Chapter 2
"doppel"のChapter 2です。神保から「帰る場所などあるのか」と問いかけられる桂。このあと桂は一体どうするのでしょうか。
お知らせ 執筆活動の都合上、小説の投稿は不定期とさせていただきます。よろしくお願いいたします。(ああ、あと、夜逃げはしませんので....。)
僕の足が止まる。
今、なんと言った? 小声だから、よく聞こえなかった。いや、僕の耳が遠いだけだろうか。
僕は、神保の方を振り返って言う。
「今、なんて言ったんだ、神保? もう一回言ってくれ」
僕としては、努めて平静を装って言ったつもりだった。しかし神保には、少し含みのある言い方に聞こえたようだ。神保が顔をしかめて言う。
「だから今言っただろう? お前に帰る場所があるのか? って言ってんだよ」
「 」
僕の意識が止まる。
"お前に帰る場所があるのか"? どういうことだ? 言葉が言葉として理解出来ない。
「だってそうだろ? お前には、家族がいない。友達がいない。学校にも行っていない。当然ながら、味方は一切いない。だからお前には、自分の居場所なんてどこにもないんだ。ハハッ、お気の毒に。お前だって、まさかこんないばらの道歩くことになるとは、思わなかっただろ。お前って、どっかで生き方を間違えたんじゃね? ハハハ」
「・・・・・・」
世界から、音が消えたような気がした。
いつもの朝の喧騒も、聞きなれた電車の音も、踏み切りの警報音も、耳に入ってこない。頭の中に、神保の声だけが激しくこだまする。色も褪せて、すべてが真っ黒に染まっていく。
世界に立っているのは、僕と神保の二人だけだ。
この感じ、なんと言ったらいいだろう。怒りとも、不安や焦燥とも似つかないこの感覚は――。なんだか、見知らぬ世界に堕とされたようだ。自分の力で立つことも、声を上げる事もできない。何をする事もできないまま、僕はこの、言葉にできない苦しみに悶える。
この感じ、相当に不快だ。早くこの空間から脱出したい。このままでは、発狂してしまいそうだ。神保の言葉におびえて我をを失い、自分が自分でなくなってしまいそうだ。それだけは絶対に避けたい。目を背けたい。耳を塞ぎたい。もうこんな苦悶は勘弁だ。どうか――僕に少しでも、平穏と安らぎを与えてくれ!
「だからさ、お前、ここで早く腹くくっちまえよ。お前なんかもう――」
「っっっ!!」
もう我慢出来なかった。
僕はミネラルウォーターのペットボトルを、そのまま神保の方へ投げつけた。ペットボトルはふたを開けたままだったので、中の水が激しく飛び散り、神保の運動着をびしょ濡れにした。
「おわっ、おい、何すんだよお前....おい!」
神保が呼んでいるのも構わず、僕はその場から一目散に逃げ出した。
一刻も早く、自分の家に帰りたかった。神保の話など、もうこれ以上聞きたくなかった。神保の話を聞いていたら、頭がおかしくなってしまいそうだ。神保の発する言葉の礫に耐えきれず、頭を押さえて発狂してしまいそうだった。だからそうなってしまう前に――僕は早く逃げ出したかった。
僕は右も左も分からないまま、闇雲に走り続けた。
どれくらい走っただろうか。
走り疲れた僕は、その場でへなへなと座り込んだ。
今起きたことが、まるで夢のようだ。時間感覚がない。ついさっき起きたようにも感じるし、遥か昔に起きたことのようにも感じる。
「はあっ、はあっ、はあっ....」
僕は肩で息を整えながら、上を見上げた。見上げた先には、見慣れた白い一軒家があった。
僕の家だ。
「はあっ、はあっ....はああっ」
僕はよたよたとしながら歩き、鍵を開け、家の中に入った。そして、手も洗わずに真っ直ぐ自分の部屋に向かい、ベッドに倒れ込んだ。
ドサッ
柔らかいとも、硬いとも言えない音がした。
「......」
部屋の中が、重苦しい静寂に包まれる。時計の秒針だけが、まるで心臓の脈を打つように、音を出して鳴る。
「....ううっ」
思わずうめき声が漏れる。気のせいか、瞼の奥が熱い。
「ううっ....うっううっ」
気のせいではなかった。涙腺が刺激されているのが分かる。体の奥深くから、熱を持った何かがこみ上げてくる。
「うっうっ、ううううっ、ううっ」
気づいたら、僕は泣いていた。大粒の涙を流して、僕は、子供のように泣いていた。
僕は、中学生の頃、神保にいじめられていた。
始まりは、一年の夏の頃だった。蝉の鳴き声と暑さが、既に夏の風物詩となっていたあの頃、僕が休み時間に一人で窓から外の風景を見ていると、唐突に神保が声をかけてきた。
「よぅ、桂!」
「え!? ....お、おぅ、神保。どうした?」
当時、人付き合いというものをできる限り避けて生活していた僕は、突然話しかけてきた神保にどう受け応えすればいいのかが分からず、適当に会釈をしていたと思う。
神保はこう話を切り出してきた。
「あのさ、お前、FUNNY FUNNY好き?」
「え? ああ、好きだけど」
FUNNY FUNNYとは、今日中高生の間で大人気の四人組バンドらしい。"らしい"というのは、僕はあまりテレビなどは観ないので、少々浮世離れした部分があり、流行ものについては疎いのだ。もっとも、FUNNY FUNNYは名の知れたバンドだったので、僕も名前だけは知っていた。
僕が好きと答えると、神保は顔を輝かせて話した。
「え、好きなのか!? 良かった、お前が好きで。それでさ、今度の日曜日に、幕張メッセでFUNNY FUNNYのライブがあるんだ。お前も一緒に行かない?」
「え? ら、ライブ!?」
今まで僕は、こういうことに誘われることはめったになかったから、僕はとても戸惑った。でも、こういうことも悪くないと思い、つい、
「ああ....まあいいけど」
と、返事をしてしまった。
神保の顔が、さらにパッと明るくなった。
「おっしゃっ、ありがとな、桂!」
「あ、ああ....どうも。それでさ、お金とかどうすればいい? あのバンドのライブ料金、結構高いんだろ?」
「ああ、そうみたいだな。悪いが、自分の分のライブ代は自前で払ってくれないか?」
「ん、わかった」
「よし、んじゃ、日曜日に駅前で」
僕と神保は、そんな会話を交わして別れた。
あの時、丁重に断っていれば....と、僕は激しく後悔している。もっとも、その時はあくまで、普通にライブを見に行くだけだと思っていたから、仕方ないといえば仕方ないのだが....。
そして当日。
僕らは駅前で待ち合わせ、二人で幕張メッセへと向かったーーはずだった。
だが、神保が連れていった場所は、幕張メッセではなかった。
そこは、ビルとビルの間にある雑居ビルのようなところだ。外観は一面真っ黒に染まっていて、パッと見ただけでは目立たず、一軒一軒注意しながら見ないと分からないくらいだ。
「え、ここ? 幕張メッセに行く予定じゃなかったっけ?」
「へ? そんなこと、一言も言ってないよ」
僕がそのことを神保に訊いても、知らぬ顔をして、まともに取り合ってくれない。
ビルの中には、一人の男性が待ち構えていた。神保はその男性となにやら親しげに会話を交わしたあと、一人ビルを出ていってしまった。
神保がいなくなったあと、男性はいきなり怖い顔になって、「よし、やるぞ」と言った。続いて後ろから、強そうな人たちが何人も出てきて、僕の周りを取り囲んだ。
そしてーー。
「や、止め、止めて――あああああああああああああああっ!!」
僕は乱暴された。
僕は、大柄な男たちに、何度も殴られた。腕や、足や、腹や、顔など、身体のありとあらゆるところを、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、殴られた。僕も必死に応戦したが、体格の良い男たちの力とは足元にも及ばず、到底敵わなかった。他にも、何度も何度も何度も何度も蹴られ、何度も何度も何度も何度も踏まれた。僕にとっては、まさに地獄のような時間だった。
僕がその男たちからやっと解放されたとき、神保はいなかった。僕が執拗な拷問を受けていた間に、一人で帰ってしまったのだ。
僕は、しまった、と思った。神保には、お金をまとめて払うと言われて、ライブ代を預けていたのだ。つまり僕は、神保に騙され、地獄のような拷問を受ける羽目になった上に、ライブ代まで巻き上げられたのだ。
僕はとても悔しかった。こんな目に遭うとはうすうす気づいていたはずなのに、何も努力しなかった自分が、とても悔しかった。
そしてその夜、僕はベッドの上で泣いた。涙が枯れるまで、何度も何度も泣いた。何度も泣いて、早くこの涙を枯らしたかった。そして、二度とこんな思いをして、涙を流したくはなかった。
でもあの日から、神保のいじめはどんどん増えていった。何度いじめて、先生たちからきつい説教を受けても、神保は性懲りなく、僕をいじめた。その度に、僕は深い悲しみを受けて、何度も何度も泣いた。何度泣いても、涙が枯れることはなかった。それがさらに悲しくて、何度も何度も泣いた。
そして今。
神保の激しい拷問を喰らった、あの日のように、僕は泣いている。
「うっうっううっ、うううっうっ」
なぜこんな思いをしなければいけないのだろう。この時間だけは、何もかも忘れて、自分をリセットしたいのに。これではまるで、自分から自由を手放しているようなものではないか。
いや、悪いのは神保たちだ。奴らが僕のことを嫌な方向に陥れるから、生活リズムが台無しになるのだ。そうだ、僕はちっとも悪くない。
なのに....。
僕に向かって、神保は、歪みきった笑顔で言ったのだ。
「お前って、どっかで生き方を間違えたんじゃね? ハハハ」
と。
それではまるで....正しく生きなかった僕が悪いみたいじゃないか。
「ああああああああああああああああああああっ!!」
僕は、何も無い空間に向かって叫んだ。しかし、そんなことをしたって、誰も応えてくれない。悲しみをさらに募らせるだけだ。
「くそ....くそ....!」
僕は悲しみに暮れながら、いつまでも泣き続けた。
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うう....頭が重い。
意識が朦朧としている。瞼が重い。どうやらあのあと、泣き疲れて眠ってしまったようだ。まったく、大人げない。
さっき泣いた涙で、目が痛い。ピリピリする。腹も空いているようだ。腹の虫が盛大に鳴っている。
とりあえず、洗面所へ行って顔を洗おう。それから、食事の準備だ。
僕は、洗面所へ行こうと立ち上がる。そして、
「ん....?」
違和を感じた。
なんだろう、この違和感は。自分の部屋なのに、自分の部屋ではないような、この奇妙な感覚は――。
僕は、"自分の部屋"の中を詳しく観察してみる。
そして気づいた。
ここ、僕の部屋じゃない....。
中学生の頃から使っている勉強机がない。さっきまで僕が眠っていたベッドがない。この部屋にあるべきものが、何もかも、ない。あるのはーー丸いドームのような部屋だけだ。
ここは一体、どこ....!?
戸惑っている僕。
唐突に、誰かの声がした。
「目ぇ覚めたか、てめえ....」
それは、明らかに怒りを含んだ声だった。
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