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doppel  作者: ataru
20/22

Chapter 20

 裁判から数日後。

 僕は、照井の祖父さんと面会をする事になった。

 照井さんが、大事な話がしたいと希望してきたのだ。いきなり何なのかと不思議に思ったが、こっちも色々と話がしたかった頃だったので、僕は承諾した。そして、受刑三日前の今日、面会が行われる事となったのである。

 面会室の中には、非常に重苦しい雰囲気が流れていた。

 何しろ、被害者の遺族の人と面会するのだ。二重人格がやったこととはいえ、とても気まずい。ましてや、僕を目の敵にしているあの照井さんと面会しようだなんて、(もっ)てのほかだ。

 でも、向こうから希望してきたことだから、仕方がないといえば仕方がない。

 僕はため息をつきながら、後ろに座っている大志摩さんのほうをちらりと見る。大志摩さんが、僕のほうを見て、小さくうなずくのが見えた。

 そのとき、向かい側の扉をノックする音がきこえた。

「照井民雄(たみお)さん、入ります」

 照井さんが来たようだ。

 扉が開き、照井さんが、警察官に誘導されて入って来た。

 照井さんがパイプ椅子に座り、僕と向き合う。

「………」

 部屋の雰囲気が、さらに重くなったのを感じた。

 照井さんは何も言わず、じっとこちらを見据えている。口を真一文字に結び、眼球だけがこちらをギロリと見つめている。その眼差しからは、質量をもった何かがじりじりと迫ってくるのを感じた。

 ……な、何とか、風向きを変えないと。

 僕は若干おどおどとしながらも、アクリル板越しの照井さんに話しかける。

「……て、照井さん」

「………」

「まずは、謝罪の言葉から言わせていただきます」

 僕は椅子から立ち上がり、真っ直ぐに照井さんのほうを見据える。

「このたびは、お孫さんに危害を与えてしまい、誠に申し訳ございませんでした」

「………」

「今回僕が犯した罪がどれほどのものか、重々承知しております。僕のした行為は、とても許されるものではなく、相応の処罰は受けるべきだと自覚しております。ですから――」

「お世辞(せじ)はいらぬ」

 照井さんが、僕の言葉を遮っていった。

「え? ど、どういうことで――」

「お世辞はいらぬといっているのだ!!」

 照井さんが声を張り上げた。

「照井さん……?」

 僕はそっと、照井さんの顔色をうかがう。そして、僕はぞっとした。

 照井さんは、とても怒っていた。口元が歪み、底知れぬ闇をはらんだ目が、こちらを睨みつけていた。その歪んだ顔からは、とてつもない(いか)りと悲しみが感じられた。

「お前に何が分かる!」

 照井さんはいきなり立ち上がった。

「人を殺し傷つけたお前に、わしの悲しみなど分かるものか!! 本当は少したりとも反省などしておらぬくせに! 何が相応の処罰だ! 今更知ったようなことをいいよって!!」

「照井さん、僕は――」

「そんなに()いているのなら、翔宇の命を今すぐ報いてみろ! 翔宇がどれだけの悲しみをもって死んだか分かるか!? その悲しみを全て払拭できるほどの力量がお前にあるかと言っとるのだ!!」

「………」

「さあ、やってみろ! わしの愛しき翔宇の命を成仏(じょうぶつ)させてみろ!」

「照井さん」

 僕は静かな口調で言う。

「あなたが言った事、間違っている箇所があります」

「……何だと?」

 照井さんの顔が、さらに歪んだ。

 僕は、照井さんの顔を見据える。

「あなたは、本当に照井の事を愛しているのですか?」

「は? 何を言っておる」

「あなたに人を愛するほどの情があるのかといっているのです!」

 僕は声を張り上げた。

「何を言うか!」

 照井さんも声を荒げる。

「わしが翔宇を愛していないとでも言うのか! ふざけるな! この性根腐ったやつめ!」

「性根腐っているのはそっちでしょう!?」

 僕は語気を強める。

「いいですか? 大事な事を言います」

 僕は立ち上がり、照井さんを指差して言った。

「照井を殺したのは、あなたですね」


「何だとっ」

 照井さんがうなる。

 僕は照井さんに説明する。

「まずおかしいと思ったのは、リードの持ち方です」

「リードの持ち方?」

「はい。あなたは、右手首にリードをぐるぐる巻きにしてもっていました。しかしこれでは、急な力が入ったときに手首を怪我してしまう恐れがあります」

「……それがどうした」

「あなたはいつも、右手手首に光るブレスレットをつけているそうですね」

 その言葉に、照井さんが反応した。

「……ぶ、ブレスレット?」

「はい。あなたは、結婚祝いに奥さんからもらったという光るブレスレットを、いつも手首につけてらっしゃるそうですね。しかし、僕と初めて会ったとき、あなたはどっちの手首にも、ブレスレットをつけていませんでした。――いや、()()()()()つけていたんでしょうね」

「………」

「〝あのとき〟、右手首のところが少し膨らんでいました。あの膨らんだ部分に、おそらくブレスレットがつけてあったのでしょう」

「!」

 そのとき、初めて照井さんが動揺した。

「ま、待て。……なぜお前は、そこまでブレスレットに固執しているんだ?」

「そのブレスレットに――返り血がついているんじゃないんですか?」

「………」

 照井さんが黙り込む。

 僕はかまわず続ける。

「順番に確認しましょう。まず、あなたは右利きですね?」

「……なぜ分かった?」

「あなたが電話するとき、携帯を左に持って右で操作していました。普通だったら、左手で操作するのでしょうが、わざわざ右手で操作していたところから、右利きだと分かります」

「………」

「仮にあなたが照井を殺したのだとすれば、恐らく、利き手である右手に包丁を持って、照井の心臓を一突きしたでしょう。しかしそのとき、誤ってブレスレットに返り血をつけてしまった。しかもそれに気づいたのは、遺体を処理してからかなり経った時だった」

「………」

「あなたならどうしますか? 自分の妻からもらった大事なブレスレットが、返り血で汚れてしまったら……証拠隠滅として捨てますか? でも、捨てるのには少し抵抗があるんじゃないんですか?」

 僕は、アクリル板越しの照井さんに問いかける。少し間が空いて、照井さんは、

「……そうだな。そう簡単には捨てられまい」

といった。

 僕は、冷静に続ける。

「そうですよね。出来ることなら、今まで通りつけていたい。でも、人前で血まみれのブレスレットは見せられない。だからあなたは、犬をつないだリードで、ブレスレットをぐるぐる巻きにして隠すという妙案を思いついた。事件後、急に犬を飼い始めたのは、こういうことだったと考えられます。しかし、犯人探しをしているという僕が現れた事で、あなたは危機感を覚えました。このまま隠していたら、いずれあいつは自分のことを怪しんで、色々と調べてくるだろう。そうすれば、すべてが台無しになる」

「………」

「あなたは、ブレスレットを捨てようとした。しかし、光るブレスレットだとききましたので、外に捨てておいたら、目立ってしょうがない。だからあなたは、ブレスレットを家のどこかに隠した」

「黙れっ!!」

 照井さんが声を張り上げた。

「そんなの、お前が考えたただの憶測だろう! この期に及んでまた探偵ごっこかい!」

「そうでしょうか? あなたの家の中を調べてみれば、分かる事です」

「………」

「仮に本当にブレスレットを隠してあるのなら、調べてみればいずれ見つかります」

 僕は、一呼吸置いて言った。

「一つだけ訊きます。あなたは照井を殺しましたか? 殺しませんでしたか?」

「………」

「答えてください」

 僕はびしりと言い放った。


 しばらく間が空いて、照井さんは、全てを自供した。

 殺人の動機は、やはり部活のことだった。

「あいつはろくに努力もせぬくせに、陸上部に入りたいだのと駄々をこねてな。何度も何度も、お前には不向きだと諭したが、まともに聞く耳を持たない。挙句の果てには減らず口も利くようになって、すっかり悪徳少年になってたよ」

 照井さんは皮肉混じりにそう話した。

「それだけで、あなたは翔宇を殺したんですか?」

「いいや。殺したいと思うようになったのは、それからずっと後のことだったよ」

 照井さんが殺意を抱くようになったきっかけは、翔宇が陸上部に入って少し経ってからの事だったという。

 ある日照井さんは、学校から帰ってきた翔宇を呼び出し、物置に閉じ込めた。

 そして照井さんは、翔宇に激しく罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせ、抵抗する翔宇に、殴ったり蹴ったりなどの暴力を振るったという。

「翔宇が陸上部に入った事には、さすがに我慢ならなくてな。翔宇に説教して、下らない部活に入るのはやめろといったのだ。そしたらやつは、『何が下らない部活だ』といって、わしに激しく抵抗してきやがったのじゃ。どこまで意地を張る気だと頭にきたわしは、殴ったり蹴ったりなどして、やつの頭を冷やそうとしたのじゃ」

 照井さんはもう翔宇のことを「翔宇」と呼ばなくなっていた。

「そしたらあいつは、わしの胸倉を掴んでこういったんじゃ。「祖父(じい)さんみたいな弱い無能人間に、何ができるか」ってな」

「………」

「そのときからわしは、今までに無い、どろどろとした感覚を覚えた。あいつを苦しめたい、殺したいと幾度も思うようになった。殺意だよ。後はお前の想像した通りじゃ」

 ……なるほど。そういうことか。

「なるほど。大体の事は分かりました」

「他に何か訊きたいことはあるか?」

「そうですね……一つだけ」

「何だ?」

 照井さんの問いかけに、僕は少し間を空けて言った。

「あなたは、陸上部に入りたいと願った翔宇の本当の理由を知っていますか?」

「何?」

「あいつが陸上部に入りたいと願った理由は、ただ走ることが好きだったというわけではありません」

 照井さんは戸惑っている。

「ど、どういうことだ?」

「これは、僕の考えたただの憶測ですが」

 僕は、照井さんを見据えて言った。

「翔宇は、あなたにまた、走る希望を持ってほしかったんじゃありませんか?」

「何だと? わしが?」

 驚く照井さんに、僕は静かに話し始める。

「大志摩さんに照井さんのことを話したとき、大志摩さんはこういっていました。若き頃、私は照井さんとよく走ったと」

「………」

「話を聴いたところによると、あなたと大志摩さんは、高校の陸上部で知り合った頃から、二人でよくマラソンをする仲だったようですね。近所のマラソン大会にもよく二人で出場し、世間にも名の知れた好敵手(ライバル)関係だった。あなたと大志摩さんは、走る事に共に生きがいを感じていたそうですね」

「……そんなの、昔の事だ」

「だがある日、足の病を患ってしまい、一時の間走れなくなってしまった。病は完治したものの、あなたはその後全く走っていませんね」

「………」

「怖かったんじゃないですか?」

 その言葉に、照井さんは顔を上げた。

「また走る事で、一生走れなくなる身体になってしまうのが、怖かったんじゃないですか?」

「……怖い、か。確かにそれは、間違っていないかも知れぬ」

「だから翔宇は、あなたをトラウマから解放させたかったんだと思います。自分が一生懸命走るところを見せて、また走ることへの情熱を燃やして欲しかった。そう考えると、あいつが執拗(しつよう)に陸上部に入りたがったのも、うなずけます」

 照井さんは、軽くため息をついた。

「そういうことだったのか」

「最後に、一つ言いたい事があります」

「何だ?」

 照井さんが、真っ直ぐに僕の事を見据えている。

 僕は息を吐いた。

「減らず口をはいた翔宇にも、悪いところはあったと思います。でも、それを殺人という方法で解決させるのは、とてもわがままな事です」

「………」

「あなたはもっと、翔宇の気持ちを分かってやるべきでした。あいつがどんな思いでこれをやっていたのか。それにいち早く気付いていれば、こんな事態にはならなかったと思います」

「………」

「あなたは、弱い人間です」

 僕はびしりと言い放つ。その言葉に、照井さんは苦笑した。

「確かにその通りだな」

「照井民雄さん」

 いつの間にか、背後に手錠を持った警察官が立っていた。

「あなたを、殺人容疑で逮捕します」

 そして警察官は、照井さんの手首に手錠をかけた。

 連行される照井さん。その足が止まった。

「わしからも一つ訊きたいことがある」

 照井さんはゆっくりと、僕のほうを向いた。

「お前はなぜ、わしの〝弱さ〟を暴いた?」

 僕は一呼吸置いていった。

「僕も弱い人間だからです」

「………」

「僕も照井さんと同じく、心の弱い人間です。だからこそ、あなたの心内の〝弱さ〟に打ち勝って、お互いに強くならなければいけないと、思ったからです」

 大澤さんの言った言葉が、脳裏によみがえる。

『弱さに打ち勝てる人間になりたいのなら、まず『知る』事から逃げちゃだめ』

「僕は大澤さんから、〝知る努力〟をしないと、強くはなれないと教わりました。だから僕は、いろいろな人の〝弱さ〟を知って、向き合わなければならないと思いました」

「………」

 照井さんは何か言いかけたが、後ろを向いて、警察官に連行されていった。

 僕は、照井さんの後姿を見送った。

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