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悪魔の契約-2

 穂積は片方の眉だけを剃り落としていた。それも綺麗に剃り落としたものではない。眉尻にはまだ、黒く長い毛が残り、眉山にかけても、ぶつぶつと途切れた毛も残っているような雑な処理だ。


「あはは、変な顔でしょ。実は私、今日、泣きながら帰って来たんです。でも、家に入ったら、台所、こんなになっちゃってるし、リュウトさん倒れるみたいに寝てたし……それどころじゃなくって……おかげで泣く事も忘れてました……」


 穂積は自虐的に笑ったが、その目は笑っていない。


「誰にやられた?」

「……」


 穂積の顔から表情が消えた。そして、そのままの大きく息を吐いた。


「……今朝……逃げた罰。だって」


 振り絞るように出たその声は、静かに怒っているようだった。


「お前はどこかに身を預けてた娼婦ではないのだろう?どうして制裁を受ける必要があるんだ」

「おかしいですよね、でも、理由はなんでも良いんですよ……動機が在るなら、それはきっと……面白いから……です」

「面白いからだと?」


 穂積は今にも途切れそうな細い声で、訥々と話し始めた。


「私って、いつもそうなんです。どこに行っても、どんくさくて要領が悪いから、変に悪目立ちして……今の高校に転校してからも、やっぱり同じで……」


 俺から見れば皆、同じような弱き人間、その群れの中で、異質者とみなされた者は穢れと認識され攻撃されるのだろうか。


「嫌なら嫌とは言えないのか?力が無くては反撃には出られないのか?」

「嫌って言っても……抵抗しても……笑われるだけで……!誰も助けてなんてくれないです……」


 人間の若い娘達は神聖なる学び舎で、学ぶ喜びに感謝する事もなく、弱者をいたぶり、その陰湿さを共感し合うと言う。

 いや、魔界にも同じような事はあるのだろう。だが、絶対的な強者であった俺は常に加害者であり被害者になる事などあり得なかった。

 そして、力を誇示し優越に立つ快感を俺は知っている。

 しかし、それは弱者に対してではない、強者を凌ぎ勝ってこその優越だ。


「悔しくないのか?やり返してやりたいとは、思わないのか?」

「私……そんなに強くないです、それに諦めました……。学校、辞める事も転校する事も、もう出来ないから……あともう1年程度だし、もう笑ってやり過ごしますよ」


 穂積はおもむろに立ち上がり「暗いですね」と、壁面を押す。パチッと指を弾くような音が鳴り薄暗かった部屋が明るく照らし出される。

 機械仕掛け。

 この高度な文明も、若い娘の出口の無い憤りを解消してくれる事は無いようだ。

 ふと、己の腕に目を落とす。抉れて血の滲む右腕は明るく照らされ痛々しい。


「お前は気の効く良い女だ。自信を持て、胸はでかいし良い尻をしている。子を山ほど産む良い女だ」

「……あはは、それ褒め言葉じゃないです。私、小学生の時から発育が良くて、ずっとソレ、からかわれてるんです。先生に色目使ったとか、援助交際してるとか……」


 穂積は体を抱きすくめて泣くように笑った。


「敵の数は多いのか?」


 穂積はコクリ、と頭を垂れ「みんな」と呟いた。


「親は?」

「両親は……もう疲れたんだと思うんです……だから私、転校をきっかけに一人暮らしで……」


 堪えていた涙がぽろりと一粒落ちた。


「あー……こんな事、人に話したの初めてです。えへへ、なんだか泣けてきちゃった」


 穂積は天を仰ぎ見ると涙を拭ってみせた。

 なんともいじらしげなその姿に胸を打たれた。俺が他人を不憫だと思うのは初めてかもしれない。


「俺が助けてやろうじゃないか」

「……あの、それって偽善的過ぎますよ……」

「ハッまさか。善意からではない。穂積、取引をしないか?」

「はい……?」

「お前は優しい女だ。気に入った!俺が助けてやる事に相応しい。だが、その代わりお前も俺を助けろ」

「え……?」

「単刀直入に言えば、俺は困っている。宿も無い金も無い。卵の爆発からも逃げられない。残念ながら、あるのはこの類稀なる美貌だけだ」

「はぁ……」


 穂積は片方の眉が無く涙目だ。その愉快な顔からは表情を読み取る事は難しい。

 ただ分かるのは、俺の提案を手放しに喜んではいないという事だ。


「穂積、良いか?良く聞け。俺ならお前を助けられる。絶対に、だ。今朝も助けてやっただろう?」

「そうですけど、でも……そんな、それにどうやって――」


 確かにそうだ。

 しかし、信用を得るために、俺が悪魔であると告白して良いものだろうか……。

 愚かな人間という生き物の事だ。おそらく悪魔という高貴な存在を崇拝し深く信仰しているに違いない。

 俺が悪魔だと知れば、穂積はこの大悪魔リュウト様と対等に口を聞いた事を悔い、自害に至るかもしれない。または衝撃に胸を打たれ心が止まり死ぬかもしれない。

 それでは本末転倒だ。

 俺という希少な存在を、どう知らしめれば良いのだろうか。

 とりあえずは、分かりやすい言葉で告げてみよう。


「俺が特別だからだ……!」


 そう、高らかに宣言すると返ってきたのは、まるで珍獣を見るような視線だ。その身を案じてやった事に腹が立つ。

 もし、俺が紳士的な悪魔でなかったら、今頃お前など殺され、部屋は乗っ取られているのだぞ。

 目の前の悪魔が俺である事に感謝すべきなのだ。

 いや、しかし、仕方がないか……。今の俺は悪魔にはまるで見えないだろう。それも、無害であると全身から発している様な、美貌だけを称えた美しい乙女だ。

 ふと鏡の君の姿を思い出すと、口元が少しに緩む。

 しかし、万が一にも知能が劣った愚かな者だと思われてしまうのは、実に不愉快で不本意だ。

 本当の事を告げよう。

 もし、穂積がショックで死ねば、この部屋はいただこう。不幸な人間の少女よ、悪く思うな。

 一度大きく息を吸い込み呼吸を整えた。俺は言うぞ。


「――いいか!俺の正体を教えてやる。驚きのあまり鼓動を止めるなよ?俺は魔人族の大悪魔リュウト・エテルナだ……!」


 言ってやった!どうだ、救いを求め懇願の涙を流すか?


「……はあ」


 信じられない事に、穂積は驚く事も尊敬の目を向ける訳でもなかった。曖昧な返答は、まるで「何を言い出したんだ」と言っているようだ。


「さらに、本当は男なのだと言ったら?」

「馬鹿にされているような気がします……」


 固く、よそよそしいその声は、警戒だ。


「おい。俺の事を不信に思ったりしなかったのか?人間には見えんだろう。例えばこの服!人間の物とは違う!どう見ても悪魔だ!上等な剣だって――」

「あの……リュウトさん、綺麗でスタイルが良いから……オシャレで着ていて、コスプレとか、ファッションなのかなって……」


 穂積は俺の顔を見て、遠慮がちに言うと俯いた。

 そういえば、夜の町で出会った一角男も似たような事を言っていた「コスプレ」それは、不可解な事も納得させる一言なのかもしれない。


「……ならば証拠を見せてやろうではないか。すぐに信じなかった事を後悔するが良い!」


 小袋からホズミの角を取り出す。わずかに残る魔力を使えば証拠を示せるかもしれない。


「恐れ慄くが良い!……さあ、天駆ける翼よ!」


 ホズミの角を高々と掲げ術を結ぶ。すると、角を中心に光が放たれ、部屋に大きく影を落とす。

 よし、使える!

 その光と同時に狭い部屋を旋回するように風が起こった。びゅう、と音を立て棚の本を次々になぎ払い、落とし、床に置かれた紙の束を巻き上げ、風は人形を転がす。

 窓枠はガタガタと音を立てて震えた。


「何……?何なんですか?」


 穂積は風に乱れる髪を押さえ、目を細めた。突然起こった出来事と、部屋の惨状に口を閉める事も忘れ見回している。その腰は引けていた。せいぜい怯え震えているが良い。

 旋風は速度を上げ、その幅を狭めていく。

 懐かしい風!魔界の風だ!

 背筋を伸ばし両腕を広げその時を待つ。


「来い!俺の翼!」


 風と共に光が集まり、背を両手で押されたような衝撃を一度受ける。

 背に陽射しのような温もりを感じた。


「うわぁぁ!すごい」


 穂積が感嘆の声をあげ、張り付けていた陰気な顔を少しばかり明るくさせた。


「よし!」


 俺は目を瞑り、肩甲骨を大きく動かし、懐かしい感触を楽しむ。

 そして「どうだ!」と、見せ付けるように翼を広げて見せたのだ。狭いこの部屋では、翼をめいっぱい開くと風切羽が壁に当り何かが音を立てて床に転がっていく。が、気にしない。


「リュウトさんって天使だったんですか……!」

「なんだと!」


 その言葉に目を開け慌てて翼を折る。


「そんな馬鹿な……!」


 なんて貧相な……。広げた翼は色素が抜け切った白い翼だった……。

 何かの間違いでは無いかと目を瞑り、恐る恐る羽先を寄せ、そっと確認したが、その衝撃に二度目の鳥肌が立つ。

 これが現実であるわけが無い。昨日からそう思ったのは何回目であろうか。


「くそ!くそ!」


 苛立ち、バサバサと乱暴に羽ばたかせ、飾り棚の物をなぎ倒し、穂積の顔を翼で打った。


「わぁ!ふわふわ!」


 穂積は怖がる所か、さらに歓声をあげ喜び、両手で挟むように俺の翼を抱く。


「飛べるの?」

「あたり前だ、こんな翼でも空ぐらい!窓を開けろ」


 俺が肩羽を上げると、穂積が素早く窓を開けた。泣いていた事など忘れたように、わくわくとした顔でその時を待っていた。


「行くぜ!」


 少し助走を取り、ふわりと浮かぶと手摺を踏み台に、大きく空へ向け飛び出した。

 翼を広げ大きく羽ばたかせれば、体が浮かび上がる。

 やわらかに羽を切る風の感触が心地良い。


「フハハハ!人間界の空も、俺のものだ!」


 弾丸のようの速さで、夕闇に染まる空へと急上昇していく。

 乱暴な風が頬を殴るが、それも気持ちが良い!

 そして遥かに見下ろす人間の作った町は、上空から見ると光の運河のように美しい物だった。

 あの窓の明かり一つ一つに、虫けら共が巣を作り身を寄せ合って住んでいるのだ。そう思うと、意図せず笑がこみ上げてくる。


「空は最高だ!」


 穂積に俺の優雅な姿をもっと見せてやろう!上空でゆったりと旋回し、下降を開始した。

 窓辺から顔を出し、見上げている穂積の元へと向う。


「どうだ!穂積!恐れ入ったか!」

「リュウトさん!凄いです!」


 穂積のいる窓まで、あと一はばたき。


「やばい……!


 肩を大きく挙げると、空気を掴む、その手ごたえが無くなった。


「くそ!持たなかったか!」


 翼は光の粒になり、星のように瞬くと、背から消えていく。

 無常な魔力切れ。

 いや、ホズミが角にこれ程の力を溜め込んでいた事に、驚いた方がいいかもしれない。


「リュウトさん!」


 落下際に窓辺から悲鳴を上げる穂積と目が合う。片眉だ。

 穂積の部屋は二階。

 少し背を丸め、穂積の家の壁面を蹴った。

 植栽の上に落ちれば死ぬ事は無いだろう。だが、骨の一本は覚悟しておいた方が良いかもしれない。

 鏡の君よ、また傷を付けてしまう事を許してくれ……。


「わっ!え!?」

「おい!邪魔だ!」

「わぁぁぁぁ!助けます!」


 直下に居た男が鞄を投げ捨て、俺を抱き止めようとしているのが見えた。



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