで、その場から二、三歩退き、おびえた目を向けていた。
僕は神保に飛びかかり、馬乗りになって押さえつけた。
神保が焦った顔で言う。
「お、おい、桂!! 一体どういうつも――」
「うっせぇんだっつってんのが分かんねぇのかよ、このボケナス!! テメェに俺のことをごちゃごちゃ言う権利なんかねぇんだよ! テメェはいつもそうだよな! 自分じゃあ何も出来ないクセに、いつも他人のことばかりぐだぐだぐだぐだ言いやがって!! テメェなんか、ぐるぐるの簀巻きにして、どぶ川に放り込んでやるってんだ、このクズで間抜けなクソ生意気小僧!!」
僕は自分でも意味の分からないまま、激しくまくし立てていた。
僕がこんなことを言い出したのには、誰よりも僕が驚いた。そして怖かった。何故僕が、いきなりこんな恐ろしいことを言い出したのか。何故僕は、ここまで豹変してしまったのか。考えるだに恐ろしかった。
暴走した"僕"の猛威は、留まる様子を見せなかった。
僕は馬乗りになった神保の顔を何度も何度も殴って、しまいには神保を足で蹴りつけた。そして神保の首元を、あり得ないような力で絞めつけた。
「ぐ、ぐおお....や、止めろ、桂....」
神保が掠れた声で言う。
これはちょっとやばい。僕は、本能的にそう感じていた。早くこの猛攻をとめないと、神保を殺してしまう。余計な罪といってはなんだが、僕は、大変な事を犯してしまうのだ。
誰か、僕を止めてくれ――!
「や、め....ろ――」
「テメェなんか、死んじまえ――!!」
神保の首を絞める手に、さらに力が入る。
と、そのとき――。
「はいはい、ストップ、ストップ! 喧嘩は止めて!」
よく通る女の人の声が響いた。
一瞬、その場の時間が止まった。
え?
声のしたほうを見ると、そこには、知らない女の人が立っていた。
あ、あの....どちらさまでしょうか?
尋ねようとした前に、女の人が言った。
「そこの君! 神保君の首から手を放して」
「え? ああ、はい」
僕は言われるがままに、神保の首から手を放す。
すると神保が、恐ろしい声を上げた。
「て、てんめぇ....。何てことをしやがるんだ....」
「う、うおお、わわわわわっ、ご、ごめん!」
僕は驚いた拍子に、神保からあわてて飛びのく。
神保がよろよろと立ち上がった。
「桂! 一体どういうつもりなんだ、てめぇ....」
神保がすごい形相で睨んでくる。
するとそこに女の人が割り込んで、神保の前に仁王立ちした。
「あなたが首謀者の神保喜多ね! 桂君にこれ以上危害は加えさせないわ!」
「あ? 誰だ、テメェ?」
「ああ、まだ自己紹介をしてなかったわね」
そういってその女の人は、懐からなにやら手帳のようなものを取り出し、神保の前に突き出した。
「私は〝FANTASY ANOTHER〟不正取締本部主任補佐の大澤光代よ! 今回私は、あなたたちの不正の取り締まり及び、あなたたちを強制退場させに来た。今すぐ退場しなさい!」
「あぁ? テメェみたいな若造に言われたかねぇよ! ほら、お前ら! やっちまえ!」
「おおっ!」
神保の声を合図に、周りの僕たちが掛け声を挙げて、大澤さんという女の人に迫ってきた。
その中の一人が、大澤さんに拳を入れようとする。
だが、大澤さんはさらりとかわし、その一人に力強い蹴りを加えた。
「ぐ、ぐわあっ!」
その一人は奇妙な悲鳴を上げると、その場に倒れこんだ。
他の僕たちも、同じ要領でどんどん倒していった。
「す、すごい....」
僕は思わずそんな言葉を漏らした。
それにしても、何だろう、このデジャブ感....。どこかで見たことあるような....。
そんな事を思っているうちに、あっという間に、僕が全員倒された。
「くそ、テメェ....」
最後に残った神保が、大澤さんのことを殴ろうとする。
だがその動きはとてもよたよたしていて、神保の拳は、一つも大澤さんに当たらない。
大澤さんは、神保の腹に拳を入れて、神保を気絶させた。そして、気絶した神保に向かって静かに言った。
「高校生が〝若造〟なんて言葉を使うもんじゃないわ。まったく」
その顔は、とても落ち着き払った顔をしていた。不正を犯したものへの怒りも、被害者への哀れみも見られない。
大澤さんは僕のほうを振り返ると、優しく微笑んだ。
「大丈夫? 怪我は無かった? 大丈夫。神保君たちのほうは、私がきっちり懲らしめておくから」
その温かい笑顔に、僕は思わず頬を赤らめた。
そのとき、激しい睡魔が僕を襲った。
うう、眠い....。今日はこのぐらいで寝ることにしよう。
僕はその場にゆっくりと倒れこむ。大澤さんの「あ、桂君、大丈夫!?」という声が、少しずつ遠くなっていく。
靄のかかった大澤さんの顔を思い出しながら、僕は思った。
それにしても、大澤さん、とてもきれいな人だったな。あの美貌なら、確実にモテモテだろう....なんてことを考えてしまう僕は、少し変態なのかもしれない。
そんな事を考えながら、僕はそっと目を閉じた。