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煌く迷図-1

 寝台に横たわったきり、寝ては覚めての繰り返し。

 閉められたカーテンを見て夜の訪れを知った。


 体中の関節がチリチリと痛い……。


 体は、(なまり)の服でも着させられているかのように重く、凍えるほど寒いのに顔だけが火照(ほて)る。

 止めどもなく流れる鼻水をすすり上げ、耐え(がた)い不調をなげいた。


「……俺はもう駄目だ……ズビー……ゴホッ……あぁ……頭がボーッとしてきた……ゴホゴホッ。ズビーッ……こんなのオカシイだろ……穂積、助けてくれ」


 穂積は俺の枕元に、真新しいティッシュ箱を置き「鼻をかんで下さい」と一枚引き抜いてよこすと、後頭部に敷いていた冷却材を手際よく取り換え、冷静に言った。


「ただの風邪ですよ」

「何度も言うが、俺が風邪をひくなどありえん! 風邪というのは弱い者が(わずら)うものだ……! 悪魔が風邪など……ゴホッ……この苦しみ……何かの呪術(のろい)に違いない……この俺が病に倒れるなどありえんのだ……! ズズッ……カリガネの仕業だ。姑息こそくな事をしやがって」

「風邪です」


 俺を見下ろす穂積の目が冷たい。

 何を言いたいのかは聞かずにも分かる。「裸で寝ていたからだ」と非難しているのだ。それも誠司の部屋という事実が穂積の反感を買っている。

 そもそも、裸の俺を叩き出したお前に責任があるのだと非難し返してやりたいが、その事については、うまく説明がつかない。

 と、なればならば仕方が無い。ヤツの仕業ということにすれば良いのだ。


「ズズ……きっとリンネのせいだ……この部屋に居ただろう……? ズビーッ……全部、あの美男子が悪い。ゴホゴホ」


 ぼやけば、たちまち穂積の頬が赤くなる。

 気まずそうに目を伏せたのは、(リンネ)(たくま)しい裸体を思い起こしたたからだろうか。

 純粋な娘だ。


「……リンネさんなんて…………知らないです……!」


 穂積が口数の少ない女で助かった。夏帆のように、あれこれ詮索し一から十まで聞きたがりはしない。

 俺とリンネが成り代わっていた事についても、乏しい想像の範囲で自分なりの解釈を見つけ出し、それなりの答えを導き出して消化してくれるだろう。

 念のため「リンネは強い悪魔だからな」と付け加え、穂積の想像力をかき立てておく。


「ゴホゴホ……とにかく今は病に伏せっている場合ではないのだが……」


 言いながらテレビへ目をやれば、氷を吐くドラゴンと破壊された校舎の無残な姿が映し出されていた。画面上には、不安を(あお)るような赤い色で、怪物襲来! とある。

 専門家を名乗る中年男が「生物兵器だカタストロフィだ」と熱弁をふるい、周りを囲んで座る人間たちは、さもありなんと神妙な顔で聞き入っていた。


 ドラゴンの出現に人間界は大騒ぎなのだ。


 半壊した穂積の学校はまだしも、市内の学校も全て休校になったと聞いた。

 町はドラゴンの再来を恐れている。


「ゴホゴホ……」


 ドラゴンと言わず、次は何が来るか分からない。学校という居場所も知られた今、ひっそりと町を去るべきだったのだが……。


「ゴホゴホ……ウェッ! ズビーッ」


 無言で手渡されたテッシュペーパーに勢いよく鼻息を吹き付けると、一瞬だけ鼻の通りが良くなるが、結局は締りの悪い蛇口のように粘膜(ねんまく)を垂れ流しだ。

 あぁ……辛い。

 ひどい寒気に身の毛がよだつ。


「……大きくなったり小さくなったり忙しいですね」


 ズビズビと鼻をすする俺を余所目(よそめ)に、同じくテレビを見ていた穂積が口の中で呟いた。

 どこの誰が撮影していたのか分からないが、テレビ画面に俺の姿がある。

 桃色の唇が笑みの形を取っていると分かる程度の鮮明さだ。


「ズビ……まぁ俺ではあるが、俺と言う気がしないな」


 正しくはリンネロッタだし。


「そうですね……雰囲気が違う気がします。けど……生意気そうに目を細めて、ニヤッと笑うと……今のリュウトさんそのものですよ。もう小さくはならないんですか?」

「二度とない……! ゴホゴホ……!」

「興奮しないで横になっていてください。柊さんもすごく心配していましたよ。早く治してくださいね」

「フン。心配だけさせておけ。もう部屋には上げるなよ……」


 鼻に詰めたティッシュが、溜息に吹かれて揺れた。

 見舞いに現われた夏帆といえば「お風邪ですの?」から始まり「お可哀想に」と世話を焼きたがったが、水浸しのタオルで俺は窒息しかけ、「氷枕を作りますわ」と冷水を全身に浴びせられたのだ。

 夏帆を止め追い返したのは穂積だったのか誠司であったのか、朦朧(もうろう)とする意識の中に定かではない。


「ゴホゴホ……」

「汗もかいていますし……着替えましょうか。喉はまだ痛いですか? 少し食べたほうが良いですよ。中森くんが買ってきてくれたプリンとかゼリーもありますけど……って! い、いきなり脱がないでください……! 目のやり場に困ります……!」


 赤面する穂積から洗いたてのシャツを受け取ったが、そのまま着替える事を躊躇(ためら)った。


「汗で気持ち悪い……」


 胸元に噴出(ふきだ)した汗粒(あせつぶ)が胸の谷間に流れていくのを見送った。

 見ようによっては刺激的だが今はとにかく不快だ。

 穂積は「シャワーはまだ止めた方が良いですよね」と言いながら、洗面所まで行き、湯の張った洗面器を持って帰ってくる。


「軽く拭いた方が……」


 言いながら手渡されたのはタオルだ。


「拭いてくれるわけではないのか」

「自分でしてください。寝たきりじゃないんですから! ちゃんと拭かないと、汗疹(あせも)が出来ちゃいますからね」


 しぶしぶ受け取ったタオルで胸元の汗を拭い、腕を上げ(わき)から胸の下へと続くラインを丁寧に拭きあげた。


 それにしても、こんな所がこうも汗をかくとは知らなかった。


 白い肌は熱を帯びて上気し、鎖骨から乳房へ続く稜線(りょうせん)は、なんとも言えずに色っぽい。

 柔らかさに加えて、少しベタ付く手触りもいやらしく官能的に思えてきた。


 ……病床の美女というのも、興奮するなぁ。


「ズビー……! なぁ穂積。俺の体を労わる気持ちがあるのなら、今すぐ裸で温め合おう。それが魔界流だ。ゴホゴホ。万が一、病をお前にうつしたら俺が同じように看病してやる。どうだ?」


 返ってきたのは(さげす)むような目。


「……絶対嫌です」


 その答えは想定した通りだが、しつこく「良いだろ」「頼むよ」「俺の事が好きだろう」と茶化していると穂積の口元が緩んだ。


「お?」


 俺の押しが通ったのか? と小さく歓喜したのもつかの間。


「うわ……なんだよ」


 穂積は俺に強引にシャツを被せ、寝台へ押し倒してくる。


「もう! 体を拭き終ったなら、大人しく寝てください!」


「大胆ね」とふざけてみたが、穂積は無表情のままに布団ごとのしかかって来た。


「くぅ……! 重てぇ……! ゴホゴホ」


 悲鳴をあげる俺の顔にも穂積は容赦なく枕を押しつけてくる。


「病人だぞ! 俺は……」

「もう! 少し調子が良くなったからって、はしゃいだら駄目ですよ」

「ゴホゴホ……足をバタつかせるな……! 苦しい……! お前なぁ、これではじゃれついているのか、折檻せっかんしているのか分からんぞ!」

「これが人間界流なんです」

「に、人間界流だと? 野蛮だ」


 穂積は俺の上に乗ったまま、ぎゅうっと布団ごと抱きしめ「温めてあげます」と笑う。


「ぐ……全体重かけやがったな! 裸の俺に欲情したか? 病床びょうしょうの悪魔に酷い仕打ちだ……ゴホゴホ」


 枕を振り落すと、笑顔の穂積と目が合った。


「ふふふ! 降参ですね?」

「む……俺が降参だと……?」


 身体をねじり、布団から抜け出すと、穂積に抱き付き転がってみる。しかし、か弱い俺は穂積に(かな)わず、押し戻されてしまう。


「ゴホゴホ……また汗をかいたぞ……」

「ふふ! 大人しく寝てください」


 すぐ横にあった笑顔は弾けるような無邪気さで、つられて頬が緩む。


「はしゃいでいるのはお前の方だろ」

「……違いますよ。心配させた罰です」


 心配か。

 心配かけて悪かったと喉まで出かかったが、声には出さなかった。

 かと言って、安心するのはまだ早い。と冗談交じりに脅す気力も無い。


「フン。この俺に罰を下すとは偉くなったな。はぁ……疲れた……ゴボゴホ……お前のせいで悪化したに違いない。反省しろ」

「じゃあ、おかゆ作りますから。静かに寝ていてください」


 力なく穂積を見送り、氷枕に頭を沈めた。


「ゴホゴホ……馬鹿をやってる場合では無かった……」


 それにしたって(やまい)がこれほど辛いとは……。ただ横になっているだけで体力が削られていく。

 病に抵抗できぬほど、身体が弱ったと言う事か。

 まぁ、それも仕方ないか。

 なんせ、十年かけて成長すべきを一日で成長し、何とは言わないが付いたり取れたりと肉体の変化も激しかった。

 ああ……狂っている。

 身体にガタが来てもおかしくないのだ。

 深いため息と共に、再び眠りに落ちかけたその時。


『……ビッビーッビッビーッ』


 部屋に響いた電子音。

 薄目を開け穂積の方を見れば、手に何かを握りしめていた。

 めったにならない穂積の携帯電話が鳴ったのだ。


『ビッビーッビッビーッ』


 良くない相手なのだろうか。

 穂積は暫く携帯と睨み合っていたが、大きく息をついてから電話に出た。


「……もしもし……はい……」


 語調が暗い。かすかに聞こえる電話の相手は女のようだ。

 どうにか会話の内容を聞き取ろうと(こころ)みるも、邪魔をしたのは俺自身だった。


「ゴホゴホッ……ウェ……ゴホゴホ」


 穂積は俺の方を気にする仕草を見せた後、部屋の外へと出て行ってしまう。


「ゴホゴホ……はぁ……」


 会話の内容が気になるが、後を追う気力も無い。大声を出そうにも、唾を飲みこんだ喉が焼けるように痛い。


「ゴホゴホ……くそぉ」


 壁の向こうから、パタンと扉が開く音がして、何か話し声が聞こえてくる。「分かった」と誠司の声がして「すみません」と穂積の声。

 ケホケホと遠くに乾いた咳を聞き、いつの間にか眠っていたのだと気が付いた。

 驚いて目を開ける。


「ゴホゴホ……誠司、穂積は?」

「今夜は実家に帰るって」

「実家だと? どうしてこんな時に」

「こんな時だからじゃない? 昨日から何度も連絡が来てたんだよ」


 言って誠司はテレビを指さした。

 なるほど……。

 娘の住む町、それも通っている学校が舞台となれば、普段は無関心を装う親も心配するのか。


「それにしたって慌てて出て行く事ないだろ」

「迎えに来られたら困るでしょ」

「……ゴホゴホ。何を困る事がある? 俺は堂々と悪魔のリュウトだと名乗り出てやる」

「はいはい。七瀬さんがおかゆ作ってくれたけど、食べられる?」


 誠司は俺の額に手を当て「熱い」と眉をしかめた。


「穂積の奴め。弱った羊を狼の前に差し出すような真似をするとは……! ゴホゴホ」

「元気そうだね」


 にっこり微笑み誠司は言う。


「ゴスロリちゃんの方が良いなら頼むけど?」

「馬鹿、絶対にやめろ。ゴホゴホ……先に言っておくが誠司。人間界流の看護は止めろよ」


 穂積の重みを思い出し身構えると誠司は「覚悟して」と邪悪に笑ったのだ。




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