去りゆく君の回帰譚-3
「あのね。私、魔力が高まってきた気がするの!」
そうサリッサに打ち明け、スープの入ったカップを飲み干した。
「この調子で強くなっていけば、闇姫だってすぐに助けに行けるわ」
フォークとナイフを手にしたまま、サリッサは無言で微笑む。私は両手を膝の上に置いて、話を続けた。
「これって呪いが解けかけているからだと思うの」
サリッサは微笑むだけで何も言わないし、何も聞いてもこない。
「ねぇ、サリッサ。宵闇の悪魔は私にかけられた術について何か言っていなかった? 例えば……正体が分かった! とか、もうじき解けるだろう! なんて……!」
宵闇の悪魔の城を行き来するようになって半年。私の魔力は確実に強くなっている。
途方も無く遠いと感じた、王都からこの宵闇の悪魔の城までの距離も、今では息切れする事なく一人で飛べるようにもなったし!
私の期待は虚しく、サリッサは首を左右に振った。
「じゃあ、聞いておいてよ。サリッサになら教えてくれるわ。私が聞いたって面倒な顔をされるだけだもの」
頼りはサリッサだけなのに、ずいぶんと反応が薄い。私の話に興味が無いのは明らかだった。
食事を終えたサリッサは、私を無視してテキパキと動き、あっという間に広いテーブルの上を菓子で埋め尽くしていく。
世話好きで料理が得意なサリッサは、使用人ではないが働き者だ。
宵闇の悪魔とサリッサは「子供には教育に悪くて言えない」関係なのだと教えられた。私にはまるで想像がつかないが、二人の仲は良いように思う。
「ねぇ、サリッサ。宵闇の悪魔と二人の時は喋るんでしょ? 私ともお喋りしようよ」
サリッサは無言のまま、私の前に湯気の立つカップを置き、その中に角砂糖を一つ落とした。サリッサは私の好みも良く知っている。二人だけの夕食の時、テーブルに並ぶのは私の好物ばかりなのだ。今日だって、私の好きなイデュイのクリーム煮だったもの。きっとサリッサに嫌われては無いと思う。
だけど、ずっと無視されては、たまらない。
「せっかくだけど、いらないわ。食べたくないの!」
サリッサの動きが止まる。口元には笑みを浮かべているが、目は笑っていなかった。
しまった! そう思った時には大抵手遅れなのだ。
「食べないのね? 残念だわ」
ドンッ
サリッサが拳でテーブルを殴り、皿の菓子が四方へ跳ねた。
足元に転がり落ちてきた焼き菓子は、サリッサの高いヒールに踏みつけられて、粉々に砕ける。その破片の一つが私の頬を弾いた。
「どうして、サリッサはそう極端なの!」
頬を膨らませる私にサリッサは冷ややかだ。
「いらないならゴミと同じ。これはもうゴミ。不要なものだわ。あなたはどちらかしら? この城に必要? 不必要?」
冷たい声。
宵闇の悪魔に言われた言葉が一つある。「サリッサの機嫌を損ねたら、すぐに謝ることだ」納得は出来ない。けど、忠告に従った方が良さそうだ。危うさは本能的に分かる。
「……気を悪くしたなら謝るわ……」
「ゴミが喋ったわ。珍しいゴミねぇ。名前はリンネロッタだったかしら」
「……」
「あら? 今度は言葉を忘れてしまったの? でも大丈夫よ。私が教えてあげるわ。『サリッサ様に無駄な労力を使わせてごめんなさい』でしょ? さぁ言ってごらんなさい」
「な、なんで私が……!」
「まぁ! 泣きそう。可愛らしいお目めが真っ赤よ。誰に泣かされたの? もしかして、私のような下等な魔族に泣かされたのかしら? エテルナ王のご令嬢が? 私に? 可哀想に……ねぇ、お願いだから汚い体液を床に落とさないで」
「うぅ……!」
生まれて初めての侮辱に、頭の芯がカーッと熱くなるのを感じるが、うまく言葉が出てこない……!
悔しさにスカートを握りしめる。
……だけど、宵闇の悪魔の城に来てもう半年。
サリッサとの付き合い方も良く分かって来た。興味のありそうなことを言えば良いのだ。
「……私が強くなったら、醜い屍食鬼をたくさん捕まえてくるわ……」
「屍食鬼?」
私の言葉にサリッサは目を細めた。
「それは素敵ね。悪くないわ。限界まで飢えさせたら屍食鬼同士で共食いするのかしら」
うっとりとした目つきの先に、サリッサが何を見ているのかは、想像したくはない。
サリッサが妄想を声に出す前に念を押す。
「楽しみは早い方が良いでしょ? だから、呪いがいつ解けるのか、宵闇の悪魔に聞いてよ。もし、このまま逃げ出す魔力も無いまま大人になって、万が一にも私が殿下のお嫁さんになんかなったら、サリッサだって嫌だよね?」
「そう? お嫁に来るならリンネが良いわ」
サリッサは微笑んで言う。
「私はリンネが好きよ。可愛いもの」
「ありがとう。でも、サリッサが言うと怖いわ」
サリッサは怖い事しか言わないのだ。
これ以上、二人きりでいると食べられてしまいそうだと、お茶を飲み干し、焼き菓子をかじると慌てて食堂を逃げ出した。
慣れてはきたものの、まだまだ油断はできない。
自室に戻る途中、後ろから足音が近づいてきた。驚いて振り返ると宵闇の悪魔が暗がりに立っていた。
荒い息をつき、壁に体の一部を預けたその姿は、酷く疲れているようにも見える。
「……血がいっぱい付いているわ。怪我しているの?」
「俺の血じゃねぇ。返り血だ」
「宵闇の悪魔は返り血ひとつ翼に残さないって聞いたのに」
落胆したのが気に障ったのか、宵闇の悪魔は「跡形も無く吹き飛ばせば返り血は浴びねぇ」と声を荒げ「殺し方が違うんだ」と主張した。
「ふぅん。何を殺してきたの?」
言った後で気が付いた。ここに住み始めて半年、いつの間にか私は宵闇の悪魔に感化されている。
魔力の強い者が優位なこの国で、強者が弱者を虐げる事自体、そう珍しい事ではないが、命を奪うとなれば話は違う。種族間での格差はあるものの、許される行為ではないのだ。
とは言え宵闇の悪魔は罪人にならない。特例中の特例、第一皇子と言う特権と、宵闇の悪魔と言う名前が免罪符なのだ。
「知能ある生き物を殺してきた」
言って、宵闇の悪魔は私の前に手を広げた。その手も血に染まっていたが、宵闇の悪魔は気にもせず「鬼」「獣人」「悪魔」と数えるように指を折り、小指を残した所で何か思いついたのか、その手を下した。
「リンネ。俺の仕事を手伝え」
宵闇の悪魔が漂わせている血の匂いと、その興奮した様子から、まともな仕事じゃない事は火を見るよりも明らかだ。
それ以前に、そもそも私は、宵闇の悪魔が何の仕事をしているのか詳しく知らない。
ある時は「戦場に火の玉を落としてくる」と出かけ、またある時は「空気が悪い」と機械工場を燃やして帰ってきた。
だけど私には、それが宵闇の悪魔の仕事とは思えない。
機械工場を燃やした後に、もっと空気が悪くなったと一日不機嫌だったのだから。
「お前の下手くそな剣技と魔術の練習に付き合ってやってんだ。少しは協力しろよ」
「別に良いけど……どんな仕事?」
「イイコトだよ」
宵闇の悪魔は口の端を吊り上げ「面白いぞ」と笑った。
「まぁ、お前に断る権利はねぇな。明日お前を王宮へ連れて行くから、そのつもりでいろ。そう不安な顔をするな。黙って俺について来れば良い。怯えた顔の一つでも作れたら上出来だ」
「なんだか良く分からないけど……分かったわ」
宵闇の悪魔「よし」と、私の頭をぐしゃっと両手で撫でた。
「ああ! よくも血の付いた手で撫でたわね……! 酷いわ! サリッサに乾かして貰ったのに洗い直さないといけないじゃない! 長い髪は手入れが大変なのよ! やめてったら! もう! 何の血よ……! ベタベタしてるわ! これ以上やったら髪を切るわよ!」
涙目で抗議するも、宵闇の悪魔は私の頭から手を離さない。手に付いた血を私の髪で拭っているのではと疑う乱暴さだ。
「リンネ。良い事を教えてやろうか?」
うんうん、と宵闇の悪魔は私の頭に手を置いたまま、うなずく。聞かなければ損をするぞと思わせぶりな態度だ。
「……良い事なんでしょうね」
そうでなければ許さない。と力を込めて聞き返す。宵闇の悪魔はニヤついたままだ。
「来月、カリガネが視察から帰ってくるぞ。ひと月はこっちに居んじゃねぇか」
どうだ? と肩を上げ、私の反応を期待しているのが見て取れる。だからこそ素直に喜んでは宵闇の悪魔の思う壺だと思ったのに、嬉しさが隠しきれない。
カリガネが戻ってくる。その事を頭の中に思い浮かべただけで、口元がだらしなく緩んでしまうのだ。
「フン、機嫌が直ったな」
「あー! 酷いわ……!」
宵闇の悪が頬に触れたせいで、今度は顔に血が付いたのだ。
「どうせ洗い直すんだろ。それと、髪を切る事は許さないぞ。俺の好みから外れる」
鼻歌交じりで階段を降りていく背中に罵声を投げつけたが、心は躍っていた。
半年ぶりに親友に会えるのだ。
聞きたい事も、話したい事も山ほどある。降って湧いたような先の楽しみに、胸の高鳴りは正直だ。
明日の“仕事”の事なんて頭の中からスッカリ抜けていた。




