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ケ・セラ・セラ

作者: 春告草

健嗣と亜沙子は出会った時からきっとお互いに一目惚れだったのだろう…お互いに気づかぬまま、離れることも無く永遠に続く友情で繋がっている。

唯川恵の小説を読んで…読みながら涙が止まらなくて…気が付くと号泣していた。

『だんだんあなたが遠くなる』って、題名を見てすぐに手に取った。彼との距離を感じ始めていた私は、まるで自分の事と重ね合わせていた。出会いは当然のようで、終りは線香花火のように…だんだんあなたが遠くなっていく…



健嗣はジーンズのポケットに片手を突っ込み、空を眺めていた。健嗣の印象は出会った時から今でも変わらず爽やかな風のようなのだ…


学生の頃にラジオ番組のADをしていた健嗣が買い物中の私に声を掛けてきたのが出会いだった。

「今、ラジオの公開放送してるんだけど『街で見掛けた女の子』って企画で出てくれる子を探してるんだけど…ね、出てくれない?君に断られると、また探さなきゃいけないんだよ…困ってるんだ…」いったい何人の女の子に声を掛けたのだろう…折半詰まった様子で見つめていたのが健嗣だった。

特に急いでいたわけでもなかった私は、何となく健嗣が促す場所へ向かい、そのままラジオの番組に出演した。そう、その日から健嗣と私の奇妙な友情関係が始まった。(ず〜っと後で聞いた話だけれど、あの日声を掛けたのは私が最初だったらしい)その頃の私には同居中の彼がいて短大を卒業すると結婚というシナリオができていた。健嗣は大学の専攻通りの道を着々とたどっていた。

初対面から意気投合し、まるで幼い頃からの顔見知りのような付き合いを自然にしていた。

私が結婚した後も、変わらず連絡は取り合い悩み事の相談やら近況やらをどのくらい話したのだろう。特に彼の女の子に纏わる悩みはほとんど聞いてきたような気がする。何せ健嗣は『超』がつくほどの鈍感君だったらしい…らしいと言うのは、ただ気のない相手に期待を持たせないのが上手かったのかもしれない。彼はとにかくもてる男の子だった。

健嗣は大学を卒業するとアルバイトをしていた放送局にそのまま就職し、自分から希望してラジオの現場にのめり込んで行った。

私は夫の話を聞くより、常に前向きな健嗣の話を聞く方が遥かに楽しかった。ただの男友達から一人の男性として意識しはじめたのはこの頃からなのかも知れない。健嗣の中にある理想の女性像がどんななんだろうと想像に明け暮れていた日々もあった。

健嗣の話は、まるで出家僧のような発言をしたかと思うと、エロに徹してる事もある。若いくせにジャズバーが好きだったり…ただ不思議な事に全てが嫌味にもキザにも感じなかった。


私は保育園で働きながら子供を育て、どんどん所帯じみていく…

電話で健嗣と話す時だけは自分の立場や生活を忘れられたのだ。いつ頃からか夫と健嗣を比べるようにさえなっていた。


その頃になると健嗣は海外に派遣される事も度々になり、1〜2年音沙汰無しなんて事も度々で、少しずつ芽生え出した私の気持ちを鎮火させるのだった。

夫は一部上場の大手ゼネコンに勤務していて、上の子供が小学生になった頃から単身赴任をするようになり、夫に幻滅を感じ出していた私には好都合だった。

ただ『俺の稼いだ金は俺のもの』と言うのが夫の口癖だったこともあり、単身赴任をするようになってからは財布もまったく別々なものになった。この頃から実質的には母子家庭のようなもので、三番目の子供を未満児保育に預けてパートで保育士の仕事をしていた私は生活上と子育ての不便からFPの資格を取り、生活を経てるようになっていった。

そんなふうに、生活に必死になるうちに健嗣にほのかな恋心を抱く余裕なんてものはなくなって行ったのだった。


「亜沙ちゃん、僕は暫く中国の方へ赴任してくるよ。」

珍しく出発前に健嗣が連絡をくれた。

「そうなの?出掛ける前に連絡くれるなんて珍しいね!何かあるの?」

軽い気持ちで聞き返した。

「実はさ…付き合ってる人がいるんだけどね…」

初めてだった。健嗣が付き合っている女性がいることを告白したことなど…

健嗣の話を聞きたく無いような気がした。

相手の女性と言うのは同期入社のアナウンサーで、気が付いたら何かと健嗣の側にいてそれが当たり前のような気がするのだそうだ。お互いに仕事があるから彼女を中国に連れて行くわけにはいかないが、帰って来たらプロポーズをするつもりだと健嗣が語った。

「そう…おめでとう。健嗣もそう思える人があらわれたんだね。」

そう言いながら涙が出てきた。

「でも、どうして行く前にプロポーズしないの?」

健嗣の行動はいつも不思議だった。

「今回はどのくらいになるか分からないんだよ。行く前にプロポーズしたら彼女も窮屈だろ?他に誰かと出会うかもしれないのに…」

それは健嗣なりの優しさなのかもしれないけれど、女の立場から言わせて貰うと決して優しさではなくズルさだと私は言った。

「僕はこれでいいと思うよ。帰って来た時に僕を待っててくれたらプロポーズするさ。」

結構ガンコに健嗣が言うのだった。私達は持ったばかりの携帯の番号を教えあい、帰って来たら必ず携帯に連絡をくれる事を約束しあった。

それから三年近く健嗣からの連絡は無かった。


健嗣が中国へ行った後の私の生活は完全な母子家庭状態を重ねていたが、ある日借金取りが家にやって来た事から事態は最悪の方向に向かい始めた。

夫から数年の間お金というものを受け取って無かったので、何故そういう人が自宅にやって来たのかがわからなかった。

その借金取りの男はテレビで見るような傍若無人のような人ではなく、家にやって来た理由を丁寧に話してくれたのだった。

夫はかなりの借金を重ねているらしく、この男の勤務している金融会社にも借金がある上に妻の私が保証人になっていると教えてくれた。

それは私の知らない事であると伝えると『あなたの職業を見てそうではないかと思い、大変な事になる前に事実を伝えたかった』と言った。本当はしてはいけないことだが、夫の勤務先も大手で、サラ金から借金をしている上に妻を保証人につけなくてはならない状況は、かなりヤバいのではないかと調べてみたのだそうだ。

案の定クレジット系は全て使い果たして、サラ金も数社利用しているデータが出たらしい。

男は取り立て業務の担当者で会社命令で記入住所に自宅が存在するかを確認に来て、私と子供達を見掛けて気の毒になったのだと言う。

会社には調査事項は報告したが、こうやって私に話に来たのは個人的な行為であるので、あくまでも会社には連絡しないで欲しいとまで付け加えた。後は夫婦で話し合った方がいいと心配してくれ『私は来月いっぱいで会社を辞めます。こんな仕事は辛い…』と疲れた顔で精一杯の笑顔を見せてくれた。私は男に感謝した。


借金の額が想像以上のもので無いことを願いつつ、夫の帰宅予定を確認の為に連絡をした。

歯切れの悪い夫の返事に私は覚悟を決めていた。

翌週の週末、夫は帰宅したが、借金の理由はパチンコ…給料はほとんどパチンコに注ぎ込み、使えるだけのクレジットカードからキャッシングを利用し、返済後の生活費の調達をサラ金からしており、いわゆる自転車操業の状態だったのだ。借金は家族カードという形で私名義のものもあり、それだけでも2百万円近くになっていた。当時は夫の勤務先と年収次第で銀行の普通口座を開設すると自動的にカードローンも付いてきたり、家族カードを作れたりしたのが災いの元だった。いや、そんなせいにはしてはいけないって事は百も承知だった。

「俺を一人にして自分達だけ楽しく生活してるからこうなったんだぞ!責任はお前にもあるんだからな。」

と開き直って言いきった夫がクズのように思えた。私は知っている知識を駆使し、知り合いの司法書士や弁護士、銀行に相談に奔走した。

自己破産などとんでもなく、そんな状況が私の勤務先に知れたら私は解雇になることはわかっていた。夫は何とかローン一本化として銀行から借入れをし、私は債務整理という法的な手段を選んだ。知らなかった事であると返済拒否をする手段もあったが、仕事を失うわけにはいかなかったので事実を受け止め返済の道を選んだ。

開き直った夫は

「離婚だ、離婚届けを取って来いよ、すぐに書くからさ!」と言った。なんて無責任な男だったのだろうか。子供のことなど全く心配もせずに反省の様子も見せない夫に私は見切りをつけ、離婚を実行に移し、三人の子供を連れて家を出た。悔しかった。悔しくて涙が止まらなかった。離婚後に子供達の前で泣いたのは後にも先にもこの時だけだった。長女は中学を卒業する年になっていた。1LDKのアパートで親子三人の慎ましい生活が始まった。


本当に慎ましかった。貯えは引っ越しの費用に使い、家具は子供達の物を最小限で持ち出し、家電は取りあえず必要な冷蔵庫・炊飯器・洗濯機・テレビを買った。子供達の笑顔だけが救いだった。


「亜沙ちゃん、何かあったのかい?」

健嗣からの電話で我に帰った。

「この前、帰って来たって電話したのにさ『後で』って切ったきり連絡無いから心配になってね…どうしたんだい?」

そうだった。あの借金取りの男が来た日の翌日に健嗣からの連絡があった。あれからもう三ヶ月は過ぎていた。

「私…離婚した。」ためらいながら言った。今の状況を悟られたくなかった。惨めな気持ちに初めてなった。

「健嗣は?もう三年になるじゃない、音沙汰無しでずっと中国にいたの?」

聞かれるれ前に話をかえたかった。

「中国に一年半かな…戻ってすぐにミャンマーに行ってたよ。三ヶ月前に帰って来たんだ。帰ってすぐ、亜沙ちゃんに連絡したんだよ。」

健嗣の声は何でこんなにホッとするんだろう、ずっと聞きたかった声はこの声だった。でも次の瞬間にプロポーズをするつもりの彼女が居たことを思い出した。聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちが交差していた。

「亜沙ちゃん?どうした?聞いてる?」健嗣は中国の様子やミャンマーでの体験を話していたが、私の頭の中には見たことのないプロポーズをするつもりの彼女の事が気になっていた。

「聞いていい?」

聞かなきゃいけない衝動にかられた。

「何?」

「健嗣…彼女にプロポーズしたの?」

心臓がバクバクしていた。

「…いや、してないよ。そんな事をよく覚えてたね」

健嗣の話してくれた事は全て覚えている。長い付き合いの中で初めて聞いた彼女の存在。そんな人が健嗣にいたって当たり前なのに否定したかった私が居たことも覚えている。

「なんで?何かあったの?これから?」何を私は期待していたのだろうか…

「…結婚してたよ。でも幸せそうだったから良かったんじゃないかな、僕を待ってるよりさ…」

言葉を失った…健嗣と彼女の間には、会わなくても揺るがないキズナが出来ていたのではなかったと言うのだろうか…思いは健嗣の一方的なものだったのだろうか…

「側にいつもいる人がいいんだってさ…」

溜め息混じりで健嗣は言葉を繋げた。

「僕はまたいつ海外に派遣されるかわからないからね、結婚向きじゃないんだよ。」

そんな事は無いと思う。信じあい求めあう気持ちがあれば会える時間など問題にはならないと思った。

「運命の人じゃなかったんだよ、きっと」

そう言って私は健嗣の声を聞いて癒されてるのに…と思った。

「運命の人?そんな人は僕にいるのかな〜。いつになったら会えるんだろうね…」

案外と近すぎてわからなかったりするものかもしれない…。

「亜沙ちゃん?さっき離婚したって言ったよね?」

話を変えたつもりだったのに…言わなきゃよかったと後悔した。

「うん…随分前から母子家庭みたいなもんだったから…生活が大きく変わった訳じゃないよ。ちょっと頑張らなきゃいけない状況だけどね。」

軽く答えた。軽く言わなきゃ惨めだった。深くは聞かれ無いように言葉を続けた。

「じゃあ、健嗣も彼女無しだし、遠慮なく連絡してもいいかなぁ」

私には健嗣が必要だった。買い物の途中で声をかけられた18年位前から、私には必要な人だった。『運命の人』は健嗣だと思った。

「今までと同じさ。僕は亜沙ちゃんに連絡し続けるよ、どんな時もね。これからは困った事があったらすぐに連絡しなよね。」

涙が溢れてきた。それを悟られないように明るく『ありがと、じゃまたね』と言って電話を切った。


健嗣の姿が目に浮かんだ。ジーンズのポケットに片手を入れ、空を仰いでいる健嗣が…


季節は早足で過ぎて行き、夫のいないお正月を迎えた。例年であれば年末年始は温泉で過ごすのが恒例だったがこの年はそんな訳にはいかなかった。

実家に帰るのもどこか面倒くさくて、休暇は子供達とのんびり過ごした。

休暇明けには過去数年ぶりの大雪が降り、交通機関はパニックになっていた。


『亜沙ちゃん、笑わないでくれるかい?』

健嗣からメールが入ってきた。

『急に君に会いたくなって、この雪の中を君の町に向かったんだ。道路は何処もかしこもパニックだったよ。結局、君の町を見ただけで帰ってきたんだけどね…』

突然の予想もしないメールに驚いていた。

そう言えば健嗣とはどのくらい会ってないのだろう。

電話では良く話していたが、それこそ中国へ行く前に会ったきりのような気がする。

『そう言えば随分会ってないね…私の顔、覚えてる?』不安だった。特に特徴も無く美人でも無い私の顔など、ボヤけていてもおかしくない。周りには美人のアナウンサーや芸能人がいるのだから…『覚えてるさ、安達祐実ばりの顔…初めて見掛けた時に印象的で声かけたんだよ。覚えてるかい?ラジオ番組に誘った日、亜沙ちゃんに声掛けたの。声掛けたのは亜沙ちゃんだけだったよ。』

そうだったの?そうだったんだ…

もしかすると、私達の離れられない運命はあの日から始まって、これからも続くのかも知れないと思った。『会いたいね、久しぶりに』そう返事を送ったが、健嗣からの返事は戻って来なかった。


山の地方では大雪は豪雪に変わり、いつになく『冬』そのものであった。

除雪などとは縁のないはずの街では車も町も雪に足を取られ、パニックになっていた。駅前の駐車場は除雪も出来ないくらいに雪がつもり、仕事どころではなかった。


『亜沙ちゃん、会いたいよ。たまらなく会いたいんだ』そんなメールを健嗣が送って来たのは数日が過ぎて雪もおさまった頃だった。『今度の土曜日、こっちに来てくれる?』思い切って聞いてみた。

今までなら電話で話してたのが、何故かメールでの会話になっていた。

『行くよ、必ず』そんな返事が返って来たのは金曜から土曜に変わる頃だった。お昼近くに健嗣からの連絡があり、駅までの道を急いだ。先日の雪は道路の端に押し退けられ、駅の駐車場も三分の二は使えるようになっていた。駅の改札口で健嗣の姿を探した。駅の構内は相変わらず、分厚いコートに身を包み込んだ人で溢れていた。人の波に逆らいながらSLのポスターを眺めている健嗣を見つけたとき、そこだけ時間の流れが止まっているような、とても懐かしい感情にかられた。

「久しぶり!」

背中から声を掛けた私を振り返りながら眩しそうに目を細めて

「びっくりしたよ、天使かと思った。」と健嗣が笑った。

陽の光を背負って私が立っていたのだった。

「随分歳の行った天使だね(笑)」

私たちは光の差し込む駅の出入り口に向かってゆっくり歩き出した。久しぶりに空は青く晴れわたっていた。


駅前の大通りを歩きながら先日の大雪の日の話を健嗣は楽しそうに話していた。

「この前、この先の橋のとこまで歩いたんだよ。でも雪が凄くて風も強くて歩くのが苦しくなってね(笑)」

あの日は確か雪もただの雪じゃなくて、一日中吹雪だった。

「あの吹雪の中、歩いてる人なんかいた?健嗣だけなんじゃないの?」

冗談のつもりで聞いたのだが

「そうなんだよ、だ〜れも歩いてなかった。(笑)」

とすかさず返事が返ってきたので思わず吹き出してしまった。何で急にあの吹雪の日にこの町に来たのか聞いてみた。

「何でだろうね…急に亜沙ちゃんの住んでる町を観たくなったんだよ(笑)」

そう言えば私達は知り合って18年以上になるけれど、お互いの住んでいる町に行った事はなかった。それに私は離婚してから地元の新潟に戻って生活をしていた。健嗣も中国から帰ってからは支局の局長と本社の本部長を兼ね、金沢を拠点に生活をしていた。

「たまたま吹雪になったのさ。その前の日に東京にいたからね…新潟行きの新幹線にふらっと乗ってたんだ。」

話ながら歩いていた。その日は吹雪で見れなかった街並みを健嗣はマジマジと眺めていた。

「へ〜、新潟って大きな街なんだなぁ」私には見慣れた風景なのであまり感じないが、確かに他県から来た人は口を揃えたようにそう言う。多分、テレビに映し出される新潟は見渡すばかりの山の中だったり漁村だったりするから、新潟県全体がそんな感じだと思っている人は多いらしい。

「ね、この前渡れなかった橋、あの橋でしょ?あれが万代橋だよ。有名だから知ってるでしょ?」

私は小さい頃からこの橋を歩くのが好きだった。川を眺めながら風を受けながら歩くのが好きだった。今は仕事の予定に追われ、景色など眺める事もなく車で素通りしている。

「夕暮れの頃に向こう岸からこっちの方を眺めると風情があるんだよ!」

夕暮れまではかなりの時間があった。それより、昼食もまだだった事を忘れていた。私達は河岸にある眺めのいいカフェに落ち着いた。まるで初めてデートをしている中学生の気分だった。

「亜沙ちゃん、会えて良かったよ。胸に遣えていたものが取れたみたいだ。また時々来てもいいかい?」

満面の笑みを浮かべながら少し不安気に健嗣が言った。

「もちろん、いつでも来て!」

嬉しかった。健嗣と会えた事、新潟を気に入ってもらえた事。また来たいと言ってくれた事。

その日は夜に本局での新年会に出席するということで、夕暮れの万代橋の景色は見ずに健嗣は東京に向かった。


『亜沙ちゃんに会えて良かった。僕はずっとモヤモヤしてたんだ。何年も…言葉にしてはいけないと思っていたけど、どうしても言いたくなったよ。亜沙ちゃん、僕は君を愛してる。』数日たってメールが届いた。今まで生きてて初めて胸が締め付けられるような刹那さで気持ちが溢れた。『ありがとう。私も同じ気持ち…』精一杯の想いを込めて返信したのだった。


健嗣は相変わらず忙しく金沢と東京を行ったり来たりの生活をしていた。その行き帰りに少しでも時間があると新潟に寄ってくれた。私は生活に追われ時間にも追われていた。ホッと出来るのは健嗣に会える時だけだった。


健嗣の住んでる金沢を見たいな…

梅雨明けも近い頃にふらっと金沢に向かっていた。

『今日は何処にいるの?金沢にいる?』電車の中からメールを送った。『いたよ、どうした?』30分位過ぎてから返事が届いた。『今、金沢行きの電車に乗ってたの。仕事何時に終わるの?少しでも会える時間があるなら何時間でも待ってます。無理なら一人で金沢見物をして帰るから。』何て勝手なメールを送っているのだろうと自分でも思った。こんなに長い時間、電車に乗ることも無かった。健嗣はこの距離と時間を私の為に使ってくれてるのだと改めて感謝していた。電車は親不知に差し掛かり、海面がキラキラ眩しかった。夏を感じていた。

富山に入った頃に健嗣からのメールが届いた。『泊まっていけるのかい?』健嗣の仕事の都合が良くて会えるならそのつもりだった。突然の思いつきの行動なんて、結婚して母親になってから初めての事だった。『会えるようならそのつもりで向かってるけど、安いビジネスホテルなんか知ってたら教えて。』会えるだけでいい。それ以上の迷惑はかけたく無かった。『了解。後どのくらいで着くの?今どの辺?』ちょうど富山を発車したところだった。

金沢に着いたら迎えに行くまで駅のあたりで待ってるようにとの健嗣の言いつけに従い、ぼや〜っと駅の構内を眺めながらゆっくり歩いていた。綺麗な駅。改札を抜けた後の広い階段が印象的だった。この階段を健嗣は月に何回往復するのだろうか。階段を下りて休憩する場所を探してていると背後から声が聞こえた。

「亜沙ちゃん!」

健嗣が立っていた。

「え?仕事は?まさか…私、勝手に来たんだから終わるまで待ってるよ、ちゃんと仕事してきて。」仕事を中断させる気など毛頭無かった。「大丈夫さ、今日は大した重要な事してなかったし…仕事を振り分けてきたよ。」

健嗣はわたしの手を掴み足早に歩き始めた。

駐車場の無料時間内で戻れるとラッキーかも知れない、きっと今日はいい日になる気がするからと…。

駐車場のゲートのおばさんがニッコリ微笑んだのを見て『ほら、今日はいい日になるよ!』とはしゃいでみせた。きっと今日はいい日になる気がするからと…。車を走らせ金沢の街のお気に入りの場所を案内してくれる健嗣はいつもよりお喋りだった。締めくくりに兼六園に着いた。夕日が傾きかけた夕方の日本庭園は何とも言えない風情があった。こんなきれいな街で健嗣は生活をしてることが羨ましい気もしていた。

「ホテルにチェックインして夕食を食べに行こうか。」

健嗣の言葉に頷いた。健嗣の職場である放送局の前を通り、大きなホテルの前に車を停めた。私は慌てて

「健嗣、私はこんなホテルに泊まる予算は無いの。安いビジネスホテルがいいのよ!」

と叫んでしまった。

「大丈夫、僕も泊まるから!心配しないで。今日は全部僕にまかせておくれよ。」

一度泊まってみたいホテルだったし、大切な人と一緒に泊まれるなんて最高だと健嗣は言った。サインには私は健嗣の妻と記入していた。照れ臭さと嬉しさが交差していた。部屋に落ち着いて、今日突然来たことについての言い訳を始めた私に健嗣は

「金沢にいて良かったよ。明日ならいなかった。明日の午後からは本局で会議だったからね。それより、ご飯食べに行こうか。僕の行きつけの店に連れて行きたいんだ。」ホテルから散歩するのにちょうど良い距離にある落ち着いた感じの居酒屋で食事をした。その店の大将は『女性連れなんて珍しいね』と言いながら『特別』な料理を振る舞ってくれた。居酒屋を出て甃の道を少し歩いていると『ジャズバーに寄って行こう』と健嗣はバーの扉を開けた。カウンターに座るとマスターが驚いた顔をして健嗣と私を交互に見ながら

「初めてだね、女性を連れて来るのは…紹介してよ。」

と微笑んだ。

「僕の彼女だよ。」もういい歳なのに『彼女』という響が照れ臭かった。

「そうかぁ、健嗣君にもちゃんとそういう人がいたんだね、安心したよ。…新しいアナウンサーでも誘って来たのかと思ってさ(笑)」私は思わず、女性を連れて来るのは本当に初めてなのかを聞き返していた。本当に初めてだったらしい。

「ここは僕にとっては特別な場所なんだ。」

と健嗣は微笑んだ。

その夜は初めてお互いの体を確かめあった。こんな風になるまで、気持ちを誤魔化しながら何年の月日を過ごして来たのだろう…健嗣の体が愛しかった。


そんなふうに健嗣と私は一緒の道を歩き始めた。歩き始めたと思っていた。

人というのは欲張りなもので、一つ手に入れたらもう一つ欲しくなる。健嗣の気持ちと私の気持ちが一つになったと感じたら、もう一歩進んだ関係になりたくなっていったのだった。とは言うものの、健嗣は仕事あっての生活、私は家族の為の仕事と、相変わらずの生活を続けていた。ただ、精神的に支えあえる人がいる喜びで気持ちを強く持てていた。夏から秋へと季節が移り始めた頃、健嗣の仕事が一段落し、久しぶりに会えるという日に事件は起こった。

夕食が終わり、お風呂上がりに健嗣の電話を受け取った。

「これから夜行で新潟へ向かうよ。朝早く着くけど大丈夫かな?」

久しぶりに会えるとなればどんなに無理してでも時間を作るつもりだった。

洗濯物を干しながらニュースを見ていると、ビルに旅客機が突っ込んでいる映像が映し出された。一体何があったのかと画面に釘付けになった。報道の内容を理解した時に健嗣からの連絡が入った。

「ゴメン、予定変更だよ。行かなくちゃ…ニュース、見てた?」

すぐに理解ができた。健嗣は民間放送で二人しか持っていない技術を持っている。こんな大きな事件の時はいつも缶詰状態か、現地へ派遣されるのだった。そんな事から健嗣の連絡はなくなり、日本に戻って来たのは、もう冬の風が吹き始めていた頃だった。


私はといえば、二番目の娘と末っ子の長男の進学の準備に入っていて、特に二女は高校の進学の志望校を絞る時期になっていた。

「受験かぁ、高校なんか入れればいいんだよ、それで。高校のレベルなんか問題じゃないさ、その先の大学や会社を選ぶのに慎重になればいいんだよ。」

確かにそうなのかも知れない。でも、家庭を持ったことも、子供の親になったこともない健嗣の呑気な発言に、少し苛立ちさえしたのだった。私は『母親』という立場を改めて感じていた。子供が一番大切だと…


久しぶりに健嗣に会ったのはクリスマスも近い頃になっていた。

「亜沙ちゃん、僕もそろそろ家庭を持ちたいと思ったよ。そう遠くない将来に二人が一緒に居れるようにしたいと思ってる。待っててくれるかい?」

この時のこの言葉を私は健嗣からのプロポーズだと受け取った。女だったら好きな人にこんな風に言われたら絶対そう思うはず。「もちろん、待ってるに決まってる。」私は照れながら答えた。健嗣と一緒に過ごす日を夢に見始めていた。


人は本当に欲張りなもので、そんなふうに将来が見えだすと、なるべく早くその状況になりたくなるものだった。出来るものなら子供の進学をキッカケにしたかったりもした。普通なら、これで一気に幸せのゴールイン目指して走り出すのだろうに…健嗣と私の関係は、そんなに簡単には進まなかった。


お正月も過ぎ、あの吹雪きの日を振り返っているころ私達には新しい事件が起こった。あのニューヨークのテロ事件が引き金になったイラクの暴動がやがて戦争へと変わった。

健嗣はまた缶詰状態の仕事に入り連絡の取れない状態になった。

そして半年が過ぎた頃『ちょっと行って来るよ、現地へ…』というメールを一通残して健嗣からの連絡は途絶えたのだった。

健嗣と出会って約20年…切なくてやりきれない想いを押し殺して時間を送ったのは初めてだったかも知れない。人を恋しいと思うのも刹那さを誤魔化す事を覚えたのも、こんなに大人になってからだなんて、私はなんて愚かな女なんだろう…

届かない想いを込めて、返事の来ないメールを何回送った事だろう…


*********


夏も真っ盛りの頃、ショッピングセンターの特設会場でやっていた戦隊ショーを一人でボーッと眺めていた。子供達が小さい頃によく見に行っていた。


あの頃に帰りたかった。


戦隊ショーを見ながら泣いてる人なんて私くらいなもんだろう…

でも涙がとまらなかった。

「どうしたんですか?まさかショーを見て泣いてるのではないですよね…?」声を掛けられた方へ振り向くと背の高い男性が太陽を背に受けて立っていた。。彼は『朔哉』と名乗った。ショーをやっているアクションチームの役者だと言った。もちろん『そんなんじゃない』と言ったものの、涙の理由を見知らぬ人に話すほどの気にはなれなかった。

乗り掛かった船だったのかもしれないけれど、陽が暮れるまで付き合ってくれた朔哉は命の恩人だったのかも知れない。

仕事に夢中になることでしか健嗣への恋しさを紛らわせる事ができず、疲労感だけがたまっていた。

*********


健嗣を忘れた日などは無かったが、月日が流れていくうちに想いは思い出の中で生きずきはじめていた。仕事をしなければ幸せにもなれるはずがないし、時間に追われれば寂しさも忘れた。


健嗣が行ってから二年半が過ぎていた。長女は短大を卒業し、二女は専門学校への進学が決まり、長男も高校への推薦入学が決まって、年明けには引っ越しが決まった。

そこには、あの時から私の側にいるようになった朔哉の同居も決まっていた。

決して、健嗣を裏切ったつもりはなく、忘れ去られた事を自覚する努力をしていた。あの雪の日がなければ健嗣と私の関係は友達のままで、そして朔哉と出会うことも無かっただろう。


健嗣は必ず帰って来るだろう…今までもそうだったように。


目を閉じると健嗣の姿がすぐ浮かぶ。ジーンズのポケットに片手を入れて空を眺めている…

こんなに刹那い気持ちになった今でも、健嗣は私の中では爽やかな風のようだった。


*********


長男の中学の卒業式を待って引っ越しの準備をしていた。

メールに気がついたのは夜になってからだった。

『元気にしてるかい?』驚きとともに戸惑いを感じた。『元気だよ…いつ帰って来たの?』何でこんな時に…『一年前。向こうで車の事故にあって、鎖骨を複雑骨折してね…こっちに帰って来てから手術したんだ。入院した途端にあちこち悪いとこが見つかって…入院が長引いてしまったよ。』愕然とした。一年前に帰って来たなんて…『一年前に帰って来たときに何で連絡をくれなかったの?私がどんな気持ちで待ってたか…わかって欲しいよ』しかし、その後の健嗣のメールに更に愕然としたのだった。『亜沙ちゃん、僕は今回の件でつくづく思ったんだ。僕は生涯、いちエンジニアでいたいよ。』言葉がみつからなかった。やっとの思いで聞いてみた。『私達はまたあえるのかな?』なんとなく返事はわかっていた。自然体で行こうか…

ケ・セラ・セラ

私達はきっと、生涯こんな関係のまま繋がっているのだろう…

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