あれは魔界での出来事-5
「おい!ホズミ、早く殺れ!」
カリガネは喚く俺の体をくるりと反転させると、容易く羽交い絞めにしてみせた。
まるで俺を盾のようにホズミへと向けたのだ。
「リュウトに傷を付けたくないだろ?」
「そ、そんなぁ……」
「剣を降ろしなさい」
「ホズミ!俺ごと刺せ、体重を全部かければそのナマクラでも貫通するだろ!」
「リュウト様ぁ……」
「リュウト、よせ。ホズミには無理だと分かっているだろう」
カリガネが指を弾くと、蔦が茂り蛇が体をくねられるかのように刃へと巻きつき、蔦はあっという間に剣を覆い隠し、腕まで蔦が伸びた所で、慌ててホズミは剣を落とした。
「剣が……!」
「ホズミ!考えろ、何か手があるだろ」
「リュウト、僕も君に傷を付けたくないんだ。少し大人しくしてくれないか?」
「だったら離しやがれ!この変態野郎!」
「悪い子だね」
俺が声をあげたのと同時に目の前が明るくなった。一筋の閃光が白く火花を上げ目の中を走っていく。
「ぐぁあああ!!!あぁぁぁぁ……」
熱い!脳天から体の芯を、熱せられた鉄の棒が通り過ぎていくような熱さと痛みが走り、手足まで痺れていく。
喉からついで出た呻き声が自分の物だと理解した時、沸いて出てたの憤りだ。
ホズミが座り込むのがぼんやりとした視界の先に見える。
ホズミにも何かしたのか!
「カリガネ……てめぇ」
「ごめんねリュウト、痛かっただろう……」
力の抜け切った体を抱きしめるその腕は、虫唾が走るほど優しい。
「まだ反抗的な目をしているね。今度は失神するまで痛みを感じさせようか?今のキミには抗えないだろうね」
奥歯がズキリと痛む。
「闇を這う者よ……!」
とっさに術を結ぶが、やはり何も起動はしない。カリガネの術からは逃れられない。歯はめきめき歯茎を抉り、骨を砕き、痛めつけるように一本ずつ、容赦なく抜け落ちていく。
「ぐっあ……」
重い金槌で、指の間接をバキバキと一本づつ潰されていくような感覚に襲われ、堪らず歯を食いしばり、目を強く瞑る。脈打つたび刃で貫かれるような痛みが走る。
絶えられるか……!
痛みは、度合いを増し、閉じた視界の先で世界は赤く染まっていくように見えた。
気を失ってしまった方が楽なのかもしれない。
「あ……あがっ……」
痛みとはこんなにも耐え難いものだったか!
目玉が沸騰していくように熱く乾き、世界はぐるぐると回転を始めた。意識は朦朧とし、すでに何度も飛びそうになっている。屈するものか!
カリガネの背に、虎のように爪を立て指を食い込ませた。恐怖で支配するつもりか!この俺を!
「リュウト様……大丈夫です、カリガネ様の幻術です……」
途切れそうな意識の中で、ホズミの泣き声が遠くに聞こえた。
そうだ。この痛みは幻。
歯なんて抜けていない。指も潰されてはいない。だが、痛みからは逃れられない。
屈辱だ!せめてカリガネの喉へ噛みつき肉を抉ってやる事は出来ないだろうか。
「カ、カリガネ……」
歯を食いしばり、激痛に浚われそうになる意識を何とか堪え、カリガネの顔を睨みつける。
苦しむ俺をあざ笑っているに違いない!
「な……!」
睨みつけたカリガネの、その頬には一筋の涙が伝っていたのだ。
「リュウト、すごく痛いだろ?かわいそうに、綺麗な顔が苦痛に歪んでいるじゃないか……」
俺を痛めつけながら、その痛みに耐えしがみつく俺を労わるように、そっと包むように抱き寄せる。
その姿に俺が感じたのは絶望だった。堪えていたものが、ふっと抜けていく。
「……そんなに俺が欲しいか!」
「ああ、ようやく手に入る」
「欲しけりゃ、くれてやるよ!」
カリガネが指を弾くと、俺の全身を支配していた痛みは糸が切れたかのように、ぷつりと止まった。
水中から陸に上がった時のような、重たい疲労が全身へと広がっていく。
強く噛んだ奥歯は痺れ、感覚自体が消えていた。
「愛してるよ、リュウト」
ふらふらと、一人で立つ事さえ出来ない俺を、カリガネは両腕で優しく抱き上げ頬を寄せた。
虚しいが抵抗する力すらない。
「……ホズミには何があっても絶対に手を出すなよ」
カリガネへと真っ直ぐに顔を向けると。俺の顔がよほど美しく見えたのか息を呑むのが分かった。
「ああ、もちろん!それは約束しよう」
「リュウト様ぁ……?」
「ホズミ、今まで世話になったな。お前は連れて行かん。達者で暮らせ、どうやら俺は女のままくだらない人生を過ごす事になるようだ」
「そんな、そんな……!私もお供いたします!」
「カリガネ、降ろしてくれ。ホズミに最後の別れをする。もう抵抗はしねぇよ」
瞳を覗き込み諭すように言葉を紡ぐと、カリガネはその手を離した。
こいつ本気で俺の顔に惚れてんだな。しなでも作って、にっこりと微笑んでやれば気絶してしまうのではないか。
試しに口の端を上げて見せたが、カリガネは頬を染め顔を逸らすだけだった。
その仕草に、ふと子供の頃の記憶が脳裏に蘇る。少年だったカリガネは、いつも照れくさそうに頬を赤らめていた。そして気取って俺に将来の夢を語ったのだ「僕が王になったら二人で魔界を取ろう」と。
だが、その夢もここで終いにしてやる。
「駄目です……!」
ホズミがとっさに俺に駆け寄るが、もう遅い。
脇に差した短剣を取り自分の胸へ向け大きく突き立てた。
痛みには、もう慣らされている。
焼けるような鋭い痛みはたった一瞬だ。
ホズミの細く頼りない腕を掴み、その胸の中へ膝から崩れ落ちていく。カリガネの胸で死ぬなんて冗談じゃない。平たいこの胸が俺の終着の地かと思うと面白くは無いが、悪くも無い。
「リュウト様!」
「リュウト!馬鹿な!」
重なり合う悲鳴が聞こえる。女のまま生きるくらいなら、悪いが死んだ方がマシ。
死ぬ事は怖くない、目を閉じれば終了。ただそれだけだ。
消え入りそうな意識の遥か遠い闇の中、ホズミの鳴き声とパキバキと大木が根元から裂けて割れるような音が聞こえた。
「ごめんなさいぃ……!リュウト様ぁ!」
胸に熱い衝撃が走る。そして死へ向っていたはずの俺の意識がはっきりと蘇り、目を開くと世界は鮮明であった。
目の前のホズミは泣きじゃくっているが、何かがおかしい。いつもと違う。
「ホズミ!なんて事しやがった」
ホズミは自らの角を根元から折ると、俺の胸へと押し付けていたのだ。
「……死なないで下さい、リュウト様!」
「ハハハ、よくやったホズミ!」
頭を垂れるホズミの後ろで、カリガネの高笑いが聞こえる。
その時だった、地の底からぼこぼことマグマが沸き上がるような揺れが岩窟を包み込むように広がっていく。
地響きが轟き窟を大きく揺らし、天井の岩盤が落ちては次々と地面に叩きつけられ、割れていく。
揺れに身を任せていては、体ごと転がっていきかねない。
「ホズミ、伏せろ!」
「きゃっ」
「なんだ!」
くぐもり正体を得なかった地響きは、次第にグハハハと下品な笑い声に変わっていく。
退屈な門……。
そう、思ったと同時に俺は暗闇に飲まれていたのだった。