心ある場所-9
「何をするのよ!」
お腹の上に跨り、私を眺めるカリガネの顔は恍惚として、知っているカリガネとまるで違って見えた。
両手首には硬く冷たい何かが巻き付き、後手に固定され身動きが取れない。
「連、綿の……んぐっ」
術を紡いだその口は、カリガネの冷たい手に塞がれてしまう。叫ぼうにも声にならず、どんなに暴れても、女とはいえ、大人にはかなわない。
「もう少し君との時間を楽しんでいたかったけど、時間切れのようだ」
得体の知れない恐怖に、膝が震える。
カリガネは屈んで、耳元で囁くように言った。
「リンネ、一緒に帰ろう」
「ん!? んー?」
「残念だが分かったよ。君は僕を愛する事はないだろう。だから僕は君を手に入れるために、君を殺そうと思う」
おかしな事を言わないで! 言った声は手で塞がれているせいで「んうう」と唸声にしかならず、思い切り噛みついたが、それでもカリガネは構わないらしい。
「最後に初恋の君に会えて良かった」
カリガネが私の首筋に顔を埋めたのと、それは同時にやってきた。
「本当は魔界まで我慢するつもりだったが、もう良いよね?」
「んー!?」
冷たく湿った感覚が首筋を這い上がり、全身に鳥肌が立つ。
「んぐー!」
カリガネの重たく大きな胸が気道に押し当てられ、息が詰まる。
「良い香り……まだ誰にも触れられた事はない? ここ、柔らかくて凄く気持ちいい。ふわふわで指に吸い付いてくるみたい」
スカートの中に手を入れないで! 変なところ触らないで! 舐めないで!
「んー……! んー……」
「泣かないでリンネロッタ」
ふと、口を押さえる手が緩められ、顔が近づいてくる。反射的に何が起こるかわかった。
「やめて……!」
どうして? どうして? やっぱり、この女はカリガネじゃなかったの?
「こんな事……しな……やだ……やっ……んー!!」
言いかけた言葉を唇が塞いだ。私の唇をねっとりと舐める女の唇と舌……。
興奮した荒い吐息。
乱暴に髪を撫でる手。
容赦なく咥内に割り入れられた硬い舌先。
「……んんん……!」
「ハハハ……噛み付かれそうだ」
自嘲するように言うと銀の糸を垂らしたまま、目を細める。
何が起こったのか、いくら考えても理解できない。
「全部見せて」
「いや……! やめて!」
恐怖と羞恥に鼓動が早まる。どうにか逃げようと体を跳ねさせても、その都度、押さえつけられ、地面に皮膚が熱く擦れた。
悲鳴は意味を持たない。鼻につく錆びた香りだけが現実で、ブラウスのボタンはいつの間にか引きちぎられ、下着は太股までずり下されていた。
「君は僕のものだ」
「……! んぐっ」
「ごめんね、リンネロッタ。苦しいかい? でも舌なんて噛み切られたら困るから、咥えていてくれないかな」
カリガネは私の髪からリボンを引き抜き、咥内に押し込めた。抵抗すればするほどリボンは唾液を含み、口の両端を冷たく湿らせていく。
「すごい。リンネロッタの体、綺麗なところしかない」
「んー! んー!」
「……もどかしいな」
切れぎれの息が、耳に絡みつく。
何をされるか分からない。でも、何かよくない事が起こる。それは確かだった。ただ、たまらなく怖い。
「んんんっ!」
カリガネが両足を持ち上げたせいで、腰が浮き、背中が深く沈んだ。
「フフッ、可愛いね。その顔が見たかった」
「恥ずかしいわ! やめて……!」
「今度は誰も助けには来てくれないよ」
下腹部の鋭い痛みに、言葉の意味を推しはかる事が出来ない。
「いっ……痛い……抜いて!」
「まだ第二関節までしか挿れてないよ? やっぱりまだ子供なんだ。女の指でこんなにキツイんじゃ、初めては相当痛いかもしれないね」
「うっぐぅ……!」
「でも安心して」
今度はお腹の中を押付けられるような鈍痛に襲われる。
苦しむ私に、女は中で指を折ったのだと笑う。
「っ……!! 抜いて……! 抜いて……」
叫んで恐怖を紛らわすことしか出来ない。何か術を使おうにも、頭がうまく公式を整理できない……。
女の冷たい指が中で溶け、温度を失っていく。
どこか身体の中で自由になるところはないかと探してみるが、うまくいかない。
もがけばもがく程、追い詰められるのだ。
「……リンネロッタ。ここは気持ちいいよね?」
「ひ……!」
足の裏から痺れるような刺激が全身に走った。未体験の鋭い感覚に、体が強張る。
刺激は繰り返され、体が甘美に疼く度、悔しさに嗚咽がもれた。
「可愛いなぁ……! 僕の指で感じてるんだね。じゃあ、もっと奥まで挿れてみようか」
「や……やっ…………もうやめて……どうしてこんな酷いことするの……」
情けなさに涙が止まらなかった。
月の光に反射する眼鏡の奥で、翠眼が恍惚に揺れている。
親友と同じ色の瞳、髪の色……。
「愛してるからだよ。ずっと、愛してた。愛してるから欲しいんだ」
「大嫌いよ! アンタなんてカリガネじゃない!」
体の上に覆いかぶさっていた女が動きを止めた。
女の顔から余裕が消え、凍るように色を失っていく。
絶望的で、心底打ちひしがれているように見える。
「……うぐぅぅ!」
敏感な突起をきつく摘まれ。腰が大きく跳ねた。
「僕が嫌い? 僕は大好きだよ、リンネロッタ。そうだ。指をもう一本増やしてみよう」
冷たく迷いの無い声で囁かれた。
「あっ……!! 抜いて……! 抜いて……ってば! いやぁぁ」
全身の力が抜け、深淵の底に落ちていくような感覚を覚えた。
視界が暗くなる。
夢の中で目が覚めるような不思議な感覚。
呻くような泣き声をどこか遠巻きに聞きながら、過去が頭の中に流れ込んでくる。
……ああ、そう言う事だったんだ。
私は一度消えたんだった。
遠ざかる意識と、それを覚めて見る自分とが交差していく。
……眩しい。
まるで深海から水面へ飛び出したかのように、目の前に光が差し、明るく開けて気が付いた。
心地の良い眠りから覚めたような充実感を覚えたが、違和感と状況に気づき、その感情は不快なものへと変わる。
「……痛いばかりで何も良くないぞ。もっと優しくしろよ。なんせ、初めてなんだ」
首にかかる熱い息まで不愉快だ。
「ああ、リュウトに戻ったのか」
カリガネは冷静な顔で答える。
「俺で残念だったな」
「まさか。君が愛しい人に違いないよ」
「よくこんな小さな少女に発情できるな……そんなに俺が抱きたければ、俺の人形でも作って勝手にやってろ」
俺の言葉にカリガネは薄い笑みを浮かべる。
「くそ、変態が……」
カリガネは俺を強く抱きしめると、唇を押し当ててきた。
「……常軌を逸している。まぁ、男のお前に犯られるよりは、まだ精神的にマシだ。視覚的にはかなり良い。だが、肌を見せるのが俺ばかりではつまらないだろう? お前も脱げよ。俺は女を悦ばせる自信ならあるんだ。楽しませてやるよ」
カリガネは何も言わずに俺の口を塞ぎ、両腕が俺を締め付けた。
俺を自分の内側に密着させるような、胸苦しい抱き方だった。
「君を殺して魔界に連れて帰るよ。残念だが、それが良い。その身体に無垢な魂を入れるんだ。そうして僕たちは新しく出会い直す。今度こそ、友人としてではなく……」
馬鹿げた事を……!
俺の体に代わりの物を詰めて、それは俺だと言えるのか?
喉の奥で唸る俺の頬に、カリガネの流した涙が落ちて弾けた。
「リュウト。僕は君の事を心から愛している。この感情は狂気じみていると自分でも思う。だが止められないんだ。誰かに奪われるぐらいなら、殺したい」
胸の奥の余韻として残るリンネロッタの意識が、ズタズタに切り裂かれていく。
俺は二度もカリガネに裏切られるのだ。
ショックを受ける気持ちを宥めるように、カリガネの本性はこっちなのだと、言い聞かせる。
「だが、君に愛情を持ちながら友情を感じた日々は、けして退屈なものではなかった。いや、楽しかった。充実していたよ。それを失うのも辛いんだ。君に分かるかな、僕の不幸が」
「んぐぐぐ!」
体を左右に振り、動かない両足を引きずってみたが、カリガネから逃れる事は難しい。
手足の自由は奪われ、動くのは上半身のみ。
魔力は切れ、術も使えない。
もはや、涙を浮かべて命乞いをしたところで無駄だろう。
「昔の君と今の君、最後に二人の君に会えて嬉しかったよ。次に会う時は未来の君だね」
言いながらカリガネは、自身の服の中に手を差し入れた。
取り出すのは、俺を殺す為の道具なのだと直感的に分かった。
どうする?
今一番恐ろしいのは冷静さを欠く事だ。術は使えなくとも、俺には経験がある。
カリガネの一挙手一投足から目を離さず、その機会を伺った。
「リュウト、恨むなら宵闇の悪魔を恨んでくれ。僕はずっと……僕から君を奪ったあの人を憎んでる」
カリガネの手に短刀が見えた。
勢い良く上半身を振り起こし、勢いのまま刃に噛みつきそれを奪った。
刃は唇を傷つけ、口の端に焼けるような痛みが走るが、かまわず、より強く噛みしめた。
俺を甘く見るなよ!
腹の中で叫び、カリガネの首に短刀を突き立てた。
「リュウト……!」
カリガネは悲鳴をあげたが、その顔が苦痛に歪む事はない。
「お前……!」
カリガネの首からひびが入り、破片が剥がれ落ちていく。剥がれた体の奥には空洞が広がっていたのだ。
短刀から滴る血液は、俺の物だ。
「……偽物だったのか……」
「さすがリュウト。油断したよ。危ないところだった」
カリガネは首に刺さった短刀をゆっくりと引き抜く。
首から左肩にかけて亀裂がはしる。
「まだ安心するには早いんじゃないか?」
おどけた調子で言ってはみたが、額に浮いた汗は誤魔化せそうにない。
カリガネがその刃を俺へと向けたのだ。
押し倒され、崩れる人形の破片を浴びながら、その向こうで銀色の光が一筋見えた。
それはカリガネが振り上げた刃。
くそ!
最後に見た女がカリガネになるとは、不幸すぎるだろう。
だからと言って心に残す女も無い。それが俺らしいと言えば俺らしいが……。
『背の君の心の中にあるのは我じゃ』
聞きなれた声。
いや、声じゃない。
それは文字を目で追っているかのような自然さで、脳に沁みこんできたのだ。
閃光が目の中を走り、見上げたカリガネが見る間に崩れ落ちていく。
短刀は俺の胸を貫く事無く地面へ落ちた。
助かったのか?
『我に感謝じゃな』
喜々とした闇姫の言葉に、疲労と焦りに脱力を覚えた。




