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悪魔の契約-1

 目を瞑り、目を開けると時が過ぎていた。

 まるで時間をハサミで丸ごと切り取られたような、そんな眠りであった。差し込んだ陽の眩しさに、もう一度目を瞑る。

 人間界へ堕ち、まさか、こんなにも穏やかな目覚めを迎えるとは……。

 小鳥がさえずり、まるで木漏れ日の中でうたた寝をしているかの様な、随分と平和な時間にさえ感じられる。


 改めて目を開ける。低い天井だ。ごろりと寝返りを打つ。狭い部屋。

 七瀬穂積の部屋だ。

 あれから穂積と共に娼館を訪ね、穂積の服を奪還した後、そのまま穂積の家へ向かったのだ。

 穂積の家は、うなぎの寝床のような共同住宅で、間取りは小部屋と台所。たったそれだけだ。穂積の言葉を借りれば「狭いアパート」。その部屋の小さな寝台に横たわると、どっと疲労が押し寄せ、気が付けば今に至る。

 人間の穂積は、小鬼のホズミと同じ十七歳。俺より一つ年下だ。そして娼婦ではなくコウコウニネンセイという身分の学生なのだと言う。

 穂積は目鼻立ちもそう、悪くない。が、若い女に良くある、弾けるような明るさや、女性である面を表に出し勝負しようとする様子は皆無だ。常に視線は下にあり、おどおどと背を丸め、負の雰囲気を纏っていた。

 言ってしまえば全体的にさえない。が、体だけは文句なしに良い。そう言う女だ。

 その、穂積は今、学校へ行っている。

 ろくに眠っていないと言っていたが、勤勉なものだ。



 寝台に腰掛、改めて穂積の部屋を観察する。今朝は眠る事しか考えられず、部屋なんて良く見もしなかった。

 いくつかの収納と机と寝台。メイド部屋でももう少し華やかで、物が溢れていると言うのに穂積の部屋は、随分と乏しい。

 足元を見れば、俺の外套は几帳面に畳まれ、荷物と剣は並べて床に置かれていた。


「こんなにも困窮した住宅でさえ機械が溢れているのだな」


 壁や床を這う無数のケーブルは、すべて名も知れぬ機械へと繋がっている。

 魔法の使えない人間が科学に特化したのは知っているが、末端の者にまでその恩恵があるとは思ってはいなかった。昨日までの普通が全く通用しない。そんな世界に俺は居るのだ。


 寝台の横にある支柱の紐を引くと、光を照射する装置が作動し暖かな色の光が灯った。

 紐を引くたびにパチパチと音を立て光量が調節できるのが、実に愉快!

 

 ふと、視線を感じ何気なく姿見へと目をやる。


「嘘だろ……」


 呼吸をする事を忘れ息が止まりそうな程、胸が高鳴る

 何故なら、絶世の美女と目が合ってしまったからだ。

 美女も驚いたように茶色い虹彩を見開かせ見つめ返してくる。

 花のつぼみの様にふっくらとした、淡い桃色の唇が「あ」の字に固まり、長い睫と深い二重の目元は凛とし気が強そうだが、少し残る柔らかい幼さは可憐で、守ってやりたくなる様な危うさをも感じさせる。


 俺は命を賭け、この美女を守り、結果命を落としても後悔などしないだろう……。

 そして彼女は死の淵に誘われようとする俺の手を取り、こう言うのだ

「貴方は命の恩人、死なないでリュウト……愛している」と!


 ああ……!俺の胸の高鳴りは抑えられない。


 我慢できず、そっと口付けをするが、感触は鏡面の冷たいそれであった。


「俺か!」


 いや、最初から分かっていた。魔界絵巻に美男として数えられた事のある俺だ、女の姿もさぞ美しいと確信を持っていたが、想像を絶した。


 見れば見るほどに美しい。

 いや、美しすぎないか?


 おもむろに服を脱ぎ捨て、鏡越しに体を見れば、ごくりと喉が鳴った。


「おぉ……!」


 岩窟で散々撫で回したはずの裸体は、日の光の下で見れば、まるで滑らかな白磁のようだ。

 見れば見るほど肉欲が沸き煩悩が溢れる。

 自分の体であり、足先までを思うがまま動かせるのに、鏡越しに見れば脳は自身の体。と、認識する事が出来ないようだ。

 筋力が無いと嘆いたその細い腕も、可憐だ。

 股の根に指を這わせれば、その滑らかさに悲鳴を上げてしまいたくなる程の歓喜が高まっていく。


「……これはまずい」


 変態の入り口だ、自分の体に欲情してはまずいだろう。

 慌てて頭から服を被り、その魅力的な肢体を隠した。


「しかし……どの角度から見ても美しいな……」


 少し顎を上げた、煽り見るような目線も妖艶だ。


「これではカリガネなど……」


 友の名と顔がこぼれる。あれは裏切り者だ、友ではない。

 眉を寄せ瞳を揺らし、少し困ったような表情で鏡の中の君は見つめ返してくる。

 幼少の頃の面影は、女である今の姿の方が色濃く残しているかもしれない。少女のようだと笑われるのが屈辱だったあの頃。


 カリガネはこの姿を望んでいたのか……。


 どこかの王に見初められるかもしれない。ホズミはそう言ったが、全くその通りだ。

 愚かな男だ。理想の姿形を望んでも中身は俺だというのに。

 いや、だからこそ良かったのかもしれない。俺たちは本当に馬が合ったのだ。お互いにそう、感じていた事は思い違いではない。

 だからこそ、俺の姿と恋愛という概念に囚われたカリガネが恨めしい。

 男として、友として。その関係では何が不満だったのか、俺には分からないし理解が出来ない。


「乙女よ。そう、悲しい顔をするな」


 鏡にそっと外套をかけた。

 鏡の君に現を抜かし、見惚れている場合ではないのだ。これからの事を考えねばならない。穂積には夜には立ち去れと言われているのだから!

 人間界の事をよく学ばなくてはならない。

 ふと、テーブルへと目を落とせば穂積が残したメモが置いてあった。


『リュウトさんへ お昼ご飯を冷蔵庫の中に入れておきました。チンして食べてください』


「おお……でかした!」


 人間の穂積もなかなか気が利くではないか。

 良くやった、良くやったと、心の中で褒めてやる。睡眠が満たされたならば今度は腹が減るのが道理なのだ。




**********




「冷蔵庫……これか?」


 台所で一番目立つ灰色の収納庫。俺の肩ほどの高さ。この窮屈な部屋の中では大きな部類だ。


「冷蔵などと言うくせに、この箱は随分と温かいな。中から虫の羽音のような音も聞こえてくる……本当に食品庫なのか?ふん。まぁ、何が飛び出してくるか期待してやろうじゃないか」


 わくわくした気持ちで扉を空ける。橙色の光が灯った。そして。予想を裏切り、ひんやりと涼しい空気が流れ出す。


「食品庫まで機械仕掛けなのか……!」


 魔界にも似たようなものはある。氷ネズミを食品庫に住まわせて冷やす仕組みだ。しかしこの冷蔵庫では氷ネズミは住めそうもないな。氷ネズミの体長は大人の男の指先から肩ほど大きさあるのだ。


「穂積の用意した食事とはこれだな。ふむ。まずまずの見た目ではないか」


 トレイに載せられ、上から透明なシートの被膜がかけられた食品が真ん中に据えられていた。サラダ、焼色の付いた楕円形の肉の塊、器に盛られた白米だ。

 しかし、ひとつの疑問が浮かぶ。


「チンせよ。とは、一体どういう事だろうか」


 チン。


「チンして食べてね」


 もう一度、穂積のメモに目を落とし読み上げる。


「座れ。という事か?」


 幼少の頃に見たショーを思い出す。猛獣ヴァダムの目の前に、餌である囚人が並べられ、調教師が「座れ」と命じ「よし」と許可を出すまで食す事を我慢させるのだ。

 いや、まさか。

 愚かな人間の穂積でも、恩人である俺を調教しようとする訳が無い。


「チン……沈黙?黙って食えと言う事か……?」


 チン。この明るい語感から沈黙が繋がらない。喜んで食え?さもなければ、有難がって食え。そう言う事なのだろうか。

 それとも何か他の事を暗喩しているのかもしれない。

 考えあぐねたが答えは出なかった。

 このまま穂積の支持など無視して食べるのだ。トレイを取り出し透明な皮膜を剥がす。


「くそ、冷え切っているではないか!この俺が冷たい食事を取らねばならないなんて……」


 そこで、ふと気がついた。

「チン」とは、温めろ。の意ではないだろうか「温めて食べてね」ほら、辻褄が合う。


「ははぁ、なるほど、そういう事か」


 自然に笑みが浮かんでくる。

 調理台に目をやる。仕組みは単純。つまみを捻れば火が出るようであった。

 食器ごと火にかけては、ならない。と言う事ぐらい悪魔の俺にはお見通しだ。

 だが、調理器具に料理を移し変え火にかけるとなると面倒だ。

 魔力が無い、ホズミが居ない。身の回りのすべてを自分でしないとならないのかと思うと、うんざりする。

 ……已むを得ない、冷たいまま食うか?


 その時、冷蔵庫の上に見慣れぬ黒い機械があるのを発見した。

 よく見れば一番大きく目立つ丸ボタンに丁寧な事に「あたため」と書かれているではないか!

 これだ。

 これこそがチンだ。

 試しにそのボタンを押す。


「動いた……!」


 音楽が一節流れ、ガラス扉の中は暖かな光を放ち料理を照らしたのだ。

 まるで宵闇で眺める火山の炎の色。 

 食事の乗ったトレイを入れ、改めてボタンを押し暫く見守ると、食欲のそそる匂いが立ち始めた。

 ガラスの扉にわずかに写る鏡の君も実に満足そうだ。

 そして、音楽がまた一節流れると「チン」は、活動をやめた。

 取り出した料理は、湯気を放ち、まるで出来たての料理のようだ!


「……この機械を使い溶岩竜の卵を孵す事は出来ないだろうか」


 竜を幼獣から育て主と認識させるのが俺の予てからの夢であったのだ。

 俺は試しに冷蔵庫から卵を取り出し、中に入れると迷わず「あたため」を押した。





 ***************





「リュウトさん!電子レンジに何したんですか……!」


 体を大きく揺すられ目を覚ました。

 どうやら俺は、満腹になり寝たらしい。学校より戻った穂積が血相を変え覗き込んでいた。

 窓の外はすっかり夕闇に染まっている。

 そして穂積の言う電子レンジが何を指しているのかは、すぐ察しが付いた。

 大きな欠伸を一つ吐き出し、体を起こす。


「すまん、卵が爆発した……」


 卵を「チン」してはならない。卵は爆発する。「あたため」を押し、程なくして卵にひびが入り「お?」と思った途端、卵は孵化する事無く爆発した。

その威力は凄まじく、破裂の衝撃でガラス扉が割れたのだ。


「ガラスは拾ったが破片がまだ落ちているかもしれない。気をつけろ」

「も、もう!何してるんですか!ケガはありませんでしたか?」


 黙って腕を見せると穂積は悲鳴を上げた。


「ひどい怪我……!」

「……洗ったから大丈夫だ」


 とっさに腕で庇ったのが功を奏し、顔に傷を付けることは無かったが、麗しの鏡の君、その腕を守りきる事が出来なかった……。

 美しいこの腕に不釣り合いな切傷を見ると胸が苦しくなる。

 そしてあの時、ガラスに大きくひびが入り、割れる!そう、判断し体を捻らせたのに間に合わなかった。それが悔しい。


「怒ってないですから……泣かないで下さいね。レンジ買い換えたら済む事ですし、もっと酷い事にならなくて良かったです」

「……?」


 その言葉にぎょっとした、無意識に涙が頬を伝っている。


「そんな馬鹿な」


 涙を拭う。

 感極まって涙が出る事などありえるのか!?

 女になったせいか?そんな事が頭を過る。心まで女になっては敵わない!


「消毒しましょう、包帯持ってきます……。傷、深くは無いみたいですね。きっと痕は残らないですよ」

「穂積、お前は寛大で優しい女だ、食事も美味かった。だが、その眉は変だと思うぞ」


 穂積は「あ!」と、思い出したかのように額を手で覆い眉を隠す。


「それが流行しているのか?」


 その顔は、僅か一部分ではあるが、大きくその印象を変えてしまうほどに、違っていた。



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