遥かへ続く道-3
学校に近づくにつれ人通りが増えてきた。
ドラゴンに破壊された清桜女子高等学校は今や話題の場所だ。
その上、噂の校舎が瞬きの間に修復したというのだから、またニュースになっているのかもしれない。
わざわざ見に来たところで、肝心の校舎は門から遠く先。それも規制テープで封鎖され中に入れそうもない。敷地の外からでは樹木に隠れて影も見えない。
それでも人は集まって、いつもの通学路は観光地のような雰囲気になっていた。
「はぁ……」
人ごみにため息を落とし、人と人の間を縫うように進む。柊さんのお家が近くて遠い。
早く行こう。
歩いているだけで惨めな気持ちになってくる。学校は嫌い。
……いつからだろう。
昔から友達が多い方じゃなかった。自分を主張する事は苦手で避けてきた。家族には努力が足りないと叱咤されたりもしたけれど、それが身の程に合ってるとわきまえていた。
大きな失敗をしたわけじゃない。だけどいつも人との関係が上手くいかない。
――変な時期に転校してきたよね。
最初にクラスで声をかけてきた川上さんは、大人びた印象の美人だった。
色のついた爪やスカートの丈。普通の生徒なら注意されそうな事も、優等生で教師から頼りにされていた彼女は、やんわりとかわすのが上手く、何かと黙認されていた。
そんな彼女の周りにはいつも人も集まっていて、転校して来たばかりの頃は、私もその中の一人だった。
輪に馴染めてるとは言えなかった。もちろん私なりに頑張った。だけど家族が言った通り、努力が足りなかったのかもしれない。
いつの間にか貸したものは返ってこなくなったし「お願い」の一言で上手く使われるようになっていた。
断る事で嫌われるのが怖かった。悪意に鈍感なふりをしていつも自分をごまかしていた。
だけど……。
思い出すだけで、胸がぎゅっと痛くなる。
……私がこの通学路を歩くのもあと少しだ。
「あー! 七瀬じゃん」
背後からの嬌声めいた笑いに、肩がすくみ指先まで体が強張った。
「一人で学校見に来たのー?」
嘲笑交じりに近づいてくる四人。同じクラスの子たちだ。親しいはずもないのにどうして放ってくれないんだろう。
「七瀬さぁ、不思議ちゃんと仲良かったよね? 中に入れるように頼んでみてくんない? 自分の学校に入れないとかありえないっしょ?」
「部室にカバン置きっぱなしでさー、取りに行きたいんだよね」
「……」
自分を守るために、ただ押し黙ってやり過ごす。
温度の違う会話に無理に付き合えば、ただでさえ低い自尊心が擦り減っていくだけだ。
「ほんと暗いし。無視すんなって」
「ねぇ、先生と話してるの聞いちゃったんだけど、七瀬って一人暮らしなんだってね」
「え……」と反射的に顔を上げれば、凍り付きそうな冷たい視線。
「露骨に嫌そうな顔したね。私たちが遊びに行きたいとでも言うと思った? 感じ悪いよ」
「そんなだから前の学校でもいじめられてたんじゃない?」
目を伏せ、無意識につま先を見つめた。言いようのない痛みだけが胸に染みていく。
「ねぇ、七瀬の私服やばくない?」
「マジだ。笑うんだけど」
「写真撮ろうよ」
スマホを向けられ、反射的に手で顔を覆うと「生意気」と肩を小突かれた。
「可愛く撮ってあげるから」
手首を捕まれ、向けられた笑顔は暴力だ。「隠すなって」「そうそう」「遊ぼうよ」私の意志はお構いなしに言葉を浴びせられる。
……リュウトさんがいてくれたら、こんな事にはならないのに。
心のどこかで頼りにしてしまっている。
こんな私が中森くんやホズミさんの心配をして駆けずり回っているなんて、おこがましい事なのかもしれない。
自分の事さえ抱えきれていないんだって思い知る。
「…………」
もう限界。きっとこれ以上は耐えられないと思う。
昨日の夜、両親から「家に帰って来るように」と告げられた。口には出さないけど、心配から出た言葉じゃないって知っている。
もしも学校で私に何かあって、噂にのぼるような事になれば見栄っ張りの両親には体裁が悪い。
近所では私は海外へ留学した事になっている。
――高校なんてまた変われば良いだろう。
言うのは簡単だ。だけど新しい所でまた頑張れる気もしない。頑張った結果が今なのだから、心はとっくに折れている。
リュウトさんがいてくれたから何とかやってこられた……。だけどそのリュウトさんは近いうちに魔界へ帰ってしまう。
帰り道は見つかってしまったんだ。
「七瀬って写真嫌い? すっごいセクシーな写真あったじゃん」
思い出したくない黒い影が鋭く私を刺した。
「あれは……!」
あれは何だって言うんだろう。口にすれば惨めで滑稽な自分を自分で肯定するようなものだ。
どうして私は嘲笑われているんだろう。
私、何かしたんですか……?
冒険も何もない。これが私の現実なんだと、心が一気に冷めていく。
頭にぽかんと空洞ができたように何も考えられなくなる。考えないようにしてしまう。
それでも少なからず疲労していく。
「撮影会しようよ。みんな暇なんだし」
「やめてください……!」
引っ張られた腕を強引に振り払い、もう一度強く言った。
「やめて……!」
冷めた目に「ノリが悪い」と責められ、自分の心が壊れていくのを感じる。
この場からは逃げ出せる。だけど、その先は?
未来が、行き止まりの闇だ。
「おいおい」
頭上から声が降ってきて、心臓が大きく鳴った。
「大丈夫か? あんまり虐めてくれるなよ」
顔を上げると薄茶色の瞳がすぐ近くにあった。
ようやく出した声は掠れ、唇を噛んでいないと涙が出そうだった。
「リュウトさん……どうして?」
こんなところを見られて恥ずかしいと焦り、どうしてリュウトさんがと驚いた。だけど気持ちの大部分を占めていたのは安堵だ。
華奢な手に髪を撫でつけられて、いつの間にか固く握りしめていた手が緩む。
……リュウトさんが来てくれた。
染み込んでいくような胸の痛みと不安が、不思議と和らいでいく。
「お前が理不尽な仕打ちを受けているのは、美人教師が学校に居なかったせいなのか?」
冗談めかして言う。背中に添えられた手が優しい。
「お前たちも懲りないな。仲良くしろとは言わないが、いたずらに構うなよ」
「お姉さま先生ぇ! 私たち虐めてたわけじゃないんで! 誤解しないでくださいよぉ」
「その言い訳は聞き飽きた。次に穂積が嫌がる事をしたら後悔する事になるぞ」
クラスメイトは「やだぁ!」「こわーい」と明るい声ではしゃいでいる。
「俺は忠告したからな。心しておけよ」
リュウトさんは「勉学にだけ励んでろ」とクラスメイトを一掃すると「まったく」と鼻を鳴らし、正面から私を見た。
「来てやったというのに陰気な顔だな。感謝の気持ちか笑顔の一つでも見せたなら、俺も出しゃばった甲斐があるというものだが」
「……すみません……でも、ありがとうございます」
凄く嬉しかったです。そう、心の中で付け足して大きく息をついた。
もし自分の感情を素直に出せたなら、リュウトさんに抱きついて泣いてしまったかもしれない。
それが出来たらどんなに幸せだろう……。
リュウトさんは少し間を置くと、何か悪戯を思いついたように企んだ笑みを浮かべた。
「やり返さないと気が晴れないというのなら、奴らの住処を燃やしてみせようか」
「え……」
本当にやりかねない。リュウトさんは悪魔だ。
「駄目ですよ……」
「何事も試してみなければ分かるまい。胸がスーッとするかもしれないぞ。炎は心を癒す」
リュウトさんが人差し指を立てると、一瞬だけオレンジ色の炎が立ち昇った。熱風に頬を撫でられ、驚いて見たリュウトさんの顔は、自信に満ち溢れている。
「それ……! 何ですか!?」
「万象を司る炎。精霊といったところだな」
「せ……精霊……?」
現実が非現実に押し戻されていくような心地に、胸がこみあげてくる。
いけないと分かっているのに、この居心地の良さについ甘えてしまう。
「うむ。実に驚くべき事がこの身に起こったのだ」
リュウトさんは意味ありげに首を振る。
「目が覚めたら魔力が戻っていたのだ。お前には分からない感覚だろうが、元の状態にかなり近い。だが肝心なところは戻らない」
肝心なところ? リュウトさんは私を見てニヤついている。聞いて欲しいのかもしれない。だけど意地悪をされる予感に、あえて無視してしまう。
常に優位に立ちたがるのは、リュウトさんの悪い所だ。
「リンネは好きか?」
「え?」
不意をついて出た名前に驚き、不自然に声が裏返ってしまった。それを聞き逃さず「いやらしい想像をしたな」とリュウトさんは笑顔だ。
「ち、違います。からかわないで下さい……リンネさんの事は好きでも嫌いでもありませんから」
「ふぅん」
笑われるのが癪で目線も合わせずに「そんな事より」と話を変えた。
「元気そうですけど……風邪は治ったんですか?」
「なぁ、穂積よ。俺が学校へ来る前に、まずしたことは何だと思う?」
「……」
突然聞かれても困る。だけど、リュウトさんが出かける前にかかさないと言えば。
「シャワー……ですか? ひゃ……! 頭を叩くことないじゃないですか……痛いなぁ」
「窓ガラスを治したのだ」
感謝しろと目で言っているが、壊れたのはリュウトさんの責任じゃないですかと唇を尖らせて抗議する。
「フン。俺は大悪魔だからな。壊すだけが能じゃない。治す事もお手の物だ。あぁ……また騒ぎになってしまったなぁ」
リュウトさんは微笑んで、天を仰いだ。
「実に愉快だ」
視線の先には旋回するヘリコプターがある。
「それじゃあ学校も……?」
片目を閉じ、口の端を釣り上げたリュウトさんはとびきり綺麗だった。
私を救ってくれるのは、いつだってこの笑顔なのかもしれない。




